だが、上層部には軽巡撃沈としか認定されなかった。
日本側の通信「信濃沈没」を傍受し、河川(信濃川)から命名された軽巡だと判断された。
艦長は「六万トン級の巨大空母」と主張したが、そんなモンあるわけないだろボケって
信じて貰えなかったそうな。
空母撃沈が認定されたのは戦後の事。