本因坊秀栄を語る part1
歴代本因坊の中でも本物を知る真の通が最強に挙げる人ですな。 ttp://hup.k-server.org/koten/syuuei01.html ttp://hup.k-server.org/koten/kifu/1900/19041015.html ttp://hup.k-server.org/koten/kifu/1900/19010120.html
これが最高傑作らしい。一つ見るならこれかな >>11
囲碁始めたばっかりなんだが
白より黒がなんがすんげー頑張ってるように見える >>12
シュウエイの特徴は「戦わずして勝つ」
対して弟子の田村は名うての力戦家。
この二人の碁の見どころはいつも田村の突進をシュウエイがいかにいなすかというところにある
>>11
秀栄、怪力じゃん…。田村が非力に見えるよ…。
高川秀格
「秀栄名人の碁は石運びに無理がなく、いざとなれば相手をねじ伏せる力を
内に秘めながら、明るい大局観でサラサラと勝ってしまう。
それはまるで水が高きから低きに流れ落ちる自然さに満ちている。」
小生の棋力は10級程度だからアレだけど、>>11は殺しに行った田村(秀哉)が
逆に殺されているんでしょう???
黒25とか黒175とか、田村に惚れた!
>>11
対局者の名前を伏せて出題すれば、木谷道場のリーグ戦で打たれた部屋住み時代の
武宮対加藤正夫先生の棋譜と勘違いする人が続出する予感!
秀哉全集の復刊キボン。加藤正夫先生はアマに人気があったのに、田村(秀哉)は
食わず嫌いで人気がない。田村(秀哉)はヨセも上手な殺し屋じゃん?
「力といえば攻めのことばかり連想するが、しのぐのもまた力である」 ttp://hup.k-server.org/koten/kifu/1800/18961016.html
これもお勧め
「秀栄が打ちざかりの頃の碁。
対する田村保寿は後の本因坊秀哉。序盤は秀栄の打ちまわしがさえるが、左上の三々の
定石が現在とことなる部分から、黒が細かいが逆転する。終盤は右上と中央のコウ争い
からなるフリカワリで、白ががんばり、ついに持碁となる。」
>>20
黒223で三劫になっていない?
三劫は無勝負じゃないの???
なぜ田村はO17を切らなかったのだろう???
もう、田村の方が強いんじゃないの?手加減してない???
もう、採譜の書き方も忘れた…。
15三?
白248で継いでいる所です…。
>>23
あなた三コウの意味わかってないね。
コウが三個以上できたら三コウと思ってない?
三コウというのは一箇所の石の攻め合い、死活で双方の石にとって三つのコウがどれも譲れない場合に言うの
単純に一局で同時にコウが三つ現れたから三コウとは言わないよ。
それなら俺は前、最終六つのコウが同時に現れたわw
>どうやって切るのさ
白が248で継いでいる部分を、普通にあてこんでから切ればいいじゃん。
白が継いだら、反対側を切ればいいじゃん。
コウダテとして使えるんじゃないの???
どのタイミングでの話しだ?117でか。その段階では渡りや当て込みは成立しない。
>>29は何級なの?今まで実戦打ったことある???
>>31
115で置いて116で継いで117から切りを一本入れておけばどうかと
いうことです。
何か狙いがあって置いているんでしょう?
>>32
29さんは17年前には時々碁会所に行っていたよ。
当時、10級くらいと言われていました。
もう、17年ほど碁はやっていませんとのこと。
>>33
115のオキの意味わかってないってあんた10級以下だわwこれは117を先手できかすための準備行動。
それ以上の意味はない。
なああんたまず実戦で碁覚えてみようよ・・・ >>30
黒が248に打ったら白に247に打たれて無条件に二目損。
アマチュアでもこんなひどい損は絶対打たない。まして一目に命をかけるプロが打つことは絶対ないない
>>35 >>36
なるへそ。そうなんだ…。
形にこだわらない田村の癖に渡るだけとは冴えないね…。
小生はチェスに乗り換えてしまったから、碁はできないよ。
貧乏人はチェスしかできません…。
碁のことがわかってもいないのにいきなり古の名手を論評しまくり、間違いを指摘されると
「私は碁はできません」(<できなかったら何言ってもいいのか?)と言い訳しまくり。
俺もチェスはルールを知ってるだけだが、いきなりチェススレに言って名人の着手を批判したりする度胸は到底ないわ
秀哉全集を持っていたから、秀哉の碁を一番並べたような
気がするのです。
田村は小生にとって友達みたいな存在だね。
田村は、院社対抗戦の大一番でアキ三角の愚形から
雁金を屠った事があったような。
千局並べれば初段の力を得ると言ったのは秀哉(田村)なんだよ…。
BDtkyluuがそういう事実はないと身をもって証明したわけだな 良スレですな。
>>11
一番好きな碁のひとつ。感心した手がいくつか。
白16・・・これを上からカケでは地に甘くなりそう。
白24・・・黒C2のコスミには,白B4で対応しようということか。
白20,30・・・相手の石は重くするべきなんだなと。
白48・・・左下が地になりそうな時点でこれで地を確定させ,さらに下辺への打ち込みを狙う。
白68からの下辺の捨て石。左上の黒の大石が,大きな詰碁になっているんだなと。
白86・・・下辺のキキを見られているため,黒も動きが不自由。
白98,142のコンビネーション。
白146から左辺と下辺にぴったり締めつけが利いて,38目の白地が確定。
秀栄の名局好局は田村と打っている場合が多いんでしょう? 二目勝てば実力、一目勝負は運であると言われているが、秀栄はさりげなく一目勝ちが多い・・・
秀栄の大局観と秀策の大局観と秀和の大局観と丈和の大局観と
呉清源先生の大局観と高川秀格先生の大局観を並べたらどうなる?
