【坂田】昭和の囲碁界について語るスレ【高川】
たぶんそうなんだろうね。
でも現在公に語られることってもうほとんどないので残念だ。
あの時代の呉、坂田、高川とか一時期好きでよく並べてた。
大平ハンマーと「華麗」山部俊郎の日本棋院選手権戦やってたが、
えらく古臭かったな… >>153
「華麗」山部? 「変幻」山部じゃなくて? 山部は変幻って枕詞が付いてくるよね。
だけど、華麗といえば華麗だよね。
大竹の美学というのも相当浸透していたよね。
あとは大豪坂田ってのも見かけるかな。
大豪は木谷だという人もいそうだね。
豪腕ってのもいなかったですかね? 高川は平明
林は二枚腰
宇太郎は火の玉
石田はコンピュータ
坂田は剃刀
かな
豪腕は小沢か。 >>155
いいニックネームだなあ。
なんで重厚戦車だの忍びの貴公子だの、変なニックネームをつけてるんだ?日本棋院 だいぶ前にどこかのスレで話題にでたけど、碁に限らず昔はそういうふうに
ぱっと特徴がわかるニックネームを付けるのが流行ってたんだよ。
鉄腕、赤バット、銀髪の吸血鬼、東洋の巨人、8時半の男、
人間発電所・・・なんかプロレスと野球が多いねw
>>129
何だよ「流水不浄先」って。うっかり見過ごすところだったぜ。
トイレの水を流してるのかよw 便所水はひどいな。高川先生に謝れ。
流れる水は先を浄わずといえますね。
強ち間違いではない。 >>129俺じゃねえかワロタwwwwww
不争先だwwwww 「高川の非力では蝿も殺せない」とか無茶苦茶言われてたな
梶原とか坂田とかひでゆきとか当時はDQNな棋士が幅をきかせてたから 力を出さないように見せて勝てるってすごいね
そういうエレガントな棋風が羨ましい 高川格の場合、棋風以上に
その風貌や性格が非常に落ち着いて見えるから、
そういう風に後年言われるようになったんじゃないかな。
棋譜をいろいろ並べてみると、言われているほど
平明で形勢判断を重視した碁かというとそんなことはないんだよね。 たぶん時期によるね。
蝿も殺さない上品な碁も、激しい殴り合いの碁も高川の碁。
いぶし銀の碁 島村としろう
蝿も殺せない」といわれた 高川本因坊が 紙に留まったハエを巻き取って
殺せないけれど取れるのですと言った話しがある。
対局中に新聞紙を丸めて蝿を追っかけた時の話ですね。
その頃の島村さんの写真、勝負師っぽくてかっこいい。 島村「としひろ」の間違いでしょう^^
このスレすごく勉強になるからもっとカキコが増えることを期待してage
手許に1983年(昭和58年)8月の棋道を見つけました。
そこに「囲碁の殿堂入り候補10棋士」ということで10人の棋士が比較されています。
その10人は
趙治勲
林海峰
坂田栄男
高川秀格
藤沢秀行
大竹英雄
石田芳夫
武宮正樹
小林光一
でした。
失礼しました。
その通りです。加藤正夫です。
「現代碁界のベストテン候補」を選定した、とあります。
ついでにその当時のタイトルを隣に書いておきます。
趙治勲 棋聖・名人・本因坊・NHK杯
林海峰
坂田栄男 NEC
高川秀格
藤沢秀行
大竹英雄 碁聖・鶴聖
加藤正夫 十段・王座
石田芳夫 早碁選手権
武宮正樹
小林光一
問題は,今でもその10人に付け加えるべき棋士がいないということだな…
張・依田を入れるとして,誰を外すべきなんだろうか >>179
特に誰というわけではないけど、
名誉タイトル持ってない人、失速した人、品行が良いとは言えない人とか。
まだも何も,「として」って仮定だし…w
大竹、林、石田あたりか?? このとき
依田は5段
張は3歳
この年、趙治勲は藤沢秀行から3連敗4連勝で棋聖位を獲得して初の大三冠を達成した。
が、すぐに林海峰に3連勝4連敗で本因坊位を失っている。 しかしこうして見ると、改めて木谷一門って凄いな。
木谷道場がなかったらどうなってたんだろうな。
90年代まで林海峰一強時代が続いて、たまにおこぼれで
淡路とか山城が十段とか碁聖を取ってたくらいか。 石田がいなければ10年ぐらいは林時代だったと思うよ。実際この時期
はタイトルを取られてもすぐ翌年挑戦するぐらい他の棋士と差があった。
ただ石田には連敗し続けていたので名誉名人、本因坊になれなかったの
だが。木谷一門が無ければ藤沢(秀)や坂田もさらに獲得タイトル数が
増えてただろうね。石田以降層が厚くなって呉や坂田のような飛びぬけ
た存在はでなくなった。最近はまた層が薄くなりつつある気がする。 時期 厚薄 飛びぬけた存在
石田以前 (薄?) 呉・坂田
石田以降 層が厚くなった 不在
最近 層が薄い (存在?)
