エチオピアはケニアより早くマラソンに進出してローマから五輪三連覇を果たし、ミュンヘンでも
銅を取った。それでもケニアほどマラソン界を席巻するに至らなかったのは、政治的な不安定性
(帝政=>社会主義的軍事独裁政権=>内戦=>不安定な連立政権)と貧困、英語が通じないために
エージェントが入りにくい等様々な理由があろう。彼のマモ・ウォルデも帝政崩壊後にメンギスツ
政権下で逮捕され9年も投獄された程であった。
しかし、アフリカ史上最初の金メダリストであり、五輪二連覇を何れも世界新で飾った
アベベ・ビキラこそ史上最強のマラソンランナーであろう。特にローマでは途中で靴を脱ぎ、
裸足で走った事でも名を馳せた。ローマ五輪の下馬評は世界記録保持者のポポフ(ソ連)が優勝候補
に挙げられていた。涼しい中、20キロでは早くもラジ(モロッコ)とアベベをマギー(NZ)と
ポポフが追う展開になり、暫くするとラジとアベベの一騎打ちになり、その体制は陽が落ち
暗くなった40キロ過ぎ迄続いた。しかし40キロ過ぎのアベベのスパートにラジは付けずゴールでは
25秒もの大差がついた。そのレース映画が
https://m.youtube.com/watch?v=i_zRr9KOFWE
である。