丈和 > 秀和 > 秀策 > 呉清源 > 秀栄 > 高川秀格
↑
こんな感じ? >>52
その中だと意外と呉先生が一番ない気がする。
呉先生も張栩と同じで局所の競り合いで力を発揮するタイプ。
あと、コミなし碁の白で定先とかだから、大局観より、多少無理しても
部分的得を重ねる棋風だと思う。
その中だと秀和と秀栄が一番でしょう
>その中だと意外と呉先生が一番ない気がする。
ほほぅ。そうなんだ…。
>その中だと秀和と秀栄が一番でしょう
うーむ、そうかもしれないね。
丈和の大局観も凄いらしいけどね…。
秀和や秀栄や高川先生の碁は戦わずに大局観で勝つ碁みたいに
思われているよね。実際、そういう碁が多いのかも。
でも、流れるような石運びの碁とか平明な碁とか簡明な碁とかは
むしろ怪力がなければ打てないと思うのです。小生も宇宙流を
真似したけど勝てなかったよ。力がないからね。碁は布石だけで
勝てるものではないし、将棋は定跡だけで勝てるものではないし、
チェスも布局(オープニング)だけで勝てるものではないよね。
読めなきゃ構想も糞もないよね。
秀和も秀栄も武宮正樹先生も、力碁の頃があったのでしょう?
秀策だって劣勢になれば怪力を表に出したんでしょう?
チェスの世界チャンピオンだって、どんな棋風のプレイヤーでも
戦いまくるチェスを指していた時期が必ずあるらしいし。唯一の
例外といわれているのはカパブランカ。カパの戦いまくる棋譜は
少年時代の棋譜にもないらしい。カパの棋風はコンピューターの
棋風に一番近いらしいよ。おそらく、天才カパは産まれた時から
特別な脳みそを持っていて戦いまくる時期を経る必要がなかったと
小生は推測します。例外的存在ですね。
悲しいかな、詰碁が嫌いだから秀栄みたいな棋風に憧れるのに、
詰碁をやりこまなきゃ秀栄みたいに打てないという矛盾がある。
>呉先生も張栩と同じで局所の競り合いで力を発揮するタイプ。
小生は、呉清源先生は地を稼ぎまくる棋風だと思いこんでいました…。
道策が名人に襲位する時に争碁の挑戦者がなくて
すんなり決まったのは有名。
察元が名人になる時にも何か争碁のエピソードが
あったような気がするけど、忘れた。岩波文庫は
座隠談叢を加えるべき。
丈和が名人になる時は、画策して幻庵に寺社奉行に
争碁の申し立てをさせなかった説も有名。丈和は
幻庵に勝てたと思うけど。
秀栄が名人になる時にも、挑戦者を募ったけど誰も
挑戦しなかったのは有名らしい。
もしかしたら、秀栄は道策と同じくらい他を圧倒して
いたのかもしれない。
>呉先生も張栩と同じで局所の競り合いで力を発揮するタイプ。
>あと、コミなし碁の白で定先とかだから、大局観より、多少無理しても
>部分的得を重ねる棋風だと思う。
うーむ、なるほどね。情報ありがとう。 >もしかしたら、秀栄は道策と同じくらい他を圧倒して
>いたのかもしれない。
互先で打てる人が1人もいなかったのだが
定先に迫ったのも田村保寿ただ1人
秀栄の棋風が柔らかくなったのは晩年の
15年くらいじゃないの?
それまでは力碁じゃないの?
さぁ、さぁ、秀栄の情報を小生にくれてやりなさいよ。 近ごろ秀栄の棋譜を並べている
歴代本因坊の棋風について語っている本ってないのかな
一冊にまとまっている本はないと思うよ。
筑摩書房の日本囲碁体系の各巻の前書きを読むと
それなりにわかるよ。あれ、上手いよ。
棋士が書いた文ではなくてゴーストライターが
書いた文だよ。全巻文体が同じだし。(ワロス
秀策の巻は石田芳夫が担当しているけど、
なぜか田村竜騎兵の監修者?からヒトコト
みたいなのも載ってる。竜騎兵は我が
強すぎだったとオモワレ。
秀栄みたいな足の速い碁も老後に並べたいな。
でも、美しい碁というのが気に入らない。
美しく打ちたいというのは妄執ではないのか??? 秀栄は、秀甫とやってた頃は平凡だけど、一強時代の強さはやばいね。
発想が柔軟で、早見え特有の筋に入った手が多い。形勢判断も明るいし。
わりと現代的な内容の碁だと思うし、歴代名人の中でも屈指のレベルに間違いない。
秀栄の棋風が変わったのは明治15年?
