坂田栄男について語れ
>>316
チクンの「地と模様を超えるもの」には、
「高川のヨセ:計算のヨセ」
「坂田のヨセ:計算はあまりしない。
中盤の戦いを持続させたまま終盤に入って
相手に打撃を与えるヨセ」
みたいな事が書いてあった。 >>313
石田章も、坂田のヨセは動物的な嗅覚のヨセだと言ってた。
大きさを考えてヨセるのではなくて、ヨセでも戦っているのかな?
相手が受け損なったら死んじゃうみたいな感じ?
ヨセが得意ではないのではなくて、ヨセのとらえ方が違うのかな?
ヨセに入ってからも手の大きさを地を何目稼げるかだけでは
捉えていないということなのかな? そういう含みを利用して有利に進めるみたいな感じじゃないかな。 囲碁、坂田栄男氏のお別れの会 大棋士しのんで献花
囲碁の23世本因坊で、「カミソリ坂田」として一時代を築いた大棋士、故坂田栄男氏のお別れの会が21日、
東京都千代田区の日本棋院で開かれ、多くの関係者、ファンが故人をしのんで献花した。坂田氏は10月22日に90歳で死去した。
実行委員長を務めた日本棋院の大竹英雄理事長は「碁界に残された足跡は、あまりに偉大すぎて言葉に表せない。先生の業績を見習い、
棋道に精進していきたい」と遺影に向かって語りかけ、趙治勲25世本因坊は「若いときに先生と対局し、
連敗したことが今の私のかけがえのない宝となっています。ありがとうございました」としんみりしていた。
http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010122101000508.html
坂田先生のお別れの会行ってきました
先生の碁が好きで、よく並べました
ご冥福をお祈りします
史上最強の早碁王かも。
秀芳は、早碁が強い者が本当に碁が強いと自画自賛していたけど、
秀芳よりも坂田先生の方が早碁が強いじゃん。 >>328
一部抜粋。
趙先生がとても、ユーモアのある挨拶をされていました。
「坂田先生と初めて対局したのは、日本棋院選手権ですが、僕が二連勝した後に、
坂田先生に本気を出されて、その後3連敗して負けてしまいました。
その後全く坂田先生に勝てなくなって、13連敗しました。
坂田先生はよく、『治勲が強くなったの、俺が鍛えたからだ』と話をされていたそうです。
坂田先生に鍛えられて、僕は強くなりましたが、性格は少し悪くなりました。」
というような挨拶をされて、
最後に坂田先生にお礼の言葉を言うときには、趙先生は感極まって、
言葉が詰まっていたようでした。
坂田先生が治勲をカモったのは、一時的だったの?
坂田 Vs 治勲 の通算成績や年度ごとの成績を知りたいね。
記者さん、データベースで調べてよ。 >>334
棋譜でーたべーすに挙がってるのはこれだけ
kid 棋戦 黒石 白石 日付 結果
10191 第7回 KirinCup 趙治勲 坂田栄男 1994-10-24 B+15.5
19133 第5回 KirinCup 坂田栄男 趙治勲 1992-11-16 B+R
9242 第38回NHK杯争奪囲碁トーナメント 趙治勲 坂田栄男 1991-01-20 B+R
29618 第29回 十段戦 趙治勲 坂田栄男 1990-06-28 B+R
86516 第12回 棋聖戦 坂田栄男 趙治勲 1987-06-25 W+0.5
28270 第12回 棋聖戦 坂田栄男 趙治勲 1987-06-25 W+0.5
7264 第19回 早碁Ch'p 趙治勲 坂田栄男 1987-02-22 B+1.5
21308 第25回 十段戦 坂田栄男 趙治勲 1987-01-29 W+R
29308 第42回 本因坊戦リーグ 趙治勲 坂田栄男 1986-11-20 B+R
87668 第3回 NEC杯决戦 坂田栄男 趙治勲 1984-03-03 W
31795 第3回 NEC杯・早碁戦 決勝 坂田栄男 趙治勲 1984-03-03 W+8.5
9852 第39回 本因坊戦リーグ 坂田栄男 趙治勲 1984-02-08 B+R
2045 第39回 本因坊戦リーグ 坂田栄男 趙治勲 1984-02-08 B+R
31482 第22回 十段戦 坂田栄男 趙治勲 1983-10-06 B+R
