>>84
だってそうだろう。
これまでに、いったいどれだけ「地球と人類の危機」を疑似体験してきた思う?
SFの定番でしかなかったその言葉を現実の問題として捉え、対処してゆかねばならない最初の世代であるからこそ、
我ら四十の魂世代は幼少の頃から英才教育を施されてきたのかもしれないのだ。
 いま巷に流れる児童向けコンテンツを見てみるがいい。
ほとんどがカード上のデータか、パートナーとなるモンスターを駆使した代理バトル。
そうでなければ超絶的な能力を持った主人公が、友情パワーで地球も回してしまうお定まりだ。
我らの幼少期に活躍したロボたちも相当に荒唐無稽であったが、少なくともマジンガーZ以降、ロボとは基本的に人が乗り込むものであり、
そのパワーアップには搭乗者の血の滲む訓練が不可欠だった。
ロボが大破すれば搭乗者も重傷を負うし、中には片腕を失った者もいる。
ロボじゃないけど、星飛雄馬も矢吹丈も代償を支払い、自らの命と引き替えに必殺技を繰り出していた。
 無論、将来のこの日を予測して、当時の大人たちが意図的に仕掛けていたなどという話はない。
まだ戦後を引きずっていた日本の空気、影響力があった戦中派の息吹きが我らにも余熱を与えていたに過ぎず、
その証拠にある時点から我々は「努力と根性」を軽視するようになっていた。
無駄な血と汗と涙を流すより、もっと効率的であるべきとする世の風潮に習い、各々の分野でそれを実践した。
次々に旧来の価値観が崩れ去り、教えを請うべき先輩諸氏が精彩をなくしてゆく中では、そうする以外に生き延びる術がなかった。
 そう、アニメがメカと美少女漬けになり”萌え”に収束していったのだってそういうことだ。
売れる要素のみを効率よく集積した結果、マニアにしか喜べない作品が横溢することになった。
いまの児童向けのコンテンツにしても、子供が喜ぶ要素を解析して羅列しただけだと思えば状況は変わらない。
作品を生み出すのにマーケティングは必要不可欠とはいえ、マーケティングからのみ紡ぎ出された作品があるとすれば、それはもう作品とは言えない。
ロボットアニメなんてその最たるものだが、そんな中からガンダムを始めとする「作品」を送り出してきた先人たちに対し、
効率化を推し進めてきた我々がなにを生み出せただろう。
 このままじゃいけない。
これまでも思ってきたことだけど、今回のようなことがあるとつくづく実感する。
こうも立て続けに変事に見舞われる世界で、「大人」であることを義務づけられた四十の魂世代が求められているもの。
それは決して効率化の推進などではないし、ましてや牙を抜かれた草食動物になることでもない。