昭和の車あるあるL26型
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昭和の車のあるある第26スレッドです
引き続きいろいろ語り合いましょう
製造後、13年以上経過車への各種重課断固反対
※前スレ
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/car/1559620916/ >>3
そういやL26搭載のC130ローレルの実車って見たことないな
L28搭載のC230ローレルや4M搭載のブタ目マークUはあるけど 前スレ>>992
>プレジデントのところに書いてある
>ノークラ(AT)、クーラー、PS(パワーステアリング)
>ここまではわかるがPBとは?
もしかしてパワーブラインドかな?
そんな装備あってもよさげ >>5
前スレで出ているようにPBはパワーブレーキだよ
マスターバック(サーボ)付きを、大げさにそう呼ぶこともあったのさ 前スレが埋まってたんで、勝手にスレタイ決めて立てたスマン
次スレは埋まる前にスレタイ決めてた方がいいんじゃないかな? 次の27が難しいね。
酒田市の「株式会社櫻井自動車27」がヒットしたけどw
トヨタのランクルやハイラックスに2700ccがあるが、型式に「27」が入ってない。
あとは芸風が理解できないコンビ芸人「2700」w オレはTD27が浮かんだけど、そりゃTE27の方がいいな。 >>986
この時代はふつうにS800とか中古で買えたのか
博物館でしか見たことないよ
この中で現役で見たのはべレットとBMくらいだな
すでに出回ってるのはクラシックカー扱いだったけど
この時代って内装のシンプルさに感動する、シンプルすぎるくらい
車種は忘れたけどシフトにまだバスみたいにラバーブーツ履いてたり
今とは違う機能美がすごかった プリンス自動車時代のグロリアも2600があったが
税金等の維持がツラくて2600を降ろして2000のエンジンに積み換えたというケースがあったらしいとだいぶ前に聞いたことがある
二代目ローレルやブタ目マークIIの頃はそういうのほぼ無くなっただろうなあ >>16
グランド・グロリアは2600じゃなくて2500
しかし法人にしろ個人にしろ、当時3ナンバー車を買うような富裕層が、そんなことをするとは思えんが
エンジン積み替えの実作業に加えて、登録変更などのコストと手間がかかるわけだし
なんらかの事情で税金対策をしたいなら、2リッターのスーパー6の中古に乗り換えたほうが手っ取り早いだろ ダットサンか何かだったかシリンダー2つ潰して軽登録したというのを聞いたことがある >>18
戦前のダットサンでは結構あったそう
ダットサンは4気筒SV722ccだから、2気筒潰すと361cc
1950年代の軽は360cc以下だったが1ccくらいは大目に見てたんだと思う マツダ・キャロル360のエンジンは総アルミ製の水冷4気筒OHVヘミヘッドという高級な設計だったが
そのせいで車重が重くなり走らなかった
業を煮やしたオーナーのなかには、こっそりキャロル600用エンジンに換装した者もいた
大藪春彦の小説に、それを題材にした短編がある
当時、マツダの車名は東洋工業だったが、小説では非力な「東和ポピュラー360」に対するクレーマー対応として
ディーラーがメーカー黙認の下に「ポピュラー450」用エンジンへのヤミ換装を行っていたのがバレて……という話 昔ウチにあったホンダ・ライフも実は450ccだって言ってたな、修理のついでに改造したらしい >>19
ボディはどうしたの?
エンジンを半分にしてもボディの寸法を軽のサイズに縮められるはずもなし。
そもそも軽自動車規格は戦後の制度じゃなかったか? >>22
当時は検査対象外軽自動車だから車検もないし、そこまでうるさくなかったんでしょう
ググった情報だと、ダットサンで全長120mm枠を超えるが、当時の枠軽自動車枠に収まる
量産車は存在しなかったとのこと
1971年のCMにこんな軽登録の戦前車が登場してる
https://youtu.be/B29vY22xx6I?t=11 CMだと「撮影用」の可能性が微レ存
公道とはいえ押してるだけだし >>20
エンジン換装じゃなくて、キャロル600そのものを360と偽って販売・登録していたのがバレて一大事ってのがフィクションじゃない事実 >>26
ハーレーのシリンダーに巨大なスリーブを入れて
400cc未満で登録したという話を聞いたことがある
はたしてそんなことができるのか、できたとしても
スポーツスターでも半分未満の排気量になってしまうのに走るのか、真偽のほどは不明 >>29
書類上だけだから書類作成できるスキルがあれば通すことができる
車検でシリンダーヘッドを外すことはないからまずバレない
でもエンジン番号が職権打刻になるからブローとかで違うエンジンになるとまた同じ書類を作成する必要がある スターリング・モスが亡くなったそうだがニュースにならん… >>31
モータースポーツ板の訃報スレでは出てるはず
ニキ・ラウダやジェームス・ハントあたりの世代よりずっと前だからなあ モスは若いときから髪が薄かったせいで、実際よりオールドタイマーに思われていたんだよな
メルセデス300SLRでミッレミリアに勝ったときなんか、まだ20代だったのにこの姿
https://genroq.jp/2019/09/24/44344/gqw_sir_stirling_moss_90th_09221-min/ ニキラウダでぎりぎり分かるくらい
モスのWiki見たけど面白かった
ロータスのチャップマンとかと同世代なんだね
自分にはすでに歴史上の人物 男というものはクルマの運転とsexが下手くそと思われるのを一番嫌がるもんだとかいう迷言を残したのがモスというのは都市伝説? 俺ってSEX上手いだろ?
昔からSEXとクルマの運転だけはほめられてサ かと言って調子に乗ってやたらスピード出す奴は嫌われる定期 フォグランプが流行ったころ夜に全灯点けた対向車って
すごく迷惑だった >>43
今は敢えて点けないことで、逆に判ってる感 そうなんよ、11.6Vって気になってたんだけどアカンのやな クルコン最初に付けたのトヨタ?ホンダ?
初めてのクルコンはギャランだった >>47
昭和63年に親が買ったクラウンが初のクルコンだったな…
オートドライブっていうネーミングとレバーに「加速」の文字に萌えて、当時小学校の同級生に自慢しまくったけど、お向いの家の初代ビガーに付いてた… 二代目アコード(初代ビガー)はハイトコントロールやマルチフローエアコン、MTでもオートドライブがついてたな。
当日高級車でオプションの装備がアコードEXLにはてんこ盛りでワクワクしたもんだ。 >>49
しかもデジパネにエレクトリックナビゲータまで付いてた。
お向いのビガーパンツ 60年代だと結構なファミリーカーでも付いてなかった?
オレのレオーネも変なデジパネにクルコンだったわ >>47 昭和39年のクラウンエイトが日本車初のクルコン装着車。(トヨタ名称ではオートドライブ)
MTにクルコンが付いていることはMT車率がまだ高かった昭和50年代では全く珍しくもない。
平成になってからも80系マークU2000グランデMT車にオプション設定でオートドライブがあった。
>>51 昭和58年の80系カローラ上級グレードにオプション設定があったくらいだし、
昭和60年代ともなれば高級車専用装備とは言えない状況。 初期のクルコンてのはちゃんと車速一定制御出来てたんだろうか
単にスロットル開度保持してるだけとか >>53
車速センサーのフィードバックはあったよ
アクチュエーターでスロットル動かしているだけで、負荷からスロットル開度をコントロールするような高度なものじゃないから、ワンテンポ遅れてコントロールしてる印象があった >>52
同僚の初期AE86apex(MT)にオートクルーズが付いててビックリしたな。
俺はAE86GTだったから関係なかったけど orz ワイヤースロットルの頃は、クルコンの操作に連動して、アクセルペダルも動いてたね。 >>55
トヨタのオートドライブはATしか設定ないから流用して付けたんじゃね? >>55
同志よ
86でリアドラムはGTだけだったから選んだんだけど 初代S30フェアレディZの初期型は、センターコンソールにチョークレバーと並んでハンドスロットルレバーが付いていたので
その気になれば手動クルコン(?)も可能 >>57
いや、apexだけメーカーオプションで選択出来たらしい。そいつのはレビン2dr
MTに付いてたんで凄げぇビックラしたんだわ。
>>58
(´・ω・`)人(´・ω・`)ナカーマ
自分も競技車として買ったから選択の余地がなかった。
ただ重量増を考えても馬鹿明るく出来る角2のトレノを選んだんだが・・・
自分の走り方ではドラムの必要性ナッシングだったわ orz >>61
当時って確か汎用の後付けオートドライブの装置が売ってなかったっけ? >>61
いや、実際に当時その車運転したから間違いないよ。それまで知らんかったし。
俺自身が購入者でないから写真とか残って無いけどね。 オートドライブ対応のスロットルは3本ワイヤー付くようになってるんだけどそんな設定見たことないんだよな
新型車解説書や、整備解説書、パーツリストにも無いしどこかでワンオフで作ったんだろうか 他車種のを流用しただけだろ。単体移植出来るし。
当時のトヨタはATにしかOP設定なかったはずだし、AE86の頃はクルーズコントロールではなくまだオートドライブと呼ばれてた。 他車のをAE86に流用したんやろな
ラインオプションにも設定ないんだから ディーラーがつけたのかね?
昔はカタログに無い仕様を作ってくれるディーラーもあったらしい
ヤナセも国内仕様のカタログに無いアメ車のMT車とかオーダーすれば買えた 昔のマツダや三菱なんかはカタログにない色でも同メーカー他車種にある色だったら特色扱いで塗ってもらえたそうな >>69
10年ほど前だけどBMWはカタログにない仕様のオーダーが出来たよ
3シリーズ4気筒MTで豪華内装というもの
本国オーダーなので向こうのカタログに載っている装備なら選べたし色も同様だった
買うか迷ったけど結局国産にした >>63
ワイパーのレバーの所がクルコンのスイッチと一緒のヤツ? >>72
えーっと・・・ハチロクのワイパースイッチっていうのはね・・・ そしてよく壊れるヘッドライトスイッチ
ダッシュ逃げロールバー付けていると簡単に交換できなかったりする 同時期のカローラセダンは普通のスイッチだったのにレビンとトレノと初代MR2は
なぜか変なライト&ワイパースイッチだったな。
R32スカイラインも変なライト&ワイパースイッチだった。
結局1世代だけで後のモデルチェンジでは普通のスイッチに戻ったということは
ダメなスイッチということだな。 今ならばポーターキャブあたりのマツダのコラムスイッチが一番混乱する >>77
あれは使いやすかったけど、ローレルとか他車種に使い回せないから廃止された。
当時はバブル崩壊後で、如何にコストダウンさせるかが主題だったから。
コストダウンの為にクーペとセダンのホイールベースを
直前で統一させた位だし。
最近は輸入車がATのシフトがスイッチだったり、レバーだったり
ダイヤルだったりで一見では分かりにくいのが増えたな。 >>78
マツダだったらHBコスモ/ルーチェハードトップのヘッドライトとワイパースイッチが最狂でしょう つか、一連の国産車のそれらはピアッツァのクラスタースイッチが元祖でしょ 天下のジウジアーロのアイデアだからこっちの方が人間工学的に正しいんだと信じ込むわな FF初代のギャランΣもウィンカーレバーや周辺は変わってた印象が
ピアッツァ以前だと初代プレリュードや二代目シビックがタコとスピードメーター重ねたりラジオの位置がその当時の一般的な配置ではなかったな 現役オーナーだけどピアッツァのサテライトスイッチは凝ってるよね。
左右独立で角度調整可能だし。
個人的にエアコンのアイコンのデザインが好き。
svxやbxは乗ったことがないので知らないけどきっと凄いんだと思う。 >>88
うちのは最終型なので剥がれは無いけど若干割れ有り。
ただ天井垂れは車齢10年頃から発生していた。直したけど。
初期型は凄いのが多いね。自分も心折れると思う。 >>86
シトロエンでサテライトスイッチと言ったら、最初はCXだろう
VISAやGSAにも採用された後、BXボビン この時代はブルも優勢にトヨタと張り合ってたのに
日産の没落ぷりったら誰が当時にそれを想像できたか
そうでもないか、こんなことじゃいずれはと当時も
その通りになっちまった URLでも明記されてるからまさかとは思うが、91をブルーバードと思ってるのか? >>92
日産は31スカイラインからのコケ方が蓄積されて、セドグロ・2代目CIMA出息の根止めた感じだよね。
ブルもU型で完全にコケてたしなぁ。
地元企業だから応援したいんだがベクトルが違い過ぎるんだよね。 売れてるクルマをモデルチェンジで売れなくするのは日産の得意技 >>94
>>91のコロナを>>92は910ブルと勘違いしたんじゃないなと U型ブルでこけたはやめてくれ、家で初めて買った新車がU型ブル
当時日産は強気でコロナのほうが値引額は大きかった >>91
ロジャー・ムーアのコロナ、今となってはほとんど見ないな
知り合いの小金持ちの息子が、免許をとって親に新車を買ってもらえることになったが
条件は親の知り合いがいるトヨペット店扱い限定
そいつはAE86が欲しかったがダメ、セリカもダメで、渋々コロナの1600GTにした
俺からすればぜいたくな悩みだが「いじろうにも社外パーツがない」という言葉が記憶に残っている
もっとも数年したら、そいつはやはりトヨペット店扱いのGX71マークUに買い替えてもらっていたが 対向車でマイナーなのがやってくると「お〜」となるが登録したてナンバー、変な改造とで一気に萎える。
まだ人気車だっていうんならね〜。 変な改造はともかく、ナンバープレートは転居の可能性もあるから一概には >>101
ご当地ナンバーのせいで引き継ぎが出来ない地域が増えたからやむを得ない
例えば流山にある野田33の車も次が松戸の人買ったら自動的に松戸になるわけだし ご当地ナンバーは実に迷惑な制度だな。
古いナンバーの価値がわからんやつが作ったアホ制度。 意を決して深夜びくびくで金入れたら電源切られてて
つり銭戻らなかった淡い記憶が
故障の時の連絡先あったけどおめおめと電話して恥さらす勇気はなかった モーテルと秘宝館は完全消滅でしょ
うちの県のインター前のはビジネスホテルに改装して
言われなきゃ分からないくらいだけどお城感が残ってる 車旅をしていて夜になってからスマホで現地のビジネスホテルを検索して
妙に安いけどまあいいか、と行ったホテルはいかにも元ラブホというところは
全国的にある。 1984年の女の子が感じるグっと渋いスポーツカーとはなんだろ
箱スカとか? そのころならハコスカなんて単なる古い車
二束三文とはいわないが2桁前半で買えた
古い雑誌の個人売買のコーナーを見ると驚くほど安いよ
15年ほど前のR32スカイラインの相場を思い出せば納得できるはず >>118 確かに昭和50年代に同級生の親がサビサビのハコスカに乗っていたが、貧乏人と冷やかされていた。
解体屋に積まれていたのも記憶にある。GTRはさすがに希少車扱いだったが。
R32のGTRも21世紀初頭は数十万で中古車屋にあった。 1980年代後半、バブルの前兆くらいでハコスカGT-R250万だったよ
当時からトヨタ2000GTこそ応談だったが、旧車の中では最高値だった
GTは解体屋価格から上がり始めてて、それでも60〜80万円台で買えた >>117
生まれ年だとすれば娘と同い年か・・・
もうスポーツカーに興味のある世代じゃ無いと思うなぁ
娘は楽に乗れる車にしか興味無かった
フェラーリ?なにそれ旨いの?って感じだわ orz >>117
そのころ女が免許とるの少ないからスポーツカーより
憧れは家のベンツかクラウンなんだって
いちどカッコイイと言われたから買い換えるの次もスポーツカーどうと聞いたら
じつは分からなくて言ったけど本心はクラウンがいいと言われたことが
あと男の影響でスカイライン、高校のころケンメリのCMのイメージがあって
彼氏とのるならスカイラインて言ってる女の子がいたよ
でもはっきり言って軽もスポーツカーも区別できないのほとんど >>126
おぃ!
