またお前かの人が、チンを勃てながら、昔のヤクザの礼儀作法や慣習について言及した。
ここで、昔のヤクザに関する話を、関西ヤクザに移してみたい。

関西には、かつて義信会の津村和磨会長というヤクザがいた。
元々は大野一家にいたが、大野一家が山口組入りした際に独立している。
義信会自体もかなり組員少ない組織で、清貧を貫いていた。
どこにでもいそうな、気さくなおっさんなのだ。

しかし、四代目と五代目の山口組継承盃の媒酌人を務めたという事実が示す通り、ヤクザ社会では一目置かれた存在であった。
全盛期の加茂田重政に「今日の盃事で子分になる奴、一人増やしてもいいですか?」と言われ、媒酌人の津村会長が「乗り合いタクシーみたいに言うな」と怒り、加茂田に謝らせた話は有名だろう。

また、盃事の書きあげは、近年ではパソコンの書体を使って印刷したものが増えたが、津村会長は手書きであった。
けっして整った字ではないが、その荒々しい文字は、いかにもヤクザの盃事という雰囲気を醸し出した。
先代と当代が席替わりする際、テグスを使って瞬時に書きあげを落とす演出は、津村会長が考えたものだ。

しかし、過去に大野一家の大野鶴吉総長に対し「早く引退しろ」とカマシあげ、大野一家から絶縁された鳥羽正毅が、大野一家に戻ったことに怒り、津村会長は山口組と縁を切った。
鳥羽と山口組五代目の渡辺は昔からの兄弟分であり、渡辺の一言で鳥羽は復帰できたのだ。
それ以来、筋が通らないことをした山口組の盃事を、津村会長が手がけることはなかった。

ちなみに、六代目山口組の盃事は、丁字家会の吉田五郎が媒酌人を務めた。
その六代目山口組は分裂したが、分裂させた当事者に対し、吉田が「オレが媒酌した盃を割りやがって」と怒ったという話は聞いたことがない。