(´・ω・`) 故・山際淳司の著者「Give Up」を20年以上前に読んだんやけど、
たしかに上野カンパニーが絡み始めてからのオフコースの広告戦略は、
当時のポップス界においてはかなり独創的かつ効率的だったことが窺えるがな
(´・ω・`) そして言われてみれば、それはコスト的にも効率的やったんかもしれんがな
(´・ω・`) 上野博も関西人やし、その辺りにもシビアだったんやろかやがな
(´・ω・`) ただ、上野博の戦略はビジネス的には相当な成果があったと言えそうやけど、
一方で鈴木康博の脱退を早めたとの見方もあるから、
あれで良かったんか否かは髪…いや、神のみぞ知るところやがな
(´・ω・`) そういえば小田和正は小田和正で、「Three and Two」の頃に
「アルバムを100万…いや200万枚売りたい」みたいな発言をして、
今は亡きハイファイのトシさんに
「アホ言うな、お前!w」ってツッコまれてたけど、
ソロになってからのベスト盤とはいえそれを実現させたんは凄いがな
(´・ω・`) あ、書き込みの合間にググってみたら、
溜池のビルは東芝資本が抜けてから売却されて、取り壊されたらしいがな