高校の頃ケンメリCMだと俺より年上の還暦過ぎBBAじゃねぇかよwww
ケンが亡くなったのが俺が中学生の頃だわ (´A`) >>117
その頃だと女の子の興味はスポーツカーよりデートカー
スペシャリティカーだのハイソカーのはしり スーパーカーブーム以前だと、ディノ246GTが200万切る値段で売ってたのを覚えてる
ミウラが800万とか
その時に父ちゃんが乗ってたのがチェリーX1R >>127
ちゃうちゃう、同年代
小学校でみたのにその頃まであのCM印象に残ってたんだよ
どっちにしても今はババアだけど
当時の女の子も車のCM影響大木かったんだよ だいたい真ジスポーツカーは車興味ない女にはうけない
カプチーノでさえまともに降りれない、軽と思われてるし
軽は二度と乗りたくない、とか言われてたし
真ジスポーツカー絶対ムリ、無知でスカート履いてくるし そういえばポルシェ911に乗せて自分でドアを開けられる女は遊び馴れているかお嬢様といわれていたな かつてのデート車と言えばプレリュードだろう
乗ってるだけでヤレた時代 シルビアの方が先だった記憶なんだが・・・
まあ、S-MXの完成度には度肝を抜いたがwww フルフラットにすると、最適な所にティッシュBOXがあるS-MX 使いすぎるとボーボーになる育毛剤の広告ばかり出てくるからウザい
本当にボーボーになるのかな? >>139
ああいうの開発時の会議でどんな顔してやっていたのかと思う
なんでここにティッシュが置けるようになってるのか大真面目にプレゼンしたのかな >>144
何十億円も動く案件なんだから、そりゃそうだろうねw
若手だけでワイワイやってる分には楽しいだろうけど役員連中の前では・・・
外野の立場ではめっちゃ見てみたいwww
まあ、ある程度の台数売れて良かったね。 >>135
そんな開け方特殊だったっけ?
カウンタック/ミウラやデイトナ/Dino/BBあたりなら
さもありなんだけど 911なんて年式離れると相当違いそうだけど、なんかこだわりがあるのか あーあの取っ手の下にある奴か
カウンタックの給油口の開け方とか知ってる女とかならお友達になりたいわ 「さぁ乗って」と言うと
右側ドアを開けてもらおうと待機する外車ズレ娘は居たな。
「えっ!そっち」 小学生のころのスーパーカーブームをよく言うけど
自分のスポーツカーイメージはMGなんだよね
幼稚園の絵本に載ってるのが当時はオープンで
参考モデルはほとんどMG、その記憶が強くて
箱スカは普通の乗用車、カウンタックはそう言う乗り物
としか思えなくて、未だにスポーツカーはMGが浮かぶ 最近はSUV系の後席ドアのアウターハンドルが奇妙な位置にあるのも多い
ジュークが出てきたときは驚いたし、C-HRでトヨタまでもやったときは驚いた >>159
何を今さら
アルファ156を皮切りに、SUVに限らず使われている手法だろうに あれ何の意味有るのかな
今や売れない2ドア係へのノスタルジー?
そう言えば初代アルシオーネは寒冷地で朝ドアが開けられないトラブルとか無かったのかな >>162
「惑星ソラリス」の映像じゃないの? と思って見たら、やっぱりそうだった 首都高いまとあまり変わらない、古さを感じるね
子供のころこのイメージまんま
やっぱり八重洲辺りはだいぶ改修されて変わったんだ
免許取ったころ何か子供のころと違ってて疑問だったけど この時代カローラ1100なんてベタ踏みで130くらい
軽なんかランプをローでしか登れなかった、軽の進化はすごいよ 東名を100Kmで走るだけでも物凄い音と振動だし110超えるとキンコン鳴りだすし
物凄く危ない事をしてる感があった 162の時代はまだキンコン(速度警告音装置)は付いてなかったけどな >>167 いつから付くようになったの?
昭和49年式カローラには付いていた。 >>167
付いてなかったっけ?
叔父の車で第3京浜乗った時チャリンコン云ってた記憶が有るんだが・・・
新道乗り入れした時期だから1970年前だと思う。
車種は叔父の社用車?だったから記憶にない。 いつの間にか速度警告のキンコンもベルト非装着のピーピーも無くなっちゃったね >>170
ベルト非装着のピーピー無くなったんだ・・・
一応今世紀の車(2009)なのに orz >>170 ベルト非装着警告音はなくなったの?
うちの令和元年車には付いているけど。 >>169
昭和46年式カローラには付いてなかったな。 >>170
ベルト非装着警告は無くなるどころか今は助手席後席もしてなきゃ鳴るでしょ ベルト警告はまだ現役なのかスマソ
98年に買った車に付いてて08年に買ったのには付いて無いから廃れたのかと >>162
まだこの時代は首都高から高速への接続が悪かったね
関越は最後までだめだし、用賀のランプもなかった
出入り口も少なくて目的地から離れたランプ出たら渋滞
電車のほうが早かった
渋滞で出入り口から降りれなくて下道にランブ専用信号ができたのもこのころ >>169
速度警告ブザーの装着義務化は1974(昭和49)年
それ以前から付いているクルマもあったことだろうが >>168
以前乗ってた昭和47年式カローラには付いていたよ
>>176
90年代中頃から義務化
08年に買ったのが旧車でなければ付いてたはず
でなければ車検通らない カローラ・スプリンターは20から付いてたんじゃないかな
50クラウンから始まった安全性重視の設計がカローラは20から展開された
逆に廃止されたのが昭和61年、それまで高速はキンコン鳴る続けない様に走る車が多かった >>180 廃止されたのは平成元年。
この年にモデルチェンジとなったインテグラは速度警告チャイムはオプション扱いになっていた。
昭和63年末にモデルチェンジとなったC33ローレルは速度警告チャイムが平成3年のマイナーチェンジまで付いていたし
R32スカイラインも発売当初は付いていた。 元年に買ったファミリアには付いていたのですぐに外したんだけど
翌年に買ったスカイラインは記憶がないな AE92レビン・トレノやEFシビック
前期型にはあったが後期型は付いてなかった記憶 >>180
俺も27レビンに付いていた記憶が有るな、自分の車じゃなかったから曖昧だけど。 平成元年以降に出た車のカタログの装備一覧表の下の方に「全車に速度警告装置をオプション設定しています」と書かれていたが
いつの頃からかなくなっていた。 >>185
EFシビック前期型乗ってたが、ついてなかったよ。ただし、一年目のマイナーチェンジ後のモデルなので、発売直後のがどうだったかは不明。 メーター読みで105km程度の
「亜音速」領域でわざと走ってやると
チ…… とか チチチ チン とか変な鳴り方をしやがるのを楽しんでたw >>188
EF9前期Si新車から乗ってたか速度警告はピーピー電子音だったぞ
仕事で後期25Rにも乗ったから間違いない 速度警告装置の廃止が昭和61年というのは間違いで、平成元年というのが正しい。
かなり前のヤフーのトップページに表示される「くるまのニュース」という記事にも
速度警報装置が昭和61年に廃止されたなどと間違いが書かれていて呆れたが
書いたライターは平成生まれ。
ろくに調べもしないで書いちゃったのだろう。 >>191
最近アホなライター増えたよな。
校正チェックするべき編集長も無能なんだろうけど 廃止が決まった年と実際に廃止された年なんじゃないの まあどっちにしたって上の方にもあるように昭和63年デビューのC33ローレルとか80系マークU、昭和62年デビューの90系カローラは
速度警告装置が付いていて、それぞれ平成元年以降のマイナーチェンジで廃止しているし、
平成元年デビューのインテグラやアコードには付いていなくて、R32スカイラインには付いていたということで
昭和61年説はなし。 昭和61年に廃止が決まったんやろ
その施行が平成元年だったと >>195
平成2年式(マイナーチェンジ前)チェイサーには速度警告装置がついてた どんな年式であってもドライバー程度の工具で外せたからな
スピードリミッターでも当初は180km/hの所にスイッチが付いているとか、車速信号をECUに送っているだけで接続しなくてもエラーも出ないなんて単純なものが多くついでに外してた
こちらは自主規制にも関わらず未だに残ってるけど ハチロクレビンは灰皿引き出すとキンコンチャイムの配線があった。
コネクター抜くだけ 会社の社有車だった昭和62年式ハイエースバンの速度警告は耳障りなブザーだったので
メーターをばらしてブザーの配線を外してみたら、スピードメーターの針も動かなくなって慌てて元に戻した。 978 名無しさん@そうだドライブへ行こう 2020/07/03(金) 20:05:17.06 ID:78TbcaMt
http://news.yahoo.co.jp/articles/0a30c5787de584be85aa876dd0756bfb787aad3d
このクラウンにはブザー着いてるんだろうな トヨタは1972年に全乗用車を一斉にマイナー&フルチェンジしたが、速度警報装置や蒸発燃料吸着装置をその時に付けた。 >>202 スピードメーターの100キロ以上の目盛りが黄色になったのも多分その頃だな むかしのレッドゾーンてどのくらいだったっけ
カリーナGTは6500rpmくらいだったような記憶が
70カローラとかどのくらいだったか記憶が無い TE71のタコメーターは8000までしか無かったのは覚えてる
4AGのチューニングエンジン積んだ時にあっという間に振り切った
某マンガのように11000なんて回したらすぐにクランクが振れて回らなくなる タコメーターでインパクトがあったのは
3500rpm以下がイエローのLC10フロンテ360SS/SSS
「ここから下はトルクがスカスカで走らないよ。プラグがカブっても知らないよ」という
レーシングカーのようなメッセージを無言のうちに放ってた 40馬力のフェローMAX SSも、3000RPM以下がイエローゾーンで7200RPM以上がレッドゾーンだった。 そう言えば国産車の速度計が180kmまでになったのはいつ頃?
初代カペラロータリーが200kmまでだったんだけど、やっぱりリミッターかブザーとかと
セットで規制か何か出来たんだろうか?
>>207
徳大寺の本でダイハツから広報車を借りたものの出発してすぐに交差点での発進時にプラグをカブらせて立ち往生、
慌ててダイハツに戻ってブラグを貰って交換して出発、なんて話を思い出した。 2ストの車は乗ったことが無いな
バイクはいろいろ乗ったけど >>208
国産車で180キロのリミッターを最初に付けたのは1978年のサバンナRX-7だったと思う。
そのスピードメーターも180キロまでだった。 逆にヨーロッパのコンパクトカーとか240とかまであって笑えるwそんな出るわけ無いじゃんっていう コンパクトカーならそんな出るわけないじゃんで済むが
カウンタックみたいに300Km/hといいながら実際には
出る出る詐欺みたいなクルマもあるな。 標準タイヤがHしかないしバイアス時代の中古が当時Sの履いてたしね
ほんとに200以上なんか出るんかと思ってた 池沢さとし(現・早人師)がポルシェ930ターボを買い
慣らしもそこそこに谷田部へ持ち込みテストしたらカタログデータ最高速250で実測で245叩き出した サーキットの狼に書いてあったが、BB・カウンタック・930ターボをサーキットで比較したら、最も乗用車的なのが930でサーキット向きがカウンタックだったとのこと 同僚が930ターボ(中古)買って普通に通勤に使ってたな
1台持ちだから他の用事も全て 雪の日も走ってた (かつての)ポルシェはクラッチ操作が難しいと聞いたことあるが
特にヨーロッパだと一旦高速に乗ればほぼ実用車並みに扱えるのだろうな >>212
そういや
ウチの1200のポロも240kmまであるなw
レーダークルコンは150kmにはセットできた
それ以上は試してない。 >>218
2.2Lの911Eに乗ったことがあるけどそれほど難しいとは思わなかったな
アイドリング程度でも発進できるだけのトルクはあったので長く半クラにする必要もない
2Lキャブ時代の911Sなら違う感じなのかもしれないけど
強化クラッチが入ったチューニングカーの方が遥かに乗りにくい >>212
ゴルフのダウンサイジングターボ車に乗ったことがあるが
DSGの効果がなくなる120km/h以上の領域では100馬力ちょっとなりの走りでしかない。
240の目盛りは勇ましいがイメージと全然違ってた、
あのパワーだと一度失速したら復帰が遅いので180リミッターのある200馬力程度の国産車にはついていけない。 >>220
そりゃそうだw
改造車両は目的によって仕様決めるんだから。
感覚的にはKYBメタルクラッチ+ラリアートカバーが入っているE38の方がキツイと思う。 >>222
個人的には5.5インチのAPトリプルプレートだったな
周回レース用のS30Zだったけど重たい上につながりもかなりシビア
シングルプレートの大径だったらダンパー無くても楽勝だと思った >>223
トリプルプレート怖いw
大昔OSのトリプル付いたゼロヨン車(同じくS30のL3.2って奴)運転したけど、
よくぞその場所迄乗ってこれたと思った。 >>210
これまた210、190、170とは珍しい刻み方・・・
コメントを見るとやはりリミッターとセットでメーターも変わってるっぽいね。
>>211
上で触れたコメントによると77年には既にロータリー各車に点火制御する形のものが存在。
後にキャブの2次弁を強制的に閉じる形に変更されたとの事。
ttps://minkara.carview.co.jp/userid/293527/blog/20418141/
この上限180kmになった経緯ってどうなんだろう? 初代センチュリー初期型の速度計は200キロまであったな。
メーカー公称最高速度は160キロくらいだったはずだが。
でも昭和48年あたりの小改良で180キロまでのメーターになった。
一方、30系カローラは1200は160キロまでのメーター、
1400と1600は180キロまでのメーターで細かいところを作り分けてあった。 160キロメーターは輸出用に100マイルメーターがあれば転用できるよ
100マイルや120マイルのメーターはコンパクトカーにはよく使われていたし 360ccの軽は120までメーターついてたけど80くらいまでしか出なかった(T_T) >>225
当時の車の性能で登り坂で100km/hを出せるのが、平地で180km/hだからという理由で
リミッターの速度が決まったと良く新車情報で三本さんが言ってたな。 昭和の機械式メーターだと高速域の速度目盛りは詰まっていたけど
電気式だと等間隔に並べることができる
しかし現行GT-Rみたいに340まで等間隔に並べられると公道での速度域で見辛いだろう
高速域はピッチを詰めるかデジタルにすればいいのに
世の中にはこんなバカみたいなメーターもある
http://gqjapan.jp/uploads/media/2017/03/27/bugatti-chiron-nishikawa_42.JPG 昔の外国車で水温計と燃料計を相向かいにレイアウトした車があったのだが
電気的に工夫しなかったために水温計では上がH、下がCなのは良いとして
燃料計では上がE、下がFというふざけた仕様のものがあった
当然にガス欠をやらかすドライバーが出た 911も180°弱で330か350まで書いてある。針ではさっぱりわからん。 >>230
R35GT-Rはタコメーター下の液晶画面でも速度のデジタル表示が出来るけど 計器表記を漢字一文字にして欲しい
と思う今日この頃 >>231
フィアットの古い奴がそのタイプだったな
しかもEとFの表示ではなかったし通関直後で起きたのでガス欠かどうかすら判らなかった アナログに拘るなら時計みたいに2針式にすればいいのに >>237
これは、初代プレリュードか?
