話の流れを読まずにカキコ

新海誠監督のここ三作はいずれも、作画の美麗さに加えて、
「音楽」の力をそれぞれ少しずつ違えて使うことで、
その杜撰とさえ思えるプロットを補って余りあるような、
統一された物語を創造している
音楽の実質と音楽の形式の存在は、新海誠作品の、そして『すずめの戸締まり』の根幹であり精神であるようにおもわれる

音楽とは時間性の近代的隠喩であり、人間の有限さ、出生して成長し、やがて死すべき存在としての自己の自覚の上に成立する時間芸術だ
ところでAIは不死の存在であり、人間と同じ意味で時間観念を理解することは原理的にできない
生成系AIが新海誠作品にそっくりで、同じくらい優れた作品を「生成」することは、原理的に可能だろうか?

出来立ての自家製コーヒーリキュール一杯を一気飲みしたところ、こんな考えが浮かんだので、スレ汚しスマソ