何で最近の漫画ってテンポがアホみたいに遅いのか?
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>>1
キャラの人気獲得した後は引き伸ばし商法だからな
客は長期間搾取され続ける クリエーターではなく作品に客が付くと作品を終了させると関連作が売れなくなる
または連載時でしか評価されないものは続けてゆくことでしか商品は売れない
漫画とは別に他のメディアにも出しているのは特に 最近といわず結構前からテンポ早い漫画なんて、
単行本一巻終了の単発漫画以外ではあまり見かけない。
連載は長く続いた方がいいしな。急にテンポ早くなったら打ち切りフラグ95%。 ジャンプ ワンピース、ハンター×ハンター
チャンピオン クラップラー刃牙→バキ→範馬刃牙→刃牙道
マガジン はじめの一歩
サンデー 名探偵コナン
とりあえずわかっている範囲で >>8結構前からやってるやつばっかじゃん
それとハンタとワンピは別にテンポ遅くないだろ >>8
コナンは遅くないだろ。
黒の組織云々を引き伸ばしてるだけで、ミステリとしてのテンポはいい。 ドル箱を終わらせたくないから
売れてる漫画ほど一生終わらない可能性が出てくる
ワンピースは我々が死んでも続いてる可能性がある 昔も引き伸ばしが酷い漫画はそれなりにあったけれど、
引き伸ばすためにテンポを間延びさせたりはしていなかった気が。
90年代ごろから、引き伸ばしの手段としてテンポを遅くさせる手段が普及した気はする。 連載時は「ダラダラ引き延ばしやがって」と思っても
いざ、単行本で読むと割りと丁度良かったりする作品もある ハンタは休載が長いだけで話の進みは早い
ワンピはバトルとかで脇役が解説をちょいちょい挟むからテンポ悪い事がある 最近は人気が出てから引き伸ばすんじゃなくて最初から話が全然進まない作品がある
アニメ化とか最初から計画してるっぽい作品にそのパターンが多い
路線の定まってない序盤にしばらくグダグダした内容が続く漫画はまあ昔からあるけどさ
アニメとの相乗効果で巻数売りたいんだろうけど
本題に入るまで数巻費やすとかちょっとやりすぎだと思う 妄想の中でしょ
ラノベならアニメ前提はあるが漫画はまず売れてからアニメ化
週刊誌は競争がシビアだし月刊誌は原稿溜まるのが遅いからワザと引き延ばしはやらん
引き延ばしは一定以上人気が出てからの延命で
アニメ前提でグダグダなんてない JoJo3部なんて1話1殺だよね〜重要なイベント回のハングドマンだって前篇後篇で終わり。 今の漫画が遅いと言うより昔の漫画が速すぎるんだと思う
今の漫画のテンポくらいがちょうどいい
あんまり展開速いと逆に面白くなくなる 昔のは一話一話に起承転結がちゃんとあるんだよね。だからたまたま、ラーメン屋でその回だけを読んでも、「あ、これは面白い漫画だな」ってことがわかるんだ。 >今の漫画のテンポくらいがちょうどいい
それ君だけだから イラストレーターで収入が少ないからと30代後半で漫画家になろうとする、ひきこもりのバカ発見。
足立区に住んでいるそうだ
http://inumenken.blog.jp/archives/7002197.html カルピス商法ってやっぱブリからなのかな?
最近単行本一気読みしたけどなんか読んだ気にならなかった ブリーチの前からあったとは思うがジャンプ作品なのは確か
他の出版社はあんまり長くなると単行本を全巻店頭に置いてくれなくなるから
無理に終わらせたりタイトルリセットする
昔はワンピやナルトみたいにあんな糞長くてもお店が全巻用意してくれるという環境じゃなかった
だから20巻超えると最近出た単行本しか置かなくなり新規が入ってこなくなり先細る ドラゴンボールとスラムダンクと幽遊白書が終わった後のジャンプの部数爆下げがジャンプ編集部のトラウマになったから ワンピは一つのファミリーと戦うのに3年もかけんなw
(本当にそろそろ決着するかどうかも分からんが) とりあえず>>8の作品の大体は作品進行テンポというより、作品内における状況展開進行状況の
不自然過ぎる停滞度合いが問題の様な気もするのだがね……これだけ長くやっといて、未だにそこから
進めない儘なのかよ? と。サザエさん時空にしちゃいかん内容だろ、どれもこれもよ
>>30
>他の出版社はあんまり長くなると単行本を全巻店頭に置いてくれなくなるから
>無理に終わらせたりタイトルリセットする
今は他の三出版社ともども、ジャンプと同じ有様へと成り下がってしまったのが何とも悲しむべき哉。 >>13
>昔も引き伸ばしが酷い漫画はそれなりにあったけれど、
>>30
>ブリーチの前からあったとは思うがジャンプ作品なのは確か
