【黒い恐怖軍団】昭和の新日本プロレス33【ブッチャー、アレン、ジョーンズ】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
国プロの話ですまんが
親父が愛知県体育館での暴動に居合わせた
クラッシャーとブルーザーが金網から消えた後、サラリーマン風のスーツ姿の男が
音頭を取って「この試合は八百長だ!」とアジって大騒ぎになったとか
当時はまだプロレスをガチだと思ってた人が大半だったってことだな
親父は柔道をやってたから、ガチだと思ってる人がこんなにいるのかと驚いたと言ってた SDジョーンズってレスラーは正統派志向で、ブッチャー軍団はイヤだったらしいね。
でもそんなこと言ったら日本に呼んで貰えなくなるから、後になってから言ったんだろう。 >>4
第1回のレッスルマニアでバンディに9秒で負けてたな 荒らしは新日スレには来ない、前スレも来なかった。全日や国際のスレが立つと必ず来る。 初期の新日はよくクラップとかバーナードとかでもたせたなあ。
シンやハンセンが出てこなかったらって思うと怖い Gスピで大塚がバラしてたが、ハンセンのラリアットで猪木が頸椎負傷のため欠場って
実際はブラジルの事業活動のため休みたかっただけという 瀬戸大也をスカウトすべき
彼には天性のヒールの素質がある >>13
89年2月、使用禁止解除の両国でIWGP戦。
当初、メインと発表されたが、それでは弱い。
そこで猪木対長州戦がメインになったと記憶している。
実際、凡戦、まぁいくらなんでも、それでまた暴動には
ならなかったとは思うがね。 ジョーンズは噛ませ犬発言がなかったら
誰も覚えてないだろうな ビシャスは初来日時木村健吾、マシーン、ジョージ高野辺りには勝ってるけど
後の方では扱い悪くなってるな。
どうみても将来超大物になる雰囲気があった。『ファイト』紙が来日前から
かなり推していた。 >>9
強奪した馬場を日テレに奪回されたNETは馬場プロレスに対抗するのは^木・坂口の
黄金コンビと言う事で鳴り物入りでスタートしたワープロの視聴率は10%前半で
期待外れだった。そこに現れたのインドの狂虎のシンだった。シンの登場で視聴率は
2〜3%跳ね上がりワープロのPも「シンは救世主」と感謝していた。
日テレは全日中継も視聴率は似たようなモノで視聴率アップのためにへーシンクの
プロレス転向させてこちらも一時的でも視聴率に貢献している。 若き日のアンダーテイカーが藤波に膝を正面から蹴られてヒイヒイ言ってたのが懐かしい >>19
パニッシャー・ダイス・モーガンとビシャス・ウォリアーを間違っとるわ >>16
藤波以外では長州と猪木に負けただけで、後は外人エースとしてマッチメイクされてたから、扱い悪くなかったと思う。
最初で最後の来日になるとは思わなかった。 東京スポーツの桜井さんは解説はイマイチだったが、さすがは記者だけに活字プロレスは面白かった
週刊大衆に連載していた強豪レスラーの魂の震える名勝負wのエピソードは桜井版プロレススーパースター列伝って感じで読みごたえあった ビシャス・ウォリアーはかつてのパートナーのスパイビーも全日に上ってたタイミングだったっけ
コキーナとかモーガンとかWWFで大ブレーク前の選手が上ってたのがちょこちょこいた時期やね >>14
最初の発表カード
長州vsジ・アバランチャ、猪木&マサ斎藤vsオートン&ロン・スター
>>12
藤原の写真小さい
給料同様「”君程度”ならこれで十分だろう」ってことか 黒人選手といえば、レイキャンデーが覆面被って新日に来たよね。もっと活躍できたような気がするけど、旧UWF旗揚げのゴタゴタ時期だったからか、全く目立たなかった >>25
スーパーマリオマンなら旧UWFと提携した後だな 大剛氏のブッキングしたレスラーも良かったけど後のシッドやテイカーを招聘
してたあの時期の新日は長身外国人レスラー多くて自分の好みだった。
忙しくてプロレスあまり真剣に見てない時期だったけど。
CWAには後の偽テイカーとなるブライアン・リーも居たな。 スコット・ホールなんか結構プッシュされたけど売れなかったな
2mの長身でルックスもよく骨法まで習って日本で受けそうなのに
試合もそんなに塩じゃなくハイジャック式パワーボムは説得力あった >>30
ホールは期待されてたけど
いかにも気弱そうな感じがあってねw >>29
90年の3月シリーズ
ダイスモーガン、スコットホール、バーバリアン、北尾の長身レスラーが揃ってたね
他にもビガロ、キャメロン、カーシュナー、ペガサス、チータキッドとやたら外国人メンバーが充実してた >>33
それでもファンにははまらなかったんだよなあ。
求めてるものが全く違うって感じ >>27
エリンジャーアキム、何とかカリムのどちらかがレイキャンかと思ってたけど、何か混乱してましたw >>35
カリムがキャンディ、アキムがブラウンだが、マスクマンではないだろ? >>37
どちらかと言えば、バッドバッド・レロイ・ブラウンの印象が強いな。 >>33
長州がチビだからかみ合わなかったからな
