片渕監督の作風というのは、高畑に近くてアニメで「論文」を書いてる感じ。
だから、一般人にはなじみ難いところがある。
普段から堅い本を読むような読書好きでないと楽しめないかもしれない。
情報量が多いから、知識豊富な人ほど、いろいろなところに気がついて面白いだろう。
対して宮崎は、アニメで「絵」を描く天才なので、一般人でも子供でも面白く見られる。
人気とか世間の評価では、どうしても宮崎のほうが抜きん出ている。
片渕監督や高畑は、そのストイックな性格からか、「ためになるアニメ」はつくれても「楽しいアニメ」が作れない。
これは欠点だ。

ただし、ここ数年の宮崎は才能を枯渇させて、あえいでいる感がある。
子供を楽しませるアニメを作れなくなってきたことを、本人も自覚して、
引退すべきか、より高みを目指すか、考えあぐねているようだ。
一方、片渕監督は、アニメというものの研究を重ねることで、自分の欠点を克服しようとしている。
「ためになるアニメ」だけでなく、「楽しいアニメ」をどう作るか、
「マイマイ新子」で一つの答えを出し、「この世界の片隅で」で昇華させたのは見事だ。
片渕監督の作風とマッチした原作と出会えたことも幸運だった。

片渕監督の作風というのは、彼個人の興味から来る。
「昭和初期、戦時中の一般人の生活とはどのようなものだったのか?」
監督自身がそれを知りたく思い、監督が知りえた情報を、アニメとして見せてくれている。
けして「戦争はいけないよ」という気持ちを語りたいわけではない。
語るとしても、昭和初期の一般人が、戦争についてどう思っていたかを、色眼鏡なしに、
「昭和初期の女性は、こう思っていたのである」という論文として提示しているわけだ。

本編に旭日旗や韓国旗あえてしのばせているのも、それで何か思想的に語りたいわけではなく、
ある思想を持ってる観客を挑発して気持ちをゆさぶってやろうという魂胆しかないのだ。
それもまた面白みであるわけだからな。