本因坊秀栄を語る part1
https://www.nihonkiin.or.jp/teach/history/history03.html
1879年(明治12年)本因坊家とは別に、村瀬秀甫が「方円社(ほうえんしゃ)」
を結成し、毎月の手合を収録して雑誌(=囲碁新報)を発行したり、碁の普及のため
古い段位制にかわる級位制を取り入れるなど、次々と新しい試みを打ち出しました。
また秀甫は西洋人とも接し碁を教え、ドイツ人コルセルト氏が弟子となっています。
本因坊秀栄は、1892年(明治25年)方円社に対抗して
「囲碁奨励会(いごしょうれいかい)」を発足しました。(=後の「四象会」)
明治中頃になると、政財界の中枢もようやく碁に目を向けはじめ、
積極的に援助するようになります。
方円社側では井上馨(いのうえかおる)、後藤象二郎(ごとうしょうじろう)、
岩崎弥太郎(いわさきやたろう)、渋沢栄一(しぶさわえいいち)らが、
また秀栄側には大久保利通(おおくぼとしみち)、犬養毅(いぬがいつよし)、
頭山満(とうやまみつる)らが有形無形の援助をしました。
渋沢栄一が主役の『青天を衝け』に、方円社や秀甫、さらに宿敵の秀栄が
登場するか? 登場するかはわからんが囲碁シーンはあるかもしれない。
大河は意外に囲碁使うからな。
ここ数年で言えばいだてんでは無かったくらい。 幕末維新キャラで言うと大村益次郎が囲碁好きだったというのは意外だった
しかもクソ弱かったとか >>132
『いだてん』はスポーツと落語がベースだったから、囲碁の登場の余地なし。 小島直記「回り道を選んだ男たち」(1987年)収録「本因坊秀栄」より
秀栄は、暇さえあれば古棋譜を手にして調べている。
木堂が覗いてみると、秀栄より段の低い者の打碁を調べているので、
「おい、それは一体どうしたわけだ。お前より下手な者の打碁を見ても何の益もあるまい」
と木堂が言うと、秀栄は答えた。
「高段の者はたいてい手が決まっていますが、段の低い者は、かえって稀に面白い手を打ち出すことがあります。
それが最も参考になるのです。ただ、彼等は後が続かぬために負けるので、負け碁にも好手はあるのです。」 >>140のエピソードが元になったのか、後に(大正時代)、当時の名人本因坊であった田村氏(本因坊秀哉)が、
「素人のヘボ碁を参考にするために、碁会所見物をして回っている」という都市伝説が流布されたそうだ
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1232819103/0445 ただし、低段のプロとアマの碁では、研究姿勢がまったく違う。アマでも6段以上なら、参考になる場合もあるけれど.. >>140 投稿者ですが、この記事は市販の書籍からの無断転載であり、
著作権侵害の懸念が生じてきたため、見なかったことにしてくださいませ(^_^;
なお、転載元は、作品社刊「日本の名随筆・別巻1・囲碁」です。
棋士の逸話やエッセイ、囲碁の歴史などに関する記事に加えて、
碁会所通いをする”ヘボ碁打ち”の作家たちのエピソードなどが大変面白く、
紹介したかったんだけどなぁ
無断転載なので、とりあえずやめておきます。
出版社様、何卒ご容赦くださいませ m( _ )m >>144について
下記のリンク先のスレに補足説明を投稿させていただきましたので、
よろしければご覧くださいませ。かなり長いですけど・・・
【解説会】囲碁関連イベントスレ【就位式他】
(レス番号0012〜0018)
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1706125974/