>186 層と厚薄識別がよくわからん / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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/ ヽ
l::::::::: \,, ,,/ .|
|:::::::::: (●) (●) | ワシは薄くないぞ?
|::::::::::::::::: \___/ |
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ 今、高川さんがNHKに出てたよ 1963年の映像
パチンコが好きだったんだね 高川先生の碁を並べると本当に一間飛びに悪手なしって
感じだし分かりやすいね
ってか、本当に一間飛びが多い… 一間飛びは形が良いし堅いけど足が遅く感じるんだよなぁ。
高川センセの場合は、多分ここで一間に飛ぶだろうなって
みんなに読まれてたんじゃね?
お手本碁として?
局所的な美しさではやっぱり大竹だとおもうの。
それは間違いないね。
さすが美学の大竹ですよ。
岩本先生も個人的には好きだなあ。
昔の人はけっこう力戦派が多いので好きですね。
戦いのときに力を発揮する碁型というのを作ろうとしている気がする。 そして、タメて打つのが日本の伝統芸みたいになっちょる。
高川の碁は合理性の美しさ、大竹のはそれを通り越したちょっとフェチっぽい美学かなw 呉清源の来日が昭和三年なんですね
ちょうど80年前のことです
ちなみにその10年後の昭和十三年に名人引退碁が行なわれました
70年前です 高川秀格の絶筆
オール読物1987年2月号
痛み止めの注射をうち、意識とからだが少しは平静にもどったときなど、新聞に目を通す。ここ数年、碁の仕事はほとんどやってないが、囲碁欄にどうしても目がいくのは、やはり習い性というものか。
(中略)
碁の国際化時代を迎えて、進歩のスピードはさらに早まることだろう。喜ばしいかぎりである。いまの若い人たちは、何と幸せなことか。
碁打ちが河原乞食の同類のごとく考えられた時代は、そんなに昔のことではない。いまは、河原乞食という言葉自体、意味をなくしてしまった。若い諸君は、この幸せな時代を満喫して、大いに前進したまえ。 高川の碁の強さって何ですか?
詳しい人教えてくださいな。 当時の書評とかみると、はっきりと理論を軸に打つ人という特徴があったみたい。
いまでは当たり前の考え方なのだろうけど先駆者だったのだろう。
棋風は、地より厚みを好み、だけど強烈に攻めるようなことはせず、
厚みの効果がヨセの段階までじっくりじわじわ浸透していくような穏やか打ち方で
部分より全局的なバランスを非常に重視する。
並べてみると奇抜な手もなく実に基本的なお手本のような碁で、それゆえ我々アマにとっては
なぜあんなに強いのか得体の知れない部分もある。当時もそんな見方があったらしい。
「私は世間で思われているほど弱くは無い」と全盛期に言ったとか言わないとか・・・・・
実利派と厚み派の違いはあるけどたぶん全盛期の石田のように形勢判断に敏感で
早々と終局図が見えるタイプだったんじゃないかな。
ただ、ピークを過ぎた頃、コミが変わって黒に厳しくなったことから、それまでの穏やかな棋風を
180度転換して黒番では激しく戦う人になった。
昭和囲碁風雲録には、ヨセが強かったと書いてあった。
互角かややよしでヨセに突入すればほぼ勝てるとか。 >>202
とても分かりやすい説明、どうもありがとう。
今の大ゴミ時代に生きていたら、白番はすごく強そうですね。
地味な手が多く、ヨセに強いという意味では、棋風は、イーチャンホをイメージすればいいのかな。
ただ、チャンホは地に辛いので、布石は違うんでしょうね。
そういえば高川は今の基本布石事典の前身である布石事典の編者だね。
布石の評価も高かった気がする。 >>200
小さい泉美ちゃんかわええ
もしかして泉の字は清源先生の本名から取ったのかな >>206
ああ、そういうことはあるかもしれないね。
木谷実先生と呉清源先生の親交も深かったようだし。 坂田を知るには坂田関連本以外では「秀格烏鷺うろ話」がよい
坂田一代は読んだよ。
栄寿は朝鮮系ではないかと小生は思っています。
坂田先生は偉大な棋士だよ。 大田区出身なら別に朝鮮系じゃないじゃん
荒川区とか生野区なら疑うが 坂田三吉先生様、安らかにお眠りください。(^人^) 中学の時イケてないグループに属していたみなさんが一番お気に入りの坂田局をおしえてください
>>211
池田大作先生のコピペで大田区に朝鮮人部落が
あったと書かれていたような。
小生は坂田先生が朝鮮系であろうがなかろうが
偉大な棋士としてリスペクトしますよ。
増淵先生の道場でカレーライスが振る舞われるのを楽しみに
坂田少年は修行した。
坂田少年が入門した頃、増淵先生は人気があって高額納税者だった。
将棋の歌はあるけど、囲碁の歌はないよね。
将棋なら王将とか内藤先生のおゆきを歌えばいい。
秀芳は本当にのどに自信があるなら、囲碁の演歌を
吹き込むべき。 >>219
たしかレコード出してるぞ。
プロの演歌歌手でもある。
秀芳が演歌???
