【蜀漢】劉禅公嗣再評価スレッド【2代目皇帝】 [無断転載禁止]©2ch.net
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陳寿「白い糸は染められるままに何色にも変ずる」←亡国の臣下の言い訳
李密「斉の桓公に次ぐ」←亡国の臣下「俺は悪くない」
薛珝「主君は暗愚で己の過ちを知らず」←孫休を立てるための発言or劉禅が呉を敵に回さないための策
司馬昭「蜀を思い出されることでござろうな」
劉禅「ここの暮らしは楽しいので蜀を思い出すことはありませぬ」
↑解説:当時姜維&鍾会の反乱があり、劉禅はこの反乱に参加するのではないかと疑われた
それを回避するための振りであり、これは父親の雷に驚く小心者の振りと通ずるものがある
以上劉禅は相当な切れ者 >>1
蜀が恋しい云々の会話は洛陽に戻ってからの話でしょ
鍾会の反乱への参加を疑われたからその回避策だったって君の中でどういう時系列になってんの? >>2
俺の描き方が悪かったな
参加ではなく疑惑に対する回避ね
とっくに反乱は終わってるとしても
元皇帝の部下が反乱を起こせば当然疑われるだろう、その粛清の回避ね 歴史書に出てくる具体的な会話描写って著者による半創作物だからね
漢晋春秋から引用されたこの会話も習鑿歯の筆がかなり乗ってる。オチまでついた小噺状態
この部分から分かる事実は、東晋の時代に劉禅=暗愚という評価・イメージが固まっていたということだけ
それを劉禅が実際に言ったこととし、特にそういった事実があったと書かれているわけでもない『疑惑』
への回避策だったとするのは、想像の飛躍が過ぎてるように思える なんだかんだ40年間蜀を持たせたんだからそれなりの才はあったと思う
後はオヤジが偉大すぎて比較されちゃうのが損 >>5
それは歴史という存在すべてをを否定しているも同義だな
実際の人物がどういう人間だったかなんてわからないし、書き手によってどうあがいてもバイアスが掛かってしまう
けどそれすらも含めて歴史であり歴史上の人物 >>7
いや、一次史料か二次史料か、とかもあるし
それがどういった意図で書かれたとか読み解くのも歴史研究でしょ
注釈に引用された後代に書かれた会話を著者の意図とは別の解釈をし、仮定の話(疑惑があった)に結び付けて
それを評価に結び付けるのはどうかと >>1
俺が言いたいのは2つだけだな
1 どうせ無双の劉禅が好きなんだろ?
2 三戦板でやれや 孔明亡き後も30年国を保ったのだから、暴君でも暗君でもなく、凡庸レベルだろう
少なくとも中国史上最大の殺戮者の暴君・毛沢東や、日本の桀紂である鳩菅とは比較にならない程良い 劉禅個人の能力は分からないが彼にほとんど権能は無かったろ
そういう意味では無能 凡庸ならもう少し数値上げてもいいかも
黄布連中よりも下ってなんなのよ? 7エンパで最強の無双武将だぞ
攻撃すればカウンター
倒せそうな所で体力全回復しやがる 全土統一されたあとの混乱期の皇帝だったらそこそこの名君とヒョウされた可能性が高い
まあ奸臣がいたりして滅びの原因となった皇帝といわれる可能性もあるけど
まあ凡君暗君かもはしれんが暴君や昏君ではないから中国史最低ってのはいくらなんでも歴史を白なすぎる 劉禅名君説を唱えてりゃ
ゲームでしか三国志知らないニワカ相手に通ぶれる ”信じた人間に全てを預けて一切疑わない”ていうのは、並の人間にできることじゃない。
そこを間違えて滅びた君主は、それこそ山のようにいるわけだから、それが出来た劉禅は
