・・・●「進化論」──科学と非科学との間

 ダーウィンの博物学者としての博識はその巨大で広汎な業績とともに第一級のものであるが、それはダーウィンの「進化」論そのものが正しいという根拠になるものではない。
ダーウィンの進化論の重大な問題はこの生物学という学問領域をこえて、十九世紀の哲学思想史上におけるその甚大な“負の影響”そのことの方であろう。具体的に言えば、進歩主義の狂信に火をつけたことである。

 多くの識者は、ダーウィンの「進化」論は間違っていないが、その弟子であるスペンサーの社会ダーウィニズムなどが間違っていた、とする。
しかし、ダーウィン自身、次のように述べており、ダーウィンその人もやはり、十九世紀「進歩主義」の信徒であった。

 ダーウィンは言う、「いくらかの自信を持って、・・・・確かな未来を、見通すことができる。そして自然選択(=自然淘汰)はただおのおのの生物の利益によって、
またそのために、はたらくものであるから、身体的および心的の天性はことごとく、完成に向かって進歩する傾向を示すことになるであろう」

 そもそも、ダーウィンは進歩主義の信徒であるハーバート・スペンサー(1820〜1903年)の直系であり、スペンサーの造語である「適者生存」を駆使しているのである。
社会学者のスペンサーの『進歩について─その法則と原因』1857年刊。ダーウィンの『種の起源』は1859年刊で、二年後であった。ダーウィンはスペンサーの影響を受けたことを『種の起源』のなかで触れている。

 この進歩(progress)の概念が生物学に適用されて「進化」(evolution)になったのであり、「進化」を「進歩」と次元の異なる別なものと解してはならない。

例えば、「進化」は長い年月がかかる漸進的発展に限られるのであって、「進歩」のような劇的な短期間での発展を含まないとする説明などであるが、これなどまさに「進化」論を知らない誤りである。
「進化」論の“突然変異”説とは劇的な進歩(変化)を「科学」だとするものではないか?