引き伸ばし問題で有名な男一匹ガキ大将ですら、その引き伸ばし部分も含めたトータルでの連載年数、および
単行本巻数&全話数(あとは作品内での展開進行&状況の発展度合い)が、昨今におけるアレやコレやの有様とは
到底比べ物にならない段違いなんだから、実にイヤな想いにさせやがるんだよな……少年ジャンプ月2回発行期や
ハイスピード&インフレ&行き当たりばったり的展開に対する是非、等をその考慮に容れるとしても。
我々はあれから本当に進歩しているんだろうか? どうも信用できない >>34
60巻くらいで折り返しと言ってたように記憶してるが、ライバルも世界の謎も
全然片づく気配がないよな。出版社にはありがたい存在だろう。
こういうのを楽しんでる子供って毎週ちょびっとずつ進むのが苦にならんのかね。
もっとせっかちに結果を見たがるものと感じてたが。 ――あの無窮迷路のような味はどこから生まれてくるのか……私は私なりに結論を得た。
あの味は連載という発表形式から生じているのだ。それもあまりはっきりと先々の筋落ちまで決めず、
毎回 行き当たりばったりの様な感じで……
こんな風に言っては国枝さんに悪いかもしれないが、どうも私には「蔦葛木曽桟」「神州纐纈城」の魅力の秘密が、
毎回行き当たりばったりのようにして書きついで行ったことにある様な気がしてならないのだ。
たとえて言えば、それは落語の三題噺の面白さに似てはいまいか。締め切りという時点で高座に揚がり、客席の反応と一体化しながら
物語を作ってゆく面白さだ。
向こう何年間に亘って、毎回何枚のスペースでこれこれの物語を語り尽くす――そういうやり方ならいっそ、書き下ろし形式のほうが
楽なはずである。現にこの「蔦葛木曽桟」は、読者の反応に引きずられて足掛け五年間も書き続けられたのではないだろうか。
いささか枝葉の繁りの過多な、それだけにかえって手造りの感じの強いこうした小説は、大まかな案だけでとにかく書き始め、
自分自身も 読者の一人と化して毎回を賑やかに書き綴っていって、はじめて生まれるものなのだろう。
ひょっとするとそれは、作者の生活費稼ぎといったような側面も持ち合わせているのかもしれないが。
暮らしの糧を得るために書き、しかも読者と一体化することが、よりいっそう読者と深くつながる事になるのではないだろうか。
最初から完成した芸を披露するのでは無く、めいっぱい客にウケて自分自身も芸人として生きようとする姿勢が こうした味を生み出している…… 現場の声としてひとこと言えば、伝奇小説とはうまく終わらない小説であるようだ。ストーリーの中核に自己増殖性がある。
たとえば、人跡未踏の秘境にこれこれの性質を持った一族がいて、その末裔が……となれば、登場人物の血筋はどんどん入り組んでゆかざるを得ない。
私は、自己増殖をしないようなネタでは 面白い伝奇小説にならないと思っている。
その意味で伝奇小説最大のキャラクターは、悪魔妖怪の類だろう。生まれ変わり死に変わり、彼等の物語は今も続いている。
一度死んだはずのフランケンシュタインやドラキュラの物語が何時でも任意に再開できるのは、彼等のキャラクターとしてのネタがそれだけ優れているからである。
だから伝奇小説の面白さのひとつは、ストーリーが次々に膨れ上がって行く面白さである。書き続ければ実際の社会と同じ広さ長さにだって なりかねない。
伝奇小説が長いのも、登場人物などがむやみやたらに多かったりするのも、そのせいであろう。したがって、「蔦葛木曽桟」「神州纐纈城」が未完の形で残っていることを、
私はさほど残念には思えない。もし国枝さんが両作品の未完である事を残念に思って逝かれたとしたら、そのことのほうを私は残念に思う。
国枝さんはついに、終わることが出来ないほど面白い伝奇小説を御書きになったのである――
ということなのかもしれないが、テンポとは違う…か? ――現状の週刊マンガ誌の連載が長期化傾向にあることはだれしもが思うところだが、
それは「いかに長く続かせるか」という方法論が、ガッチリできあがっているからだ、ということである。
前々から思っていたことだが、手塚、石森、永井豪、藤子不二雄などに「連載を長期化させる」というテクニックはない。
昔のマンガの展開の早さを割り引いても、やはり彼らは連載の長期化のスキルは持っていない。
手塚、石森の長期連載作品は、中短編の積み重ねであることが多い。永井豪は連載の長期化傾向の中で、
「手天童子」や「凄ノ王」といった作品を描いてはいるが、もっともページ数が多い「バイオレンス・ジャック」は、中編の積み重ねである。
連載長期化のテクニックを磨いたのは、最初は梶原一騎、小池一夫といった原作者陣だった(と思う)。
また、それとは別個に長期連載化を進めたのは今思いつきで書くと望月三起也、水島新司、矢口高雄あたりだと思う。
