【伊藤計劃】屍者の帝国・虐殺器官・ハーモニー8 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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虐殺器官実写化って韓国の監督がハリウッドでだっけ?
2015年辺りに出たニュースだから記憶が朧気だ
8/16に秋葉原で三部作連続上映するからチケット取った
ここのスレにいるような人たちは行く? 虐殺器官は観たいかなー
また同じ所でビクッとするかも >>522
連続で観る気力ないけど虐殺とハーモニーは観たい >>522が言ってるのはドリパスってサイトのやつか
調べてみたらそれぞれ選べるんだね
予約数は自分があんま好きじゃない屍者がナンバーワンだったから人の感覚ってそれぞれだなと感じたわ
虐殺
https://www.dreampass.jp/e1582
ハーモニー
https://www.dreampass.jp/e1593
屍者
https://www.dreampass.jp/e1583 >>526
私は虐殺が一番好きだけど、一番アニメっぽくてキャラ萌えできるのは屍者だから、予約数がナンバーワンなのはなんとなく分かる 虐殺は話が重いので娯楽的に見れる屍者が無難なのかも コメントは屍者が一番多いな。
虐殺と地獄の黙示録の気が滅入る2本立てをする映画館出てくるかな?
戦闘シーンだけを編集して2本で1時間の上映ならお客さん入りそう 言われてみれば虐殺はどんよりする話だな
最後のこれが私の物語だのセリフと指パッチンにEDのせいでアゲアゲな終わりの印象があったが 子供の頭をポンポン吹っ飛ばす話だから、人は選ぶわな 【皇室】秋篠宮妃“紀子さま”と“美智子さま”の『異常性』〔心理学悪用編:小室眞子さま〕★2
ICU大学時代、山守さんも小室さんも同じスキー部員だったとの話。
そのスキー部に眞子様もいた事実。
少ない人数のスキー部内で男を、とっかえひっかえの眞子様。
しかも小室さんに乗り換えた後、山守さんも居るスキー部で活動継続。
小室さんに騙されたとかいう風潮は、あまりにもおかしい。
2012年の留学中に英国で知り合ったアジア人や日本人とも関係を持って・・・(以下略)
詳細は、以下のスレッドでどうぞ!!
〔2chのスレッド〕:https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532735877/
〔記事元〕:http://www.laf.im/yahoo_co_jp-news-20180703 屍者の帝国を読んだ
アニメの方は未視聴だが、原作はかなり面白かった
登場人物は一部を除き、ほぼ全員が古典文学か実在人物からの引用だから、文学的素養の乏しい自分にとっては、特にアフガニスタン編が難解だったな
カラマーゾフの兄弟もフョードロフの思想も知らないので
でもジェームズ・ボンド好きの自分としては、マイクロフト・ホームズ=Mという設定だとか、ウォルシンガムのQ部門だとか、
ところどころに007愛を感じられて大変楽しめた
欲を言えば、かっけぇ車とシェイクしたマティーニとワルサーPPKが登場して欲しかったところだけど、時代設定としてはどれも存在しなかったから仕方ないか
ところで質問
物語の終盤で意識を獲得したフライデーは、これから何をするのだろう?
そもそもフライデーは、ロビンソン・クルーソーの同名人物であり、Noble savageの代表格でもある「フライデー」からインスパイアされたキャラなんだろうけど、元ネタが元ネタだけに悪い予感しかしない
Noble savageという言葉自体、ホッブズの唱えた「万人の万人に対する闘争」の代名詞のようなものだし ホモの印象がひたすら強かったからホモ部分がすっかり全部アニメオリジナルと知って驚愕した 何でオランダ人のヴァン・ヘルシング教授がイギリスの諜報組織であるウォルシンガム機関の下で働いてるんだ? 虐殺器官観た
考えさせられる内容で結構面白かったで
まあ欲を言えばもっと可愛いショタっ子を殺すシーンがあれば尚良かった 屍者の帝国の世界って、グラント元大統領が言ったように
中国やアフリカで村々が消えてしまうほど屍者の需要が高まってるんだっけ
作中では言及されてないけど、「人間牧場」とかありそうで嫌な世界だな
炭鉱堀りや煙突掃除が得意な子供の屍者とか、重労働や従軍が得意な大人の屍者とか、様々なニーズに応えた屍者を提供するために、生きた人間を飼育している企業がありそう 屍者やっと見た
原作読んでないからなんともって感じなんだけど、主人公含め登場人物の行動原理がいまいちつかめなかった
映像はきれい
いろんな設定省かれているような気がしたし、原作読んでから見たほうがよかったかな 劇場版の行動原理は┌(┌ ^o^)┐だけど、原作は流されてるだけで行動原理らしいものはなかった気がする。
強いて言うなら知的好奇心? その「仕事するよ」っていうところの動機が特になかったんじゃなかったっけ 「わたしは女王陛下の(ハー・マジェスティ)の臣民(サブジェクト)です」
が原作におけるワトソンの行動理由だった
要するに愛国心だな
そういうわけで元々、彼はロンドン大学医学部を卒業後、軍医としてネトリー軍病院で研修を受けてからインドかアフガンで従軍する予定だった
(この設定はコナン・ドイル版の原作でも伊藤計劃版の本書でも共通)
そんな時にウォルシンガム機関に務めるヴァン・ヘルシング教授と出会う
ウォルシンガム機関は首相直属で動く外務省の一内局であり、女王陛下の諜報機関であるから、自分の知識を活かせるなら軍医よりこっちの方が、というわけでワトソンは諜報員の道を選んだ
なお後々、アメリカ大陸横断鉄道のシーンで、ワトソンはウォルシンガム機関と対立し、追われる身となる模様
つまり女王陛下の敵、大英帝国の敵になったというわけだ
(ラストシーンでまた和解するけど)
この辺りのワトソンの心理変化や行動原理は細かく描写されてないからよく分からん 原作のワトソンの中途からの動機は、ハダリーへのスケベ心だよ Apple WatchがどんどんWatch meっぽくなってく… 伊藤計劃の作品って感動成分がないな
短編集から長編に至るまで、そこはかとない死の匂いとドス黒い絶望感に満たされて、救いというものがまったくない
刻々と死期が迫る中に病床で描いた作品に、救いを求めるというのがそもそも間違っているというのは分かってるけど
ハッピーエンドと呼べるのは、メタルギアソリッド4のノベライズ版だけか
主人公は壮絶な闘いの末に老衰で亡くなるものの、主人公が守ろうとした自由な世界と若者たちの未来は守られ、ついに平和な世界が訪れた
伊藤計劃の作品としては唯一読後感が爽快だ 絶望感というより、ひたすらな生への渇望と羨望が透けて見えてると思うがなぁ
特にハーモニーなんかは 安易な感動成分を持ち込んだりしないドライな作風が魅力なんじゃん
寿司屋に行ってハンバーガーが無いって言うようなもん 感動、というか希望が欲しいのだ
虐殺器官では全人類の殺し合いという形でラストを迎える
ハーモニーでは殺し合いの果てに全人類の意志喪失というラストを迎える
そんな世界終末時計の針をゼロにしたような結末ではなく、生が輝くラストを見たいのだ
人殺しからも虐殺言語からもWatchMeからも解放された自由の世界。そこで平和に満ち満ちた生活を営む、希望に溢れたラストを見たいのだ
自分のワガママというのは分かってる ハーモニーのラストは幼年期の終わりに通じるものがあるな
あれを絶滅と見るか進化と取るかで、評価は変わるだろうが >>553
じゃぁよその店に行け、という感想は変わらんな。
あんたにとって伊藤計劃作品が性に合わないのと同様に、
伊藤計劃作品にとってあんたは客じゃないんだよ。 >>555
そのよそのお店がないのが現状だからな
あの堅苦しくも傲慢でもない、頭にすっと染み込むような文体を書ける人はなかなかいないし、
また軍事戦術やSFガジェットに詳しくて、医療工学や行動心理学、文学にも明るい作家というのもなかなかいない
伊藤計劃は確かにこの分野で金字塔を打ち立てた作家だった
だから皆で悼んでるんじゃないか
何を言ってるんだ >>556
いや、伊藤計劃作品に「希望に溢れたラスト」をないものねだりするような態度こそが「何を言ってるんだ」としか。 >>557
伊藤計劃が絶対にハッピーエンドを書かないという作家だと思い込んでるのなら、それはお前が単に著作を読んでないか読解力が足りないかのどちらかだぞ