ウィスキー片手にギターを抱えていた人だよ? 囲碁の歌ってイメージわかないね
多国籍過ぎて
あえて出すとしたらクラシックの歌曲かな >>225
某宇宙流の人のデュエットはカラオケにもあるぞ 日本野球連盟は13日、ことしの社会人ベストナインを発表し、都市対抗大会と日本選手権で準優勝のJR九州から浜野雅慎投手ら最多の4人が選出された。外野手で1度受賞した指名打者の池辺啓二(JX―ENEOS)を除いて初受賞。
今回から個人記録の表彰も始まり、首位打者賞は打率4割4分2厘の落合成紀(JFE東日本)、最多打点賞は17打点の北道貢(NTT東日本)、最多勝利投手賞は10勝を挙げた浜野、最優秀防御率賞は0・73で藤田卓史(東芝)が選ばれた。最多本塁打賞は該当者なし。
投手 浜野雅慎
捕手 中野滋樹(JR九州)
一塁手 的場寛一(トヨタ自動車)
二塁手 佐藤二朗(ヤマハ)
三塁手 坂田篤彦(トヨタ自動車)
遊撃手 田中マルシオ敬三(JR九州)
外野手 北道貢、藤島琢哉(JR九州) 松永隆太(東芝)
指名打者 池辺啓二
三塁手 坂田 篤彦(27)トヨタ自動車・初
<選考理由>坂田(トヨタ自動車)、宮沢(JX―ENEOS)、嶋岡(ヤマハ)の3人の争い。宮沢の日本選手権での活躍を推す声を、坂田の2大大会での安定した働きを評価する声が上回った。 >>229
この坂田って、二十三世本因坊と縁戚関係でもあるの? 大平修三九段という人はどの程度の人だったんですか?
日本棋院選手権戦での実績は大したものだと思うけど。 >>231
映画化されたり唄になったりしてるのは
囲碁将棋を通じて三吉だけだろ 大平さんは昭和一桁生まれの中では実績No1ではないかな。
戦争がなければもっと、、、ということもあるし、坂田・秀行の世代と竹林以降の世代に挟まれてしまった。
剛腕というところでも人気があったかも。 >>235
その世代は大平さんと橋本昌二さんしかいないね。
戦争のせいで子供に囲碁をさせる人が少なかったんだと思う。 碁ワールド11月号の梶原の記事やYouTubeに上がってる動画には大平のいい人さが滲み出てると思う。 秀行の映画化が進んでいたが、監督が急死したため、実現しなかったな。
大平先生が亡くなった時に、秋山さんか誰かが
碁ワールドに追悼記事を書いていたね。
なんかね、晩年にはシチョウが読めなくなって
泣いていたみたいな記事だったような…。
トーナメントプロではなくて、囲碁の普及のために
日本棋院が認めたレッスンプロを地方棋士と
呼ぶんだよ。
大平先生の親父さんは、たしか賭け碁で大負けして、
後に院生時代?低段の頃?の大平先生が敵を
討ったんだよね。まぁ、これは時効の話。 安永一ってマルクス主義者だったみたいだね。まあ当時の流行だけど。 坂田栄男と大山康晴は日本の歴史の教科書に載せるべきだ。 碁・将棋と絵画の家元では禄高が大差なので、歴史上の扱いが違うのも仕方ない。 今では忘れられつつある昭和の名棋士といえば、
山部俊郎、杉内雅男、岩田達明、大平修三、
すこし時代が下がって高木祥一、石田章。
関西棋院では、半田道玄、窪内秀知。
この辺でしょう。 >>251
ビッグタイトル取らなかったのにずっと忘れられない梶原先生最強だね。