共通点は、「時間を長引かせて描く」ことができるスポーツものやアクションものを手がけている作家たちだということだ。
逆に言えば、スポーツものは「引き伸ばしてこそ面白さが増す」ジャンルだと言えるかもしれないが、それはまた別の話。
なお、トキワ荘世代の長編マンガのヘタさ(失礼)に関しては一考の余地があるように思う。彼らが映画青年だったこととも関係しているかもしれない―― これから漫画家および業界に必要なのは、一作品の過剰長期化および一作品への過剰集中の抑止防止と同じく
「一漫画家の次別ジャンル作品でヒット出させる」「または同じジャンルでもヒット出させる」
「中短編および単発的連載作品も長期連載作品ともども高評価、それにより複数執筆を許容する」
このへんだと思うんだが……速やかなる実現の為には何が必要なんですかね? 皆様の意見を伺いたいところです。 >>40
えらい的外れだな
望月三起也のワイルド7読んだことないのかよ。それこそ単行本2冊で終わる話ばっかりだったぞ。
地獄の神話、運命の七星でやっと五巻程度になった。最終章は長いけど話はヨレヨレのボロボロ。
水島新司は試合の積み重ねで長期化してるだけじゃ無えか。甲子園目指して頑張りましたそして優勝しましただけ。
手塚があんたは野球だけ書いてれば良いから楽だねって一程ストーリー性はない。
矢口高雄もヘラブナ釣り編とか半年程のシリーズの積み重ねだろ。ストーリーって釣り馬鹿党で世の中を変えようってでもしたとこくらい。
スポーツものは引き伸ばしてこそ面白さが増すねえ
明日のジョーのホセ戦を始め短くても素晴らしいのは無視か。
キャプテンやプレイボールは試合が長かったか。青葉戦なんて読み切りだぞ。
巨人の星で長かったか試合は記憶にないな。
トキワ荘が長編漫画が下手とか基地外じみてる。月刊誌時代の漫画のページが何ページか知らんのかボケ >>45
>水島新司
そうは言うがね貴方、男どアホウ甲子園からダントツまでの水島新司高校野球漫画の
各作品連載年数と劇中進行度合いなんかを観るとそのテンポ振りに……
中学校での柔道部編から高校三年の春まで週刊連載50巻でやれてるってのはそれだけでも
評価に値するね。
とりあえずは全国大会および世界大会に至るまでの県および地方予選の(しかも主人公が一年生)段階で
余力だったりキャラクターストックだったり連載年数だったりを使い果たしてしまいかねなかったり、問題解決や
苦境打破しそうな流れで進めて来たのに急にそれまでの苦労を台無しにしたりするような展開については
流石に止してもらえるべきではないのかといいたい。そんなんで話伸ばして進めるのは興褪めでしか無いんだ、わかってくださいよ。
別にご都合主義展開じゃないといけないみたいな妄言はホザくわけじゃないんだ、ただどうしても……誰とは言わんが 何が言いたいのかよく分からんが
男ドアホウ甲子園は原作の佐々木守がドラマの部分を担当し試合の部分は完全に水島に任せていた。
だから他の水島作品に比べてドラマチックなんだよ。
ドカベンの柔道編は同時期に連載してた男ドアホウ甲子園に遠慮して、そっちが終わるまで
野球をさせなかっただけだから。
勝ち進んで甲子園で優勝するっていうのはそれだけで十分ドラマチックだからなあ。
水島以外でも結構甲子園ものは成功する。
水島の上手いところはキャラクター作り。次々に新キャラを登場させ人気が出ると残してレギュラーにする。
水島がそんなに上手いなら野球漫画で成功する前に野球以外で成功してたんじゃ無いかな。
その前は銭っ子という漫画が有名だけこれは花登筐が原作だしな。 ドカベンの柔道編はチャンピオンに他に野球漫画があったから企画が通らなかっただけだ
昔は一つの雑誌で1競技につき連載1本だけと言う妙な縛りがあり
水島としてはまず柔道漫画で企画を通し隙を見て野球に切り替えるつもりだった
男ドアホウ甲子園は小学館のサンデーの連載で関係ない
昔の小学館は漫画なんててんでバカにしてまともな会社のやるこっちゃないと
サンデーの連載漫画も自社で出すのは恥ずかしいと秋田書店に単行本の権利を投げていた
今じゃドル箱を他社に譲るなんて考えられないが当時は百科事典の儲け>>>>漫画の儲けだったから 宝島社から出版されたいきなり最終回の男ドアホウ甲子園で水島氏にインタビューしその中で
男ドアホウ甲子園がヒットしてやっとこれで漫画家として食べていける自信が出た。そのことに
恩義を感じた水島氏は男ドアホウが終わるまで野球をやらない約束で連載を開始したと語っている。
その証拠に男ドアホウが終了を見計らい野球漫画にシフトした。
逆に聞きたいがドカベン開始前から連載を開始していて、柔道編の途中で終了した野球漫画って具体的に何?