ちなみに、ターゲットメーターの車種はギア比が1/4なんで
一般的なスミスメーターがそのまま組み込める。
※ワイヤードライブ□とソケットネジ径までは知らんw >>225のメーターの件、110、130、150・・・の様な教示かと思ったら
200とか180とかの上に更に10km分の目盛りがあるのね。
>>229
なるほどdです。
するとその頃は上り坂で100km出せる車ってあまり無かったのか・・・ >>241
その頃じゃ無いけど、四半世紀前の2lミニバンだと
中央道相模湖過ぎやベイブリッジ上りで全開決めても100km/h出なかった事実がある orz 軽てまともになったのがやっぱり660になってから
550アルトワークスがカルタスより上なんて言って
カローラセダンかさすがにアルトより上だろ、なんて言ってた時代
当時の車なんてそんなもん
ローレルの6気筒でも異次元に感じたも
平成になってだよ、ミニバンも石原のおかげできっぱりミニバンのディーゼルとの見切りができて進化したのは
昭和末期のミニバンは酷かった 軽は衝突に弱いし税金も安いんだから高速道路は乗り入れ禁止にするか、
乗り入れるなら外国みたいに最低出力制限つけろ ただでさえ遅いのにより遅くするなんて高速では合流できず危険なだけ
都市部の高速なんて右に出入口があることもあるのに 「最低出力制限」だぞ
排気量とは別に、○○馬力以上の出力がない車は乗り入れられないって制限
外国でよくある規制なんだが 今どきの軽ならNAでも気合い入れてベタ踏みすれば法定速度内ならじゃまにならずに走れるだろ。
たいていのトラックなんてNAの軽以下の加速性能だけど高速道路で我が物顔で走っている。
むしろ「アクセルを目一杯踏んで加速するということは悪」と刷り込まれている奴が多いから
合流するときに十分に加速できないで本線車両にブレーキを踏ませることになる。 550二気筒なら合流は気合い入れる必要あったなあ。MT駆使してやっとって感じだったし。排ガス規制で一番しんどい時期だった。
今はCVTだからほぼない。車に合わせなきゃならんシーンは、中央道の登り坂位だな。 >>250
自分の車が車検出してた時に叔父が亡くなり、
お袋のJB5ライフ2乗で出かけた中央道相模湖付近はマジに地獄だったわ orz
逆走の地蔵堂〜笹子トンネルまでもかなり泣けたw 550時代の軽に4人乗って移動したことあるけど、スピード云々よりブレーキが利かなくて焦った記憶が >>252
それって整備上の問題じゃないの?
少なくとも正常なドラムブレーキは
拘束力に関しては古くても十二分だぞw いや普通の車に慣れてる人が満乗車の軽乗ったら、ブレーキの弱さは感じると思うぞ 550時代なら4輪ドラム、ブースターなしも結構残ってたからな。
フロントドラムは朝一ものすごく効くんだよ。簡単にロックするし。 いや時代で同じドラムでまったく違う
バイアスタイヤに10inc時代は酷かった、首都高ランプ下りが恐かった
ラジアル12inc時代はぜんぜんまとも 252だけどたぶんこれ
ttps://i.imgur.com/4GoRtQs.jpg フロントドラムブレーキ(サーボなし)はもれなく10インチホイール+バイアスタイヤやろ。2気筒のミニカはそうだった。
当時のバンの廉価グレード。 KP61スターレットも廉価グレードはブースターが無かった
客からブレーキが効かないってしょっちゅうクレームがあったわ KP61 DX-Aはアイドリングストップがついてた と言うか、中期のDXAに装着車設定有り
エコノミーランニング(通称エコラン)車って名称で、カタログ上の燃費を良く見せるのが目的
だからメーカーもディーラーも売る気無し
先輩が乗ってたけど、エアコンやヒーターを使ってる時はエコランシステムをオフにしておかないと、すぐにバッテリーが上がったとか それより前、1974年にクラウン(俗称クジラの後期型)の直6エンジンのMT車に設定された
EASS(Engine Automatic Stop and Start System)が世界初のアイドリングストップ機構
システムをオンにしておくと、停車してギアがニュートラルにあり
エンジンを止めても安全とコンピューターが判断した場合に停止し、クラッチペダルを踏むと再始動
ただしバッテリーの消耗を防ぐため、ヘッドライト点灯時は作動しない(つまり夜間は使用不可) >>264 そんなのあったのか。
カー雑誌とかでも元祖アイドリングストップはスターレットという扱いが多くて
クジラクラウンのは知らなかった。 元祖ってのは結構間違いが多いよ
良く見るのは世界初の量産ターボ車かな
GM、正確にはオールズモービルが最初で、BMW2002ターボの10年以上も前に出していて、生産台数も比べ物にならないほど多い
自動車ジャーナリストはアメ車蔑視する傾向があるからね >>266
世界初のガソリンターボエンジン搭載車は
1964年4月に発売されたオールズモビルF-85ジェットファイアで、生産台数は9607台
同年6月に同じGMから出たシボレー・コルベア・モンツァ・スパイダーもターボエンジン搭載で
こちらの生産台数は約4万台
GMは1962年から64年までの3年間に、約5万台のターボ車を送りだしている
にもかかわらず、それより10年以上後の1973年にデビューして、生産台数もたった1602台の
BMW2002ターボが、なぜか「世界初の市販ターボ車」となる不思議
あるサイトで「世界初の市販ターボ車であるBMW2002ターボ以前に、GMからターボ装着車がリリースされたこともあったが、
それらは単なるオプション扱いだった……」という支離滅裂なBMW擁護説を見たときには、心底あきれた 昔のアメ車はモデル数も膨大で毎年モデルチェンジして日本に入って来るのはその中のごく一部だったから
全貌を把握してる人間がほとんどいないんじゃないの
60年代70年代の日本車なんて中国を笑えないくらいのアメ車のパクリ天国だけど元ネタが分からないから
あまりそれを批判されないし 元ネタははっきりしてるけどサイズが全く違うため
パクりじゃなくてモチーフとかインスパイア扱いになってるんだと思う サイズが違うからインスパイアですなんてそんな言い訳を中華メーカーが言ったらアンタだって大爆笑するだろw ?
中華メーカーでパクりデザイン扱いされてるのはサイズもほぼ一緒のクルマでないの? 中国のカローラのコピー車はヘッドライトが互換性があるとかいうレベルだった 中国と決定的な違いは、ノウハウは盗むけど
自分たちで勝手に作る技術はあったしね
中国は生産ラインまで作ってもらって、尚コピーしてんだからね 中国の100系ハイエースやエルフは完全にトレースコピー車だよな。どっちも本物が高くて買えない層に人気がある。 中国のコピー車は各ピラーなどの閉断面を切断したら構造が全く違うとか
3Dスキャンでは内部構造の解析はできないからね ガソリンスタンドには赤いブリヂストンのロゴが入った黄色く小さなバスタブみたいなのがあったな
タイヤもパンクしなくなったんだろうね全然見かけなくなった >>278
あれは水貯めてチューブタイヤの穴探しと空気漏れチェックに使ってた タイヤメーカーのロゴさえ見ないね、Tとか楽天の幟は見るのに
フルスタンドも見ないけど、地方の国道によくあった修理工場と一体のスタンドも絶滅したね
いつごろ無くなったんだろう >>281 俺もかなりのおっさんだけど、修理工場と一体のスタンドはみたことがない。
まさかピット併設のスタンドのこととか?
それならまだまだあるけど。 >>282
ピットとかリフトを備えたスタンドってことでは?
そういや昔はリフトで下回りをスチーム洗浄している光景をスタンドでよく見たなあ
歳がバレるねw これは販社によりけりやね
大手の宇佐美はタイヤ交換やオイル交換、車検までやってる
トラックステーション併設はファミマの食べ物自販機やシャワー室もある タイヤ交換やオイル交換は大手じゃなくてもやっていると思うが
車検も請け負いなら、やっている店は少なくない 近所の宇佐美は大型車のオイル交換までこなすし、大型車専用洗車機もあるわ。 これは>>281の認識がおかしい。
給油しかできないスタンドも増えた一方、油外収入を見込んでオイル交換、タイヤ交換用の
ピットやリフトがあるスタンドもまだまだ多いから、絶滅したという表現は的外れ。
セルフなのに簡易板金まで扱っていて売り込みがうざい所も多い。 >>287
近所のイハシは簡易板金どころか、系列の輸入車ディーラーの新車下請け販売や
中古車に電気やミネラルウォーターサーバーまで扱ってる。 >>279
自転車屋さんでパンク修理してもらう時使っていたな >>269
昔、某軽自動車販売店で某フロンテクーペをのぞき込んでいると
女子事務員「如何ですか? アメリカ車みたいでしょ?」
俺 「アメリカ車? うわっはっは、面白い」
女子事務員「何が面白いんですか?」 トヨタは始めはトヨダだったが、戦前の軍部が間違えてトヨタと呼んだのでトヨタになった。 それで自動車会社の影響で「豊田」さんは「とよた」さんと呼ばれることが多い。 ダットさんやプリンスはシボレーみたいにブランドで残しゃよかったのに
元凶たったから潰したい気持ちは分かるけど ダットサンは復活してるよ
プリンスはロイヤルのメンテナンスをしてたから復活のチャンスはあったんだけどね
ゴーンが切ったんじゃないのかな 日産は吸収したメーカーのブランド消すやん
プリンスもそうだしヂャイアントとか さすがに愛知機械工業はマイナー過ぎて知名度ないだろ 日産と提携する前にヂャイアントは消えて、愛知機械のブランドはコニーに統一されていたわけだしな >>295
ダットサンはアジア向けの超低価格ブランドして
ゴーンのツルの一声で復活したけど、
あまりにコストダウン優先の安っぽい車で現地の評判が悪く
現地ダットサン=低品質の図式が出来上がってしまい赤字で
今回のリストラでブランド廃止が決定してる。
プリンスは国内の販売店名で残ってるからおいそれと
ブランド展開出来ないのもあるけど、下手に使われてたら
ブランドに傷が付いてたと思う。ダットサンも低価格ブランドで
復活した際に、片山さんが低価格ブランドで使われたのを怒ってたみたいだし。 「ニッサン・ダットサン・バネット」というブランド名がダブってるんじゃないの?というのがあったなw 「ランドローバー・レンジローバー」
ってのも充分変だべ。
英国人のお年寄りも「ランドはランド、レンジはレンジだろう?」って言ってた。 >>302
ランドローバーはローバー社から分社化して車名が会社名になる。
そのランドローバー社がフラッグシップモデルとして出した名前がレンジローバーだから。
今はタタが買収してジャガーと合わせてジャガーランドローバー社のSUV部門のブランド名になってる >>304
それ言い出したら、ジャガーもジャギュアって呼ばないと片手落ちになる罠w
あと、ROVERなんでローヴァーと発音しなきゃダメだ罠www
千葉のヒーローのあのお方は
ジャギュアさんと呼ばれては迷惑なんだろうけど。 >>306
こうやって見るとめっちゃカッコ悪いなTE47トレノってw >>307 昭和スレにいるくせにこの画像をTE47トレノと言い張るセンスに脱帽 TE27の時代はセリカ・カリーナGTより100kgほど軽かったので存在意義があったが、37・47になって車重差が縮まって、足のいいセリカ・カリーナに対してアドバンテージが減った。 TE37の48年の販売価格が101万円って出てきた
やはり重量と価格の上昇で売れなかったんじゃないかな >>314
30カローラ/40スプリンターのデビューは1974(昭和49)年4月
前年の1973(昭和48)年秋に勃発した第一次石油危機の影響で大幅値上げが起きたわけだから
たとえ1年違いといえども、そこを間違えると話の辻褄が合わなくなる >>315
ちなみに49年は104万円だった
個人のHPによるものなので合っているかは保証できないけど >>308 >>309
そうだよ、そうだったよw
当時、バイト先のガススタで先輩が乗ってて毎日見てたのに
完璧にど忘れしてた・・・
我ながらマジでボケの心配をしたわwww
ちなみに、ラリー仕様だったんで助手席にジェコーとツイントリップが付いてたわw >>313
27の時代には、パワーウインドウやFMラジオ装備のセリカGTが87.5万円、対する27はラジオもなくて81.3万円。
1974年のセリカ1600GTは110.0万円、47トレノ(ラジオもついてない方)が102.9万円。
装備差・車格差を考えると、アドバンテージはあったのかな。 旧車イベントで見た初代セリカGTと27レビンを比較したら
車体サイズとかインパネセンターのベンチレーター吹出口の有無とかグローブBOXのキーロックの有無とか
車格の違いがわかる。
まあモータースポーツに使うのなら豪華装備なんて不要なんだろうけど。 TE27のダッシュパッドが未だに新品で出るのは驚いた
交換は面倒だけどそれだけの価値はあるな >>318
さすがにそれは更に一昔前だなw
その時代はラリーメイトDXって計算盤だわ >>319
TE27レビン/トレノが出たときには、当時としてはフル装備のセリカ1600GTとの価格差の少なさに、かなり割高だと評されていたよ
「ひとクラス下で、装備はスタンダード並みなのに……」って
それでも走り屋は飛びついたわけだが
見方を変えれば、同じDOHC1.6ℓを積んだコルト・ギャランGTO-MR(112.5万円)やベレット1600GTR(111万円)などと比べたら
セリカ1600GTはバーゲン価格だったわけだ かつてコロナマークUGSSを買った初老のぶつくさ言う話を聞いたことあるな