名君暴君とかの評価は置いて、能の有る人間であることは間違いない。
にもかかわらず、彼が”中国史上最大のバカ殿”呼ばわりされるのは、
彼が”中国史上最大のバカ殿”である必要がある、ってことだと思う。
ついでに言えば、劉禅自身がその事をわかっていて、そう振る舞ったんじゃないか、とも思うよ。 劉備が統一→数年で崩御劉禅に代替わり→初期は諸葛量やショウエンヒイの補佐で安定期→優秀な補佐がいなくなり弛緩→
不穏な政争が始まりながら270年ごろ死去→三代目リュウセンはさらに無能→キョウドの劉淵の侵略
歴史は収束するとおも まあどのみち晋滅亡のドサクサに紛れて始末されたわけだが
漢民族の本性が垣間見えるエピソードではあるな >>18
そこが劉禅の恐ろしさでもあるな
親父が雷にビビるふりをしたように
息子もまたバカの振りをして粛清を免れた
これが出来れば相当な切れ者 「ここの暮らしは楽しいので蜀を思い出す事はありません」
は蜀の旧臣が劉禅を担ぎ上げて叛乱する疑いを持たれないようにするために
バカを演じた一芝居だと思うがなあ 孔明、??やら信じて託した→黄皓も重用したように変わりにやってくれるなら別に誰でも良かった
蜀は長持ちした→そりゃ何もしないんだから優秀な奴が頑張ってるうちは持つ
蜀を思い出す事はありません→上記を見て機転利かせるかと
まさに白い糸は染められるままに何色にも変ずる(自主性0)だと思うんだが反論ありますか? 黄は蜀の4相の一角にその才能を認められた男
黄の重用など劉禅が統治した期間の10%にも満たない
北伐の全権を預けた時点で生姜も重用している、それは北伐に意欲があったから=自主性0ではない
滅亡の主な原因は生姜の敗北であって黄ではない、その生姜の敗北も元を辿ればプライドの高い義理の叔父のせい
あのやらかしが無ければ孔明も劉禅も、文字通りあんな窮地に立たされていない
結論:蜀晩年すら劉禅という人物の大きなマイナスにはならない
反論あります? >>26
蜀滅亡の直接的な原因は姜維が政治的に孤立したこと
ケ艾も蜀侵攻の好機である理由に姜維が孤立していることを挙げているし
現に姜維の援軍要請は黄皓に握りつぶされた
政治の腐敗で将軍たちが連携して守りに当たれないくらい防衛システムがガタガタになってるのに
それが放置状態になってたのは指導力不足ではあると思う
年をとってキレがなくなるのは劉禅に限った話ではないけども 白い糸は染められるままに何色にも変ずるの異常性に気付くかどうか
こんな居ても居なくても一緒みたいな評価されたのこいつぐらいだろw >現に姜維の援軍要請は黄皓に握りつぶされた
それより前の時点で蜀の滅亡は確定してる、もうちょい見直してほしい
姜維の敗北がどれほど痛かったものかを
段谷の敗北は太平洋戦争におけるミッドウェーみたいなもん その後も諸葛の反乱に乗じて攻めたが結局負けて何もできず敗北、なにもせず撤退
まるで進撃の巨人における調査兵団みたいだな
そら厭戦論広がるし、孤立を招いたのは生姜自身のせいでもある、むしろそれが一番大きい
これ全部黄の大頭前だから
でも劉禅はあえて自ら罰していないし、俺はこれも評価できると思う
自主性ゼロなら生姜はとっくに左遷、北伐もせず何もせずもっと早く国は滅びてる、生姜の才能も一応認めていたのだろう 要は何もしてないじゃん。姜維自身のせいって言ってあえて罰してないとか矛盾しとるがな 何もしてないって感覚がもうほんと末端の人間なんだろうなってのが分かる
方向性を決めることを何もしてないと言うのなら現場の人間以外はみなお飾りだな
