>>35続き
まず、なぜゼロ円取得において公正な評価額するのか根本的な発想を理解してもらうために、極端な例を考えて見ましょう。
「仮にA社が10億円の資産を無償でもらった時に、それを簿外としても投資家は正しい判断ができるんだろうか?」
という疑問からはじまり、いやそれはおかしいと考えます。

ライバル社であるB社は資産1億円で利益を1億円出しているとします。A社は資産0円で利益を1億円だしているとします(もちろん隠れ資産10億円はあります)。
ROA(利益÷資産)などを計算して、”利益の質”をみて投資するか判断する人にとっては、A社はとんでもない好成績に見えます。

”仕分けなし(ゼロ評価)”とすると、A社が受贈益をもっているからこんなに好成績に見えるんだという情報を投資家が知ることはできません。
受贈益というものがあったからこそ、好成績なのであってそれを開示しないのはよろしくないでしょう。利益の質がゆがみます。

投資家の意思決定に有用かどうかで考えますと、投資家が「おいおい、その情報を知ってたらA社に投資はしなかったよ。」だとか
「その情報を知ってれば、もっとA社に投資したのに。」となれば開示したほうがよかったとなりますし、
「別にそんな情報あったからって、たいして意思決定に変わりはないよ。」となれば財務会計の目的からは必要ない情報となります。

このような考えから基準を支持すると、イルカの例では誕生益を40万、資産も公正な評価額たる40万で計上することに合理性があるとなってきました。
ところが、ゼロ円で取得したものを、公正な評価額で計上すると、基準が貫いている取得原価主義の例外になってどうも浮いた存在になってしまいます。

そこで、基準のいう「公正な評価額」とは「イルカを売ったらいくらになるか」ではなく
「現在のA社の力で、イルカをもう一回手にいれるための取得原価(再調達原価)」をさしており、取得原価にはちがいなく取得原価主義の範囲内だ。
とアクロバティックな理論が展開されるそうです。

しかし、この理屈のもろいところとして、第1問の問題にぶつかったときに、
「じゃあ1円だったらどうするの?100円だったらどうするの?」とつっこまれることになります。