結局「楽な努力」しかしてないんだよね。

楽な努力てのは「頭を使わない努力」ね。
棋譜並べとか詰め碁なんかは頭を使わずに勉強できる方法の代表選手だ。脳を振り絞ることなく勉強している気になれる。
大局観なんか絶対身に付かない。


なんとなく隅に打ってなんとなく掛かってなんとなく挟んでなんとなく開いてるんでしょ。
レドモンドだって修行時代に宮沢吾朗にしかられたつってたよ。なぜそこに打つのかとことん問い詰められたって。

己で己を問い詰めるったら結構大変なことなんだよね。
楽したがりやの万年級さんは一生涯己を問い詰めるなんて出来ないでしょう。

それは碁じゃなくたって同じことだ。自分を深く見つめることなく死んでゆけばいいさ。