藤波はいなかったし >>33
ホールとカーシュナーは坂口の引退試合の相手で名を残した印象
吉村引退の時のファーレスみたいに 新日では目立たなかったカーシュナーもインディーマットだとデカいレスラーだったな >>37
長州・浜口に引導を渡したザンビアエキスプレスか カーシュナーがインディーであんなに大ブレイクするとは思わなかったな 東スポででアンドレ、ハンセン組と書いてあったのでマジかと思って見るとスタンじゃなくてスェードハンセンだった。 新日本に来てた頃と、nWo時代とでホールの風貌変わりすぎて、本当に同一人物なのか当時戸惑ったw
マードックが猪木とのコンビを望んだことで、タッグリーグのチーム編成が坂口&ホールになったことあったよね。坂口が黒のショートタイツだった。 >>45
気を利かせて「SW・ハンセン」表記になってたりしてたね 新日本はレフェリーが軽過ぎる。カウントがテキトーというか。特に小鉄。コブラvsヒロ戦でのヒロのジャーマンとか、あまりにも酷いカウントで笑えたw 昭和の全日、ジョー樋口の失神芸や意味不明のダブルフォールよりはいいだろ。 >>24
藤原はこのシリーズを最後に新生UWFへの移籍が決まってたから
だからこのシリーズの最終戦はプロレススペシャルで中継もありの猪木戦だった >>14
この使用禁止解除の両国大会のメインはTPG事件で台無しになっていた猪木長州戦
そしてこのシリーズは猪木の禊シリーズということで、猪木のカードはずっと第1試合のシングル戦だった
名古屋大会だけ数日前の山口大会を私用で欠場したということでダブルヘッダーだった(鈴木実戦、ビシャス戦) 88新春黄金Sの日程にあった両国大会は使用禁止で後楽園に変更なったな
両国のカードで発表されてたのはJrリーグ戦(高田vs馳、越中vs小林)のみでそのまま後楽園にスライド
88新春黄金Sのポスターには解雇前だから前田も出てた
前田とベイダーが一緒に出てる貴重なポスター >>53
高田vs馳目当てで後楽園に行ったわ
まだ立見が通路に座って見てもいい時代だったから通路びっしりお客さんがいて身動き取れなかった >>52
そのレスだと、猪木は87年暮れに両国で暴動を引き起こした「禊」
として、89年2〜3月のシリーズ、猪木はずっと第1試合のシングル
に出たような書き方だが、違うだろ?2月22日両国で長州に破れて
「1からやり直す」という理由で第一試合に出たんだよ。 >>33
長身といえばカナディアン・ジャイアントなんてのもいたけど
あれは平成になってからだったか >>55
だから禊として両国で長州に惨敗し、「1からやり直す」というテイで第1試合 猪木の禊というと写真誌からの坊主頭思い出して
あれは86年あたりか >>12
藤波が猪木よりも大きい扱いか。
ロン・スターが長州と同じはいくら何でもないな。 >>50
ジャーマンかけられた方がロープ蹴ると、何故か二人とも両肩付いてカウントスリーとか、馬鹿過ぎる。
レフェリーのせいではないけどな。 >>50
ジャパニーズレッグロールクラッチホールドを食らった方がかけた方の両手首を持って抑えるとダブルホールの完成 >>60
たまにはそういう事もあっていいとは思うけど
全日の場合はそんな偶然みたいなことが何度も何度も起きるのが嘘くさくなるんだよな
藤波前田の両者KOの時と同じパターンがその後も何度も起きたら値打ちが下がってしまう カナディアン・ジャイアントは1991年だから平成だけど本当に7フィートあったからな。
下半身はX脚だったけど上半身はまあまあ立派だった。
https://imgur.com/t/big_show/7wkfPrg NWAの王座移動はダブルフォール寸前の逆転劇というクソ寒い事案があったんだよな
バックドロップを仕掛けた方も両肩が付いていて、レフェリーは同時に二人のカウントを取り
喰らった方の挑戦者が肩を上げて、仕掛けたチャンピオンのピンフォール負けが成立ww
あんな茶番劇、日本でやったら暴動もんだわ 初ドーム、フレアーvs藤波は茶番だったな。
フレアーはやっぱ全日だってのと、藤波の限界を思い知らされた。
NWA王者の価値もダダ下がりしてたころで、藤波が勝っても感動も何もなかったな。
最後のフォール合戦はただただ寒かった >>65
1971年2月8日、MSGでペドロ・モラレスがイワン・コロフから
WWWF世界ヘビー級を取った時もそのパターンだな。
バックドロップではなく、コロフがモラレスのバックを取って、吊り上げ、
モラレスロープ(かコーナー)を蹴り、二人共後ろに倒れ、ダブルフォールだが、
3直前でモラレス、肩を上げた。コロフはそのままフォール負け。
(以上は当時、放映していたプロレスアワーで見た)
尚、この時、コロフはジャーマンを仕掛けた、という説もあるが、それは違うと思うね。 昭和の新日本は後楽園球場とかの野球場では興行やらなかったんだね。日本武道館か蔵前国技館が最も大きい会場か >>63
ちょうど今日は川崎での大仁田・チャボの日 >>65
それが王者バックランドで挑戦者猪木でもか?
