楊宗 ヨウソウ(?〜280年)

蜀の武将
蜀滅亡時に羅憲が永安城にて呉の侵攻を防いだ際に羅憲の配下
として呉の包囲を突破して魏の陳騫の元へと援軍を求めるのに成功した。

後に晋に仕えて安蛮護軍となり、266年には巴東の南浦に侵攻した呉軍の
撃退に成功し、その功で名目ながらも武陵太守に任じられて南浦に駐屯し、
現地の蛮族を上手くまとめ上げた。

統率:71武力:67知力:70政治:62魅力:70

段灼 ダンシャク (生没年不詳)

魏・晋の臣。字は休然。
敦煌の出身で、当初はケ艾の部下であった。

後に議郎となり、267年に皇帝司馬炎に対して反逆者扱いで殺害されたケ艾の
名誉回復を嘆願し、273年にケ艾の名誉回復が叶って孫のケ朗が取り立てられた。

統率:37武力:35知力:72政治:58魅力:65