「地下幻燈劇画 少女椿」を観る。監督・脚本・演出・作画・製作(!)は原田浩(絵津久秋)、
原作丸尾末広、音楽J・A・シーザー。1992年。原作は未読。なお作画監督は置かれてないらしい。
原画のすべてを監督ひとりが描いたという噂だけど、ほんとかね? スタッフロールはそれっぽいけど。
あとwikipediaでは、ゲリラ興行や映倫との角逐、税関でのマスターフィルムの没収と破棄など
目を疑うエピソードが縷々綴られているが、話を盛ってないとしたら表現の自由への死闘だな。
そして公開場所が映画館でなく、東京都武蔵御嶽神社となっているんだが、一体全体なんだこりゃ?
で、内容も相当に凄まじい。人間の生命力がそれじたい怖さと醜さを孕んでいて、
その猥雑な土壌からこそ力の渾もった美が生まれもするって真実をこうも描けた点は、
逆襲のシャアとウテナをさえ上回るかもしれない。地下幻燈劇画の麗名にふさわしい出来だ。
セルではなく水彩画で作画したらしい点もそこに寄与している。シーザーの音や声優の怪演もな。


「二度と目覚めぬ子守唄」を観る。製作・脚本・作画・助監督・監督は原田浩。1985年。27分。
きわめて烈しい怨恨を抱え込まされた人々が、その激情に流されきらずに
なんとか創作欲に昇華なしえた、そういう種類の作品だ。
小説や漫画、絵画などでは同族をたまに見るけど、基本的に集団制作のアニメってジャンルでは初見だな。
(パト1における押井氏の、東京のビル群への憎しみは、かすっているかもしれないが)
時代設定は三里塚の闘争あたりだろうが、2021年現在観ても相当のインパクトがある。
人間の憎しみを掬いうる作品のひとつだ。
オカルト板のかつての名スレ「本当にやった復讐」とか、既婚女性板のとびぬけて
やばかったいくつかのスレみたいに、こういう怨念は時代を超えて不滅なんだろうな。
現代の本職のアニメ作家は、このジャンルに誰一人手をつけられてないけど。おそらくもののけ姫でさえ。


「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を観る。96分。10年ぶりくらいに二度目の視聴。
脚本・監督押井守、演出西村純二、美術監督小林七郎。高橋留美子の原作は、大昔に少しだけ読んだ。
問題作だし、嫌いな作品じゃ全然ない。でも偉大なる某言霊使いの酷評も分かる気がする。
夢邪鬼やメガネに語らせすぎるのが、この監督の重大な弱みのひとつだ。俺の凡人な視点からすれば。
パトレイバー2の後藤隊長とかもそうだけど、結局それは作り手が
物語を(あるいはそれを成り立たせるダイナミズムを)信じ切れていないからだと解釈するから。
夢邪鬼がラムに惚れ込んだんなら、抱きつくなり肌身を触れ合わせるなりさせればいいじゃん。
「世界が虚妄だ、というのは一つの観点であって、世界は薔薇だ、と言い直すことだってできる」
って三島由紀夫だかの言葉をついつい思い出す。胡蝶の夢だのって言葉にせよ、
なぜそれが「胡蝶」「邯鄲」という美しい表象で語られてきたのかって話じゃないの?
「ビューティフル」ドリーマーっていうタイトルにひきつけるならば。
あとオーディオコメンタリーはかなり興味深かった。エッシャーを構造ごと本作に取り込んだあたりの
押井氏の物言いは面目躍如だ。それと劇場版アニメのレンタルDVDに監督のオーコメが
ついてたのって、これとマイマイ新子の片渕とガンバの冒険の出崎くらいしか覚えがない。
全員超実力派だな。サービス精神も兼ね備えていてありがたいことだ。


「劇場版銀魂 新訳紅桜篇」を観る。95分。高松信司監督。原作などは未読。
かなり笑えるシーンが散見できたし、これはこれで充分だと思う。
なんか冗長な台詞が多かったけど。


「しあわせの王子」を観る。19分。
演出富野善幸。原作オスカー・ワイルド。作画監督辻伸一・広野正之。
この短さで作画監督がふたりもいるってのは、海外作品を含めて初めて見た。
大半は止め絵だが、ツバメの飛翔だけは綿密に、軽やかに描きこまれ、爽快感さえある。
他のパートをすべて捨ててでもそこの絵だけは生かしたいと、たぶん演出家が望んだんだろう。
教育アニメとかいうどうしようもないジャンルでも、志ってのはきっとそういうことなんだろう。
ラストの、満月の周り以外はかなり夜闇に包まれている一枚絵も好きだ。意思を感じるから。