矛盾してる?どこが?生姜のせいではあるが、蜀に置いて最も軍事の才能あるやつを罰してもマイナスにしかならない
もっと背景考えろよ、立場に立ってみろ >>29
太平洋戦争の敗けが決定的だからって牟田口が無能でないとはならない
>>30
宦官を重用し肯定に媚び陳言せず、劉禅が功臣の董允を妬ましく思うようになった原因であるとされる陳祗が
董允の後任になったのが246年
陳祗を国政のトップにしてしまい、呉に蜀は宦官がやりたい放題で国政が機能していないって馬鹿にされるスタートを切ったのが253年
段谷が256年 >>33
>陳祗を国政のトップにしてしまい
段谷には全く関係ない、魏がぼろぼろの状態にもかかわらず生姜の失策で大損害
生姜の孤立は殆どこれのせい、国力を無視して北伐に拘り続け、最大のチャンスで大失敗
陳寿もこう言ってる、こいつがあんなに北伐に拘らなきゃもっと延命できたと
陳祗の台頭も生姜が内政顧みなかったことにも原因があるしな、まるで仕事男の家庭みたいだな
まあこの辺は孔明が凄すぎたのかもしれないが アンチなんじゃないの。全部姜維のせいで放任してた劉禅を謎理論で持ち上げてるしw 放任?むしろやりやすいようにやらせた結果が段谷までのプロセスだろう
んでその段谷で姜維は自らの手ですべてを台無しにしてしまった
姜維の孤立はすべて自分自身の手で招いたもの、孔明ならこのような悪手は撃たなかった
まあ元々状況が厳しいのはあったし、姜維は良くやったと思うが、結局はなるようにしかならなかったって事
ヒイが生きてりゃもう少し宮内纏まって蜀ももっとやれたとも思わせてくれるしな
才能を才能のまま活かしてくれるのが劉禅、これは非凡の才能 物は言い様って奴じゃねえか
上の立場なのに締めるところは締める、もしくはそれに近い行動してないなら放任でしょ
信じて任せてたなんて言えるのは結果残してるから言える結果論だぞ もともと蜀の国是は簒奪者の魏を打ち間王朝を復活させる!だから
北伐をやめたらそこで国体が崩壊すんだよ
まあ250年ぐらいになると厭戦気分にはなってただろうが 蔣琬・費禕がトップだった20年くらいは北伐小規模だったけどね
費禕が死んでから北伐過剰になったのは
政治より甘い汁な陳祗がトップになったから 「蜀の生活云々」は保身術でしょ。知恵とかとはあまり関係ないぞ
あと何年国を保ったとかもあまり能力とは関係ない。多分同じ条件下なら>>1も40年頑張れる >>43
いやぁ国を傾けた(かけた)暴君がたくさんいること考えると
積極的に全盛を引いたわけでもないが積極的に悪い道にいかなかっただけ禅はいい意味で平凡という評価を下していいと思うよ
よく言われるが三代目四代目ぐらいの安定期で閣僚がしっかりしてたなら名君になりえるレベル
場合によっては後の世の乱世の遠因とも言われるかもしれんが、万暦帝が近いか? 献帝と同じ(武将データの無いNPC)で
君主は諸葛亮でいいんじゃないか 三国志8あたりにそんなイベントシナリオがあったな
実際日本の戦国時代の足利将軍や
中国の春秋戦国時代の周王みたいな象徴的な帝だったもんなあ
君臨すれども統治はせずで、まあ権限が全くなかったわけじゃないけど >>47
6じゃなかったか?献呈とジョウショウ曹操のように劉禅が皇帝でいて君主が孔明
実際某5辞典には家臣に全権を任せるこれは日本の天皇と幕府製のようなものだといってたが
たしかにそうなんだよな 司馬昭「蜀を思い出されることでござろうな」
劉禅「ここの暮らしは楽しいので蜀を思い出すことはありませぬ」
