日本の拳闘史における辰吉丈一郎とスレタイのシリモンコン戦は世界のボクシングにおけるアリとフォアマン戦に相似するのではないか。
アリと辰吉に共通しているのは強度の舌戦。サービス精神旺盛とも言えるし、彼らなりの恐怖との戦い方であったとも言える。

(アリに比べれば試合後すぐに対戦者を賛美する辰吉は純真で可愛い)

ふたりとも初の世界戦前に話題沸騰し、「しかしその世界戦は勝てない」と言われながら難敵をKOで下してタイトル奪取。
人気は上がりギャンブラーにとってドル箱プレーヤーとなるが、そのご宿命のような「試練」「茨の道」が待ち受けている。
だがそれぞれ我を通して再チャレンジ、アリが次代の騎手フレージャーにてこずったり辰吉が薬師寺に敗北したのも
辰吉語で言うところの「人助け」。プレーヤーは実力以上の何か、人気に裏付けられるアイコン性が必要でありそれを持つものこそ天賦のアーティストだと認識している。
拳闘=ボクシングが貴族たちの殺戮的な見世物格闘技であった時代からの選民や大衆の欲棒の匂いやカオスに立つ覇者のイメージを帯びていくことが必要。
強いだけならフォアマンやシリモンコンの勝ちで歴史は微動だにしない。スポーツアスリートとしての実力など大した意味などない。

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