水島が恩義を感じ自主的にバッティングを避けたって話であって小学館が圧力をかけるとかそんなくだらない理由じゃ無いぞ。
男ドアホウが終わったあとは各雑誌に同時に野球漫画を連載をしてるでしょ?男ドアホウだけが特別な存在だったのですよ。
それと各雑誌に同じ種類のスポーツ漫画は掲載し無い不文律の件だけどこれはかなりそうだね。
ただジャンプは創刊時から力を貸してくれた貝塚ひろしの父の魂が連載しているのに梶原一騎の
侍ジャイアンツを連載したけどね。貝塚ひろしが同じ野球をぶつけてきたと怒って連載を終了させ
同時掲載にはならなかったはずだけど。
まあベストアンサーが正しい情報でも無いから。水島本人の口から語られた方を俺は信じるわ ( ttp://picnic.to/~funuke/comic05/turezure101.html#zattki より引用)
【雑記】・連載マンガにおける「引き」、あるいは読者に与えるストレスについて
実はマンガ雑誌を読むのが苦痛で仕方がないことがある。理由はいろいろあるのだが、この間ハッと気づいたのは「引き」とストレスの問題である。
まず「引き」の問題。ここで言う「引き」とは、連載マンガにおいて「さあ、次はどうなる!?」と読者に期待を持たせることをさす。
映画を見ていて気づいたのだが、当然だが映画における「引き」は映画の中で決着が付けられる。「引き」と「伏線」は、同じではないが非常に近いことを考えると
当然ながら「伏線」も1本の映画の中で決着が付けられる(続編への「引き」もあるが、それはまあオマケみたいなものが多い)。
反面、連載マンガの「引き」は、どこで決着が付くのかの保証が、その後の連載でまったくない。これが個人的にはかなり苦痛である。
たとえば「引き」を次週も引きのままにして、それを3週にも4週にもわたって持ち越すことが可能なのである。そうなると自由度が高くなりすぎて、個人的には「引き」としての興味を失う。
そして、「いったい何週目で、ある引きに対して決着がつくのか」の自由度が高い反面、おおかたのマンガの引きというのはヴァリエーション的には少ない。
たとえば、だれかが何かをたくらんでいるとする。そういう「引き」なら、「そいつが何か悪事をやらかす」以外の予想はほとんどはずれない。
「たくらんでいると見せかけて、そうではなかった」ということもあるが、まあマンガ全般的には少ないし、こういう描き方はうまくやらないと
やはり「何週目で決着するか」の自由度と同様、「何でもあり」度が高くなりすぎてかえって読者の興味を失うことにもなる。
「男塾」を読んで痛感させられたが、あれはひとつひとつの戦いの長さが一定で、2週から3週で決着が付く、ということがリズムになっていた。だから読んでいてストレスは非常に少ない。
連載マンガの場合、私にとって苦痛なのは「いったいいつ伏線の始末やらワンエピソードの収束やらが行われるのかわからない」という場合が多い。どうでもよくなってしまうのだ。 もうひとつはストレスの問題。これは個人差があるだろうが、連載マンガは読者の受けるストレスを、かなり低めに設定していると思わざるを得ない。
たとえば、戦いの中でキャラクターが一人、監禁されて拷問さているとする。主人公たちは敵と戦いながら彼を救出しなければならない。
この場合、戦いと拷問シーンが交互に描かれるわけだが、こんなものやりようによってはいくらでも続けられるわけである。
だが、やはり「頃合い」というのはあると思う。いつまで経っても救出されなければ読者はずっと宙づりの気分を味わう。
それは「続きが読みたい」と思う気持ちになるかもしれないが、その「続きが読みたい」というのは読者がストレスから解放されたい、
ホッとしたいからであって、「次はどうなるんだろう?」というワクワクとはまったく違うはずである。
他にもうんざりするようなことはいろいろある。
連載マンガには緩急がある。たとえば必殺技を破られた主人公が修行し、新必殺技をあみだすというくだり。
最近はどうか知らないが、昔は修行シーンになると人気が下がったそうだ。地味な展開だから当然と言えば当然だし、「キン肉マン」でスグルがカメハメから技を学んだ際、
まるまる修行シーンをすっ飛ばしたのは記憶に新しい(別に新しくないか)。
80年代のジャンプシステムは、梶原一騎が「美学」として必ず入れていた修行シーンをどう「やりすごすか」という方法論的な課題があったのではないかと思われる
(それは「そのシーンを飛ばす」という選択肢も含めて)。
要するにそこにはつまらないシーンならつまらないシーンなりの何らかの「工夫」があったのだが、そこに工夫がないと単に台本をなぞっているにすぎないことになる。
キャラクターも同様。たとえば最近の戦いモノでは「ニコニコしているやつほど残虐」というパターンがあるが、ニコニコした敵キャラが出てきて次週へ引き、の段階で、
その次の週はまるまるそいつの残虐ぶりが披露されることが予想できてしまうので、正直うんざりだ。しかも、そいつが強いことが証明されなければ戦いが盛り上がらないから、
