「冬の間二ノ瀬走れないからタイム落ちてた、どうすりゃいいんだ?」の返答が「富士シルバー獲るには〇〇W/kg必要」でなければならない。なんじゃこりゃ?
しかも本人「富士シルバーのことをいつまでもしつこい」と反発。富士シルバーはあきらめと解釈される。
しかも、練習法が正しいか間違いかより論理的であるかないかが重要とな。わけわからん。

普通、よい練習法とは実行可能で成果のあることだろ。
しかも「富士シルバー獲るには〇〇W/kg必要」なるサイトは前回紹介している(責任は果たしているぞ)。

論理的な練習というのは、最初に言われるのは「これこれの種目で必要なエネルギー源は〇〇でそれはこの練習により鍛えられる」てなのですよ。持久力つけるには走り込みが必要なのは常識で、効果に疑問あるなら自分で調べればよろしい。誰だって必要と言うんだから。
まあ、このことは納得したんだよね?自分が引っ張ってきた資料に書いてあるから否定できなくなって。

精神論てのは、普通は力量的に劣っているのを根性で勝つんだってことを指す。桜ノ宮高校バスケット部主将が「僕をしばいたら強くなるんですか?」と自殺したようなことを指す。「強くなるには練習が必要」ではない。

「冬の間二ノ瀬走れないからタイム落ちてた、どうすりゃいいんだ?」この問いに対して必要・即効性ある・実行可能、すべて備えた練習法を提示した。なんで文句書かれるのか皆目わからん。
普通は感謝されるよね。少なくとも「わかったけどその練習はやるつもりないわ」と断りいれる。
やりたくないからって練習法や説明を貶すのは良くないぎゃよ。素人にわかるはずないんだし。

「冬の間二ノ瀬走れないからタイム落ちてた、どうすりゃいいんだ?」の回答が「富士シルバー獲るには〇〇W/kg必要」でなければならない。わけわからん。