質問です
雛人形の7段飾りの発祥は何なのでしょうか?
明治大正の東京の風俗を扱った本を複数読むと雛祭りについて
「内裏雛を飾り周囲には高砂人形や汐汲人形を配置して羽子板を飾る」というような記述が出てきます
7段飾りどころか三人官女についてさえ全く触れられていません
そもそも雛人形とはかつては泥や紙で作った簡素な人形であったはずです
今では7段飾りがさも伝統的な雛人形であるかのように扱われていますが実は昭和ぐらいにできた比較的新しいものなのでしょうか?
それとも関東発祥ではなく関西などの豪邸では昔から7段飾りを飾っていたのでしょうか?
また高砂人形や汐汲人形や羽子板を飾る風習が滅んでしまったのは何故なのでしょうか?
個人的には7段飾りに組み入れられなかった事なのかと思っていますが...
よろしくお願いします