39162 第2回 NEC杯・早碁戦 坂田栄男 趙治勲 1983-01-16 B+R
35298 第36回 本因坊戦リーグ 趙治勲 坂田栄男 1981-02-26 B+R
31630 第5回 棋聖戦 趙治勲 坂田栄男 1980-11-13 B+6.5
86997 棋聖戦.全段 趙治勲 坂田栄男 1980-09-03 B+R
35273 第5回 棋聖戦 趙治勲 坂田栄男 1980-09-03 B+
26178 第5回 名人戦 坂田栄男 趙治勲 1980-02-07 W+
4857 第35回 本因坊戦 坂田栄男 趙治勲 1979-11-29 B+
29984 第4回 碁聖戦 趙治勲 坂田栄男 1979-06-07 B+
35633 第3回 名人戦 趙治勲 坂田栄男 1978-08-10 W+ 29213 第3回 天元戦 坂田栄男 趙治勲 1977-09-15 B+
4491 第2回 名人戦 趙治勲 坂田栄男 1977-03-31 W+
25944 第15回 十段戦 坂田栄男 趙治勲 1977-03-02 B+
14872 第15回 十段戦 趙治勲 坂田栄男 1977-01-06 W+2.5
86563 第23回 NHK杯 趙治勲 坂田栄男 1976-03-14 W+R
32072 第23回 NHK杯 趙治勲 坂田栄男 1976-03-05 W+
87611 第2回 JapanSeriesLeague 坂田栄男 趙治勲 1976-02-08 B+R
87620 第8回 HayagoChampionship 坂田栄男 趙治勲 1976-01-24 B+R
7490 第14回 十段戦 坂田栄男 趙治勲 1975-10-16 B+
86501 第22回 日本棋院 選手権 決勝 坂田栄男 趙治勲 1975-02-06 B+4.5
310 第22回 日本棋院 選手権 坂田栄男 趙治勲 1975-02-06 B+4.5
413 第22回 日本棋院 選手権 坂田栄男 趙治勲 1975-01-27 B+R
1279 第22回 Nihon-Ki-in 選手権 趙治勲 坂田栄男 1975-01-16 W+R
425 第22回 日本棋院 選手権 坂田栄男 趙治勲 1975-01-07 W+R
483 第22回 日本棋院 選手権 趙治勲 坂田栄男 1974-12-25 B+R
376 第22回 日本棋院Ch.ship 趙治勲 坂田栄男 1974-00-00 W+1.5
32121 第10回 プロ十傑戦 趙治勲 坂田栄男 1973-01-31 W+
86495 第10回 プロ十傑戦 趙治勲 坂田栄男 1973-01-31 W+R じゃあ次は通算対戦成績と年度ごとの成績を表にして
とか言いそうだね
表にするのは自分でやります。
データの読み方を教えて下さい。
86495 第10回 プロ十傑戦 趙治勲 坂田栄男 1973-01-31 W+R
↑
これは、黒が治勲で白の中押勝ちという意味?
W+1.5 は、白の一目半勝ちという意味?
W+ は、単に白勝ちという意味? 坂田と藤沢
若い頃(老齢除く)の棋譜をみると圧倒的に坂田が洗練されている。
はっきり言えば坂田のほうが強かった。
しかし、棋聖連覇の頃の藤沢は、感動的なくらい洗練されている。
碁に対する情熱をどれだけ持っていたか分かるというものだ。
実績 坂田>藤沢
ロマン 藤沢>坂田 > ロマン 藤沢>坂田
くだらん、「ロマン」などという客観性の全く無い尺度を持ち出すバカ。
日本が中韓に全く勝てなくなったら、
「日本の棋士は勝敗でなく『棋道』を追求しているのだ」と言い張るのと
同じレベルの低脳発言。 武宮は少年時代、師匠の田中三七一から碁の内容に対して厳しく指導されて、勝っても内容が悪かったら叱られたそうだ。
親父さんの賭け碁の代打ちをさせられた坂田とは対称的だ。 ロマンうんぬんに関係なく、指導碁は内容も大事だと思うけどな。 坂田は晩年に警鐘を発していたな。
研究会などで若手が検討しているときに、「手厚い」とか「本手」だとか言うと
それ以上議論がされずに打ち切られるのが常態化。
坂田にとっては手ヌルイ「本手」など許せなかったのだろう。
そして予言どおり、あっと言う間に中韓に抜き去られた。
>>344
正樹の親父さんは、正樹のあゆみという本を
出版したよね?
