>>648
いや、全然そういう解釈じゃないんだが。
外形的に行動を強制することはできると思うよ。
現実世界の信仰の強制はそういう形を取る。

でも心ってものは自分の都合で自由に切り替えられるものじゃないから、
その強制された神を信仰することが拷問から救ってくれるとわかっていても、
いとも簡単に自分の信仰心をコントロールできるとするのは随分不自然に感じられる
よしんば人格を破壊したとしても、篤い信仰心が湧いて出るというのはまた別の話だし。
D&Dの「信仰」は、外形だけではなく内心も忠実であることを求めているのではないかと。

言い換えると、拷問によりある神を信じます、信仰しますと言わされているが
全くその神のことを有難いとも何とも思ってない状態と言うのはルール上はどう定義されるのか、ということ。
ゲームとしては、たとえその神に反感を持っていても、その感情と「信仰」は両立できるというのが一番簡便だとは思う。