>教育勅語は「普遍性を持っている部分もある」
という点については、
「父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、」
「人々に対して慈愛を及すよう」という点については同意しても構わない。
(教育勅語の全文通釈から)

が、
>「皇室の隆盛」=「国民の隆盛」と理解する。
>皇室と国民は一体である
この点については、明確に同意できない。
「万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。」
では、『皇室国家の為に』と述べられ、臣民(国民)には触れていない。

さらに、
「ここに示した道は、(中略)皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。」
では、『子孫たる者及び臣民たる者』と子孫である者と臣民である者が明確に分けられている。
つまり、皇室と国民は『別』であり一体ではないとしか読めない。

教育勅語の一部分に普遍性があるかもしれんが、「いざとなったら天皇と国のために死ね」という「思想」を
受け入れる気はない。

ただ、「愛国心」そのものを桑原聡のように否定する気はない。
>「愛国心とは、不満を抱えた弱者たちの最後の避難場所である」というは余りに短絡だ。
リベラルで左がかった俺も『不満を抱えた弱者』であることに変わりはない。
新自由主義とグローバリズムの中で>「私的利益ばかりを追求している」大企業にルールを作り、守らせ
税金を納めさせ、分配し「国民国家」が豊かにしたいという「愛国心」なら受け入れられる。