木谷門に移る前の武宮正樹と当時の師匠の
田中三七一先生との激闘譜が100局くらい
収められていなかった?それとも、その本は
別の本だった???
通常は、師匠が弟子と打つのは2回だけとか
言われているよね。入門時に1回と、見込みが
ない者を田舎に帰らせる時にこんなに強く
なったのだからこの棋譜を持って田舎に帰れと
やる時か入段のお祝いで1回でしょう?
ところが田中先生は正樹と打ちまくり、地は
忘れろ戦って勝てと教えた。田中先生は
実力派人気棋士だった加藤信先生の実弟。
正樹の親父はブランド志向だよね。 >>349
>通常は、師匠が弟子と打つのは2回だけ
それは将棋。 >>350
囲碁にも当てはまる
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/kato/
しかし現代では囲碁も将棋にも当てはまらないだろうね。武宮の話が残ってる
ってのは当時師匠と打つのが珍しかったから残ってるわけで。石井クニオはめいっぱい
井山に指導碁してるし。 江戸時代では道悦道策・元丈丈和・丈和秀和・秀和秀策・秀和秀甫と師匠と弟子で散々打ってるのにいつからそんな習慣?ができたんだろう? 井山裕太20歳の自戦記の歴代名人の井山評の中で坂田は
井山くんはいい師匠に付いた。私も弟子は何人か取ったが、
碁を見てやっても打ってやることはほとんどなかった。
時間がなかった。とか書いているから、スポンサーが新聞社になって
弟子と打ってやる時間が取れなくなってからじゃないかな。 だから井山−石井師匠対決の1,000局は
200局が石井の指導碁
800局が井山の指導碁
井山が16歳くらいからは石井はほとんど勝てなくなったんだから。
石井は井山のスパーリングパートナー。 ここのスレ
坂田をやたら神格化したいようだけど、
晩年の目を覆いたくなるような碁は、見てないのか?それとも知らないのかね!?
棋譜データベースとかでチェックして並べてみんなよ! いや秀行は若手と結構早碁とか打ってるはずだけど
八十代とかになってからは知らんけど 最晩年の坂田は目と体力の問題で早期決着狙いの捻り合いに持ち込む事が大半だったから仕様が無い
それでも当時の実質No2だった柳シクンをカモるとかNHkで加藤正夫を倒すとかして十分並の棋士以上だった いくらなんでも60以後の成績は無視してやれや
ウタロウ先生なんかは例外中の例外とゆーことで
シューホーもシュージュも絶対に負けないっていってた
女流に一発入れられるんだよ還暦すぎると・・ >>359-360
高齢による体調や体力の衰えや、それにともなって碁が弱くなることは仕方ないけど、
碁以外は不摂生の極みな人生を送ってきた秀行が67歳でタイトル防衛したのは奇跡だね >>362
2度の癌(確か胃ガン&リンパ癌)を患い、死んでもおかしくない状態から
命が助かっただけでも普通の人ならすごい話なのに、その後史上最高齢記録となる
王座奪取&防衛は、常識では考えられずまさに奇跡といわざるを得ない。
またはじまった。坂田ファンってもうどうしようもないねと思ったいたけど
実は、ここのスレは3〜4名のコアな坂田フリークが、書き込んでるということがわかった。
あ〜馬鹿馬鹿しい。
>>365
スルーすればいいだけだろう。どんだけひねくれてるんだよ。 むしろ醜行の狂信者が出張してきて坂田をディスってるんだろう。 秀行の悪口もこのスレでは定番。
坂田自体がそうだったから仕方ないのかもしれないけど
もう少し品性が欲しい。 品性という意味ではこの二人のライバルはどちらも似たようなものだけど
我々がそれにしたがう必要もあるまいw >>368
うん、そうだな。
坂田もきっと一時期は秀行を「殺したいくらい」憎いと
思ってたときがあったはずだと思うけど、
最後に秀行のお別れの会には出たよな。
なんというか、もうちょっと「余裕」が欲しいね。 結局全国紙の追悼記事も追悼番組もなしでしたか。
見逃したのかな。 加藤の時は速攻で番組組んで坂田は無しというのも解せないね。
NHKは生前に秀行の番組も作っている。
なにか我々の知らない裏事情とかあるのかな。
そういえばあまり聞かないけど坂田って弟子というか門下いたの?