その週は敵の強さと残虐ぶりをアピールするだけで終わるだろう。そして、そこに工夫がなければ一週飛ばして読んでも同じなんじゃないか? と思ってしまう。 ( ttp://picnic.to/~funuke/comic04/turezure121.html#kizuoibito1-2 )
>で、復讐とかエロスとか、テーマ的には同じ原作者が70年代に書いた「修羅雪姫」や「御用牙」と何ら変わりないんだけど、とにかく話の進みが遅い。
>話の進みが遅いために、先までプロットを考えてあったとしても、毎週毎週考えながら描いていたような印象を受けてしまう。
>実際、80年代に私が梶原一騎と小池一夫の最大の違いだと思っていたのは「ゴールを決めて書いているか否か」だった。
>昔の小池一夫の作品を読むと、それは必ずしも正しくないことがわかる。が、とりあえず本作はゴールを決めて書いているとはちょっと思えないのだった。
論評者個人への評価や個々別の意見への是非(特に修行シーンについての話と傷追い人の感想)は措いとくとしても
大体においては参考にされるべき意見だね、と。先行き不安な連載だからなんてのは言い訳にもならない
>>49
>各雑誌に同時に野球漫画を連載
野球漫画に限らず、アレとかコレとかもその方式採用してれば過剰長期化やテンポの悪さなど
かなり改善されてたんじゃあないのか……と思うのは、間違いかな? でも板垣恵介やなんと孫六みたいな
事例もあるので難しいところだが。 >>51
「彼」にそういうこと言うのは筋違いも良い所だよw まぁ、漫画好きだけどこの辺はチョット
どうなんだろうな……というところなんだと思うね。好きだけど、さぁ。 スラムダンクは試合中5分の話を1年くらいかけてなかった? ★永遠に完結しない漫画
ワンピース
ブリーチ
トリコ
銀魂
ニセコイ
斉木楠雄
ハイキュー
とらぶる
ジョジョ
テニスの王子様 ★永遠に完結しない漫画
バキ
浦安鉄筋家族
クローズ
バチバチ
ドカベソ
ぱすてる
ドリームス
ベルセルク
キン肉マン
男塾
マキバオー ★永遠に完結しない漫画
コナン
マギ
ハヤテのごとく
青になれ
蟲奉行
絶チル
伊能領域
初めの一歩
エリアの騎士
山田魔女
AkB49 ★永遠に完結しない漫画
彼岸島
カイジ
みなみけ
コッペリオン
テラフォーマー
ブリュンヒルデ ★永遠に完結しない漫画
甘い生活
二人え.っち
クッキングパパ
美味しんぼ
ゴルゴ
ミナミの帝王
キャプテン翼
釣り馬鹿日誌 ★永遠に完結しない漫画
パタリロ
ちびまるこ
ガラスの仮面
ホリック
藍蘭島
とある魔術の
グルグル 流れぶった切るがテンポが遅いといえば。
マイナーだけど『週刊女性』で連載してる冤罪がテーマの『ニコラオスの嘲笑』だな…。
冤罪で逮捕されるまでの約4ヶ月の話がつい最近、連載でほぼ一年かかってようやく終わった。
でもぶっちゃけこれが前置きで、本題はこれから。
話が面白いから続きが気になるけど、1話辺りの進行が遅くてイライラしてしまう。 ヒット作を続けたいという考えが作家編集双方にあるんだろう 作品をヒットさせたいと言うのは誰だってそうだよ
昔は20巻を超えると本屋は置いてくれんし客は買わないしで連載を切ってただけ
当時の主な読者は子供だもの金無いよ(5〜10冊が上限)
今の漫画が糞長いのは漫画読むのが中年ばっかなのが原因だよ
日本一売れてるワンピのメイン読者は30代と言われてる
考えてみろよ、子供のお小遣いで生まれる前から連載してる漫画を78冊も買えるわけない とりあえず部活動漫画で未だに全国大会到達してない県大会の段階なのに
主力ライバル集めさせちゃう様な展開にしちゃう漫画家には編集サイドが即刻NG出してやるべきだと
言いたくなるばかりで御座います(あとは主人公世代が一年生の段階で終わりかねないような、さ)。
それが現実的だろうに、とか云うのは全くの別問題のはずだ。
まぁ、そういう作品でも男塾や男旗あたりについては余り文句も言いたく無いな、と。
とっくに終わったこともあるけど、面白い事は面白い漫画だからさ……不満はあるけど。
>>63
いやだからさ、何でもかんでも時代のせいにすんのかよって思うんだ……
嘗ての時代の少年向けですらも20巻超えは少なくなかったんだし(それでも今みたく
無用に長期化させられちゃうのとは、違うと言いたいんですが。何が違うんだ)
かくいう俺も今30代だけど昨今の過剰長期傾向は余り納得できない身なんでして、ね。問題は別の所にあるさ 長く続けてほしいってのもあるが
昔みたいにシンプルにテンポいい話はウケないってのもあるだろうな >>65
長く続けさせるのはしょうがないにしても、こちら側での連載期間および費やされた話数と
劇中の状況進展発展等々が余りにも反比例し過ぎてたりすると何かこう、ね……長く続けてるってのに
いまさら一体、何をそんなにイヤがるんだろう? って感じで。 >>65
そういうモンかね? そりゃ単に作者の体力切れに対する無用な不安なだけじゃないんだろうか? 作者の体力切れに対する
↓
作者が自分の作家生命に対して 漫画のテンポの遅さの一つになってると思われる、板垣恵介言う所の「『あしたのジョー』で
力石とカーロス・リベラが闘ったらどうなるのか?」を一つの作品内に描き過ぎてる問題についてだが……
