渡辺は、栃木から浅草に来て、そこで博打をよく打っていた。
そこでいろいろなヤクザと交流があって、山健に入ってきて、
すでに若い時代から、なんと山健の若頭をつとめていた。
山健の中でも三羽ガラスとかで競争しあって若頭になったのでなくて、
最初から若頭になっていた。一和会との抗争中、すでに渡辺は健竜会の若頭として、
戦っていて、しかもあの竹中組、弟が組長となっている竹中組に対して、
先鋒の陣を構えていた。渡辺は抗争の先鋒を常に構えていた。
武闘派をかってでていっているのであるように推測している。
五代目組長になってから超武闘派になったのでなくて、組長になる前から
超武闘派だったのが渡辺だったのである。イケイケの山健の象徴が渡辺だったのである。
誰もが四代目竹中と若頭の二殺があって、その山健の若頭になるの躊躇していたところ、
渡辺が座った。一番、残一和会から狙われるポジションなのに、平気で
座った。誰も座りたがらない、いや座りたがっていたが、もめて、まとめて、
渡辺がなった。弘道会の場合は、もめもしない、まとめもない、
いきなり司忍が組長に座った。だから割れた。分裂武闘派組と言われている。