うーん、やっぱりこの流れになっちゃいましたね・・・。
あくまで一般論だけど、一神教か多神教か、政治が宗教へどの程度依存しているか
で変わるっていわれますね。

考えてみると、日本でも文化財の多くは神社・仏閣・像といった宗教的なものですし、
修学旅行で京都へ行くと、見学する場所はやはり寺などの仏閣といった宗教施設ですし・・・。
あと、大半の人が町内会の七夕祭り・盆踊り・お神輿・縁日を無意識に受け入れて
いて、わざわざ「特定の宗教による宗教儀式」だって考える人は少ないと思います。
逆に、特定の宗教の熱心な信者ほど、「学校の七夕祭りを特定の宗教の儀式」だと
抗議して中止させたりしていますし・・・。

結局は突き詰めると、マティの「この世に全く不必要なものなんてないと思ってる、
そこにいること自体誰かが必要と認めている」といったように、
『良い悪いは別で、存在しているものは誰かが必要としている』にしかならないん
じゃないかな・・・。