こんな値段してろくな装備ついてない、エンジンはかかりにくい、スピード出ない、乗り心地悪い・・・w >>320
平成初期くらいまでは車格による差別化が露骨だったけど、今はそれほどでもないからね。
安い車しか売れない原因は、これかも。 パワーウインドも手動ハンドル式の方が製造コスト掛かるようになっちまったもんな
将来は各部をマニュアルで動かせる方が高級仕様になるのかな >>323
そうなんだ
レビン&トレノって安くて速いが特長だと思い込んでた マニュアルのウインドウって制約が多いからねえ
例えばレギュレーターハンドルの位置は相場が決まっていて変更できないし
体格によってリーチが違ってくるが調整もできない
ハンドルの回し終わりの位置も怪我防止のために制約がある
具体的には手前に引く方向に回し終わりの位置がなければならない >>326
既に高級車以外はアナログ操作系は少ない、タッチパネルとかコストダウンの賜物だからな。
単品カーオーディオ等の音量もロータリーエンコーダーが高いから使わなくなってきている。
ボリュームノブがステップスイッチとかタッチパネルだと萎える
>>327
それは71からだと。 今だってオーディオやエアコンにいくつもスイッチ並べるよりタッチパネルの方が安いからね
しかも客は何だかタッチパネルの方が高級感あると思ってくれるという 最低でもオーディオの音量調整だけでも視線を落とさずに操作したいよね この暑さだと走り出してからやっぱりエアコンの風量上げたいとかあるけどわき見上等で
タッチパネル操作するか次の信号で止まるまで待つか
物理スイッチの方が安全で便利 タッチパネルは、ボイスコントロールやジェスチャーコントロールとセットでないと実用性ないな。 ボイスコントロールって昔からSFの定番だったぐらいだから
現実でもマイコン実用化された初期からあった でも使い物にならなかったよな
つーか、声で操作するって案外めんどくさいw
最近のSiriだのAlexaだのでようやく実用になったのかな? S11シルビア・ガゼールのテンキーエントリーシステム だぶんじゃなくて正解だよ
テンキーじゃなくてボタンは6つだったけどね ところで >>337とか >>339は俺の周りではロータリーシルビアで通じるんだが、そんなに有名なのか? パワーウィンドゥ黎明期は前席だけたったり
心の中で、違う違う欲しいのはむしろ後席の方と
しかも子供対策と称してけっこう後だけ手回しけっこうあとあとまで残ったし
ドイツ車もPW導入遅かったな、しかも未だに輸入車はPW不良に悩まされてるし いすゞジェミニのパワーウインドウは手回しのハンドルがある位置に弁当箱みたいな箱が取り付けられていて
そこのスイッチを押すというどうなってるのかとても分かり易い仕掛けだった >>345
それ、後付けの汎用パワーウィンドウじゃないの? >>343
結局、ロータリー載らなかったしw
まあ、当時から全然売れてなかったわな
一般的にはハマグリの方が通りはいいのかな? >>346
ちゃんとカタログのオプションのページにそういう写真あったよw スバルヴィヴィオも
アームレストとは別にでっかいスイッチ部分だったような
最初見たとき後付けかよと思った あったなぁ、汎用パワーウインドウ
ABとかで扱ってたけど、自動停止機構がトルク感知じゃなく時間設定だった ディスカウントショップに売ってたな
三菱かと思ったら三葉だったわ モーターと駆動部を中に仕込んでスイッチだけ取り付けるタイプを買ってみたけど、トルク不足でいまいちだった
ebayで買ったやつがもう1セットあるわ >>352
ミツバって書かないと通じないぞ!
ホーンでお馴染みの「三ツ葉電機製作所」
って社名だったな当時はw
>>354
ラリー競技にあの高級車を使ってたん?
当時だとあのクラスは
510もしくは710ってイメージしかないわwww >>355
>ラリー競技にあの高級車を使ってたん?
>当時だとあのクラスは
>510もしくは710ってイメージしかないわwww
510や710よりはるかに安いサニーのシャシーだけどな >>356
どう見ても内外装共に金掛かってるだろ?
シャシがサニーベースって言うのならPB210を使うのが筋だし。
そもそも、わざわざ新車卸して使う程のメリットは?
中古なんてサニーの方が誇張抜きで100倍は流通してただろうよwww >>357
自分の車師匠のドスコイ体形友人がB310サニーでラリー出ていた時、
サイド引いたらassyごと外れたという笑えない実話が有ったそうな。
俺は納得したがw >>356
710よりホイールベースが短くてトレッドも狭いサニーのシャシーに
大柄なボディを載せてロータリーを積んで、日産は何をしたかったんだろう?
北米輸出主体の直線番長にでもするつもりだったのかな 1600で110psだから出た当時はすごかったんだろね、シルビア
初代がほんと小さいクーペだからそれ崩したくなくてサニーベースだったのかね
このサイズの人気むこうは昔から根強いし >>362
これナンバー切ってるC車もしくはD車だろうから当時ならエンジンスワップとかやってんじゃね?w
ゼッケンも比較的後ろの方だし。日産+ダメロップでCだと亀山さん辺りかな。 当時はグロスだし排ガス規制直後だから110psといっても実際は80psあるかないかという程度だぞ
おまけにスロットルに対し緩慢にするようにセッティングされてるから馬力以上に走らないよ >>364
ドンガラは710より大きんだけどな
で、当初は50年規制のL18シングルキャブのみだから、鈍ガメだよ レスポンスが悪く、回らないいっぽうで回転落ちも悪く
ドライバビリティも燃費も最悪な50年規制車
51年規制車が出た時点で、早くも「中古が割安でも買ってはいけない」と言われていた 妹が免許を取って4ドアで小さいので何がいいか聞かれたんで
「新車だったら(初代)シャレード。
中古だったらシビック、ただしCVCCはやめとけ」
だけど買ったのはシビックCVCC(50年規制)。
「よりによって買うなと言ったのをなんで買った?」
「だって安かったんだも〜ん」
まあ結婚するまで4年間乗ってずっと調子はよかった。燃費はイマイチ、リッター12〜10キロ。 徳大寺に「アクセル離しても加速する」言われた初期CVCCか 排気ガス規制が毎年のように変わった昭和50年代初期、
なぜか昭和53年規制適合車はリアウインドに「昭和53年排気ガス規制適合車」という
ステッカーがメーカー出荷段階で貼ってある車が多かった。 シルビア、ファラフォーセットのサンバーン思い出す人いる? まあ53年規制はクリア出来ないのではと言われていた程の数値だったしね
クリアできたのはメーカーとして誇らしかったんだと思う >>372
>なぜか昭和53年規制適合車はリアウインドに「昭和53年排気ガス規制適合車」という
>ステッカーがメーカー出荷段階で貼ってある車が多かった。
50年をすっ飛ばして51年適合になったクルマも多かったので、50年規制車の記憶はあまりないが
51年適合車も貼ってあったよ このステッカーは50年規制対策車が余りにも酷かったから
そのアピールもあるんだろうと思う 53年規制に初めて適合したのは、1977年のスバルレオーネ。
SEEK-Tなる機構で1600ツインキャブ仕様もあった。
アルファの段付きをパクったようなフロント周り。 >>372
車検の排出ガスの検査規定かできてちょうどその頃が
最初あたりのの検査対象が増えた辺りだったからじゃないかな
車検場でどれが対象車なのか分かりにくかったんじゃない
役所からの指導じゃない >>379
それなら点火時期ステッカーみたいに統一すると思うんだが >>378
スバルに対してアルファのパクり呼ばわりするのは酷すぎるw >>379
車検証には○○年対策適合って書いてあって車検証を見たらすぐ分かるからそれはない 初代レオーネにそっくりな外車があったと思うんだけど
なんだったかなぁ… レオーネを責めないでほしい
そんなこと言ったらいすゞだって日産チェリーだって レオーネのカッコ悪さに敵う車はそんなにない。
フロントオーバーハングが長い割にはリヤオーバーハングが短くてバランスが悪いし
側面のラインも変にうねっていて気持ち悪い。
最終型レオーネは直線基調でスッキリしたが、長いフロントオーバーハングは相変わらずだった。
初代レガシーもどことなく野暮ったいデザインだったが、なぜかそこそこヒットしたね。 >>385
水平対向エンジンをFFに使う時点で無理が有るからな。
メリットも有るだろうがデメリットの方が大きい。
BCレガシィはAバタネン御大は前を30cm短くしろwと宣ったそうな。
当時売れたのはパワーが有る四駆ワゴンが無かったからね。スキーとか流行っていた頃だし。 昔々の技術ではエンジンを大きくオーバーハングさせて前輪にトラクション掛けるやり方が良かったんだよ レオーネはパーキングブレーキが前輪に効いたり、スペアタイヤがエンジンの上に載っていたり機構面でも変だったな。
スペアタイヤがエンジンルームにあるのはトランクが広くなって良いことだったが、レガシーではあっさりトランクに積んでいた。
パーキングブレーキも後輪に効くようになったし。 スペアをトランクに積むのはスバル1000以来の伝統で
スペース効率を高めると同時に前輪荷重を増す目的もあった
レガシィの時代になるとそこまでしなくともトラクションは問題なかったし
タイヤも大きく太くなってエンジンルームに収まらなくなった どこからきたのかー
おまえとおれはー
レオーネー レオーーネー オールニューレオーネの頃はテンパータイヤだったけど
アレ交換したあと元のタイヤ入るのかね?
ボンネット閉まらなかったら・・・・・・。 AG6に乗ってたけど、試しに入れてみたらちゃんと入ったよ。ボンネットも閉まる。 >>376
西部警察でぶっ壊されたケンメリスカイラインや330セドリックに後ろの窓に必ず貼られていたイメージ >>393 テンパータイヤとスペースセイバータイヤは違うよ セダンでライトバンみたいな吊り下げ式のスペアタイヤの収納車有りましたかね?
S100系のハイゼットとS200系ハイゼット、スペアタイヤの収納固定ナットの形が変わってて
作業がし易くなってた。 オレの記憶する限りないな。
つか、当時のセダンはドロドロのスペアタイヤ外さなきゃならん車じゃないし
クラウンは初代からトランクに入ってた 今はスペアタイヤをなくす方向だけど、ホンダのN-VANはなくせなかったようで
こんなことになってしまっている
https://www.team-mho.com/nvan-sprtire/ >>398
商用車は荷台がフラットになっていなければならないので
必然的にそうなっただけの話。 >>400
昔は必ずと言っていいほど〜って書いてあるけど、そもそも義務化されてたよね?
法改正でテンパー許可されて、その後パンク補修剤でもOKになって >>400
これZの引き出し式を作った人が見たら日勤教育モノだね。 >>400
ハイエースのヘッドライト球切れ並みに面倒臭いスペア交換w プジョー504のセダンなんかはトランクの下側に吊り下げてたなー、スペアタイヤ タウンエースノアも最後部下にフルサイズのがぶるさがってたよ。 >>400
この人本当に整備士かな?
6ミリボルトを10ミリと書いてるしタイヤを吊るしている10ミリを19ミリと書いてる
ボルトのサイズはレンチの大きさて言うのでなくてボルトの太さを言うんだけどな
なんか素人くさいw >>407
あれは商用のタウンエース・バンの5ナンバー版だから、当然 規格上同じネジ径でも二面幅が複数ある場合もある
ユーザーレベルからしたらネジ径なんてどうでもいいことだ 車は小形ボルト使っている事も多いがネジ徑がちがったらそもそも使えないだろ >>406
シトロエンBXもトランク下に吊り下げだった。 1990年代のメルセデス見せてもらって
250くらいのフルスペックが入ってたんだけど
じっさいあれパンク交換なんて現場で一人でやる気しない
JAFのパンク出動の実態が自分で出来ないから
スペアに交換してください、だったらしいし
雪出動も半分がスタック救助じゃなくチェーン着けてくださいらしいし タイヤ交換を自分でやった経験ある人なんて、今日日殆どいないのが実情
俺も仕事柄何回か練習させられた経験はあるけど、自分の車で必要になったらJAF呼んじゃう気がする >>414
冬タイヤ履く地域の人の半分くらいは自分で交換しているんじゃね?
空気運搬車とかなんちゃってSUVはタイヤが重いから別としてもw >>415
@北海道
俺(おっさん)は自分でやる(10月末にスタッドレスに、3月末にノーマルに)が、
最近は道産子でもやらないな。嘆かわしい。
ジャッキがどこにあるかもわからないし、道具を与えてもできないのが多い。
俺みたいにちゃんとしたジャッキや十字レンチを揃えてるやつはほぼいない… >>417
マジか?w
小さい車ならお店にタイヤ持って行く方が労力掛かりそうに思うが。
複数台所持なら地獄じゃねぇかよ orz
義弟が特豪在住だけど、義弟嫁の兄弟が某ディーラー勤務(購入先)だが
そのメーカー以外の車は自分でやってるぞ。 自宅にジャッキアップ出来る場所があればやるだろうけど、ほとんどの人は用品店やスタンドで交換だろ。 タイヤ屋さんで預かりサービスやってるからね
細目のボルト使ってる車は舐めやすいし
いいオッサンになってからSUVに変えたらタイヤ重くて死にそう 昔は車載工具って標準装備だったけど、今はオプションだろ >>419
雪降る地域の人は自宅にジャッキアップできる場所を持っている方が多くね?
