【最後の】和久井一朗とその時代 4【極道】
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先月、ある一人の元ヤクザがこの世を去った。
森崎康幸氏である。
現役当時、地元を守る古き良きヤクザらしく生きた森崎氏の葬儀には、カタギ衆が多数訪れていた。
森崎氏はカタギに迷惑をかけないのは当然で、カタギを守るために体を張り、シノギは賭博のみという生粋の任侠人だった。
自身の組である森崎組を大きくしようとすることには興味などなく、若い衆も3人ほどしかいなかったのだ。
しかし現役当時は、誰もが認めるヤクザであった。
そして斯界の超大物と兄弟分でもあったのだ。
その兄弟分とは、十七代目緋川一家の和久井一朗総長である。
森崎氏の葬儀には、和久井総長も訪れていた。
少し微笑んだ顔の森崎氏の遺影は、和久井総長との再会を喜んでいるようでもあった。
和久井総長はその遺影を真っ直ぐに見つめている。
昔のことを思い出しているのであろうか。
2人の出会いは、今から30年以上前になるという。
【続きの購読は無料です】 葛西のところも所帯はそんなに大きくない。
けどちょっと動いただけで
詫び状取って来れるのは相手が弱いだけ。
そんな相手に手こずる喜村が器量無し。 取材班には万年修羅場の喜村組に潜入取材をして欲しい 和久井君もだいぶ成長したけどまだまだひよっこやったわな! >>126
おまはん何言うてるねん。和久井君今年で70やで。
まだまだこれからやな。 バブルの頃は和久井親分と空き缶ひろいの凌ぎで
ブイブイ言わしたもんや バブルの頃は和久井はまだチンポの皮も剥けてない小学生やがな 和久井親分の愛娘さんとええ仲なんはここだけの話やで
この前、十三の喫茶店で一緒にみつまめ食べたわ 十七代目緋川一家若中であり、大瀬組を率いる大瀬達仁組長。
その大瀬組長が、間も無く刑務所から出所する。
今回の服役は18年だった。
前回の服役は16年だったので、34年間も塀の中で過ごしたことになる。
16年の刑から娑婆に帰ってきたときは、盛大に放免祝いが行われた。
大瀬組長は、現在緋川一家総長の和久井一朗親分が率いていた和久井会の出身である。
抗争事件による服役だったこともあり、出所後は和久井会の若頭補佐に出世した。
そして和久井親分から「一年ほど、のんびり温泉巡りでもして、刑務所の垢を落としてきたらいい」との言葉をいただいたそうである。
しかし大瀬組長は「長きに渡って留守にし、親孝行をできませんでした。親分のそばで孝行させてください」と言い、和久井親分や組のために仕えたという。
しかし、出所から半年後のある日、和久井会全体に激震が走った。
和久井会本部に銃弾が撃ち込まれたのである。
本部は、組員たちとって聖域であるのは言うまでもない。
和久井親分は、本部に銃弾が撃ち込まれたこと自体より、近隣住民を不安にさせてしまったことを嘆いた。
【続きの購読は無料です】 大瀬組長がその報に接したのは、事件から30分後だという。
単身、相手事務所に乗り込み撃鉄を起こした。
和久井親分が若い者に追わせたが既に事が済んだ後であった。 八尋が復帰するみたいだな。
若手はそっちに行くみたいだ。
割れるか? ここの若い衆が業務スーパーで見切り品のうどんいっぱいこおてはった。
和久井会でも暴対法には勝てんねんなあ。 防犯カメラを見ると、和久井会本部に銃弾を撃ち込んだのは、陽神会の組員だということが判明した。
陽神会は武闘派と呼ばれる組織ではあるが、和久井会と対立などしていない。
なぜこのようなことをしたのか見当もつかないが、和久井会組員の怒りはおさまらなかった。
相手の本部に銃弾を撃ち込む仕返しをした程度では、また和久井会本部に撃ち返されるかもしれない。
つまり近隣住民を再び不安にさせてしまうということだ。
そうでなくても、和久井親分は常日頃から「建物を弾いて何になる」という言葉を残している。
和久井会には、相手の組を壊滅させるという選択しかないのである。
自発的に12名で結成された和久井会による襲撃部隊は、早々に陽神会本部付近のマンションに潜伏。
見届役として、石村武彦若頭補佐が加わっていた。
指揮役は濱田悠一若頭である。
マンションから見える、陽神会本部は静かだった。
本部内に人の気配はあるが、何人ほどいるかは全く不明である。
血気盛んな襲撃部隊の若者は「突撃しましょう」と石村に何度も言った。
しかし、一気にカタをつけないと、跳ねっ返りが再び和久井会本部を襲撃することが考えられ、慎重にならざるを得なかった。
【続きの購読は無料です】 そんなとき、潜伏先のマンションに大瀬がやってきた。
石村は驚いた様子で「大瀬の兄弟は長い懲役から帰ってきたばかりだろ。この件には関わらないで、ゆっくりしてくれ」と言った。
大瀬は「組がこんなときに、ゆっくりなんてしていられない」と返事をした。
結局、その日は夜まで、陽神会本部に人が出入りすることはなかった。
いまだ、本部内に何人ほどいるのか不明なままである。
和久井会の襲撃部隊は、ひとまず仮眠をとることになり、石村は「若い者はみんな仮眠をとってくれ。見張りはオレがする」と言った。
襲撃部隊の若い者が眠りについた後、石村と大瀬は静かに語り合った。
