考察スレの方に書いてるけど、繭五郎大火前の宮水神社は糸守湖南東の宮入地区にあったんじゃないかと思う
糸守はもともと宮水神社の社領なので参道沿いが市街地になるのが普通なのに、今の位置は明らかに不自然
現在の宮入地区は地図上に記載があるものの、人家も灯火もなく改変前新聞の被害一覧にも載ってないので全くの無人と思われる

繭五郎がもし故意とすれば、糸守を宮水の支配から解放したいという目的があったんだろう
宮水神社を糸引川より北に追いやることで市街地への影響力を低下させた
江戸時代であれば糸引川に架橋はなく(架橋は幕府による制限が厳しかった)、交通は渡しがメインになる