無いのは都市部万損在住者くらいでしょ。家庭持ちなら複数台持ちが一般的だし。
>>420
理解する。タイヤデカくなり過ぎだわ。片手で持てるのがタイヤw そう言えばホイールって、FF用FR用って分け方してたと思う それはかつてFR車とFF車で今で言うインセット量が大きく違っていたから
インセット30mm(オフセット+30mm)以上であればFF車用とされていた >>424
今はFR車でもインセット+50mmとか普通だもんね。
サスペンションジオトメリーの変化を嫌ってそうなってるみたいだけど。 トヨタプログレのホイールなんてインセット58mmだぞ
あの車は1700mm幅を実現するという特殊事情があったけど
そのため195幅という当時としても車重に比して狭いタイヤだったし、
モデルを通じてタイヤとホイールのサイズは変わっていない
プログレはアルミホイールだからインセットの深さは見た目には分からないが、
インセット50mmのスチールホイールを履いた150系クラウンの
インセットの深さは見た目にも「なんか変」と感じる ホンダ車は純正でインセット45mmとかのホイール使ってて、FFの黎明期は社外品の選択肢がほぼ無かった
カーショップに置いてあるのはせいぜい38mmくらいまでだったな 今はプラスのオフセットがインセット、マイナスのオフセットはアウトセットと呼び名が変わり、数値にプラマイ付けないのが正式の様だ アメリカだと表現が変わるし通じれば問題ないんじゃないか 2008年7月11日以前は、オフセットと呼ばれていましたが、JATMA(日本自動車タイヤ協会)が国際基準に合わせようと提唱し、インセットという名称に変更となりました。
現在は「インセット」「ゼロセット」「アウトセット」と3つの名称を使用しています。ホイールの中心位置がディスク部より外側に取り付け面があればインセット(プラス記号)、
プラスマイナス0であれば「ゼロセット」、内側にあればアウトセット(マイナス記号)となります。
だってさ 昭和脳だから、タイヤの空気圧も単位がよく分からんw >>433
昭和脳だからじゃない。お前の頭が悪いからだ でもエンジン出力とか、未だにやっぱPSとkgmの方がしっくりくるわw 20年30年先の将来を見据える人は適応せざる得ないよね。
この先10年くらいまでしか単位変更を必要としない人はそのままでも不都合ないでしょ。
空気圧なんかも微妙に補正要るし面倒臭い。
建物の尺貫法は仕方ない部分も有るよな。
インフラ自体が尺貫法に則って造られているから何年経っても共存していくしかない感じ。 >>438
メトリックのミシュランTRXは普及しなかったな >>440
専用ホイールが必要だし、特殊すぎたでしょう その昔、テレビの天気予報でミリバールから切り替わる時
「新しい単位は舌噛みそうですね!」と言ったアナウンサーがいた FR用のホイールを裏返せばFFに付くんじゃない?何て試してみた若い頃のバカな俺たち >>443
峠に走りに行ってて脱輪させてタイヤを切ってスペアタイヤが無かったので友達の車のスペアタイヤを裏返しに付けて自走して帰ってきた強者は居る 合わせホイール裏返しにしてトレッド広げるとか有ったよね。 >>445
キョーシャじゃなくツワモノと読むのを…… この販売機の前を通ると、必ず自転車のチェーンが外れる友達がいたなぁ 外れるのは自転車のチェーンより、むしろ(ズボンの)ベルトのほうでは・・・? お金を入れる役
ボタンを押す役
エロ本を取り出す役
の3人でフォーメーション組んで実行してけど
偶然途中でスーパーカブのおっさんが割り込んでエロ本を盗られた思い出は今も忘れない 近所の東大合格した兄ちゃんが周囲を気にしながら買ってた。 なんで着たきりスズメだってわかるのよ
着替え持ってて初日と発見日が同じ服だったのかもしれないじゃん 昭和でも910の頃には2400はあったよ
北米仕様だけど 団子キャラバンに積んでた力がない回らない振動が多いH20だかJ20だかいうエンジンにDOHCヘッド載せたらFJ20なんだよな。 >>474
そのとおり、北米専用の初代マキシマは、910ブルのロングノーズ版にL24を積んだ日本未発売モデルだが
ややこしいことに、型式名はG910だが名称はDATSUN 810 MAXIMA
なぜかというと、前の世代である日本版の810ブルのG6にL24を積んだモデルを北米でDATSUN 810として販売しており
そのモデルチェンジ版であるNEW DATSUN 810という位置づけだったから
日本版のA10バイオレットを、北米ではNEW DATSUN 510と称して売ったのと同じ理屈
さらに言えば、初代に関してはMAXIMAは車名やサブネームではなくグレード名だった
上級版がDATSUN 810 MAXIMA SEDAN/WAGONで
普及版がDATSUN 810 DELUXE SEDAN/WAGON >>475
それよく言われるけど、ポン付けじゃないからね。
シリンダーブロックの作りが全然違う。
プッシュロッドのスペースがFJ20には無い。
2T-Gとかには有るけど。 H20はキャブオールとかフォークリフト用にも使われてたかな?
日産のフォークリフトも東洋運搬機(TCM)と一緒になりユニキャリア経てロジネクストとかいうのになってるな >>478
日産フォークリフトのあのどクソ的な一本レバーは健在なのか?
馴れると便利なのかなアレ?
個人的には、出先でたまに使うとダメダメだったわなw >>476
確かそのロングノーズ版のマキシマのプラットフォームを
国内向けに専用デザインで仕立て直したのが初代レパードだよね?
レパードはL28だったけど、マキシマはL24のままだったのは理由があるんかな?
当時の日産の北米向けの4ドアのフラッグシップはマキシマだったと思うんだけど。
現行の日産ブランドの北米向け4ドアのフラッグシップもマキシマだけど。
今は370Zの4ドア版みたいな売り方してるけど。 >>481
>レパードはL28だったけど、マキシマはL24のままだったのは理由があるんかな?
そりゃ280Zとの差別化のためだろ >>483
KA24DEだな
Z24の末裔だからL型の末裔と言えなくもない
実際にL型搭載車に載せることは可能だし
ヘッドもボルト穴は同じで水穴が少し違うだけで載らないことはない
まあシングルチェーンだからエンジンごと積む方が簡単だけど 日本国内では2000がメインの車種でも米国仕様だと2200や2400にしていたんじゃなかったか フォードF150が3.5Lツインターボになったとき小排気量過ぎると不安がられたからな
2.4Lなんて軽と同じ そういえば1GエンジンFやGのDOHCを始めツインターボやスーパーチャージャー付もあったけど2T-Gみたいに排気量上げたチューンは聞いたことがない
そのあたりは限界設計なんだろうな >>487 1Gは2リッター専用エンジンとして限界まで小型軽量化を図ったと初代クレスタ発売時に云われていた 70年代はエンジン関係の開発は排ガス対策で手一杯 既存ユニットの改良や補機の追加に明け暮れてた
それが一段落してようやくエンジン本体の新規開発できた
トヨタにおけるその代表的なのが1Gなんだろなと思ってる オーバー2リッター用のJZ系は1G登場から10年後
1Gの企画段階では3ナンバー市場が拡大するとは考えていなかったから
1Gを2リッター専用としたのだろうか JZ系開発してるし無理に排気量アップする必要なかったからな
トヨタではK型やA型を1.8L化するのにブロックを新設計している
その手法なら79×85の2498ccあたりなら可能だと思う。 1Gが出た1980年、9年後に2リッター超の自動車税が細分化されるなんて予想出来んからな >>496
>昭和黎明期から残る車名はもうカローラくらい?
カローラのデビューは昭和41(1966)年
今も残る最古の国産ブランドはダットサン(昭和7年) ディーラー名で残ってるのはトヨペット店だけ
プリンスは表上はレッドだし >>496
今も販売されてる車種としては昭和26年発売のランドクルーザーが最古 >>501
ランクルの名称が付けられたのは昭和29(1954)年
それまでは「トヨタ・ジープ」と称していた つか、そもそも「昭和黎明期」っていつ頃までを想定してるやら。
>>502
どのみち最古でしょ。 免許取ったころはみんなインジェクションだから
黎明期のキャブ車に一度乗ってみたい >>504
キャブレター車は2000年代はじめまであったから、1990年代でもまだ機械式キャブレター車ですらゴロゴロしてたよ。俺が乗ってるのも1990年まで作ってたし。
大半がインジェクションになったのって、1990年代末以降に免許取った人ではなかろうか。
ちなみにリミッター何それおいしいの、とか、冬はアイシング起こすからオーバークール対策必要とかって以外は、そんな変わらんよ。
単にアクセル踏んだだけスロットル開いて燃料出るだけだ。 黎明期のキャブなんて乗れたものではない
クランク棒だしエンジンを掛けることすら危険 19世紀の話だもんな…
って、「黎明期っていつだよ」って話だなこれも。 黎明期=自分の頭にある古い時代
という誤った、かつ自分勝手な解釈で使われている限り、話が噛み合うはずもない >>508
そこまでザックリじゃなくても、昭和時代に限ったって
・戦前の自動車黎明期
・戦後の黎明期
・戦後の国産車復活黎明期
・オイルショック以前の黎明期
・マスキー法以前の黎明期
・○○年排ガス規制以前の黎明期
・昭和時代そのものが黎明期
・何なら平成初期まで含む
って、ナンボでも「黎明期」が思いついちゃうからな… チョークレバーはバイクには付いてたな
車は俺の頃は最低グレードはキャブって感じだった 平成初期だと下位グレードがキャブと限らなくて、ダイハツ・ハイゼットトラックなんかは上位グレードが電子制御キャブDOHC、
標準グレードがEFIのSOHCだったりした(下位グレードだと機械式キャブ)。 ハイゼットはHIJETだからハイジェットでないの? メーカー表記はあくまでハイゼット
midgetもミジェットではなくミゼット そんな事言ってたら、シボレーなんてまともに発音できないぞ 初めてフェアレディを名乗った北米輸出専用のダットサンSPL212
日産によるカナ表記は「フェアレデー」 ダットサンもダッツンだったり、アバルトもエイバースだったり、国や地域によって好きなように読んでるのをカタカナ表記すると「ん?」ってなるだけの話。 昔知り合いのアメリカ人がライトエースの事ライレースって言ってた
40年くらい前 そのへんも「そう聞こえた」「なまってる」とかの類いかもしれんしな…日本人だって東北に行きゃエンジンを「エンズン」って言ったり(本人はエンジンと言ってるつもり)。 米国でも舶来のエキゾチック性に惹かれるのは同じで
仏系由来のシボレーを発音する時はそれっぽく
「シェィヴォレイッ」とドヤ顔するな 俺は徳大寺有恒氏の意思を継ぎ今もメルツェデスと呼んでいる。 >>528
あれは読めないんでなく、略称みたいなもん。
酒井法子をのりピーと言うようなもんだ。 そーいやいまだに和泉と書いてなんで和を発音しないのか納得できん。
和の立場は?和の。 >>530は五十嵐さんを「ごじゅうあらしさん」と呼んでしまうタイプ。
なお、東海林を「とうかいりん」と読ませる苗字は実在する。 車名にも昭和はへんなサブネームが多かった
ランエボいったいエボリューションてなに?
他にもメダリストとか、いったいどういうセンスなの メダリストはローレルだから変じゃない。
ノートのメダリストは笑止だが。 >>534
コロナマーク2もいつの間にか主語が無くなって
何のこっちゃ?ってネーミングになったわなw
で、9代重ねていきなりマーク10になって消えるって言うw
今どきの認識だとコロナ変異種って事になるのかな? コロナマークIIは何代か続いたからアレだけど、後継車の車名を変える場合に従来車の車名+サブネーム扱いってのは結構あったけどね。
フローリアンアスカやベレットジェミニ、割と新しい方ならだとコロナプレミオやブルーバードシルフィもその類になるのかな?
カローラアクシオはいつアクシオになるんだろうと思いつつ、ならないっぽいな。
その類で一番奇妙なのはセリカカムリかなー
セリカの4ドア版かというと似てないし、成り立ちからするとカリーナの上級版だったし。 マークIIは三代目前期までトヨペットコロナマークIIだった
後期でトヨタコロナマークIIになって、
五代目GX71でトヨタマークIIになった じゃ ルーチェレガートもXだった。
ローレル以外はメダリストじゃなく ダメリスト ジバンシィとかジャックニクラウスとか麻美スペシャルも思い出して下さい >>540
サブネームやグレード名の話に特別仕様車はお呼びじゃないよ。 サニーをローレル風にしたのがメダリストじゃなかったっけ?
間違ってたらスマソ トヨペットコロナマークIIということは
トヨペット店専売だったの ロイヤルサルーンGなど末尾にGを付けてスペシャル感を出す元祖はゲッターロボG >>537
70年代、特にオイルショック前後は新規車種の認証出すのを運輸省が嫌がった
なので既存車種のモデルチェンジや派生という形でサブネーム付きで発売することが多かった? 冠大好きなトヨタがローレルをスルーしたのは頭文字がCじゃなかったからか? 影武者は飛鳥
ピアッツァに武者振い
いすゞ中古自動車販売株式会社が企画/販売した一連の中古車追加架装特別仕様車 >>546
1.単に「この新型車は新しい車名ですが、従来からあるこの車の後継車ですよ」って意味合い(フローリアンアスカ、ベレットジェミニ、コロナプレミオ)。
2.単にその車の上級車種(コロナマークII、パブリカスターレット)や、上級車種のイメージを持った車(ローレルスピリット、ブルーバードシルフィ)って意味合い。
3.毎月発表される月販台数ランキングの車名をシリーズ全部ひっくるめて解釈させ、上位へ入れるって意味合い(カローラ系やヤリス系)
多少の例外除くと、このどれかって感じ。
「国産車が増えたら食い合いになって競争力が下がるから困るじゃないか、チミィ!」みたいなのは、運輸省(現・国土交通省)よか、通産省(現・経済産業省)やね。 フェロー
↓
フェローマックス
↓
マックスクオーレ
↓
クオーレ
↓
ミラ・クオーレ
↓
ミラ >>552
他にアスカへヤマト(大和)スペシャル、ピアッツァにカチドキ(凱)、ビッグホーンにアラムシャー(荒武者)、ジェミニにジェミニyRもあった。 >>554
そん中で言うと、ミラ・クオーレは初代(L55型)のみで、2代目ミラ(L70型)の途中までは貨物登録がミラで乗用登録のクオーレも併売してた。
初期のアルトとフロンテもそんな感じ。
途中からちょい厳密にしてその後も足すとこんな感じ(ウォークスルーバンやミチート、クラシックなどは割愛)。
クオーレ
↓
クオーレ/ミラ クオーレ
↓
クオーレ/ミラ
↓
ミラ
↓
ミラ/ミラモデルノ
↓
ミラ/ミラジーノ
↓
ミラ/ミラジーノ/ミラアヴィ
↓
ミラ/ミラカスタム/ミラココア/ミライース
↓
ミライース/ミラトコット >>557
クオーレ/ミラになってから(初代L55ミラ後期)に初設定されて、ミラ/ミラモデルノになってた期間の最後(3代目L500ミラ後期)まで。
最後はミラクラシックにもパルコがあった。 ミラの派生車のリーザで早見優がCM出てて免許がないっていって押してたな
あれは撮影用のドンガラだったのだろうか むかしの軽は規格寸法よりかなり小さく作ってたのが今も疑問なんだけど
小さく作ったほうが安上がりだったのかな
550時代はの >>562
軽じゃなくたって、登録車でも寸法いっぱいに作らない車なんてナンボでもあるでしょ?
