>>89
コピペとかどーでもいいよ
ちょうどいいから>>89を例に挙げて>>89の解説をしよう

>>89は一切の根拠を書かずに自分の「体験」とやらがあったとしている
ここで「その根拠を出せ」と言うのは自由だが、それを拒否するのももちろん自由
しかし、そいつの「体験」につき根拠の提示がない場合であっても、それは嘘だと確定できるわけではない
反対に嘘だと確定できる根拠をこちらは提示していないからだ
つまり最初から双方にとって「本当かもしれないし、嘘かもしれない」話だということが確定している
その「最初から決まっている」ことが大前提なのだから、こちらが「それは嘘だ!妄想だ!矛盾してる!」と指摘したところでその大前提は何も変わらない
そしてその指摘は、こちらの考える相手の姿=「本当はこうであるはずだ」という願望以外にはない
願望はどれだけ並べても願望であって、こちらが新たに根拠を提示しない限りそれが真実になることはない
では、そいつの「体験」はこちらにとって真実になるのかということについてだが、これについても既に書いたとおり「本当かもしれないし、嘘かもしれない」という枠から出ることはないことが最初から確定している
もちろん、そいつから根拠が提示された場合は真実となるが、根拠の提示はそいつの自由意思に委ねられている以上、拒否された場合はこちらはどうしようもない
反対に、こちらがその「体験」が嘘であるとする根拠を提示できた場合は嘘となるが、これは悪魔の証明に近く不可能と言ってもいい
その体験が「ない」ことを根拠をもって証明するのは相当な労力を要し、結局は数字上で「ゼロと見做してよい」とするのが精一杯
それに数字上で判断するという合意がない場合、それは単なる徒労となる

神の体験?そんなものは勝手に言わせとくか、明らかに間違いの部分について指摘するしか、方法はないんだよ
間違いの部分も訂正されたらお手上げ(笑)
人間なのだから間違えることはあるし、その訂正自体を批判したところで人間性を笑われるだけだからね

これを私と弱者に当てはめて考えると…もういいな?w