まぁ、確かに俺だって見たいけどさ、そのせいで折角の主人公の描写が希薄化しちゃったり
テンポ減衰しちゃったりするってのはチョット違うハズだと思うんだ。そういう内容こそ本編を
一区切りさせてから描いたり、本編と同時進行連載する形で何処かに描かせてもらったりすればイイのに、と。
ムリか? 同時連載はムリなのか? 鳥山明「設定とか色々考えてたけど全部書こうとすると長くなり過ぎるからカットした」
それを全部書こうとするのが今の漫画家 >>70-71
実力は出し惜しみしちゃあダメでしょうに、とでも言われたらどうすんだよ…… >>70-72
本編で設定をクドく説明するよりは
スピンアウト外伝などで描写不足の設定を補完する程度が良いと思う
それこそDBの滅びの未来の話のように 設定はただ説明するだけのものじゃないよ
うまくストーリーの中で魅せるものだよ >>69-70
どんなに素晴らしいアイデアや構想があっても
作品にとっていいかどうかの取捨選択が適切にできてこそ名作だからな
今は>>5もあるし、売れると作者のつめこみたい欲求にブレーキをかけてくれる存在が減るんだろう >>75
(・д・)つ>>38-39
まぁ半村良であれ国枝史郎であれ、ちゃんと終わらせられてる長編と中短編のほうが多いんだがね……なぜか誰も言わないけどさ。 望月三起也・作の短編漫画「帰ってきたガンマン」についての本人の述懐から。
――今と違って大昔は短編というのが好まれていたのですね。
長編と違い短いページの中にきっちり話を収める“技”モノで、ページ数気にせず
活劇シーンを先延ばしにしていたら、逆に描けないその苦労、トライが作家として苦しくもあり面白くもあるのです。
ですから、長編より制作時間は掛かるのです。長編の二倍は掛かってる。
その作業内容が「ストーリー」と「コマワリ」どう縮めて……
しかもテーマは大きく、小さくならず、さらにラストにはアッと言わせるオチで完成されて、それが短編の良さなんです。
だから依頼されると喜んじゃって、断ったことがない。長編とはまったく違う楽しさ味わえるンですねぇ。
そんな中でこういう楽しさの見つけ方を読者の方から貰ったりすると、
「判ってくれてる、この人。短編の良さ、魅力はそこなんだよ!」と、声を大にして言いたいですねぇ。
今はそういう意味で短編という舞台が各誌とも見掛けないなァ、そういう時代じゃないンだろうか?―― ――【「石ノ森章太郎 ビッグ作家究極の短編集」収録の1,997年に行われた対談から抜粋】
藤子A:(009ノ1連載時は)月に何枚くらい描いていたの。
石ノ森:多いときは六百枚。ちょうどマンガ雑誌が増えて来た時期だったからね。
藤子A:当時ぼくらも週刊三本くらいやってた時代で、量は一種のステイタスだったからね。
石ノ森:いまは本当に馬鹿な事だと思われるだろうけどな。
藤子A:今月の漫画家のページ数ベストテン、とかがあって競ってたりした。
さいとう・たかを:危機感をいっつも持っていた。断ったら仕事、もう来んのと違うのか、って。
石ノ森:それとね、何て言うか、描きたいものが一杯あったんだよ。
藤子A:でも量を描くっていうのは大事で、いくら頭の中でどんな傑作を描いても、現実に原稿にしないことには、死んじゃうのよ。
だから何でもかんでも描くっていうのは大事なことでね、そういう意味ではいい時期だったよ。
石ノ森:描いてることによって新しい発見もあった。やり方や見方とかね。
いまの若い人は才能あるけど、やらないじゃない、一つのパターンにはめちゃって。
藤子A:火事場の何とか力っていうけれど、イザとなったら凄いアイディアが出る、そして描ける。
いまは週刊一本なら一本ってなってるけど、一人の漫画家が色んな作品をいっぱい描くことも必要なんだ。ちょっと寂しいね。
石ノ森:すごく合理的になり過ぎてる。日本の税制が悪いんだ(笑)―― >>63
尾田は一度、少年漫画というのは子供がおこづかいの範囲で楽しめる巻数であるべきだ、と反省してたことがあったが
あらすじを追えるサイトができたり、比較的安めな総集編を出したりしてることで反省は切り上げて
長編化路線を加速させているな それ言うなら子供の小遣いじゃ週刊誌買うのもかなりの出費できついだろ 確かに無駄に長い漫画はあるけど、短ければいいってもんでもない
あらすじさえ追えればいいってんならともかく、演出を楽しみたいなら昔の漫画みたいにポンポン進むと味気ないんだよ
スラダンとかジョジョとか早くしたら演出あっさりし過ぎて魅力減る >>81
的外れ
演出の充実は無駄な長さの言い訳にはならない
スラダンやJOJO(すくなくとも前半の部)は無駄な長さで叩かれてるわけでもないし
例としても不適切
必要な演出の充実があり無駄な長さになっているなら演出以外のストーリー構成等で無駄な長さを改めればいいし
無駄に充実した演出のせいなら演出を手控えればいい >>82
逆
スラダンはジョジョはあの長さがあるからこそ魅力あるって言ってる
「無駄ではない長さもある」って話
このスレの流れは明らかに「短い方がいい」って方向性で話してるだろ
>無駄に充実した演出のせいなら演出を手控えればいい
なんでそんな事しなければならん?
