寒さもやわらぎ、厚着をしすぎると汗ばむ季節である。
一日働いた帰宅後、汗ばんだ股間を指でこすり、酸っぱい香りをツマミに晩酌を楽しむ読者も多いだろう。
太ももの付け根を指でこするぐらいならいいが、アナルさんを触ると爪にウンカスが入るのである。
さて、松葉会の話が出たので、久しぶりに松葉会の話に戻そう。

松葉会には歴史ある一家が数多くあるが、上萬一家もそのひとつである。
上珍一家と間違われることもあるが、上萬一家である。

松葉会の初代会長である藤田卯一郎は、上萬一家の五代目だった。
また、後に住吉一家四代目となる磧上義光も上萬一家の出身である。

上萬一家四代目だった高田宇吉の死去後、トップの座は空席が続いていた。
磧上は有力なトップ候補だったが、藤田もまた関東で広く名を売り出していたのだ。
藤田の兄貴分だった住吉一家三代目の阿部重作は、藤田が上萬一家五代目になるよう尽力。
その代わりに、同じように可愛がっていた磧上を住吉一家に移籍させ、自身の跡目を継がせたのである。

またそれより以前、上萬一家三代目だった石井亀吉が死亡したあとも、四代目が空席の期間があった。
そのときは、満場一致で志村九内を四代目に推す声があがっていたが、志村は「器ではない」と固辞。
その代わりにに「四代目格」という立場で一家をまとめ上げたのだ。

なお志村は、関根賢の親分筋である河合徳三郎と兄弟分である。
晩年にはテレビ局からの依頼で、ヤクザの実態に関する番組に協力した。
「日本の素顔」という番組で、盃事や賭場などのシーンが生々しく映し出されている。
テレビ局側が、顔役であった志村に頼み込んで取材したのである。
この番組は大きな反響があり、日本初のドキュメンタリー大ヒット作とも言われている。

なお、松葉会二代目会長の菊地徳勝も「やくざ残酷秘録」という映画に出ている。
安藤昇がつくった作品だが、どこまでがドキュメンタリーで、どこからがヤラセなのか不明な作品である。