過去、大阪には様々な代紋があった。
有名どころでは松田組、倭奈良組、南一家、大野一家、九紋龍組、互久楽会、砂子川組、い聯合、淡熊会、土井組などがあるが、まだまだあったのである。
またお前かの人がいう直嶋義友会と藤原会も、その中に含まれる。

直嶋義友会は「松島の小寅」という異名持つ直嶋寅蔵を始祖とする直嶋一家が源流である。
松島というのは、遊郭が建ち並ぶ松島新地がある場所だ。
直嶋寅蔵は伝安一家の若い衆だった。
ちなみに、淡熊会や九紋龍組も、伝安一家系統である。

直嶋義友会の情報が少ないのは、何より非指定団体であり続けたことと、大きな抗争などの事件に関わってることが少ないからだろう。
西成の太子というところを拠点にし、右翼団体としても活動していた。
太子とは、大阪一の遊郭街である飛田新地にほど近い場所である。
また、直嶋企業連合会という名前で、港湾事業など正業にも力を入れていたのである。
なお、三代目の山田祐作親分が、藤田卯一郎親分らと兄弟分の盃を交わしたことは前述した。

また「東の卯一郎、西の卯一郎」と言われ、藤田親分と比較されてきた親分がいる。
砂子川組の岡田卯一郎親分である。
岡田親分は会津小鉄会の図越親分と兄弟分なので、藤田親分とは回り兄弟ということになる。

砂子川組は、滝井新地という遊郭街がある場所を拠点にしていた。
岡田親分の生まれは、京都府八幡の橋本遊郭がある場所である。
八幡といえば、中野会の中野太郎会長の本宅があり、理髪店襲撃事件があった場所だ。
ちなみに、中野会組員による砂子川組組員誤射事件も有名だろう。

ここまでくればお気づきだろうが「遊郭」という言葉が何度も登場した。
これだけでも、ヤクザと遊郭は密接な関係があったことがお分かりだろう。
チンを出してスケベなことをする裏には、いつもヤクザの存在があるのだ。