「短い」事に魅力感じる人もいるように「長い」事自体に魅力感じる人もいるんだよ
長い=悪って話し方になってるからそこを指摘してるだけ
あんたは「内容良いまま短く出来る」って、同じ面白さなら短い>長いって前提で語ってる
それがおかしいと言ってる *無駄な*長さで叩かれてるわけでもない
このスレは別に短ければいいという趣旨でもないし
「テンポがアホみたいに遅い」もの以外の長さは否定していない
そんなところに長さが問題視されてないものを挙げるのは的外れ
話の流れが読めてないだけ >>84
お前はそうかもしれないけど、とにかく長いのを否定する奴は確実にいるよ 星矢に例えると青銅二軍と雑兵の戦いみたいなのを
平気で何週もかけて描くのが今のジャンプかな テンポが遅い
引き延ばし
長期連載
これを同じに考えてる奴が多い気がする 先の展開を思いつかなくて作者が時間稼ぎしてるからだろう ドラゴンボール読んだらブリーチに例えると東仙ポジのイメージがあるドドリアが初登場からほんの数週で倒されて展開がめちゃくちゃ早かった 洋画と和ゲーの違いと一緒だな。
前者は限られた時間内に抑えるために本当は入れたいセリフや描写も削って
コンマ何秒単位で綿密に調整された無駄のないストーリーに仕上がって
結果として名場面が輝き後々まで語られる作品が出来上がる。
後者は時間無制限で技術とアイデアを詰めれるだけ詰めた結果
ダラダラと無意味な演出を垂れ流し何が言いたいのかわからん印象の薄い作品になる。 よう言われるのは
昔の漫画は最初に設定されたゴールにすんなり着くけど
人気あったら新たなゴールが設定されていく付け足し型の引き伸ばしで
近年の漫画は連載始めて人気が出たらゴールまでの過程がどんどん引き伸ばされていくタイプの
引き伸ばしって事だね 北斗の拳も引き延ばしと後付け設定がひどかったけど
テンポは悪くなくて27巻で収まってる 北斗、DBなどの昔の漫画は作者が終わらせたいのに無理矢理続けさせ無計画な引き延ばしになってたのに対し
最近は作者が計画的に引き延ばししてるから長く持つ >>96 >>98 >>99
呉智英夫子のワタリ感想から抜粋。
――私自身、カムイ伝を愛読すること人後に落ちるものではなかった。
しかし、カムイ伝はいささか重厚に過ぎた。忍者武芸帳も重厚ではあったが、
何よりも物語としての躍動感があり、ページをめくる時の期待感に満ちていた。
カムイ伝には、これが少しばかり希薄だった。 別に重厚さの意義を否定するつもりは無いが……
その分、カムイ伝と並行して描かれたワタリは、掲載が少年マガジンだったこともあり、軽快でスピード感があった。
描画もカムイ伝とワタリとでは、重厚と軽快という違いがある―― >>100
ジャンプがあんなにキチガイ染みた引き伸ばし強要するなんて昔の漫画家は知らなかったんだろ
そうした犠牲を沢山見て、現在の漫画家は強かになったと思われる >>102
なんでもかんでもジャンプのせいにばっかしすんなって話だがね……
今の漫画家が強か? 単なる怠惰&職務放棄の間違いじゃあねえの? >>100
昔の漫画は需要がものすごいから読者が望む引き延ばしだけど
最近の作者が望む引き延ばしは読者無視だろ ジャンプは長い漫画をかなり終わらせたな
こち亀終了(1976-2016)
ナルト終了(1999-2014)
ブリーチ終了(2001-2016)
トリコ終了(2008-2016)
銀魂もこのところ終わりモード(2004-)
残りはいろいろ金にもなるんでやめさせられないワンピくらいか
…と思ってたらハンタが再開してたw
話数
892 ワンピ(1997-)
668 銀魂(2004-)
371 ハンタ(1998-)
287 ハイキュー(2012-)
275 斉木楠雄
248 ソーマ
178 相撲
168 ヒーローアカデミア
142 ブラッククローバー
96 ゆらぎ荘
95 鬼滅
72 ネバーランド >>105
ワンピとハンタは約20年も続いてんのか…
10才の小学生が30のおっさんになるやんけ
20年分さかのぼるのも新規の今の子供にはハードル高い気もするし少年誌ってなんだろうってなる >>106
