人は自分自身の魅力を磨きあげることが出来なければ、外部の装飾や権威に頼るようになる。
正邪や優劣の頂点であることを実証するために、有り余るほどの名誉をかき集め、また、ガンジーやキングといった偉人と同じレベルだということを実証するために、過剰な池田偉人エピソードを無限に作り出す。

このようなカルト行為が、政府の与党に食い込むくらい日本において当たり前に行われてきた。
その理由は、日本人が宗教というものの本質を理解してこなかったから。
幸福の科学が流行ることにしてもそうだが、日本人は宗教は右肩上がり的な物質的精神的な成長をもたらすものだと勘違いしている。

宗教に正邪や優劣を持ち込み実現しようとした広宣流布というユートピアが崩壊したときに、創価学会が題材となって日本人は宗教の本質に気づくことだろう。
宗教とは外的事象の成長をもたらすものではなく、また内的成長をもたらすものでもなく、本来のありのままの自分自身に気づく、立ち返るためのもの。