石村が渡世入りしたころ、和久井会の古参組員から聞いた話が、話題の種だった。
和久井親分がまだ若い当時、かつては大組織だった田嶋組と抗争になったそうだ。
和久井会は、人数では圧倒的に不利だったが、何とか五分五分の喧嘩にまで持ち込んでいたという。
しかし、多数の子分が負傷している様子を見て、和久井親分は単独で、しかも丸腰で相手事務所に行ったそうである。
田嶋組の組員たちは敵のトップが急に来たことに驚きはしたが、すぐさま和久井親分を取り囲んだそうだ。
とはいえ、昔のヤクザ、とりわけ組長クラスともなれば、仁義をわきまえていたものである。
田嶋組の田嶋正勝組長は「お前ら、丸腰で来た相手に、手荒なことするな」と自分の配下の者を一喝したという。
【続きの購読は無料です】 しかし、田嶋組の中には、血気盛んな者もいた。
田嶋組で一番の荒くれ者だった近藤智昌組員である。
近藤は、和久井親分に対して銃口を向けたのである。
それでも和久井親分は冷静沈着で、銃口を見つめながら「撃ってみろ。一度銃を向けて、撃つのを取りやめたら、極道として一生の恥だぞ」と言った。
近藤は汗を流しながらも、指は引き金にかかっている。
田嶋組長は「おい、やめろ」と制止したが、近藤は聞く耳を持たない。
それどころか近藤は「今のうちにお前を叩いとかな、オレらのシノギに影響出るんじゃ!」と叫んだ。
和久井親分は鋭く冷たい眼光で近藤を睨みつけ、一瞬のうちに銃を振り払った。
そして田嶋組本部で大いに暴れ回ったのだ。
そこに和久井会の組員たちが到着し、結局、田嶋組の本部は無茶苦茶になっただけでなく、和久井会の追い込みにより、組を解散することになったという。
大瀬はその話を初めて聞き「さすが親分だな。オレもそんな侠気を見せたいもんだ」とつぶやいた。
【続きの購読は無料です】 事の始まりは若い者同士のいざこざだったそうだが、事態を聞いても
陽神会の会長は泰然としていた。
緋川一家全体を敵に回すことは陽神会の存亡にかかわる。それでも
会長は若い者を前にしてこういったそうだ。「わしは最後までお前らの
味方じゃ、たとえ、お前らに非があったとしてもじゃ」 その件では陽神の親方がいの一番に和久井のケツを舐めてたなw 和久井親分は、おでんの具は何が好きですかて聞いたら、一言コロ
そばにおった若いもんが、べんちゃらのつもりか「わしもおでんの具は
コロッケが一番好きです」ゆうとった。 それだけ斯界も穏やかだということだ。
万年修羅場の喜村組も暇らしい。 >>157
喜村の親分も散々暴れてきたんやしそろそろゆっくりしたらええねん若くないんやし >>158
オイオイ、喜村親分はまだ29歳やど!わらかすなボケ。 >>160
薬局やから万年修羅場やねん、
顧客から混ぜ物酷いとクレーム多いんよ。 和久井さんポンやめられないみたいね。みっともない。 取材班は異動で菱番みたいよ。
和久井の記事は価値なしって上が判断したんだって。 十七代目緋川一家が堪え難い悲しみに襲われた。
一家では顧問を務め、薮田組を率いていた薮田政重親分が病いに倒れ、息を引き取ったのである。
葬儀には全国から多数の親分衆が訪れ、それぞれが最後の別れを告げていた。
和久井一朗総長が、真っ直ぐな眼差しで薮田親分の遺影を見つめていたのが何より印象的だった。
和久井総長と薮田親分は、それぞれが渡世入りする前からの付き合いだ。
愚連隊として活動していた両者は敵対関係あり、大きな抗争で鉢合わせたこともある。
薮田親分の背中に残っていた日本刀の切り傷は、和久井総長によるものだ。
和久井総長の腕には残る日本刀の切り傷は、薮田親分によるものだ。
激しい喧嘩をした両者は、後年に再会した際に意気投合し、薮田親分は和久井総長の舎弟になった。
そして薮田親分は薮田組を立ち上げ、渡世を邁進した。
薮田組は300名ほどの組織だが、精鋭ばかりが集まっている。
薮田組の尾山実知雄若頭によると「うちの親分は、若い衆を連れて飲みに行くなどということはなかった」とのことである。
他の組織の親分衆や堅気衆とばかり飲みに行っていたそうだ。
尾山若頭は「嫉妬というか、なんでうちの親分は子分を可愛がってくれないのか」と思っていたそうだ。
しかし、尾山若頭ら子分たちが一人前になって、義理場などに顔を出すようになると、たくさんの親分衆や堅気衆たちが「薮田親分の若い人ですか。薮田親分にはお世話になりました」と言い、かなり良くしてくれたそうだ。
薮田親分は子分たちが渡世で生きやすいよう、至る所に種をまいていたのだ。
尾山若頭は「これほど嬉しかったことはないですね。しつけには厳しい親分でしたが、こういう優しさを知ったとき、涙が出ました」と語っていた。
そんな薮田親分はもうこの世にはいないが、まいた種はあちらこちらで花を咲かせている。
【続きの購読は無料です】 そんな薮田の二代目認めず家屋敷から全部取り上げたみたいだな。
カタギの息子のマンションまで持ってったらしいな。 >>179
薮田残党は二代目和久井会に吸収された。尾山なんか武田にペコペコしてた。変り身早すぎ。 134: 名無番長 2016/01/07(木) 17:32:24.63
京阪電鉄グループのケツ持ちは和久井会なんですか?