ドカベンやサイボーグ009に何の文句があるんですか >>104
>昔の漫画は〜
「アストロ球団と今のマンガ、昔の野球と今の野球について思うのって、
いまウサギ跳びとかって体に悪いものだってわかってるし、一日300球投げたら
肩壊れるのってわかってるじゃないですか、データで。でも昔はデータなんて無いから、
みんなウサギ跳びしちゃう。その中でたまたま生き残って来た物凄い素質の奴が、王選手になったり
稲尾みたいなピッチャーになったりする。けど、もう出ないと思うんですよ。もう、みんな知ってるから。
七分で止めたほうが利口だし、長持ちするし。アストロって稲尾や王の時代のマンガだと思うんですよ。
あんなムチャを強いたらダメなのは学んだから、これからマンガ家がそれを強いられることはない。
アシスタントを増やすとか、隔週連載にしていくと思うんです。だけど当時はそんなのは無いから、死ぬまで描けと……
で、死ななかったものだけが凄い作品を生み出すってシステムじゃないですか。なんだろな、この凄まじさは」
「最近のマンガも読んでるんだけどさ、絵とかは確かに上手くなってるけど気迫とか荒唐無稽さとか
志とか……退行してるよね。漫画家が自分でセーブしちゃうんだろうな」 >>109
なるほどな
発展途上期の成功例不足・知識不足ゆえにまかりとおってた部分に良さがあったってのは分かるな
あとゲームなんかだと演出やデータ量が増えることはある意味いいことだけど
その反面制約が多すぎたがゆえの工夫やシュールさ、規制や自重があまりなかったからこその面白さが
今では失われてしまってるってのも同じようなことだろうな >>110
それもあるけど話の進めさせ方についても、ってことだね……
「続けようと思ったら、続けられない事はなかったの。でも、他のマンガ家を悪く言う気も無いけど、
他の作品をパクったり、自分の作品の一番人気のあるころのリメイクしたりするでしょ。そうなるのが
俺は否だったの。そんな惨めな姿で『アストロ球団』を葬りたくなかったんだ」
「今はね、連載を五年くらい平気でやるでしょ。話がなくても、五年ぐらいやってますよね。戦い戦いで
試合を続けてるけど、今の長い作品と彼が描いた作品は違うんですよ、密度が。そこに入ってるものがね」 ハンターは暗黒大陸編で終わってしまうから、どうでもいい船の中のザコ戦をつないで2年は引き延ばす予定 >>112
>暗黒大陸
王位継承問題なんかどうでもいいから暗黒大陸のことをやれよって話だね。
ヒソカ? 旅団? もうどうでもいいよ、出なくてw >>109,111に追記。
「岸川:それに80年代以前のマンガって、もうひとつ上の大先輩に
展開をジリジリ遅くして引っ張るあしたのジョーや巨人の星があったのに反発したのか、再読すると
今より一話の展開は早いですよね。一コマ一ページあたりの情報量も物語の進行上、多かった。
現在の週刊誌なら数週掛けて描くシーンをサラッと行っちゃう。
伊集院:話の展開に時間をかけて、もう少しタメたりしても良いのにってマンガもありましたよね。
でも、とにかく打ち切られないうちに結果を出さないとっていうのがあるから、早い早い。
今は逆に、ちょっと引き伸ばしすぎなんじゃないのってのも多いけど。
岸川:読みきりに近い形こそベスト、って発想は今では逆に非効率で、商業ベースに乗らないということなんでしょうか」
「中島 週刊の連載一本とは別に、月刊の単発モノとか愛読者賞もあったから、頭がもうウニだよね。
伊集院:その仕事のペースを調節してくれる人っていなかったんですか?
中島:いないよ。
伊集院:アシスタントは何人くらい?
中島:5,6人くらい。
伊集院:仕事を断ろうとはしなかったんですか?
中島:いや、仕事が来てる内が花だと思ってたからさ。当人の実績と技量に応じて受ければいいものを
どんどん引き受けて、もうほとんど思考停止。干される恐怖ってありましたからね」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています