陸胤 敬宗 リクイン ケイソウ  (生没年不詳 ただし期間は199年〜275年)

統率:77 武力:63 知力:71 政治:83

揚州呉郡呉県の人。陸遜の族子。陸凱の弟。御史・尚書選曹郎であった頃、その名声を聞きつけた孫和から礼遇される。
赤烏六年(243年)頃から始まった二宮の変では、孫和派の一人として讒言に遭い投獄される。
激しい拷問を受けたが、他者を非難するような言動を一切しなかった。後に許されて衡陽の督軍都尉となる。
赤烏十一年(248年)九真郡で趙嫗らによる大規模な反乱がおこると交州刺史として派遣される。
陸胤は恩恵と信義を教え諭して、財貨を惜しまなかったため、賊の頭目や、これまで呉の支配を拒絶してきた人々まで次々に投降してきた。
また、蒼梧や建陵の賊を討伐し、それまでに得た兵士八千人を軍に編入した。
陸胤が交州刺史として赴任すること十年、農民や商人は安全に生活でき、災害は減り田が豊かに実った。また、塩害用の貯水湖を作り民衆を助けた。
永安元年(258年)、西陵督に移り、都亭侯に封じられた。華覈から高く評価され、中央に召すよう上奏があったが、その後の記録はない。