おそらく大歓声だぞ >>69
ファイト紙上ではよく後楽園球場で格闘技祭り開催するって煽ってたけどね >>52>>53
実際は新日側の使用自粛だった。両国暴動後に坂口が謝罪に出向き使用の自粛を言うと
両国側から「そちらからそう言っていただけるとありがたい・・・」と言われたらしい。 後楽園球場使う予定だったが、系列に日本ボクシングコミッションがいて
フォアマンやスピンクスらボクシング関係者をリングに上げるなら貸さない、
と言われてかなり土壇場で使用をあきらめたと言われていたな
田中ケロが言ってたね、ドリーとのメモリアルマッチに変更して後楽園を
使っても良かったんだけど、猪木は前田に格闘技戦をやらせて、今後の
プロレスを格闘技の中に巻き込ませていく風潮をつくりたい、そのために
ボクサーを権威付けの意味で巻き込むことは絶対に必要だから、と
あの前田が大ブレイクしたニールセン戦の後にスピンクスとしょぼい
試合をしたのも計算づくじゃないか、それくらい猪木は先を見ていた、
とケロは語っていたね スピンクス戦はあのカウンターのジャブが入っちゃったのにカウント9で立った時点で名勝負だろ レフリーがガッツの時点でもう笑いが漏れてたな。案の定失笑レフェリング連発で。 >>53-54
この時の新日ジュニアは豪華だね。
ただ、馳は人気無かったな。
>>66
ただ、それがフレアーが藤波を絶賛する第一歩なんだよな。 スピンクス全くやる気なかったからな、あれは完全な人選ミスよ、熊殺しウイリーとの再戦の方がよほど面白かったろうなあ
ウイリーは後年リングスで前田らとジョブやるようになりプロレスもできるようになってたからいい仕事したんじゃないか 馳はデビュー戦で小林に勝たせてもらったのに生意気にマイクアピールして
ヤジの嵐になった
あととどめは猪木vs長州での乱入も原因 最も説得力のない技は「最上段からのエルボードロップ」だな。
自分の受けるダメージのほうが大きいだろw
インセイン・エルボーなんかやってたら車いす生活が待ってるぞ また、たけしの話で恐縮だが、
ダイビングヘッドバット失敗で悶絶するのはありえないって笑ってたな。
どう考えても相手の頭や身体よりマットのほうがやわらかいだろ!と >>75
ボクサーのストレートは本当にブック破壊の元凶になるからなあ
亀田の試合でも世界戦初戦で相手が軽く出したジャブを興毅が
モロに喰らってダウンしてしまい、試合がボロボロになった
以後、亀田の対戦相手は亀田がガードを固めて亀になってる時に
グローブを叩く以外にストレートを絶対に出さなくなったw
名勝負になった猪木モンスターマンの初戦も、モンスターマンが
猪木の顔面にパンチがうっかり入らないように凄く気を遣ってるのが
今見るとよく分かる 三沢は「技の自爆は肉体的よりも精神的にダメージある」と言ってた。 >>60
> ジャーマンかけられた方がロープ蹴ると、何故か二人とも両肩付いてカウントスリーとか、馬鹿過ぎる。
「何故か」って押しつぶされてかけたほうも肩が付いたって分かるだろ?
意味不明ではない。頭悪すぎるw レオンスピンクスはその後、FMWの「世界最強総合格闘技タッグリーグ戦」に出場したよな。
あのタッグリーグは最高だった。やっぱり大仁田は思いつきの天才だと思う。 思いつきの天才()ねぇ
T後藤に麻原彰晃こと松本智津夫のギミックやらせようとしたんだっけ?
人としてはプロレス界でも糞よりのクソだったなw >>85
技掛けた方が自分の肩がついてるんなら技やめたら良いだろって話だろ。
アホちゃうの? ジョージ高野も谷津嘉章も、WJの長州も「大仁田で客入るなら、俺なら絶対大丈夫」とか
思ったんだろうな。FMWが客入ったのは、アイデアありきなのがわからなかったんだろう。
「音でプロレスラーの痛みを表現する」爆破マッチを考えた大仁田は天才だよ。 >>90
押しつぶされて自分も頭打ってダメージ負ってるからとか
思いつかないほうが馬鹿だろう? >>92
そんなのただの推測だな。ただ台本通りやってるだけだけど子供だまし程度だから
馬鹿にされるんだろ、お前みたいに勝手に好意的に解釈する知恵遅れも居るし。
だからプヲタはアホやと言われるんだ。 ダメージくらってるのなら肩ついてるとは言えホールド続けるのも大変だろ。
普通に技を解けば良いだけ。 >>93
推測なのは当たり前だろ。
当事者でもないのに推測以外できるかよアホw
意味不明というからいくらでも解釈できるだろと言っただけだよ。 >>91
谷津のSPWFも最終的に後藤やポーゴに手を出してブレブレになってたな https://pbs.twimg.com/media/E7iwoxMVoAoUfdY.jpg
https://pbs.twimg.com/media/E7iwpqFUUAUf2I0.jpg
リングネームをレイ・キャンディに戻したのに
コスチュームが迷彩のムハメド・カリムのまんまっていうのが
拘りの無さが露呈して底が見えるっていうか…
それてにしてもミッドナイトソルジャーのマスクのデザインだっせぇ… マードックって、新日ではエース級の扱いにまで昇りつめたんだな。
全日時代のシリーズでは、そこまでの扱いはなかったような気がする。
鶴田のUN奪取して、カマタとシングルマッチやったシリーズぐらいかな? >>98
シリーズのエースには違いないんだが、「今度こそ猪木に勝つんじゃないか」感がまったくなかったからなぁ ビニーバレンチノってUWFにも来てた人よね。
新日では確かテレビにも出なかったから全く印象にないな >>95
推測を書かれてもな、どうとでも取れるのならスルーしとけば良いだろ。
お前のせいかどうか知らんけど規制かかったわ、早うヒね! 85年9月 東京体育館のカード
猪木対藤波
坂口、木村対ジャイアントM、スーパーM
力抜山対ヒギンズ
星野、荒川対上田、クレアー
越中、佐野対小杉、山田
金対ブラウン
武藤、橋本対アフィ、キャット
畑対蝶野 平田が引き抜かれて、アンドレとスーパースターにマシンの覆面を被せたら、
当然のようにマシン2号がフェードアウトして、力抜山が素顔で出場するのは悲しいな。 >>101
お前はレスラーでも関係者でもないのに推測以外書けるのか?