136: 名無番長
2016/01/07(木) 17:40:23.55
大昔の会長さんが和久井と小学校のある時期、同級生やった、ちゅう話。それを和久井
が「ワシは京阪グループ仕切っとる!」「ワシの一声で電車もバスも止まる!」言うて若いモンからも失笑されてた。定例会でも「アンタ、そればっかりやな」「(株が)上がりそうやったら教えてなw」皆に笑われてたわ。
139: 名無番長 2016/01/07(木) 21:25:56.32
まあ、実際和久井は宮之阪のスナックで酔いつぶれ交野線とめたことはある。身元引受人が中野会の山下はんやった。
140: 名無番長 2016/01/07(木) 21:50:40.09
>>139
リアル感ある作り話やめろ
141: 名無番長 2016/01/07(木) 22:50:18.13
>>139
交野?笑
142: 名無番長 2016/01/08(金) 01:27:19.83
>>139
和久井いう奴は山下に頭上がらん感じやな…笑 和久井親分、みやもっちをお供に連れてあっちこっちの立ち食い蕎麦屋行くのはええけど、
食うた後に店の新しい割り箸2膳も3膳も持って帰るのは、もう止めた方がええですよ。
店の若い衆とかおばちゃんたちに影で『割り箸コジキ』って呼ばれてますで。
可哀想にみやもっち、菓子折持ってて謝って回ってますわ・・・ 和久井から丸山の当番に入ったヤツ、また飛んだらしいな!笑 和久井の初犯は下着ドロ。ブツは枚方署の道場、床一面に並べられてニュースで放映された 十七代目緋川一家顧問の薮田親分が亡くなられて数日経った。
薮田親分は、晩年は入退院を繰り返しており、緋川一家の定例会には尾山若頭が代理で出席することが多かった。
尾山若頭が初めて総本部での定例会へ行ったのは、一年前の秋だった。
その際、尾山若頭は堂々としていたという。
薮田親分の代理で来ているという気概もあったのだろう。
そんなとき、緋川一家若中で二代目永村組を率いる松川厚志組長が声をかけた。
「ここは身内しかおらん総本部や。気を張ることもないぞ」という言葉だった。
尾山若頭は張り詰めた空気の定例会を想像していたが、まったくそんなことはなかった。
直参たちが和気藹々としている集まりだったのだ。
しばらく、松川組長と尾山若頭は雑談をした。
最後に松川組長は「俺は初めて定例会に来たとき、親分に10本包んで持ってきたんや」という話をした。
つまり、和久井総長に1000万円を上納したそうなのである。
しかし、和久井総長は一度受け取り、すぐさま1000万円を上乗せし、計2000万円を松川組長に渡したのである。
和久井総長は「気持ちは受け取った。そしてこれは永村への見舞金だ。親である永村を大事にな」と松川組長に言った。
永村組の永村初代は体調を崩して引退し、二代目を松川組長に譲ったばかりだったのだ。
松川組長は、和久井総長の器の大きさに感動し、自分の行動が恥ずかしく思えたという。
そんな話をしていたとき、いよいよ大広間に和久井一朗総長が入ってきた。
直参たちは正座し、一斉に挨拶をした。
それは決められた儀式的な挨拶ではなく、尊敬の念から自発的に行った挨拶だと、尾山若頭はすぐに分かった。
そして何と、和久井総長は尾山若頭に向かって「薮田のところの子だな?薮田は元気か?」と声をかけた。
尾山若頭は緊張のあまり「はい!」としか返事ができなかった。
斯界の頂点にいる親分に声をかけられた喜びと共に、緋川一家の一員である誇りを全身で感じた瞬間だった。
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