司馬昭「・・・」 劉禅「五胡十六国、南北朝、明朝にも酷いのいっぱいいるのになぜ朕が中国史上最低の暗君扱いなのだ・・・orz」 >>49
こう言いながら裏でこっそり蜀の旧臣を集めておいて、
隙を見て一気に天下統一してたらもう少し評価高かったよな 姜維の件もあったばかりだし旧臣下達が疑われて粛清されないよう
神輿になる気はないと証明するためにアホ演じてただけだろうあれは これから巻き返して行こう
/⌒ヽ
/ ^ ω^j、姜維
_, ‐'´ \ / `ー、_
/ ' ̄`Y´ ̄`Y´ ̄`レ⌒ヽ
{ 、 ノ、 | _,,ム,_ ノl
'い ヾ`ー;'´ ̄__っ八 ノ
\ヽ、 ー / ー 〉
\ \`ヽ-‐'´ ̄`冖ー-く
|| \ \ \ ∧_∧
|| \ \ \ ( ´Д`)
|| \ \ \ / ヽ
|| \ \ / | | | 黄皓
|| \ \∧_∧ (⌒\|__/ /
ヽ( )朕は降伏する ∧_∧ てめーの指図は受けねえ
/ く \ ( )
| \ \/ ヽ
劉禅 | |ヽ、二⌒) / | | 魏延 >>52
アホがアホな事言ったらアホやろw演技にするには実績が必要や・・・・ 劉禅がアホというのがそもそもな
ちょっと見れば決して暗君ではないと分かるのだがなあ 言うても何もやってねえからなあ。暴君だろうが何か行動してそう呼ばれてる訳だし・・・ 働き者の無能よりも働かない無能の方が被害が出ないだけ良い
劉禅は能臣に政治を任すことができていたし
253年ぐらいまでは君主としても十分及第点をやれる
258年以降は暗君扱いでいいけど 歴代帝王の在位期間 (年数が同じ場合は同順とした 一部文字化けのため諡号を削除してます)
@ 清 4代 聖祖康熙帝(1661年 - 1722年) 61年
A 清 6代 高宗乾隆帝(弘暦、在位1735年 - 1795年) 60年
B 周 37代 赧王(姫延、在位紀元前315年 - 紀元前256年) 59年
C 周 5代 穆王(姫満、在位紀元前977年? - 紀元前922年?) 55年
D 前漢 7代 武帝(劉徹、在位紀元前141年 - 紀元前87年)54年
E 周 13代 平王(姫宣臼、在位紀元前771年 - 紀元前720年) 51年
F 遼 6代 聖宗文武大孝宣皇帝(文殊奴、耶律隆緒、在位982年 - 1031年)49年
G 周 35代 顕王(姫扁、在位紀元前369年 - 紀元前321年)48年
G 明 14代 神宗万暦帝(朱翊鈞、在位1572年 - 1620年) 48年
I 梁 初代 高祖武帝(蕭衍、在位502年 - 549年) 47年
J 周 11代 宣王(姫静、在位紀元前828年 - 紀元前782年) 46年
J 北宋8代 道宗仁聖大孝文帝(査剌、耶律洪基、在位1055年 - 1101年)46年
L 周 26代 敬王(在位紀元前520年 - 紀元前476年) 45年
M 明 12代 世宗嘉靖帝(在位1521年 - 1566年)45年
N 唐 9代 玄宗至道大聖大明孝皇帝(李隆基、在位712年 - 756年)44 年
O 北宋 4代 仁宗(趙禎、在位1022年 - 1063年) 41年
P 蜀漢 2代 後主(劉禅、在位223年 - 263年) 40年
P 南宋 5代 理宗(1224年 - 1264年)40年 >>58
僻地で自称した蜀と中央政権比べるアホ・・・・
益州に絶対取らなきゃ駄目みたいな戦略価値あるかいな >>60
ほんこれ。在位長かったのなんて魏が片手間で扱ったからでしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています