諸葛亮没後の撤退作戦中に権力を争って讒言を行うとか、とんでもないやらかしには違いない。
私事を忘れて大事に当たることができた張遼とはその辺で差が出るね。
楊儀との個人的な喧嘩でしかない正史の描写よりも、諸葛亮に警戒され続けてた演義の描写の方が筋が通ってる気もする。