アホすぎて話にならんw
規制かかったのはアホなこと書いてるお前の業だよ。
これこそ本当の自業自得だwww 週プロで山本が
「ここで藤波が猪木に勝てないのは悲しい」とえらい剣幕で書いてたな
確かに藤波はかわいそうな役回りばっかだ 藤波夫婦が9時からTVの仕事入れたから完敗ブックになったんだぞ >>108
愛川欽也司会「EAT9」だったな。
生放送途中に藤波夫妻が現れてご馳走を食べまくっていた。
愛川欽也に猪木戦の結果を訊かれて最初はトボけていたが、エンディングで再度訊かれたときに「勝ちました〜!」と嘘ついたw >>109
訂正
「EAT9」でなく「愛川欽也の探検レストラン」でした。
放送時刻は毎週木曜夜10時の30分番組。
藤波夫妻が出演したのが9月19日で、翌週26日を最後に探検レストランは10月12日から放送時刻を毎週土曜夜7時半に移動した。
翌週19日から全日本プロレス中継が土曜7時ゴールデンタイム復帰をしている。
勘繰り過ぎかもしれないが、ゴールデンタイム復帰の全日本プロレス中継の裏番組に移動する探検レストランに藤波夫妻をゲスト出演させたのはプロレスファンへの番組PRがあったのではないかと思う。 >>111
いや、ダリル・ピーターソンとデーブ・ピーターソンは別人よ >>107
年末にタッグながら猪木をふぉーるしてMVPへ!という流れにしたかったんだろう >>77
ヘルメットが610時代の武藤とか北尾とか強引に底上げしてスターを作り出そうとするのを
新日ファンは拒絶反応が凄い.。最近でも内藤のG1初優勝なんか全然、盛り上がらなかった。
>>79
デスマッチ路線に舵を切る前のFMWの魅力でもあった。 >>12
この画像みて思い出したが
旧Uが新日に戻って業務提携した頃に藤原がプロレス誌で
新日内での自分の扱いがキムケンより上か下かを結構気にしてたコメント出てた記憶がある
「ムフフ、俺の方が(キムケンより)上か!」みたいなコメントが確かにあった
>>12が長州顔面襲撃事件からの業務提携崩壊で藤原、木戸が居残った状況だとすると
対抗戦という図式が消えて藤原の扱いがキムケンや越中以下的な感じになったみたいよね
それも離脱原因のひとつだとしたら藤原も結構細かい性格よな
たしか何回目かのゴッチ杯で決勝が藤原VSキムケンで藤原優勝って過去もあったが
藤原は藤波が団体のプリンスポジであり、木戸はゴッチ門下生の尊敬する先輩でこの二人には気を使う分
長州、キムケンに関しては昔から「こいつ等より下に扱われたくない」意識強かったよな
でもワープロ露出も長州、キムケンよりはるかに少なくて売り出される気配なかったし
札幌事件も必然だったのかもな
あと、何気に12のポスター木戸さんの写真無しw
木戸は自分がどんな扱われ片しても寡黙に自分の仕事をこなす偉い子よねw
ガチンコでも強いバッドニュースアレンが
「プロレスの世界に入った頃、新日の道場で一番上手いと思えた木戸選手が
なぜ藤波選手ら同様にプッシュされないのか?」と猪木に訊ねたら
「藤波は喜怒哀楽を表現して客に伝わるが、木戸は無表情だから」
という返答w >>107
藤波では看板にならないし猪木が弟子に負けるのは外人(アンドレ、ブロディ等)に負けるのとは訳が違う 出戻りの長州のVS猪木シングル3連勝を、どんな気持ちで藤波は見てたんだろうな。 ジャイアントマシーン、スーパーマシーンは見てて有難みを感じなかったな〜 >>119
そーお?あのシリーズ中に一度会場に見に行ったけど、凄く珍しいのが見れたと思ったし、
結果的に1シリーズだけだったから今でもレアものが見れてよかったと思ってるけどw 猪木がシングルで弟子に寝たのは後にも先にも長州だけだと記憶してるが
ジャパン勢新日復帰時に「長州のブッカー就任(半永久的に)」「長州が猪木からシングルで複数取らせる」とか
条件闘争があって全面的に猪木が飲んだ可能性あるな
長州から蝶野にブッカーが移って解任されたときに「(猪木に)感謝すらない!」って捨て台詞吐いて
新日を二度目の離脱してたが、約束でも反故にされたくらいの被害者意識だったな >>119
あれをWWFが権利料払ってまで取り入れたというのが凄いよな
https://www.youtube.com/watch?v=31I4ZisP8hU
https://www.youtube.com/watch?v=bHs3OG9HVpI
「風雲たけし城」が世界的な人気になり、アメリカが権利料払って
自分達の番組にしたっていうのも驚いたけど、日本がアメリカの
パクリばっかりやっていたのにあちらはちゃんとしてるなあと
驚かされたものだった 大巨人マシンのときはミスタード高橋の疑惑のルフェリングとかあったな。何だったんだあれは…? ミスタード?ルフェリング?単に阿部四郎のモノマネブック考えただけだろ? 猪木は女子プロレスなんか見ないから、世間で阿部四郎が
