>>476
では、自分では気付かんのかな

文末表現の 「思う」はとても便利である。
深く考えずに書き始めた文章が、とりあえず無難に終わる。
なんとなくカッコがつくような気がする。さらに「思う」は相手の批判をかわす。
どんな主張であろうとも、「これは私が『思って』いることなんだから、他人にとやかくいわれる筋合いはない」と開き直れる。
何を「思おう」が個人の勝手なのだ。ひょっとしたら「思う」はか弱き者たちの「抵抗の砦」なのかもしれない。

ここに文末表現を変えただけの文章を二つ挙げるから読み比べてほしい
そして>>441をもう一度読み返してみると良く解る

例文1
ただ、話すだけなら文法はいらないと思う。
小さい頃から目にしていけばけっこう覚えられるものだと思う。が、勉強となるとそうはいかなくなると思う。
文法なしでは新しい言語をマスターするのは不可能であると思う。

例文2
ただ、話すだけなら文法はいらないだろう。
小さい頃から目にしていけばけっこう覚えられるはずだ。が、勉強となるとそうはいかないのではないか。
文法なしでは新しい言語をマスターするのは不可能かもしれない。