車格や個性、動力性能との相談だったわけよ。今となっては「許された寸法内でスペース効率の限界を追求する」になってるけど、昔はそういう発想がなかった。
…なかったわけじゃないけど、そういうのは商用車が考える事で、あんまスペースや使い勝手ばかり考えてデカくしても、かえって貧乏臭かったという時代だったのさ。
だからこそ初代ワゴンRがすさまじく革命的な車だった、と歴史に残るわけだ。 >>563
軽1BOXって貧乏臭いと思ってたけどいざ乗ると便利で足車をアトレーワゴンにしたよ
荷物載るし人も乗れて見切りも良くてマジ便利 >>563
小型車はいいけど軽は小さすぎだよ
ハンドルが膝に当たるし天井に頭はつかえるし
セブンイレブンの配達用の電動車と変わらないよあれじゃ >>565
慣れなきゃどんな車だって何がしかアラが目立つだけの話だよ。
で、慣れると今度は元の車が何かスカスカで無駄なスペース多いように思えるし、エンジンの音もしなくて不安になるw S Cargoは宅配全盛の今こそ相応しいのにな
あんなドンガラ自体は単純だから適当なのに架装して復刻すべし >>568
ありゃ中古で安いから良かったのであって、新車当時は商用としちゃ高くてあんま意味無いと言われてたし、それは今でも一緒。
実用性じゃ軽1BOX商用車に勝てないし、乗用車並の快適性ならN-VANとハイゼットキャディーがあるし、デザインのためにン十万追加はちょっと。
あと歩行者衝突時保護にもできんから、あのデザインで復活するとしたらEVになってからかな。
衝突安全基準が緩和されてる超小型モビリティなら今でもできるかも。出光タジマが出光のスタンドで売る超小型EVの商用バージョンにそれっぽいのがある。 カンケー無いが、
ミラクオーレ、姉の高校の友達が乗ってて、けっこう奇麗な人(俺的にな)で
その子が家に遊びに来た時はめちゃ興奮してた思い出がある。
そのときは俺が高校生で向こうがハタチか21だろうな。 ミラ初期型黄色見た
写真撮ったからリンク貼ろうとしたら貼れなくなってる… ホンダシティは初代が印象つよすぎて2代目を完全忘れてた
こんなのあったの気がする程度しか印象にない
3代目はもうシティでもなんでもないな
ここまで違ってシティにする意味が分からない >>572
3代目以降は海外専売なんだから、日本での印象なんて一切関係ない。
そもそも「同じ車名だから前と同じにしなきゃいけない」なんて決まりはないし、モデルチェンジで激変だの、久々登場で全くジャンル違いとかナンボでもあるわけよ。 >>そもそも「同じ車名だから前と同じにしなきゃいけない」なんて決まりはないし
レパード「そやね」 >>575
アレコレ言われるレパードだが、コンセプト面から考えてみると、ソアラをパクった2代目だけが浮いてる存在だったりする。
(初代の2ドアはどうなんだと言うかもしれないが、ソアラ以前は4ドア高級車の2ドアハードトップ版とか珍しくなかったんで) Jフェリーと四代目は4ドアということ以外共通点はないがね。 津軽や下北界隈じゃあぶ刑事の影響で当時レパード乗ってりゃかなりのブサメンでも
余裕でJKをナンパして食えたらしいよ。 >>578
そう思うだろ?
3代目レパードJフェリーはY32系、4代目レパードはY33系で、どっちもセドグロがベースなわけよ。
で、3代目レパードJフェリーの本家であるインフィニティJ30が1997年に販売終了して一時中断後後、2003年に復活したミドルクラスセダンの
インフィニティM45はY34セドグロベースと、実はレパードの3代目と4代目って一番近い存在なんだわ。
デザインに惑わされなければ、本来のレパードは元祖ハイソカーな高級4ドアセダンと言っていいかもしれんくらいよ。 >>580
2代目限定な。
そんなとこからも、レパードにおける2代目の特異性というか特別変異がわかる。
まあアメリカ版の初代インフィニティM30が売れてりゃ、3代目もセドグロベースの2ドアクーペになってたかもしれんが、しょせん外道だったって事ね。 舘はスズキとの関係で劇中レパード運転出来なかったらしいね。
オレ・舘・カルタスw >>583
そのへんのCMタイアップネタは飲み物にも反映されてて、劇中で舘ひろしがポカリスエット、柴田恭兵がポッカコーヒーを持って
正面から向き合い、腕をクロスさせて互いに自分がCMしてる飲み物をゴクゴク飲み「ウマイねぇ〜!」とやるシーンがあったな。
他にも犯人逃走後、流れとは無関係にロケで使用したホテルの看板をアップにしたり、ドラマでスポンサーや協力企業のアピールが欠かせない時代だった。
(要するに「当たり前田のクラッカー」から変わってない) F31レパードは車体が5ナンバーサイズのままだったから、アメリカでは小さ過ぎてコケた
当時マキシマの上を求める声が強かったな 監督が女風呂盗撮で捕まってシリーズ打ち切りになるんじゃないかって
当時ひやひやしたっけw >>585
インフィニティそのものがレクサスと違いすぎたからな…プリメーラのバッジ違いとか平気で売ってたし、高級車ブランドとして認知されるまで時間がかかった。
トヨタの場合はランクル系以外、レクサス車を日本でもトヨタブランドで売るってやり方がほとんどだったけど、日産はその逆をやってしまったわけで。 4代目マキシマの設計チームはアメリカ向けマキシマ以外には考えていなかった。
しかしこれが日本国内向けにセフィーロとなって発売され、
チームは「うっそー!」 マイクラ 小サイズ
セントラ 中間
マキシマ デカい
でいいのか。 マーチってシティが流行ってFF小型から
ターボまでいつも追っかけで真似してた印象しかない
スターレットはちょうど重なってたから対抗してFRのターボ出して欲しかったな >>592
全然見当違いな話だなwww
シティの競合車はパルサーの方であって
チェリーからどんどんサイズアップした分の穴埋めでしかないしw
ターボ化も当時は完全にブームだったんでシティターボは関係なし
三菱なんてお得意のフルラインナップまでしてたわな
61スターレットの対抗馬は310系サニーであって
マーチの対抗馬はパブリカ廃止でタコ・カロUしか無く
んで、遅れ馳せながのヴィッツと。 あと、サニーの商業的に直接の対抗馬はE71カローラだわなw
乗ってる方としてはスターレットも同類扱いだったんで
完全に思い違いしてたわwww >>594
初代シティは1981年だからKP61ともろかぶりだが 動揺して二重投稿したわ
マジデスマンカッターwww
まあ、スターレットは当時のトヨタでは
最下層の連中向けだったから商品価値を上げるつもりなんて毛ほども無かったろうしw
災い転じてライトウェイトスポーツの体を成すと言う。 >>593>>599
トヨタに初代マーチの対抗馬なんかないよ。
タコIIはスターレットより上、カローラとの間だぞ?
1982年発売・初代マーチの同クラス車は
ダイハツ シャレード
スズキ カルタス
スバル ジャスティ
ホンダ シティ
フォード フェスティバ
の5台やね。初代マーチより前からあったのはシャレードとシティで、フェスティバは1986年だからだいぶ後発だけど。 >>600
だから「パブリカが無くなって・・・」って事でねw >>601
まあパブリカが2代目で上級車種パブリカスターレット登場→スターレット3代→ヴィッツ3代→ヤリスって流れだから、
確かにパブリカそのものの後継は1998年のデュエットまで登場しなかったね。 シャレードはなんか名車感ある、あのディーゼルといい
RCではスターレットと何故かシャレードで出てる人も多かった 数年前のオートサロンかモーターショーに赤黒のデトマソ仕様出てたけど
マジで渋かった。 ミラトコットベースのやつだっけ?
確かにかっこよかったな。
ミラトコットの70〜80年代風の外観はこのスレ的には良さそうなんだか >>605
数年前ってこた、東京オートサロン2018に出た3代目ブーンがベースのやつでしょ。2代目シャレードのデトマソと並んでたやつ。
https://car.watch.impress.co.jp/docs/event_repo/2018autosalon/1100954.html
ミラトコットベースのやつは、兵庫県のプロバイルってショップが作ったアヴァンツァートR仕様だよ。赤黒ツートンは同じだけど。
というか、ミラのTR-XX系がL70系以来赤黒ツートン仕様をL500系まで販売してたんで、「デトマソ仕様」と思う人と、「アヴァンツァート仕様(TR-XX仕様)」と思う人に分かれる。
これが1984年登場、2代目G11系シャレードのシャレード・デ・トマソ
https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17319020
こっちが1985年登場、2代目ミラTR-XXの赤黒ツートンカラー
https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17335019 いま見てもかっこいい
これじゃ当時いいなと思うはずだわ >>607
赤と黒のツートンが好みと言うことは、スタンダールの愛読者かな? デトマソのホイールだけ持ってるわw
これ、カンパだったか?スピードラインだったか? >>610
初代シャレード・デ・トマソ(2代目G11ベース)だったら、カンパニョーロのマグネシウムホイール。
PCD110の14インチホイールなんで、ダイハツ旧規格軽自動車ユーザーにも人気。 この当時はまだリアスポっぽいの解禁じゃないの
フェンダーもだいぶゆるくなったのいつごろだっけ スポイラーは二代目プレリュードが最初だったはず。純正オプションだった 昭和の軽というとアンドレ・クレージュとかベネトンとかアパレルブランドの
ステッカー貼ったヤン車のイメージ。 自然給気でリッター100馬力超の時代、バイクのエンジンに近かったんだろうなと想像する >>616
360cc時代の話なんだろうけど、低回転域にイエローゾーンがあったりね。
ただ、あの頃はグロス値なんで、ネット値換算だとリッター100馬力は超えてない。
グロス40馬力のフェローMAX SSでもネット34馬力くらい。 ミラTR-XXやアルトワークスは当時走り屋よりもDQNの姉ちゃんが乗ってたイメージがあるな >>618
でも2速ATしかないような時代だから、いかにDQNのネーチャンと言っても現代のとはスキルや気合が違うわけよ。
実際に知り合いで当時レディースチーム組んでた走り屋いたが、DQNというか「自己主張が激しいが、自立してる強い女」だな。
そうあるためのハードルが、ある意味じゃ今より低いから単純に比較はできんが。 あ。>>619ちょっと言葉足らずだったが、2速AT云々は「女でも5速MTを駆使してカッ飛んでた」って意味ね。
1980年代だからまだMT比率多くて、普通のオバちゃんでもMTしかないマーチスーパーターボだので普通に買い物行く時代だったが。 鎌倉でベンツ190E2.5-16EVOLUTIONUに乗ってるおばはんを見たときは目を疑った。 >>621
バブル期はそういうオバちゃん結構居たよな。M3とかランチャデルタとか。
お水系や若いのはフェランボやポルポルだけど品の良さそうな初老オバさんは変な車が多かった記憶。 >>622
水はともかく、バブル期で若いのに人気だったのはアウディやサーブじゃない?特にアウディは人気だった。
何しろBMW318iほどやたらと見かけないしオサレってやつで、女子大生に人気。
(※当時の価値観の基準でありブランドだったのは、今で言うJD、女子大生だった。第2次ベビーブーマー直前世代で人数もそう多くなかったし。) >>623
audiの記憶は無いなぁ、同僚が当時A80乗りだったけどさっぱりw
SAABはJDより少し上、ユーミン世代じゃね。
あと、バブル期って昭和42年中心2次ベビーブームくらいだと思っていたけど違うのかなぁ。 >>624
第二次ベビーブーム世代はその5年後位ですよー
そして、その世代はバブル時代は中学生位かな?
親はともかく、本人は全く恩恵に与っておりませんwww >>623
80年代、角ばった6ライトの2代目アウディ80が
女子大生に人気のクルマのランキング上位だったね
乗せてもらいたいだけでなく、自分で運転したいクルマとしても
グラサンかけて、赤いアウディを転がす、ハイソでクールな私てな感じw
ガレージに父親のメルセデスSクラスと、同じヤナセから息子や娘に
買い与えたゴルフやアウディが並んでいるイメージ アウディ100のすっきりと端正な4ドアスタイルは80年代トヨタのデザインにも影響を与えた。
しかし当時アウディなんてクアトロスポーツみたいな異端はあったが、殆ど中庸なセダンばっかで
昨今のキチガイみたいな馬力のワゴンとか無かったよなw >>620
昔は内掛けハンドルをよく見たが、パワステが無いから駐車場の車庫入れ(末切り)なんか
非力なおばちゃんは内掛けでもしないと回しきれなかった。 >>624-626
サーブは確かに女子大生よりチョイ上かもしれんな。
ただ、ユーミン世代というけど、当時の女子大生も入るよ?ちょうどバブル時代に女子大生だった姉貴は、ユーミンのコンサートにも行ったし、
サザンオールスターズが来れば真冬でもTシャツ着て出撃する世代だったw
で。
俺がちょうど第二次ベビーブーマーで昭和49年(1974年生まれ)生まれね。
バブル崩壊の時には田舎ほど影響受けるのも遅れるんで実感薄かったけど、18の時だったか
「MZA有明が潰れた!もしかして俺たち社会に出る頃にゃ日本終わってるんじゃね?」
って、ちょっとした騒ぎになった。
その3年後に始まった就職戦線は見事に氷河期ど真ん中。企業に資料請求しようと電話しても(まだインターネットは一般的じゃなかった)
大学名を伝えるだけでガチャンと来られるし(ああ悲しき地方Fラン大)、「失われた10年」世代の負のスパイラルが始まったわけよ。
大学まではそれなりに羽振り良かったんだけどねー。
入学時のレクリエーションで温泉旅館へ行き、宴会場でジュリアナ東京の真似事してたのが懐かしいというか、知らぬが仏というかw オレの先輩はMZA有明のことを菊座有明と呼んでたけどな バブル期は失敬した
>629
そか、俺は還暦になったばかりだが俺より10歳くらい若いのか。新人類後って事だな。
トゥーリア落下が客先仕事でワロタ記憶がある。 >>631
トゥーリアと言えば赤城明
と、言えばレイトンハウス
と、言えば萩原明。
アキラの事故死と前後して岡田有希子の自殺が起きたんだよな
日航機墜落事故もその頃か
何か凄いな
まあ、一番ダメージデカいのはバブル崩壊だけど。 トゥーリアで亡くなったのほぼ全員地方出身者だったんだよな。
新潟や群馬とか。
東京がいかに地方出身者の寄せ集めか痛感した事件だったわ。 190E2.5-16無印の正規輸入車はATのみだっけ? ベンツ買うとアウディおまけにくれるという時代かな?
