囲碁のライバル物語

囲碁や将棋に「封じ手」というのがある。対局が日をまたぐ時、初日の最後の一手を書いて封入し、翌日そこから再開する。
持ち時間の不公平をなくすためだが、封じる方はその手が悪手ではなかったかと思い悩み、不利と感じるようだ。

1963年の囲碁名人戦では、猛烈な封じ手合戦が行われた。“最後の無頼派”藤沢秀行名人と“カミソリ”坂田栄男本因坊の頂上決戦。坂田さんは2連勝の後に3連敗し、後がなかった。

第6局の初日、坂田さんはその日の締め切り2分前に次手を打った。てっきり封じ手にすると思っていた藤沢さんは、カッとしてすぐ打ち返す。
するとさらに間を置かず坂田さんが打つ。「頭にきた」と藤沢さん。結局その日は藤沢さんが手を封じた。

しかし第7局では藤沢さんがやり返す。時計を見て残り10秒で打ち、坂田さんを封じ手に追い込んだ(「坂田一代」日本棋院)。
名人戦は結局坂田さんが再逆転で制したが、2人の激しいライバル関係を示すエピソードだ。

ともに勝負に純情で、時に盤外でもぶつかり合ったが、2人が互いを誰より評価し、成長の糧としていたことは想像に難くない。
藤沢さんは後に名誉棋聖、最高齢タイトル保持者となり、坂田さんは7冠王、総タイトル数64などで昭和最強の一人と呼ばれた。

藤沢さんが昨年亡くなったのを見届けるように、坂田さんが世を去った。いかにも負けず嫌いの坂田さんらしい。昭和を代表する囲碁のライバル物語は、雲上に引き継がれた。

http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/column/article.aspx?id=20101023000058