短編集すら読んでないんかい 表面的にハッピーエンドなら必ず「希望に溢れたラスト」だと思ってしまう人の読解力について。 希望というのがどういうものを言ってるのかわからないがトァンが拒絶したように自由意思を持つことの出来ないない世界なんて生きながらにして死んでるようなもんだろ 意志を失うんじゃ無くて、意識を失うってことじゃ無かったっけ 意識を失ってたらそれじゃただの植物人間
ミァハの一族のように一見普通に意思があるように見えて合理的な選択のみを行うロボットのような存在、そこに感情は何もない
人類全体が一個の思考に統一されたかのような世界になるわけだからあっという間に停滞する世界になる
不変性という意味ではかなり平和な世界ではある差別も争いも格差も無くなるわけだからな 蟻や蜂などの昆虫に近い存在になるのかもしれんな
集団の存続という目的のために、人々はそれぞれ最適化された行動を取るようになるのだろう
朝起きたら服を着て、食事時になればご飯を料理して食べ、割り当てられたスケジュール通りに勉学や技能獲得、仕事に励む
でもそれは社会を維持するために必要だから自明的に行われるのであって、個人個人には、意志も思索も葛藤もこれっぽっちもないのだ
言ってみれば、エヴゲーニイ・ザミャーチンのディストピア小説「われら」に近い世界なのかもしれん。かつてソ連が目指した理想社会が、伊藤計劃のハーモニーで実現されたのだろう 関係ないけど
ヒトは自分の意思で自由に行動してるように見えるが実は全て生体内の化学反応による必然的な行動って説が好きだよ その後科学技術の発展があるかどうかだけど、意思の有無が発想や閃きの有無につながるかは分からんな >>564
「意識を失う」という表現はたしかに日常的には「眠りに落ちる」「覚醒状態でなくなる」的な意味で使われるけど、
>563が言う「意識」とはそっちの意味ではなくて、
いわゆる自意識、自分が何かを感じたり考えたりしているという事が自覚されており、
自分の中にそのような主体が確かに存在しているという感覚のことでしょ。
ハーモニーの影響下にある人間からはそのような自意識は失われ、
外から見ればちゃんと何かを主体的に考えたり感じたり自分の意志を持って様々な行動をしたりしているように見えるが、
その内面にそのような思考や感覚や行動を意識している自分というものは存在していないんでしょ。
哲学的ゾンビというやつだな。 真に社会的な存在で構成される人類社会は一個の生命体のように振る舞うのかな
ハチやアリみたいに ふとガイア理論は発達したAIネットワークから殆んど無視されてそう 第四世界に生きる主人公達が哲学的ゾンビと化した一般ピーポーを狩りまくるサバイバルACTゲームとか出そうぜ 全てが自明で選択される世界において、人は自分の命を守るために行動するのか、社会の存続のために行動するのかどっちだろう? もし伊藤計劃が屍者の帝国を完結させていたらどんな物語になってただろうか? >>567
ハーモニーの「私」の喪失は、自我(私)の獲得も人間の進化によるからその機能を退化させる事も進化の道筋としてあるよって感じかな 屍者の帝国のストーリーって、端的に言えば、
「ヴィクターの手記」「ジャーンの書」には無数の解釈の方法があって、
それのせいでワトソンとザ・ワンとハダリーとフライデーとMとロシア人と日本人がそれぞれ食い違った解釈をして翻弄されていくというものだよな
これって要するに、伊藤計劃の残したたった数枚の原稿用紙を巡って、どう解釈したものかと円城塔と編集者が思案投げ首の体で何度も議論したという様子を暗喩したメタな話である気がするわ
つまり「ヴィクターの手記」「ジャーンの書」とは、伊藤計劃のなけなしの遺稿そのものを指すのだろう
小説のラストシーンでは、ヘルシング教授が「ジャーンの書」を指して、
「こいつも物質化した言葉の一種だ。あらゆる書物と同じくな。手記が勝手に存在するなら、書き手が存在する必要はどこにあるのかね?」
「考える時間は充分にある。結論を急がないことだ」
と言ってたけど、これは、
「伊藤計劃の遺稿について僕はこう解釈したけど、勿論他の解釈もあるんだよ。読者のみんなで考えていこうね」
っていう円城塔なりの問い掛けな気がしてならないんだよな
と、風呂に入ってたらそんな考えが浮かんだ なけなしの遺稿を元に円城塔が膨らませた話なのにそっからどうやって伊藤の考えを解釈しろと言うのかね Netflixで「虐殺器官」「ハーモニー」「屍者の帝国」配信してたんで3本続けて見た。
「屍者の帝国」がいちばん面白かった。「ハーモニー」がいちばんクソ。
「虐殺器官」は作画も演出も良かったんだがラストがクソ。 どこら辺がどうクソなのかを書かないと話題的に面白くないぞ 理想の虐殺ラストは何だろうか
ハリウッド的には、ルツィアを助けて愛の逃避行かな
ジョンを連れ帰って、院内総務と戦うシリーズ化を狙うラストもありか。
ジョンカーペンターっぽく行くなら、ラストは核戦争が起きてアフリカだけ無事って展開か >>596
伊藤計劃的にはあのラストがハッピーエンドだったのかもしれん
俺はもうすぐ死ぬから皆も一緒に死ね!死んでくれないならせめて小説の中で殺してやる!
