これは時効だから話すが、当時中野会の宅見暗殺事件当時、中野を本家若頭の宅見の後任に推すグループがあった。
それが中野の若頭就任時には若頭補佐への起用を約束されていた池田組の池田孝志在日や中野の弟分である一心会の川崎等であった。
ここに弟分の当時渡辺の組長秘書だった井奥会の井奥文夫等が含まれていた。
これには状況証拠もある。
井奥会の残党や井奥会の会長代行だった庄司や、中野会至龍会の残党、池田組若頭として高山組に射殺された高木も中野会傘下組織の所属で事件後、池田組に移籍している。
ここに山口組若頭補佐で関東ブロック長になり、後藤忠政の上に立つ瀧澤も含まれていた。
瀧澤や関東ブロックはシノギで宅見とシノギがバッティングしてギクシャクしていた。
瀧澤は宅見と渡辺中野ラインの風見鶏で宅見グループである反面、宅見暗殺事件前に都内ホテルで中野と密会していた。
なので瀧澤は宅見暗殺事件を事前に知っていたのではないかとも言われている。
中野会の返しのターゲットは桑田と山健組、古川組、弘道会等であったが、瀧澤は返しのターゲットではない。