プチブームになっていたことすら知らなくて「お、ちょっと面白いな」
と思っちゃったんだろうなあ
環状線が崩落していたとしか
あの阿部四郎ムーブはのちに「岡村四郎」になり、その少し後に
WWFでストーンコールドがそっくり同じことをやっていたw 阿部四郎には植田コミッショナーがいたから、物語が成立した。 アンフェア―なレフェリーは、阿部四郎の前にもいたが、
レフェリーが堂々と「極悪同盟の一員」というは凄いな! >>125
高橋の疑惑のレスリングで猪木がジャイアントマシーンにフォール負けしてたな
翌週高橋は藤波に思いっきりボディースラムくらってた 85年頃は、アンドレもスーパースターも全盛期は過ぎていたとはいえ、2人のタッグはなかなか強力なチームよね。 ジャイアントマシーンとかアンドレの方がノリノリだったっての聞いて微笑ましかったわ
WWFでもメイドインジャパンの設定で、スーパーマシーンと和室でミーン・ジーンにインタビューされた映像流れて
パイパーとかオートンなんかに「誰が見てもアンドレじゃねえかよ!」みたいなツッコミされるコントみたいなのあったの覚えてる >>135
長州戦なんかと比べ物にならない迫力の健吾戦、なんで動画が
流れてこないんだ
昔のファンが撮ってくれたVHSビデオがあるが早くダビングしたい ジャイアント・マシンやスーパー・マシン、ミスター高橋疑惑のレフェリング…
この頃の新日はかなり苦しい時期だったし戦力不足をアイデアで補おうとしていたが何か空回りだったな
前年にキッド、スミスまで引き抜かれてもうダメかなと思ったけどこの年、ブロディ効果で前半は少し盛り返したのに
猪木vsブロディも連発しすぎで後半はまたショボくなってきて辛かった
年末もジャイアントやアドニス来れなかったしUWFが来てくれてやっと光が見えてきたイメージ >>133
和室のインタビューだけなら>>122にあるけどヒーナンが怒るとこまで
含めた字幕付きの動画が見当たらないなあ
しかしWWFの動画で「ワカマツサーン、ワカマツサーン」という言葉が
聞けるのは感慨深い >>139
ああ>>122で挙げてもらってたんだ、見過ごしちゃってたわ
ヒーナンなんかの字幕付きはWWFクラシックみたいなのJスポでやってたときに流してたね >>99
>「今度こそ猪木に勝つんじゃないか」感がまったくなかった
そうそう、でも安心して見れる試合というか
最低限の見たい大技はちゃんと見れるだろうし(ブレーンバスター、カーフ・ブランディング・延髄・卍)
何よりも両リンや反則で終わることもまずない安心感、何度見ても飽きない面白さもあった。 >>330
そんな木戸も試合中に髪型が乱れるのを異常に嫌うので事情を知らない外人レスラーは
やりにくかったらしいw 天龍が参戦した時に指に攻撃して天龍の技量を試すイリーガル
攻めを仕掛けてきた。
>>118
出戻り後の長州対^木は戦績は長州でもかっての名勝負にならかった・・・
藤波はシングルで勝てなく都体、文体と今も取り上げられる名勝負を残した。
>>119
Most Extreme Elimination Challengeだね。日本TV番組は言葉の壁も有り海外セールス
が難しいと言われるので番組をそのまま渡して編集等を買い付けた側に一任させて成功
した。米国で英語がわからなくてもこの番組とWWFは楽しめた。
>>128
阿部レフェリーは三多摩地区拠点とするプロモーションだった。それで青梅出身の
小林と親交があって^木戦のセコンドとして参加している。全日女時代は「ノー
ギャラだった!」とかプロレス冬の時代には「今はプロレスより綾小路きみまろのコンサート
の方が客が入るんだよ・・・」とか生前のインタビューで答えていた。 機界戦隊ゼンカイジャー 第21カイ「大カイジュウの大破壊!」★2 >>122
WWEがアンドレにマスクかぶせるならもっといいデザインできたろ いまは 男と女闘うの よくあるけど
もしも猪木が全盛期時代に
新日本の選手が「女と闘いたい」と言ったら
猪木は「駄目だ」と言ったのかね >>149
> 新日本の選手が「女と闘いたい」と言ったら
そもそもそんなこと言う奴いないだろw 田園コロシアムで星野勘太郎、ジョージ高野組と対戦したブラソ・デ・プラタ死去 >>140
中京地区の共同企画はいつも別バージョン たとえば 猪木にビンタして
ハサミで前髪きっても駄目かね
猪木が「やるならやれよ 俺はもう何も言わんぞ」
みたいな >>140
上のポスターは前田の顔面襲撃事件の日だったが、
その日の主催はリキプロだったんだな。 >>102
セミをアンドレ対ヒギンズにすれば良かったのにね >>119
アンドレがマシーンになる事を凄く気に入っていたんだよね >>157
左側に 主催 新日本プロレスリング(株) とあるが >>160
問い合わせ先は共同企画。
平成までずっと中京地区はポスターオリジナル。 1981年の田園コロシアムの時にハックソー・ジム・デゥガンが初来日してた。
あの頃の新日の外国人レスラーの公称身長がデタラメで183cmか184cmくらいに
されてたんじゃなかったかな。 >>135
ボックの凄さは知っていたからミッシェルナドールにも期待してしまった
とんだ塩だったけど 何年か前に偶然ケロちゃんに会ってなんでヒギンズ売り出さなかったのか聞いたら頭が良く無かったって言ってたな ヨーロッパ系の選手はサイズに関わらずいろいろ幻想を抱かせてくれた。 オットーワンツも週刊ファイトがボックと並ぶ欧州のトップとか宣伝しまくるから過剰な期待をしてしまったよ
まさかスチームローラーとはw >>165
プロレス頭とかセンスなんかは努力で身につけるには限度があるからね。 ビッグジョンクインを白星配給係にして怒らせる新日だからなあ
レスラーじゃなくプロモーション側の能力にも限界はあるわけで 前スレより
431 お前名無しだろ 2021/07/10(土) 18:15:41.66 ID:Y5fmX8og0
IWGPであっさり「負傷帰国」したはずのオットー・ワンツーがプロモーターとして
アメリカの選手と契約していて、ドイツでワンツ対スタッドを人気カードにした、
なんていう話は聞けて良かったと思う
433 お前名無しだろ 2021/07/10(土) 18:51:45.50 ID:5fby3ECs0
新日でイマイチ売れなかったムッシュ・ランボーをワンツが見い出して
ベイダーとの抗争でCWAの名物カードにした手腕は見事。昭和じゃないけど
452 お前名無しだろ 2021/07/11(日) 18:14:31.43 ID:cbn/JQqM0
それは順番が違うからなあ。
CWAで売れてたランボーを日本に呼んだが今一つ売れなかった。
あんまり売り出してもいなかったような気もするが。 >>168
そりゃそうだよ。
身体能力的には抜群でマスクもいい、高野兄弟がいまいちだったのは、兄弟そろって頭がアレだからだよ。 欧州勢に日本でも積極的にラウンド制でやらせてたら持ち味発揮できたかな。同様にメキシカンにももっと三本勝負を組んで欲しかった ジョージは頭悪いというよりは、色々と考えすぎる人なんだと思う。
俊二は・・・・・とにかくアバウトな人って感じ。
少なくとも二人とも、バカではないと思う。 >>161
藤波がジュニアのうちにタイガーマスクとのシングルマッチを観たかったなぁ。特別試合でもいあから 昭和のジョージといえば試合よりも凱旋試合(素顔復帰初戦)の入場シーンが一番印象に残ってる
・猪木坂口の入場後に客席の上段からスポットライトを浴びてジョージ登場
・リング下でカメラに向かって決めポーズ
・リングサイドで観戦してたテンタと握手 「あのビガロを産んだモンスターファクトリー」出身のレスラーも期待はずればっかだったよね。 >>178
ビガロ以降、名が売れてるのは
スコーピオ
クリス・キャンディード
バージル
レイヴェン
ボールズ・マホーニー
ザ・ピットブルズ
ザ・ゴッドファーザー
タタンカ
ディーロ・ブラウン
ビッグ・ショー
ザンディグ
このくらいかな? >>118 >>121
中島で長州に負けても、リーグ戦を勝ち上がって藤波とフルタイムドローだけど、
両国で完璧に長州に負けたのはショックだったな。泣いたのも驚いた。
藤井「辻さん、猪木が泣いてます」
辻「えっ?あ?え? い、猪木が泣いてる?」と辻もあたふたしていたのを覚えている。
ちなみにその日から登場したソ連勢も猪木が負けたことに驚いていたと。 >>118 >>121
中島で長州に負けても、リーグ戦を勝ち上がって藤波とフルタイムドローだけど、
両国で完璧に長州に負けたのはショックだったな。泣いたのも驚いた。
藤井「辻さん、猪木が泣いてます」
辻「えっ?あ?え? い、猪木が泣いてる?」と辻もあたふたしていたのを覚えている。
ちなみにその日から登場したソ連勢も猪木が負けたことに驚いていたと。 >>181
意外といるな。ビガロ以降新日本に来たパッとしない連中の印象が強すぎて ジョージアでスタイルを確立したハンセンとかは違うかもしれないけど、遠征した
日本でいい加減な扱いを受けてパッとせず、その後アメリカで努力しビッグになると
「日本帰りは出世する」と言われるのは理不尽だなあ、とは思っていた >>167
第1回IWGPにおけるワンツに対する猪木の圧勝は今となっては当時の猪木のコンディションや、この試合で怪我して帰国する事になるワンツの事情も見え隠れするんだけど、元AWA王者に対しての圧勝でAWAって大した事ないんやでって否定の意味だと思ってたわ >>186
ワンツ相手にフォール勝ちで5点獲得の猪木に対し、ホーガンは不戦勝の4点で、もし猪木戦の前にワンツが帰国していたら、アンドレvsホーガンの決勝戦になっていた。まぁどうにでもなったんだろうけどさ。 >>186
スタン・スタージャックも、「元WWWFヘビー級王者(前年12月、Pモラレスを破る)」
として、1974年4月『第1回ワールド・リーグ戦』に参加、予選をクリアー決勝リーグに
進出したが、2勝4敗1分、8人中、5位(星野勘太郎とジート・モンゴルを下し、
キラー・カール・クラップとは引き分けるも、猪木、坂口征二、マサ斎藤、
ジ・インベーダーに敗退)
確か、その後、猪木がアメリカは、スタージャッククラスでも王者になれる、
と豪語していた。 いくらつなぎ王者とは言え
もう少しマシなのはいなかったのか?>スタージャック >>188
カベチュラ戦で敗れたばかりなのか坊主頭のアグアヨ モラレスから再びブルーノへのワンポイントリリーフとして強からず弱からずの適任者だったんじゃない?
日本より米国でそれなりの実績があったみたいだし。
>>161 改めて思うけど佐山がこうして再デビューした当時って自分はもう15くらいだったが、
佐山を知らない小学生、年少ファンなんかタイガーマスクとしての彼のファイトぶりってどれだけ影響を与えたんだろうな。。
今となってはもう自分とたいして変わらないオッサンだろうけどw、リアルな昭和当時で
5歳6歳の年齢差はやっぱ大きいのかな。 >>192よりは年下だけど
正直言って
タイガーマスクは現実離れしすぎててあまりのめり込めなかったな
猪木のほうがウェットに訴えかけてくるものがあった >>192
小学校低学年だったけど、土曜はクラスの男どもはタイガーの話で持ちきりだったなぁ
覆面剥ぎマッチとかどうなるんやろってワクワクしたわw
タイガーから入って、藤波、猪木、外国人、そして土曜の全日と見るようになってたなぁ 世界まる見え!テレビ特捜部2時間SP その2 ギャングレスラー >>193 >>194
レスどうも。必ずしもどうという感じじゃなく、見方はそれぞれあるんですな。
当時の会場は日に日に子供のファンが増えていった感じで、TV画面を通しても
熱気が伝わってた記憶がある。まあ自分もそこまでやるかというほどの驚嘆振りで
見入ってたんだけどw 元AWA世界王者と言えば、1971年夏に来日した
イゴール・ボデッィクはどうしようもない木偶の坊だったな!
タイトルに全く挑戦させてもらえなかったし。
彼も、まぁオマハ限定のワンウイーク王者だったのだがね。 >>195
途中まではDDTを見ているようでくだらなかった そういや、自分が初めて見たプロレスがタイガーマスクとブラソ・デ・プラタの試合だった気がする。
プラタさんに合掌。
と思ったが実はブラソ・デ・オロだったかもしれん >>200
あの頃はマスクが金か銀かでしか区別つかないほど体型が似ていた。まさかプラタがあんな姿になるとはね。 >>200
初来日のシリーズは、ソリタリオ&タイガーvsオロ&プラタのテレビマッチがあったよ。 >>187
大丈夫。愛知ではアンドレが不覚のフェンスアウト負けになるから。 >>202
その時のソリタリオって全日のシリーズに参加が発表されてたけど
来たのは新日だったな >>198
DDTグループで えらく大きくなって
高木三四郎って やりてなんだな >>12
見た目とか雰囲気、スター性など何十年に1人レベルだぞ グレコローマンの97kg級決勝にムサ・エプロエフって選手が出てるけど、ワッハ・エプロエフの息子か親戚だったりするのかな? なんか昔100円のガチャでビニール製のプロレスマスクのやつがあって
プラソスとかスコルピオばっかり出てきたの思い出すわ
プラタがあの体型で人気出たのはユニバでプラタ、チャチャチャみたいなのあった頃か >>213
「ケンカして、最後はキスして仲直りする」ってダチョウ倶楽部の上島竜兵のギャグは、
ブラソスの兄弟喧嘩がネタ元らしいからな。本人たち公認かは知らないが、明らかに同じw
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm2363080 ブラソスがビジャノスに負けて素顔になった試合は、本来ならエル・トレオでやるようなビッグカードなのに、プロモーターが強引に中規模会場で組んじゃったんだよな >>216
日本でも浜田&アグアヨ組に敗れて素顔になったが、覆面時代以上に兄弟ゲンカに磨きがかかり、
ますます芸を極めたよな。素顔トリオvs覆面トリオの6兄弟対決まで実現させたし。 >>217
プラタがあの体型で軽快に動いてポーズ決めたり、エル・ブラソがやたらデカい声で「クレーロス!」って叫ぶなか、常にちょっと冷静でやっぱりお兄ちゃんなんだなと思わせてくれたオロ >>213スコルピオは素顔の選手でしょ?