トラックもUDの大型買うと4tおまけにくれた パワステはいつくらいだろ
クラウンクラスは相当むかしからだろうけど
教習車だからか当時の教習所のセドリックはパワステなし
1年くらいたって新車では軽以外パワステ無しはほぼなかった
最初の買った中古のカローラがかろうじてパワステなしで
まだ中古屋の貼り紙にPWPS有が誇らしげに掲げられてた時代だった >>638
それぞれ何年頃の話かくらい書かないと、ワケがわからんぞ。 パワステは70カローラだとMCでラックアンドピニオンへ変わった時にSEにオプション設定された
80でSEサルーンに標準、AE86にもレビトレで初めてAPEXに装着車が設定された
1988年、2代目セルボが世界初の電動パワステ採用で軽は拡大していった 乗ったことない世代は昔のパワステには違和感あるだろな
パワステの進化がすごい 浅香唯もアルトのCMに出演していたね。
風間三姉妹もう一人は誰だっけ? >>647
旧規格軽時代のダイハツ電動パワステなんかパワステコンピューターが突然停止するのが故障の定番で、
交差点とかで突然アシスト停止するとかちょっと怖い代物だった。
慣れた人だとパワステコンピューターにONOFFスイッチつけて、アシスト切れたら強制再起動させてた。 バラードスポーツに乗ってたけど、
外側はこんなにモダンなのに何だかなあ……
と思いながらクルクルと手で窓ガラス開けてズイッズイッと重い据え切りをしていた
1.3版の方にはチョークレバーも付いてたかも知れん 車重700〜800kg台までならパワステレスでもそんな重くないよ。1t近いとさすがに重さを感じるが。 EP71スターレットSi- Lmitedに乗っていたがノンパワステでも軽かったな。 カルタスは異常に重かった記憶
ロアアームGX71のにしたAE86GT並、キックバックは最強 機械式LSDなんか組んでるとFFはキックバックそれなりにあるけど、オープンデフなら全然。 >>657
MTだと微速域での微妙なクラッチ操作とかうまくなるけど、ATはあんま関係ないかな。 初代後期角目のADバン(155SR12?13?のパワステレス車)に乗ってたとき
細いタイヤのクセしてハンドルクソ重くて随分鍛えられた。
あのADバン、パワステ前提のアライメントだったのかな? BD型ファミリアのステアリングが重かったのはFWDだから仕方がないと思うが、
910ブルーバードがFRなのに重かったのはなんでだったんだろう?
どちらも家の車だった。 ゼ、ゼロスクラブ…
がステアの重さと関係ありそうだがよく知らん >>662
ゼロスクラブだと直進性が上がるから、その分重くなるというのは道理か。 当時のキャッチ見直すと、ゼロスクラブ&ハイキャスターを謳ってるから
直進性能はむしろこっちの効果じゃね >>662
ゼロスクラブの方が軽くなる
点で回すことになるから
でも車重(前輪荷重)とかと比べ影響少ない ちょっとでも動いてれば軽々回せると思うんだけどな…機械式LSDついてると直進方向へ戻そうとキックバックすごいが、そういう話でもないだろうし。
ステアリングの持ち方が悪いとか、ドラポジの問題で力が入らんとか(腕が伸びてるとか)、そういう問題もあるんでないの? たしかこの頃から徐々に低扁平化していったような
PSがないカローラがたしか165の80、13in、これなら付いてなくても軽かったけど
185とかより太くなっていってパワステ無しはきつかっただろうな >>670
195のパワステ無し乗っていたが重くなかった
重くなったのはFFで前荷重増えたのが大きいのでは
大昔のチェリーとかどうだったんだろう >>670
車種にもよるが、185/70のTE71レビトレはクソ重かったな 直6キャブの3代目マークUは重かったなあ
タイヤが185だったのもあるが、ステアリング戻る時のキックバックが半端ないから
曲がる時は手でハンドルの戻りを抑えながら運転してた AE86GTは165SRで無いとキツかったな。お陰でちゃんと引き切り出来るようになったが。APEXとか神車に思えた。
しかし当時のカルタスがデフ入っていなければ問題ないとか何処の異次元の話かと思うわ。ノーマルEP71デフ入りよりキックバック凄かったのに。ダートしか走ってなかったのかな。 x ノーマルEP71デフ入り
○ ノーマルでEP71デフ入り ステアリングは
リサキュウボール式とラッピニ式
パワステは
油圧式と電動式 >>676
何を言いたいのかよくわからないが
世界初の電動パワステが1988(昭和63)年デビューの3代目セルボだから
昭和のクルマにはほとんど関係ないメカニズムだな 相変わらず、車がどーだ、タイヤがどーだって話ばかりで「ステアリングの持ち方やドラポジ」の話が出ないのが気になる。
背もたれ起こしてステアリングの位置も低めで調節し、ちゃんとヒジ曲げてステアリングの「10時10分」へ手を添えて押し付けてりゃ、
少なくともLSD無しの車は何の問題も無いはずなんだが(機械式LSDはさすがに…)。
それができてなくて、ヒジ伸びたままテキトーに転がそーとしてないかい? そもそも>>638を発端としたパワステの話って事で >>678
今更基礎書かれてもなぁw
普通にやってる事だし、踏ん反り返っていたら泥なんか走れんわ。
それよりカルタスには乗ったことあるんか?
天下のモンタジの話は知っているよな。
事務化は危険 >>681
それがGTiには乗った事無いんよ…ってカルタスの話には俺は噛んでないけど。
2代目のアヴェールR(1,000cc)しかない。
割と車重が重めのLSDなしFF車で乗った事ある重ステ車だとEE102Vカローラバンとか、昭和のだとCE96Vカローラバンとかになるな。
つか、そこでなんでモンスター田嶋が出てくるのかわからんが…ツインエンジンカルタスは関係無いだろうし。 >>682
ID kt8nJDiu と同一人物かと思った、スマン。 で、モンタジは当時スズスポの社長、時々粟さんの代わりに仕上げしてた。
粟さんをテストドラで親に囲われていた時とか。
その時、指をキックバックで骨折して数ヶ月競技不出走だったのは有名。
FF舐めちゃイケねぇw >>684
つか、機械式LSDつけた競技車でそれは当たり前だろう…
そうでなくてもステアリングに指ひっかけて握るのは、キックバック以外でハンドル取られた時にケガしやすいから、推奨されないのに。
あと、「ステアリングを握る」をやっちゃうと、細いハンドルだと力入りにくいってのもある。「手を押し付けて保持」だとハンドルの太さはあんま関係無いが。
ちなみにダートラの競技車に重ステ使って上位に入ってたようなドラは、ストーリアX4に乗ってた岡林選手が最後かな?
ストーリアだと重ステとパワステでステアリングギア比違うってのもあってほとんどがパワステ派だったけど、昭和の車だとそのへん違いあったのかな。 >>685
モンタジ批判とは、すげぇ腕前なんだなwww
ヌタでも世界のAでも書き難い事なのに。
しかも事務化でLSD無し車両の記憶。 >>686
「事故」なんだから批判には当たるまい。
それよかスズキでLSD無しのジムカって、田嶋さんがアルトワークスでやってたジムカーナスクールの事かな?
まだ免許取り立て時代の山野哲也が参加していきなり転倒、「初心者向けなのに、横転しやすい左周り設定した俺が悪かった」って田嶋さんが謝ったやつ。
カルタスGTiだとLSDなしってこたないはずだが… >>686
あとねー田嶋さん云々はスズスポ関係に知り合いいれば有名な話よ。
パイクスピークとかの絡みでスズスポワークスのパドックに田嶋さんいない時は、みんな「ヤッター今日は怖い人がいないぞ!」って和気あいあいとか。
「ヤ○ザと間違えられて背中刺されたダートラ選手なんてあの人くらいだ」とか。
でも、スズスポやモンスターに無関係な人間が、なんでそこまで神のごとく気を使わにゃならんねんってのも、また事実よ。
俺キャロッセ派だったしなおさら。 >>688
ちょっと整理して書き込んでくれます?
何が言いたいか判らん。
ヌタ他は普通にadvanの重鎮ですから、リスペクトされるの当たり前じゃね?
加勢さんところ好きは理解した。
俺も一時、待ってろ桜井wとか言ってたわ。 >>689
何が言いたいかって、「いちいち田嶋さんを引き合いに出すとか意味わからん」って事よ。
そもそも俺がしたい話は「重ステでアレコレ言う人って、ドラポジとかステアリングの保持はちゃんと基本守ってるの?」って事なんだし。
ビッグネーム持ってきて関係無い話を延々してるのはそっちで、俺はそれに付き合ってあげただけ。 >>690
ステア引き切りできる姿勢であれば全く関係ない。
681に書いた通り >>691
意外とそーでもないよ。ドラポジ合わせてみたら問題なかったりする。
合わなきゃステアリングの位置や高さ、ペダル、フルバケであろうとシートの背もたれ角度の調整。尻の収まり具合。肩の保持。
このへんがズレてると、ちゃんと力がかからん。
自分に最適化したドラポジできん奴は、車をいくらイジってもダメってくらい基本。
んで>>681で余計な事書きまくってるの見ると、「基礎がわかってるフリして別な話でごまかそうとしてるな?」としか思えん。
しかも自分が書いてる内容で墓穴掘ってるのに気づいてないし… >>692
加勢さんもとんでも無いのに好かれたなw
AE86GTラリー規制前仕様とか運転した事ありゃカルタス比較で判りそうなもんだがな。
ロアアーム20mm延長だけでGX71ロアとの違いって判るか? FFの話してたのに、ついにFR車の話をしだしたぞ…久々に昔話と思って付き合ったが、もういいわ。 >>694
俺は674で書いた通り一貫しているぞ?