っていうのが彼の願いであるような気が 原作のクラヴィスは最後自暴自棄というかヤケクソだったけど映画はもっと能動的だったよね
ルツィアの意思でない事は理解しつつ、自分の意思で虐殺文法をばら撒く
映画版はジョンをカフカの城に例えたオリジナルの独白が好きだったけどここの人的には映画の改変部分の評価ってどう? ヤケクソだったのはむしろ映画版で、能動的だったのが原作版だろ
更に映画版はジョンから明確に文法を託されている
しかも「それがルツィアの為でもある」的な事迄言わせているのに、結果それを裏切って虐殺の文法をばら撒いている
そして原作版のシェパードはバラード的世界に対するフェティッシュな感情を持っている点は描かれていないから
動機の全てがルツィアに対する恋愛に収束してしまっている
一方で原作版は、主人公はハナから終末世界の光景を望んでいた訳で、
その点においてはジョンの理想とかルツィアへの想いとかは実はあんま関係無くて、確信犯的行動だったりする 間違えた
ヤケクソだったのはむしろ映画版で、能動的だったのが原作版
映画版はジョンから明確に文法を託されている
しかも「それがルツィアの為でもある」的な事迄言わせているのに、結果それを裏切って虐殺の文法をばら撒いている
そして映画版のシェパードはバラード的世界に対するフェティッシュな感情を持っている点は描かれていないから
動機の全てがルツィアに対する恋愛に収束してしまっている
一方で原作版は、主人公はハナから終末世界の光景を望んでいた訳で、
その点においてはジョンの理想とかルツィアへの想いとかは実はあんま関係無くて、確信犯的行動だったりする >>599
私も劇場版のカフカの城のたとえは原作にない良い改変だと思う。
>>601
私は逆の印象かな。
クラヴィスは罪の意識を感じずに人を殺す兵士として、ルツィアの願った真実を伝えて、罰を受けなければならないとも思ってたんだと思う。
ただ、自分達以外の世界に地獄を押しつけて平和でいるアメリカ人も罪を背負っているのだとしたら、自分と等しく罰を受けなければならないと考えたのかもしれない。
作者は劇場版のパトレイバーが好きだったみたいだけど、後藤さんと荒川の会話のシーン(あのシーンは私も大好き)にあった「正当な対価を余所の国の戦争で支払い、そのことから目を逸らし続ける不正義の平和」が劇中のアメリカで、
「そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下される」「神がやらなきゃ人がやる」のがクラヴィスだとしたら、あの結末はどうあっても避けられなかったのかもね
原作の方は、母親が自分を見ていなかったことに受けた虚無感(穴?)に、虐殺の文法が滑り込んできたって言ってる。
「ここ以外は静か」ってただの詭弁で、あれは「皆も自分と同じ虚無に落ちろ」って言ってるようにも読めた。
ああいう虚無的というか鬱のような心理的な状態って、感覚したひとじゃないと多分分からないものだと思うし、それを病魔に襲われた作者が味わっていたとしてもおかしくない。
だからヤケクソとはちょっと違うと思う。 漫画では、母親以外にも、死んだ隊員が
「お前の所為でみんな死んじゃったよ」
と言われて「ルツィアぼくを罰してくれ」と
母親以外に心変わりしたから、アメリカを滅ぼしたのかも ただし、強化形態で龍騎並みとやばいことになっている だが、オーディン並みのリュウガサバイブとも互角に戦うことができる 更により強力な形態が存在し、攻撃力は15000もある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています