尺の都合があるからあの内容でよかった
→だったら中途半端に山王戦をやらずに尺に合わせた新しい話を描き下ろした方が良かった。映画に原作者が携わる1番の利点を生かせてない。

桜木花道じゃ共感できない
→怖い見た目のデカい不良が実は繊細で何かを初めてやってみるという設定が低身長という共感ポイントに負けてるとは思わない。
読者目線で言えば共感の先には応援がくるようにしなきゃいけない訳で、家族間の不和にいじけ続けチームメイトを理解の無いものとしてバスケをしている宮城より、文句を言いつつも新しい事にチャレンジし素人からチームに欠かせない存在になる花道の方が共感更に先の応援したくなるキャラだと思う。
映画の宮城は共感より可哀想な境遇による同情の割合が多い上に宮城自身が悩みに対してほぼ何の努力もしていないから、応援する気にもならないし最後に繋がるものも無い「持ってない人間」が神様から結果だけ与えられても共感できない。

映画を賞賛する人達が言ってるのはだいたいこの2つだけど、もっと良い道はあったと思うんよね…