シナ版の秀栄全集には明治15年以降の碁は
何局くらい載ってるの?100局以上ある?
明治15年は1882年。秀栄は1862年(文久2年)の生まれだから、
明治15年は秀栄は20歳だね。秀栄は12歳で初段だから、
明治15年は入段してから8年目だね。力碁の時代が
8年間あるのか?
秀栄は明治40年(1907年)年まで生きた。明治15年から
明治40年までの25年間が走る碁なのか? 1907年(明治40年)、前年12月から流行感冒に伏せ、
2月10日享年56で没す。
法名日達、本郷丸山本妙寺に葬られる。
秀栄は、秀和がお妾さんに産ませた子供だぞ。
この事を知らないと、秀栄が持っていたルサンチマンが
見えない。
この事を知っていたら、秀栄のこだわりや兄弟に
対する態度が理解できる。
小生は、土屋平次郎が好きになったよ。
>>76 うほっ!失礼しました。
>>74の訂正
↓
明治15年は1882年。秀栄は1852年(文久2年)の生まれだから、
明治15年は秀栄は30歳だね。秀栄は12歳で初段だから、
明治15年は入段してから18年目だね。力碁の時代が
18年間あるのか?
秀栄の簡明さと秀策の簡明さはどう違うの?
秀和の碁と秀策の碁が合体すると秀栄の碁になるの? >>78
自分で並べて考えろよ。俺は両方とも全集3度くらい並べてそれぞれの布石パターンや戦法把握したが、
なんでも人に聞く前に努力するってことがお前はできないのかね
>>79
今は自分の部屋がないんだよね。食い詰めて実家に戻って、
三畳の部屋に荷物を置いて寝ているけれど、碁はできない。
親に監視されていて、エロ本も買えないんだ。 小生さん、そういったプライベートまで書いちゃうのはいろいろと面倒くさいことになりかねないから、なるべく控えた方がいいかと。
スレチ失礼。
>>81
そうだね。小生は小学生だから考えが足りないな。
秀和は正妻との間に子ができなかったらしく
秀和の子は全員が妾との子と言われている。
お妾さんが何人いたのかはわからない。
でも、秀和の子の百三郎がやりちんだったので、
おそらく秀和もやりちんだったんだと思うんだ。
秀和が秀策を連れて廓に行ったとか秀和が
算知と廓に行ったみたいな話は残っているんだよ。
秀栄が妾の子である事は、秀栄という人物を理解
するために重要だよ。 白番打碁集とか出してほしいな
名人名局選が出てるけど
あれでも十分かな
シナ版の秀栄全集では、222頁に載っている碁は
明治十二年の碁で秀栄は五段で、227頁に載って
いる碁は明治十七年で秀栄はまだ五段。秀栄の
棋風が変わったのは明治十五年頃なんでそ?
で、629頁に載っているシナ版の秀栄全集最後の
碁は秀栄八段と田村保寿六段との碁。
シナ版の秀栄全集は273局収録していて、概算で
約73局が力碁の頃の碁で約200局が大局観で
打つようになってからの碁と見ていいかも。
>>87
名人名局選を100回並べるだけでも何年もかかる。
ヘタしたら一生かかる。
名人名局選を100回並べてから全集を買うのがいいよ。
焦ってはダメだぞ。 秀栄(白) vs 秀和(黒)ってどうなんだろうねぇ
秀栄嫌がっているし ww
win7で読めないページがあるから、だめだめな日記直してみるか
秀栄か
個人的には理想像のひとつなんだけど、自分で近い棋風で打つのは無理だな
ようやっと、道的と秀策の棋譜をひとつづつ覚えたから、秀栄の棋譜並べでもして日記にのせてみようか
今は、病気再発で休職中(/_;) 「ポムの競馬日記」というブログで競馬の有料予想をしているのですが
私は6月からそこの会員になって既に150万円儲けさせて頂いています。
ポムさんはブログ内で3000万円の貯金画像を載せたり、
過激な文章などもあることからアンチも多く賛否が割れるところですが
有料予想の質はこれまで入会したどの予想よりも儲かります。
彼に代弁してこの素晴らしい予想を世に広めたいと書き込みをすることにしました。
宜しければ一度ブログを覗いてみてください。 今の中国の若手と秀栄を打たせてみたいな。
力いっぱい最強の手ばかり打ってくる若手を、ひょいひょいといなすような碁を
みてみたい。 父秀和の明るさと先輩秀甫の力強さを融合させた碁に思える 囲碁内弟子入用
齢十二〜十四迄 身豊体躯身元確実初段に五六目の手合為す者
但食料は不要 本郷区湯島天神1の77 本因坊秀栄
(明治35年4月13日)
6月にも再募集あったんだけど誰が入門したんだろう?