麻生財閥の前身である麻生鉱業と名義を変えた麻生商店は
「筑豊の御三家」にかぞえられるような代表的な地元の炭坑資本で、
麻生太郎氏はその麻生商店の後継者である。

麻生商店は、日帝の朝鮮統治時代、朝鮮人労働者を強制連行し、
三井鉱山よりさらに安い賃金で酷使し、莫大な利益をあげていた。
つまり、麻生は日本の朝鮮統治に寄生し、その甘い汁を吸っていたのである。

麻生財閥(麻生グループ)は現在、麻生ラファージュセメント(株)を中核に64社、
総売上1,380億円、社員数6,250名を数える九州屈指の企業グループである。

「麻生財閥」は自己資料公開を頑固に拒否しておりこの様な中、月刊「世界」09年1月
号紙上のルポタージュ「麻生一族の過去と現在」において、「筑豊の炭鉱で事故や病気、
虐待などで亡くなった朝鮮人は数知れず、いまだに無縁仏として眠る遺骨も少なくない」し、
麻生鉱業所は、「現地政府の朝鮮総督府からここの村で何人
という割当をもらう」ことによって、その朝鮮人労務者数は、「福岡県の中ではもっとも多く
7996名(1944年1月現在)」だったと指摘。

しかも、炭鉱からの逃亡者数、逃亡率も福岡県最高で、死亡者数もいつもトップクラス、
などと告発されている。

麻生系列の吉隈炭鉱が火災になったとき、炭塵爆発を恐れた会社側が、
朝鮮人入坑者が残存しているにもかかわらず、坑内を封鎖した悲惨な話である。
遺体の爪は剥げ落ちていて、出口を求めて土をかきむしったためと見られているとのことだ。

こうした麻生財閥の過去をたどると、大富豪にのし上がった今日の隆盛が、
少なからず朝鮮人の犠牲の上で実現し、朝鮮人の血と汗、
涙で得られた富をむさぼっているような気がしてならない。

麻生炭鉱周辺で長く居住していた高齢同胞に、麻生家への感想を聞いたところ、
「朝鮮人の血を吸って肥え太った悪い奴」と吐き捨てるように言ったことが耳に残る。
https://blogs.yahoo.co.jp/jap41234/46904381.html