>>361
ブタオくん、​君はね「釣りがレジャーとして認められている」という事実をもって、「倫理的な社会の許容度」という概念を無効にしようとしている。
これは、「合法性」と「倫理性」を混同しているからなんだよ。

​例を出そう。

​喫煙

かつては合法で、多くの場所で許容されていた。だけど、健康被害や受動喫煙の問題が認知されるにつれて、合法性は変わらないのに、社会的許容度(どこで吸っても許されるか)は劇的に下がったよね? 今、人前で平気で吸ったら、法律で罰せられなくても「非常識だ」と白い目で見られる。

​昔の動物実験

昔は、特定の残虐な動物実験も合法だった。しかし、社会が「不必要な苦痛は避けるべきだ」という倫理観を強めた結果、法改正につながったり、企業が自主的に実験を停止したりした。これは、低い社会的許容度が法を変えた例だ。

犬の繋ぎ飼い

​適切な管理をしていれば、犬を終日屋外で繋いで飼うことは動物愛護法上、直ちに違法ではないことが多い。
​昔は繋ぎ飼いは当たり前。番犬の役割もあり、社会的に完全に許容されていた。
​今は犬の精神的な福祉や行動の自由が重視されるようになり、十分な運動や交流を与えずに終日繋ぎっぱなしにすることは、「かわいそうだ」「無責任だ」と倫理的に批判されるようになった。

​法律が変わらなくても、世論(社会的許容度)の高まりによって、世間からの目が厳しくなったりしている。

ブタオくん、どうかな。
​「合法」は「社会の最低限のルール」にすぎない。「倫理的な社会的許容度」は、その最低ラインよりさらに高いレベルで、「他者や生き物に不必要な迷惑や苦痛を与えていないか?」という問いを社会が常に突きつけているんだ。
​そして、釣りも、まさにその倫理的な許容度の狭間で議論されている行為なんだよ。
「レジャーだからOK」で思考を止めるんじゃなくて、なぜ社会が動物の苦痛に敏感になっているのか、そこを考えるのが、論理的な態度ってもんだ。