サンツアーはなぜシマノに負けたのか
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自転車の変速機を日本初国産量産化したのが岩井製作所だった
(サンツアーはブランド名)、今では当たり前のストラントパンタは
特許が切れるまで他社が使えなかった >>8
日本初?その頃は三光舎が既にあったはずだけど? 今のサンツアーの社長も旧サンツアーの人間じゃないの 人事に動きがないなら小林大裕って人でしょ
少なくとも2013年まではそうなってるな シマノがタミヤとしたらファインモールドくらいですな >>17
サンツアーは本来ひとつの会社じゃなくて、
複数の会社の共用ブランドだからなあ。
>>18の人が模型に例えているけれど、
サンツアーはウォーターラインシリーズみたいなものかな。 不都合やトラブルを放置してたから現場で敬遠された
シマノやカンパなら窓口も一つで済んだけどパーツごとに違うともうね サンツアーは職人だけど新しいことにチャレンジするシマノに置いて行かれてしまった シマノも廉価品のコピーが増えてきてるからそっちがやばいな サンツアー今でも大好きだけど シマノのカセットフリーは羨ましかったな
自分で簡単にギヤの組み合わせ変えられるんだもんな 台湾のサンレースってあるじゃん?あれってやっぱりサンツアーを意識したネーミングなのかな? >>19-20
というより特許取得の絡みじゃないの?
日本の某リムメーカーが開発した溶接やリムサイドのCNC加工を
あとから特許を無理矢理取得して強奪したMAVICみたいなもんかなって思ってるんだが。 台湾マイクロシフトにはサンツアーの血が流れてると言う事だけど、製品自体はシマノなのがつまらん
シュパーブプロやサイクロンを現代10段対応で復活させるみたいな攻めた事やってほしい 最後はキックボードのパチモン造って
海外メーカーから訴えられたんだっけ 中小連合じゃ開発費もままならんからな しょうがない サンツアー→大日本帝国
シマノ→アメリカ
これくらい国力、軍事力に差がある
勝てるわけない
緒戦は勝ち戦だったけど戦争後半からは防戦一方だったのも同じ >>34
兵站考えずに自滅した所も同じですね。
何せハブとか超高性能部品だったのに単価計算ミスってて売れば売るほど赤字。
それが影響して潰れたわけです。 >>31 台無しじゃねーか! 1982年〜1984年までの製品を中心として
そのまま再販するだけで大儲けできる。 シマノは早くに海外に生産を持っていった
前田はそれに乗り遅れただけ
それとシマノは優秀な開発の人材を多く取り入れた
しかも釣り具でも成功していた
スポーツ車にいたっては早くにSISを導入していた
初心者はカチカチシフトできるシマノがうれしい
よって完成車メーカーもシマノを選ぶ
ブリだけは最後まで使っていた
でも一番は海外に行かなかったのが失敗 有志の人の自費出版サンツアーデータブック、ずっと買おうか迷ってる
上下巻だから結構高いのよ そんなんあるの。
でも手持ちのシュパーブセットもネンイチのイベントでしか使わないしもういいかな クランク云々云ったらスギノじゃないの?
ただ、駆動系全部シマノは安心感すごい
見た目はゴメンだけど >>29
すでに日本で誰かが作って公知になっているものの特許なんて国が違っても取れませんぜ旦那
って半年前か
進行が遅いスレやなw うちにもフルシュパーブのロードが分解されたまま置いてある。
神鍋カップで優勝した時のロードだと、親父が言ってた。 釣り分野に手を出さなかったからシマノに負けたんだよ >>1 シマノと同じ土俵で勝負しようとしたからだよ。
サンツアーの従来路線のままで行けば、現在も会社はあったよ。 会社は現在もあるんじゃね?
吉貝もスギノも三ヶ島もあるでしょ 前田が無くなっただけ >>1 負けたっつーより、自主廃業しやがった、って感じだよね。
その余波で、三信松本まで・・・
とにかくスズエがどうにかしてくれないと。 >サンツアーはディレーラー屋だ
>サンツアーはディレーラー屋だ
>サンツアーはディレーラー屋だ
>サンツアーはディレーラー屋だ
>サンツアーはディレーラー屋だ モノはいいんだからサンツアーリアハブにシマノカセットが付けられるコンパチフリーとか台湾で作って出せばいいのに サンツアーがツーリングを捨てて、シマノと同じ路線に向かったのが最大の敗因。
ツーリング路線&ボスフリーのままなら、問題無かった筈。 >>56
ボスは6sになった時点で軸の曲がり、最悪折れも出てたからねぇ。
仮にそのままいってたら20年前の一番悪質なアメリカのPL法による裁判でケツの毛まで抜かれて御仕舞いだったと思うよ。
それ以外のツーリング路線の継続って意味なら同意ですね。
>>55
自分が欲しいだけだろwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています