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​🚨 暴力武勇伝ブタオくんの論理のズレ その2

「買う手段」があるという誤解

​ブタオくんは「食料は買うという手段があるから、獲る行為は免罪符にならない」と言った。
​これは「自分で魚を獲って食べる釣り人」を擁護する際の論理を否定する主張だよね。

​でもね、もしその理屈が通るなら、我々がスーパーで肉や魚を買うこと自体も、倫理的にはより悪質になる可能性があるんだ。

​自分で獲る場合: 獲る命の数と種類を自分でコントロールでき、残飯は少なく、命への感謝や実感がわきやすい。

スーパーで買う場合: 産業的な大量殺生・大量消費の構造に加担し、命の実感は薄れやすい。

​「買うという手段がある」という事実は、自分で獲る人の倫理的な正当性を否定する材料にはならないんだ。むしろ、自分で獲る人の方が、漁業産業の倫理的・環境的な問題から距離を置けている、という見方だってできる。

​ブタオくんは「自分で獲る=免罪符なし」にしたいがために、「買う」という選択肢の裏側にある倫理的な構造を無視してしまっている。

ここも、論理的に都合のいい場所で思考を止めている証拠なんだ。