動物園のシマウマの眼は「どろん」としているが、サバンナのシマウマの眼は「くりくり」している。
サバンナでは生物としてのパフォーマンスを最大化していないと、
すぐにライオンやハイエナの餌になってしまうからである。
平和憲法下の70年間は日本人を「動物園の草食動物」のようなへなへなしたものに変えてしまった。
学力低下もニートも引きこもりもリストカットも解離症状も少子化も非婚化も少年犯罪も・・・
これらはすべてある意味で「平和の代償」である。
「動物園症候群」と申し上げてもよろしいかと思う。
このような「あまりに平和であるために生命力が萎縮したことによる病的症候」は
「戦争が近い」という大気圧下では雲散霧消するであろう。
戦時中の社会にノイローゼの人間はいない。精神科の待合室には閑古鳥が啼く。
これは疾病史的事実である。
重篤な精神病患者でさえ、死期が近づくと正気に返る。
生体が危機のときに、メンタルな問題で悩んでいられるほど人間はタフな生物ではない。
危機的状況に陥った人間は使えるすべてのリソースを
「とりあえず飯を食う、とりあえずセックスする、とりあえず眠る」といった
プリミティヴな活動に集中させる。当然、身体能力も向上する。
男たちはみんなぎらぎらした眼をして、
ハリネズミのように皮膚の感度を上げて都会を歩くようになる。
女たちは「サバイバル能力」の高い、生物的に「強い」男であることを、
年収や学歴やルックスや趣味のよさよりも配偶者の選択において
優先的な条件とするようになるだろう。
おそらく多くの日本人はそのような形での「日本の若者の野生化」を歓迎するだろう。
外形的には今の「へなへな」の若者たちよりはずっと「まし」に見えるからだ。
不登校や引きこもりやニートは「銃後の守り」という勤労義務への重大な違背
とみなされ、厳しい社会的指弾を受けることになり、尻を蹴飛ばされて勤労動員される。
おいおい、そう聞くと、なんだかすばらしい世の中が来そうじゃないか。
なんだよ、憲法改正ってぜんぜん悪くないじゃないか。