舗装だとEP71デフ入よりカルタスが酷いって書いてるし。
ポジション厨で射出具体例を挙げない人には言われたくねぇわwww おばはん2人がバスツアーでスタート時凄く仲良かったのに帰る頃険悪なムードになってるやつw 国産でインジェクション開発して初めて搭載したのが
ぐうぜん自分も乗ってたいすゞだったんだな
当時、車の知識がまったくなくて117に鎮座してた箱のようなものがそれがシングルポイントだったんだな
ディーゼルが強いからいすゞはそのインジェクターの知識を利用したってこと? >>697
機械式ならずいぶん前にダイハツ・コンパーノ1000GTに使ってたけど、電子制御インジェクションが初って意味かな? ボッシュだとヂーゼル機器(ゼクセル)絡んでそうだけど 1971年デビューのブルU1800SSS-EのEGIもボッシュ製だったな
翌72年登場のマークU2000GSL-EFIが初の国産(デンソー)電子制御ガソリン燃料噴射装置搭載車か? それはスズキの燃焼室
TCC-Cは触媒を使用した排ガス対策装置の総称でキャブ車でも採用されている
TCC-VはホンダのCVCCを採用したものでTCC-Lは希薄燃焼式 >>704
指摘ありがとう
書いてて変だと思ったわ 51年排出ガス規制のあのどん詰まり感からいちばん早く脱却したメーカーと
その技術的要因の最功労はいったい何だったの? 技術的には三元触媒とO2センサーのフィードバック制御の功績が一番でかい
80年代後半から90年代初頭の並行輸入車ではトヨタの触媒がよく使われていた ハニカム構造の触媒コンバーターは鈴木の2スト車が最初? その当時の鈴木2ストは逆回転する仕様があった
4ストならばあり得ないが >>709
スズキに限らず2stは逆転防止機構が無ければ逆回転可能 メッサーシュミットはバックギアがないから、後退時はエンジンを逆回転させる
つまり後退4段になるw >>711
後進で最速の車は?ってクイズになってたな 恐らく世界最速はバイクのエンジンをミッションごと積んだキットカー
アウトプットシャフトとデフの間にギアボックスを入れて逆転できるようになっている フロンテとか勝手に逆回転してた〜とか聞いたことあるな。
関係無いけど、先日「無鉛ガソリンをご使用ください」の純正ステッカーを入手したので貼った。
1984発売のクルマなので余り違和感は無い、と思いたい。 FL360? FJ360?だったか360cc軽のエンジンを積んだフォーミュラーカーではフロンテのエンジンを逆回転させてたと思ったな >>47
ワインとか日本酒で。
ウイスキーとミネラルウォーターでも十分 >>716
正確には「スピンすると」でなく、前進時にスピンなどで後進してしまい、エンジンの正回転を上回る力がかかるとそのまま「逆回転が普通」になる。
つまりバックギアに入れないと前進できない。 >>537
当時のセリカとカリーナが姉妹車。
同じカローラ店扱いのセリカの4ドア版とのことで欧州仕様カリーナのガワを流用 >>545
Gとかリミテッドの上級感の演出はトヨタ上手かった。
他社でたまに見る、Gグレードが中級扱いなの見ると違和感しかない 軽のナンバープレートは昔は黄色じゃなかったよね
朽ち果てたジムニーが近くの中古屋でナンバー付けて放置してあるんだけと
白いナンバープレートで今より一回り小さいんだよ >>722
「小板ナンバー」といって、黄色ナンバーになる前の軽は今でもそれで新しいナンバープレート発行される。 >>678
たしかに一時はやったmomoとか小さいステアリングは
パワステなしでは成立しないものだったな 今はエアバッグの展開スペースを確保するために往年のラリードライバーみたいな
ステアリングを抱え込むようなドライビングポジションは推奨されないんですよ >>618
工藤静香みたいなヤンキー姉ちゃんが多かった。
で、彼氏が高確率でトヨタ日産のハイソセダン >>623
アウディは金持ち嫁の車のイメージ。
あと、意識高い系。
殆どが当時現行の80と90。
80は赤かグレー、90は黒っぽい青か緑。
クワトロは当時は少数派だった >>723
もっと大昔はタクシーが黄色ナンバーじゃなかったっけ? >>716 >>719
ドイツ・メッサーシュミットの2サイクル車でバックするときエンジンを逆回転させるのがあった、らしい >>734
あの切り替えレバーがついてるのはエアクリボックスじゃなくインマニで、エキマニ遮熱板などから暖気の取り入れの有無を切り替える。
真冬なんかに吸気があんま冷えてると、キャブレターの燃料が凍る「アイシング」って現象でエンジンが止まっちゃうから。
だからインジェクションの車とか、キャブレター車でも吸気が圧縮加熱されるターボ車だと基本見ない。 >>641
マイチェン前に追加された1800(TE70)にはパワステがオプションか標準で設定があった。
マイチェンを期に1800は廃止。
今夜数年ぶりに訪ねたので遅れて申し訳ない。 >>736
マイナー前から1300はラック&ピニオンだったがパワステなし
マイナー前のパワステはボールナットでマイナー後はラック&ピニオン
70カローラはバリエーションが多過ぎてややこしいんだけどね
これに輸出仕様が加わるともっと複雑になる
2Tのツインキャブやソレックス付きの2T-G、4AのSOHCなんてのもある >>737
調べたら4A-C(SOHC8バルブ版)ってカローラGT-Sだけでなく、元々は70カローラ用なんだね。知らんかった… >>738
カローラGT-Sは4A-Gだよ
4A-CはカローラスポーツSR-5 >>735
横だがエアクリボックスであってるよ
インマニ(キャブ下流)に直接暖気(外気)入れたらダメ >>741
なんか自分でも辻褄合わん話を書いてるな…と思って愛車を見に行ったら、確かにエアクリボックスのインテークに切り替えスイッチあったわ。
なんでこんな間違い書いたんだろう…キャブ下流どころか、エアクリの下流に直接外気入れてもアカンよね。
なんかいろいろとっちらかってて申し訳ない。 >>744
最近のなんかのCMで
70バンが出てたよな むかしは必ずバン設定があったな
ステーションワゴンの概念が育たない頃のワゴンと言えば事実上バンの流用版だった
クラウンのステーションワゴンに憧れて友達の家のに乗せてもらったら外見と違って中身は商用バンだった
いつでも荷車に変身できる申し訳程度の3列目シート、シートと呼ぶには憚られる程度のもの 310サニーのカリフォルニアと60カリーナのサーフはワゴン専用設計
どちらもリアサスペンションがコイルになっていた
バンはリーフだったから贅沢と言えば贅沢だった
70カローラはワゴンも乗ってたな
ラック&ピニオンだったけどリアはリーフのままだった >>737
カローラは仕様を一気に変えることを嫌って、異なる仕様を同時採用なんてことをよくやってたな。
70系のラック&ピニオンとボールナットもそれの表れだし、
NCVカローラでも1.8リッターは当初油圧パワーステアリングだった。
初の4WDはセンターデフ方式でMTとATで差動制限方式が違ってた。
そういう設計思想が端的に出たのがハチゴーハチロクなんだけどね。
グレードによってFFとFRを使い分けるなんて他にはほとんど例がない。 >>748
AE85/86は80系の時代も70カローラバンを継続生産してたがゆえの恩恵でもあったけどね。
同じく恩恵に預かり…預かったのか?最後の小型FRセダンとなったのが2代目ダイハツ・シャルマン。 >>748
あと他に新世代のFFと旧世代のFRが混在したっていうと、コロナ/カリーナ、ジェミニもそうだけどね。タクシー仕様も含めりゃブルーバードも。 KP61がラック&ピニオンだったから
KE70はそのギアボックスを流用出来たからな >>747
WHB310サニーカリフォルニア、乗り始めてすぐのころあちこちで
「あれ?このライトバン、5ナンバーなんだね」
と言われるのが癪だった >>752
310カリフォルニアはルーフもクーペ並みに低くして
リアウィンドーも強く前傾させて頑張っていたけど
そんな努力も素人には伝わらなかった
当然とはいえ、残念なことだね クーペがベースだったしね。
ぶつけられてフロントグリルが割れ、部品交換したらセダン用が付けられてた。
「これ違いますよ」と言ってクーペ用のグリルに交換。 昭和末期に初めて手に入れた中古車、据え切りしようとしたら「ミシ」って音がしてピクリとも動かなかった。
今思えば据え切りしないいい癖ついてありがたかったんだな。 今は「ブラインド」も言えやしない。
あ、太陽に吠えろでボスがのぞくやつな >>760
それただの言葉狩りっしょ。日本で言えば「メクラ(マセラティではない)」と同義の意味もあるってだけで。
ブラインドそのものは他に使われてる普遍的な用語だし、キチガイとか他に意味が無い言葉と全然違うよ。
「ブラインドタッチ」みたいに海外では「タッチタイピング」って呼ぶならともかく、
じゃあ代わりになんて言うのよって代替語が無い言葉まで言葉狩りするのはさすがにオカシイ。
ブラインドなんて英語版wikipediaですら「Window blind」だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Window_blind >>749
E90系の4WDもE70系とたぶん同じだろうか。
FFと比べてリアトレッドが狭く、マッドガードとタイヤの位置に違和感があった憶えが。
また、クスコなどのLSDが2代目カリブとAE86後期と品番が同じだったりするし。 >>763
ダイハツの池田工場で作ってたホーシングをそのまま使った可能性はあるだろね。
ホーシングまでいかんでもデフ玉一緒とか(昔のスバルも長らく日産のをベースにしてたっけ)。
(なお、小型商用車用リアホーシングの生産はダイハツの重要なお仕事だったもんで、OEMになる前のライトエース/タウンエースが生産終了する時はひと悶着あったとかいう余談もある) >>764
6.7インチのデフ玉はFFベース4WDのリアデフでは定番だし
FRベースのフロントでもよく使われている
今でもスバルのリアデフはBRZ以外は日産ベースだよ
R160とR180のロングタイプが使われている 昭和50年の暮れ頃
近所でダットサン211で暴走運転していた人が、電柱にぶつかって亡くなった。頭の骨が折れて即死と新聞に乗ってた。レーサー目指してたようだ 211ってその頃で既に博物館クラスの骨董品だったはずだが 1975年ならダットサン1000は15-20年落ちのポンコツだな >>768.769
211か詳しくないが
当時でも古い車だなと思った
その人の通夜に親が参列して饅頭貰ってきたよ 1975年にダットサン211で暴走して事故死
しかも運転者はレーシングドライバーを目指していた
まるで夢で見たかのような、現実感に乏しい話だなw まあ2005年頃に海老名SAに停まってるの見たことあるw >ダットサン211
特にイベントとかでなく、ただ普通に駐車しててビックリした >>773
スペック的には問題無いが、高速道路が無い時代に作られたから耐久性が厳しいだろね。 昔、多摩陸事の近くにダットサン210が停まっていた家があった記憶がある
子供の頃に行っていたスイミングスクールの近所にも310ブルが車庫にはい 途中で書き込んでしまった
310ブルが車庫に停まっていた家があった
たまに思い出して見に行くとまだ停まっていたが、2、3年前に見に行ったら無くなってた
一桁ナンバーだったのを覚えてる 84〜87年頃解体屋に通ってたが
日産ディーラーと取引あったようで、210や310サニー、ケンメリの4枚や130、230ローレルはいつ行ってもあった。あの頃部品買い込んどけばよかった。 4年前に京都の八幡の解体屋で大放出されて大量に並んだことがある
エンジンミッションや車体ごとなど沢山買ったよ >>771
当時車の寿命が短く、
10年落ちでも古い車だった。
ダットサン211なんか中古車に並んでた可能性低く解体屋から買ってきたのかもしれない。湾岸ミッドナイトみたいだな 1975年、連想するのはラウダが最初のチャンピオンとった年 >>779
よろしくメカドックですら当時最新のバブルエックスを解体屋から引き取ってくる設定出しな 70系カローラとか910ブルーバードは昭和期の学校の先生が乗っていた車というイメージがある 昔の公務員はケチが多く軽自動車以外中古車が大半だった。 伊藤かずえさんのシーマ、レストアで新車同様になっても
1年車検はもはや変えられないんだろうなぁ 今時1年車検なんて商用車だけやろ
登録車10年超の1年車検なんてとうの昔に廃止になっとるわ 車を買えないどころか免許も取れなかった可能性も否定できない 昭和のクルマといつまでもに出てたオーナーさんに、
’99’はナインティ―ナイン、
’77’はセブンティーセブン、
と読むことを教えてあげたかった 正式な呼び名と、実際にどう呼ぶかは無関係だからな…そこは野暮ってもんだ。 そういや>>53、>>60でジムカーナが出てきたけど
ジムカーナって何?と聞き返さないんだなこのキチガイデブはwww
公道はジムカーナだろ?(ドヤ
↓ 僅か15分後
ジムカーナって何? ←マジモンのキチガイ過ぎて言葉を失ったぞ?w ブレーキに連動して<ウルトラマンの目が光る>的なアイテムをDIY
<リアに置いたスピーカーのロゴが光る>的なのはちとハードル高くオートバックスへ
クルマ関係のDIY、すっかりやらなくなったなあ
今やってるのは年2回のタイヤ(とワイパー)交換ぐらいかな グラインダーでサビ取りしてタッチペンで上塗りくらいはしてる。 >>802
俺もタイヤ交換とウォッシャー液補充ぐらいだな
自分でタイヤ空気圧チェック(→補填)ぐらいしようと思ってチェッカーを買ったが、
チェックの際にどんなに手早くやっても空気が漏れるので1回使っただけだ 空気圧の単位が変わったから、よく分からん昭和脳の自分 どのみちエアゲージの精度なんてそれなりだから、目安としてわかればそれで十分。 ゲージ差したときに漏れる空気の量なんてたかが知れてる
逆にタイヤ圧に影響出るほど漏らすには100回くらいプシュプシュしないと駄目だったはず GSのやつだと押し当てるだけだが、1,500円ぐらいで買えるのはネジが切ってあるやつ
どうやっても漏れる >>812
ブワァ〜っとダダ漏れしてどうしようもないわけじゃないから影響ないよねって話をしてるわけで、キミが言うような話は誰もしとらん。 昭和50年頃だったか、仲人のじいさんが我が家で親父と酒をしこたま飲み、
夜中12時頃たたき起こされてじいさんを自宅に送っていったことがあった。
俺がブルーバード410を運転、嫁さんがあとを運転してついてきた。
普段からじいさんの運転、遅いなーと思っていたけど、運転してみてわかったのは
この410,遅い運転ばかりしてたからか、まるでスピード出ない。
コラムシフトで1・2間がノンシンクロ、運転し始めは、ガキンガキンと・・・
そしてライトが異様に暗い。
夏の夜、汗だくの運転だったw >>815
ブルは初代の途中(311)からフルシンクロだけだな
シンクロがヘタってたんじゃないの? 昭和末期だったか平成初期か定かじゃないけど
「実録事件史」的な過去の事件を検証する番組で
海中に沈んで数年間発見されなかった車から死体が出てきた事件、
その車が410ブルーバード後期でとても怖かった思い出 近所の金持ちの同級生の家が
A40セリカXX新車で買った。
うちのブル610と比べて
近未来の感じだった。 日本最初にして最大のテレビ工場だった
東芝深谷事業所が今日閉鎖だそうな。
ああ本当に昭和のモノ作り大国日本は終焉したのだと >>821
鉄バンパーから樹脂バンパーに変わり、デザインやホイールも40年代の陳腐化が激しかった。 >>825
キドカラーは日立
宣伝のため飛行船を飛ばしていた
東芝はユニカラー
ついでに松下はもちろんパナカラー
三洋はサンカラー 松下はパナカラー
ソニーはトリニトロン
三菱とNECは特にカラーテレビの愛称はなかったな カラーテレビは上級機種で
家具調木目ルーバー外装と共に
「名門」とか「薔薇」とかの命名も有ったな
クルマも漢字での名前で発達すれば面白かったのに。
パラレルワールドでは、ヴェルファイアが「悪鬼」とか ヴォクシーのグレード名で「煌(きらめき)」ってのはあるな。
漢字の車名でこのスレ向きっていうと、フォーミュラカーだが三菱の上州F3国定か? あと、中国で売ってる日本車だと漢字もあるがね。レビン(昔のじゃなく、今のカローラの姉妹車)は「雷凌」とか。 >>829
薔薇は三洋、松下は嵯峨、三菱は高雄、変わったところではゼネラルの王朝とか
>>830
上州国定は、その名のとおり群馬産のスバルのフラット4搭載だよ すばるは当たり前なので置いとくとして
カムリとか、アスカとか、フーガとか
でもフーガは平成だな >>832
ありゃスマン。
コルトF3Aとかとリザルト並んでて、いつの間にか混同してた。 >>833
旧車だと岡村製作所のミカサ・ツーリングとかミカサ・コマーシャルがあるでよ。
日本軽自動車のニッケイ・タローも一応日本語になるのかな。 >>836
それメーカー名では…と思ったが、一応戦前と敗戦直後の三菱重工に「ふそう号」シリーズのバスがあるか。
東日本重工業へ分割以降は型式だけになってるけど。 三菱のサターンエンジンは悪魔のエンジンかと思っていたが土星のサターンだったのね。 「日野サムライ」ってのはトラックで復活してもおかしくないよな。おっちゃん達は好むだろう そう言えば、三浦の近隣在住なんだけど、三浦にミウラが置いてあった。20年位前かな? >>839
海外だとスズキのサムライ(ジムニー)があったけどね。
三菱ショーグン(パジェロ)とか、ショーグンスポーツ(パジェロスポーツ。昔で言えばチャレンジャー)、ショーグンピニン(パジェロイオ)とかもある。 アナログで攻めるとDSPの分もアンプとスピーカーに注ぎ込めるのな
いい機材であればあるほど変なクセがないから調整が要らなくなってくるってところもある
そこで逆にこのスピーカーとアンプをBRAXのDSPで調教するとどうなるんだろう・・・とか欲望がもたげてくる
本当に狂った世界だな 緊急事態宣言解除されたから旧車ミーティングあちこちでやりだしたな 毎週楽しすぎ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています