堀さんが亡くなった時期に跡目候補が次々と亡くなり、半分棚ぼたのような形で西口氏に跡目がまわってきたので、
不安定な政権だった。当時警察や関西との勢力争いで盤石な体制が必要だった。そこで幸平の先代(築地氏)が他の二次団体に掛け合い
半ば強制的に盃を直させた。(「直さなければウチ(幸平)と喧嘩だ」と言って)