X



【P3】ペルソナ3主人公は命の答えを32けたキタローカワイイ
0001名無したんはエロカワイイ
垢版 |
2018/01/01(月) 16:34:16.99ID:ptJJasPc0
無表情で無口、選択肢は大ボケだったり容赦なかったり
外見とは裏腹にひとくせもふたくせもある
そんなペルソナ3男主人公について語りましょう
次スレは>>970辺り。無理なら代理人を指名してください
スレたては重複を避けるため宣言してから

◆主人公がキタローと呼ばれる理由◆
1. 前髪が長いヘアスタイルがそっくり
2. イゴールの中の人が目玉親父と同じ

◆女性主人公の話題はスルー◆
◆アニメ関連の話は該当スレでやりましょう。荒れます◆

前スレ
【P3】ペルソナ3主人公は31高の客人だったキタローカワイイ [無断転載禁止]©2ch.net
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/gamechara/1455710916/
0353名無したんはエロカワイイ
垢版 |
2018/09/21(金) 19:02:34.69ID:tsRAxZn10
劇場版「ペルソナ3」にまつわる妄想

結城 理にとって劇場版「ペルソナ3」の全4章はデスをその身に封印され、心が虚ろになってしまった彼が、特別課外活動部の仲間達とのふれあいを経て、その中身を満たし直していくまでの過程をたどる物語でした。
理の記憶の甦りという物語構成の妙として、時間軸とそれが公開されるタイミングがズラされていたりしたので、ゲーム版に触れたことがない観客の皆さんは初登場時の理の立ち位置に一種の不気味さを感じたのではないかと思います。
そのうえ各章で起こる事件は、例えばゆかりの父親に対する誤解や順平とチドリの一件、荒垣先輩と天田くんの関係など暗くて重いものが多い印象です。
しかしそういった明るくてハッピーなものばかりではない、人が内側に抱え込んでいる傷の部分をきちんと描いたからこそ、彼らに出会ってそれを見つめることになる理も、
章が進むにつれて、本来、人として持っているべき大切なものを、欠けることなく獲得していけたのだと思います。
劇場版「ペルソナ3」の全4章が観客の皆さんに受け入れて頂けたのも、ゲームで体験したストーリーを映像で見てみたいという興味の他に、そんな理の見る景色に影響され同調することで、その先の展開が気になったからという部分もあったのではないでしょうか。
このように人の心を構成する様々な経験の起伏を描いた劇場版「ぺルソナ3」ですが、そもそもペルソナという単語は僕の理解では心理学周辺で出てくるものですよね。
一番初めのゲーム収録でこのタイトルと内容を知ったときに、バトルをするための自分の化身をペルソナと呼ぶなんて、何てシャレてるんだと思ったものでした。
人が対外的に自分を表すためにかぶる仮面。それが敵、自分に向かってくるモノと戦うための武器になる。これは日常のコミュニケーションそのものに見えます。
だから、そういうペルソナを本来の意味を考えると、理だけが一つのペルソナの進化という形ではなく、初めから複数のペルソナを使い分けられるというところにも自分なりに納得のいく理屈をつけることができそうです。
心の中が空っぽの理には端から対外的にどう見られたいという願望がありません。そんなことは彼にとってそれこそ「どうでもいい」ことであって、どう見られても構わないからこそ、かぶる仮面を一つに限定する理由がないのです。
どうでしょう。自分としてはこの理由付けの仕方、なかなか気に入っています。
理が空の器であったと捉えることで、映画の登場人物として物語を展開させていく大きな必然性を持たせることにもなるのです。
結城 理の物語はゲームの枠にとどまらず、映画化という展開にも充分耐えうるポテンシャルを持っていた、だから映画化されるのは必然だったというのはちょっと暴走し過ぎでしょうか。
0354名無したんはエロカワイイ
垢版 |
2018/09/21(金) 19:03:13.02ID:tsRAxZn10
暴走ついでに、第4章『Winter of Rebirth』のクライマックスシーン。これまでの経験を経て、一度無くした人間性を取り戻し、中身を満たすことができた理は、かつて母親が自分にしてくれたように、仲間を生かすために自分の命を投げ出すという境地にまで達します。
そこには第1章『Spring of Birth』の頃の己の死の恐怖に対するどうでもよさから来る蛮勇はありません。
自分たちが存在した証を守り残すという全員の目標を果たすために、理は自分を満たしてくれた、自分を再構成するためのエレメンツをくれた仲間と彼らが生きていく世界を、今度は自分が救おうとしました。
そしてそれが自己犠牲的発想に基づく行動だったのは皆さんも感じられた通りです。
そのために数多くのペルソナという仮面をかぶることができる理が、ことごとくそのペルソナを打ち砕かれ、最後はその仮面をかぶらずに先へ進む。
これはなかなか象徴的なシーンだとは思いませんか。
「生きろ」と自分に伝えてくれた母親と同じ言葉を仲間に託していく。母親が我が子を思う母性愛が、究極、無上のものであるならば、仲間たちとの間にその無償の愛情を注げるまでの絆を築いた理の内面は、完全に人間としての形を取り戻したと言えるでしょう。
それに加えて、ペルソナという仮面をかぶらない形でしか最後のステージに上がれないという仕掛けが用意されているわけです。
これはニュクスという究極の敵、環境、世間に立ち向かえる力を宿す場所はその人の本質的な部分にしかない、虚飾の仮面を被った姿では無理なんだというメッセージにも見えるわけです。
また、敵を倒すときにはペルソナという仮面をまとい、大切な人を守るときには自分の素の姿をさらけ出すことが必要だったという構図も暗示的です。
自分なんかはとてもじゃないけれど素の自分をさらけ出したところで強さに結びつくとは到底思えないと言いたいところですが、一度リセットされ、新たに経験を積み直した理は、人より先に一つ上のステージ、命の答えに到達しているのです。もはや凡人ではありません。
フィクションとはいえ、影時間でシャドウと戦う使命を与えられたのが理達で良かったとつくづく思います。
もしも僕だったとしたら、命の答えにたどり着くのはまだまだ先のことでしょうから、世界は予定通り1月31日に終わっていたでしょうし、そうなったらこの妄想が世に出ることもなかったでしょう。
そう考えるとそれもアリだったかもしれませんけどね。
レスを投稿する


ニューススポーツなんでも実況