神戸山口組も4月に任侠団体山口組が離脱した後始末か、人事の手直しを始めた。

 それまでの舎弟頭、池田孝志・池田組(岡山)組長が舎弟頭を退き、「わしは舎弟の隅っこでええ」と言うのを、井上邦雄組長は世間体を考え、なんとか新設の「最高顧問」に納まってもらったという。

 事情に通じる関西の事業家が説明する。

「池田さんは井上邦雄組長のやり方にガックリきてます。もう好きにしたらええわ、わしは今後いっさい組織運営にはノータッチや、という心境でしょう。完全にやる気をなくしてます。今回の舎弟頭辞任は任侠団体山口組とどう向き合うか、路線をめぐっての対立のようです。

池田さんの言い分は、『神戸山口組は任侠団体山口組を仇にしている場合か。われわれが神戸を立ち上げたのは6代目山口組が現状のままでは辛抱できんという思いからだ。敵を間違えたら困る』というもの。

 これに対して井上さんは『そんなこというたかて、織田絆誠(任侠団体山口組代表)を放置したら、神戸も山健もぼろぼろにされてしまう。なんで織田をかばうんや』と、織田憎しで固まってます。

 池田さんは今のままだと、6代目山口組に高みの見物をさせるだけ。たいがいにしてくれ、と投げ出してます」

 気分や考えを池田舎弟頭と同じくする者は神戸山口組内に多数いるようだが、中でも入江禎副組長が池田舎弟頭と同じ考えらしい。井上組長のやり方についていけないと感じているようだ。

 おまけに一時は「山健にあらずば山口組にあらず」とまでうたわれた山健組の勢力に陰りが見え始めている。

任侠団体山口組は団体数で山健組の3分の1を引き連れて出たといわれるが、組員数でいえばもっと多く、2分の1を差し引いた勘定になるとか。

 そのため山健組の実数は1000人どころか、500人を割るといった信じられない数字まで取り沙汰されている。最盛期には実に7500人を呼号し、組内最大多数を誇った山健組がたとえ噂だけにしろ、激減する。時代の変化の激しさを感じざるを得ない。

 他組に比べればまだまだ大所帯だが、これで神戸山口組を守る戦力になり得るのか。どこと限らず、おおよそ組織改革は難しいようだ。