悪く言うわけじゃないが、人柄の問題もあるのでは。
秀行とかはもっと開けっぴろげな感じだしね。 あと秀行の破天荒ぶりは知っていても、坂田の凄みを知っている人が、
放送関係では今ではもう全然いないとか。 自分が碁を始める前に引退しちゃった人だから
どんな人だったか追悼番組楽しみにしていたんだけどなー 碁を知ったのは、NHK杯でずいぶん変な五目並べだなと思ったのがきっかけだった。なんなのだこれは。
覚えてみたいと強烈に思った。小学生の高学年のころだった。
打っていた一方の恰幅の良い棋士が印象に残った。
あとで橋本しょうじ九段だと知った。それがゆえ橋本九段には特別な思い入れがあった。
そのあと坂田のすごさを知った。初心者なので碁の内容うんぬんより、怪鳥のような風貌とまつわるエピソードにしびれた。
何もないのがさびしい。俺がNHK職員ならそれこそ職を賭してでも追悼番組作った。。。。ろうな。
碁にはそれだけの魅力あるよね。 坂田ファンって、高齢層が圧倒的に多いよね。
ここのスレ見てそう思った・・・
そりゃそうだよ。
活躍していた時期と、囲碁人口の年齢分布を考えると当然だな。 >>385
でも陰気くさい感じと性格はそっくりじゃね ちっとも陰気臭くなんかないと思うが。
なんだかやたらと貶めようとするアンチがいるな。
秀行ファンが一方的に対抗意識剥き出しで突っ掛かってきているようだ。
何でもかんでも秀行。ファンがこれでは陰気臭いといわれも仕方ない。
今夜のNHKの新番組で升田幸三か
いつか坂田も取り上げられるかな 囲碁は手の解説してもわからないんだからTV向きじゃない 秀行の時みたいに、「名局細解」でかつての名局を取り上げてくれないかなあ 別に必要ないけど、
もしやるとしたら、秀行名人と坂田本因坊の世紀の血戦と言われた第二期名人戦かな。
坂田の外のぞきの好手が出た第七局だろうな テレビ東京の夕方のニュースの15:35〜『倉野のこれ見て』というコーナーがある。 囲碁クラブで夜20:00位に若い女性がワインを飲みながら囲碁を教わっていた。
囲碁を通して結婚活動してカップルもあるそうだ。
私は非常にけしからん!と思った。坂田先生、秀行先生は命を削って勝負した。
坂田&秀行&将棋の大山升田両巨匠も絶対に、絶対に大変お怒りになると思う。
棋士は生活と名誉をかけて深夜まで戦っている。
勉強したり、研究会があるし、プロになるまでが大変だ。女がワイン飲みながら対局!……
呆れたわい。プロの棋士だったらワイン飲みながら囲碁将棋教えて下さいくれ、弟子にしてくれなんてきたら拒絶するな! マジレスすればエラいのは金払ってる生徒なんだからいいんじゃないw
囲碁マナーの普及より金儲けが優先するんだろ。 秀行先生なら きっと 一緒に 飲むやろ 四文字連呼 しながら 坂田・呉、坂田・橋本宇、坂田・朋斎、坂田・秀行、
それに坂田・武宮。
この5カードは棋譜並べすると面白いよ。 極寒のベーリングで命をかけて漁をしてる人がいるってのに
護岸から晴天凪の海に釣り糸を垂らすとは何事だ 坂田先生は秀行先生とのタイトル戰で命を削ったと聞きました。
近代の囲碁将棋棋士はそんなことないでしょうね。研究成果を試す試合ですかね? 坂田永世本因坊は将棋で例えたら大山十五世名人だとお爺さんが言っていた 確かに言われてみれば、そうだな。と思って、お二方の年齢を調べてみると
年齢もそれほど違わないんだな。 坂田さんが生きてるときに碁を始めたかった
井山が6冠になったようだが、全盛期のこの人の棋譜を並べてると
井山よりも強いんじゃないかと思える 坂田氏亡くなってから囲碁始めてそれがわかるのもすごいと思うが。