自分はフィッシュマンがよく出たw >>219
あれ、検索かけたらスコルピオってタイガーとやった素顔のやつだったっけ
何と勘違いしてたんだろサソリのデザインのやつ
似ても似つかないタイガーとか、その辺とかはやたら出た記憶があるわ
マスカラスは当たるけどドスカラスは出ないみたいな >>213
スペル・マキナとかもあったよね
当たっても嬉しくないやつ メキシコ、特にUWAのヘビー級は層が薄い上に
ジュニアに近いカネックが頂点に君臨して
日ごろはルードなのに外人ルードが来るとそれをメキシコの威信をかけて
迎え撃つのが定番だったから
それを盛り上げるため外国人にいいようにやられるのが役目
EMLL系はもう少し層が厚かったけど でもリーグ戦とかにメキシコの選手も入ることで国際色豊かな感じは出るんだよね。
白星配給係とはいえ。
ロシアやドイツや中近東代表みたいなインチキでなくメキシカンは本物だしw >>222
ワールドプロレスでは
スーパーマキナ表記 スーパーマシンだと自動車かと思われそう。
西部警察で「大激走スーパーマシン」とか謳っていたからな。 >>203
アンドレは猪木以外の日本人に負けたことある?
フェンスアウトや反則決着含めて >>229
76年から新日最後の86年まで ※76以前は現在手元に資料なし
シングルでは
86年に上田と木村健吾に反則負け
この2試合のみ IWGPに向けて組まれた猪木対バックランド戦。
しかしバックランドが急用(?)で帰国し代役でハンセンが挑戦。
猪木対バックランドが実現していたらどんな結果だったか興味は尽きない。
https://i.imgur.com/71j0haO.jpg >>231
確かバックランドがNWFに挑戦する予定だったんだか >>231
IWGPのことをインターナショナルチャンピオンシップという呼び方をしてたこともあったんだな。 >>231
文化シヤッターのヤは大きいヤなんだが、この頃は誤植とか日時茶飯事だったんだろうな。
https://www.bunka-s.co.jp/ >>231
この中継の次回放送予定カードでタイガーマスクが出るのを初めてしった タイガーマスクデビュー戦の国技館で、テーマ曲をどっかのバンドが生演奏していたけど、
それを現地で聴いてた人はここにいる? ジャイアントマシーンに関しては。
ある漫画では国際プロレス時代に良くしてくれたワカマツの為にやった。日本中がひっくり返って面白かった。サンキューワカマツ。
Mタカ本では私が発案してボスに話したらノリノリでホテルでポーズまで決めてくれた。後にマードックがなんでオレも入れてくれなかったんだ、と文句言われたけどボスにスーパースターにマードックまで入ったら世界最強マスクマントリオだって自画自賛。
つまりアンドレは世界最高のプロレスラーって事ですね。 若松大好き、マイティ大好き。国際時代はかなりいい思い出だったんだろうね。 マードックがマシーンやったら
やっぱリングネームはテキサスロデオマシーンになったのかな? マードックは覆面経験ありだよね、デストロイヤー10番勝負に出ているし。 >>236
現地では聴いてないけど、クリエイションかな? 空手の型って顔芸に闘魂の世界なんだね、猪木イズム満開だw https://pbs.twimg.com/media/ExuKHa0VoAIdbtd.jpg
昔はよかった。スポーツ新聞の第一面にプロレス記事がデカデカと
カネックにマスク脱ぐこと強要して逃げられたり
元WWWFチャンピオンのコロフを辱めたり
当時の新日本は怖いものなし 86年にジョージがアンドレに反則勝ちしてる。福井大会で。 >>250
ジョージの凱旋後アンドレは新日に来日してません、と福井バカにマジレス >>236
猪木、タイガー、藤波の曲を演奏したのがブレインウォッシュバンド。
ハンセン、キッド、カネックの曲を演奏したのが外道。 そう言えばゴタツと桜田がマシンのマスク被って、ライジングサンズってやってたかも。 >>231
NWF封印を前に現役WWF王者バックランドとハンセンの挑戦を受ける二連戦
綺麗に二連勝して有終の美を飾るはずだったが、パックランド側が負けブック拒否して帰国
というとパックランドのわがままみたいたが
帰国はWWFからの指令というような報道もあった なんで1行目がバックランドなのに、2行目からパックになったんだろ? 昭和56年(1981年)8月6日蔵前国技館で行なわれた、猪木とマスクドスーパースターの賞金3万ドル&覆面剥ぎマッチから40年だな >>257
セミは坂口vsブッチャーだったな。知り合い関係でその当日蔵前の売店でバイトしていたんだが、
観戦のために来日していたクラッシャーリソワスキーが、ポテチを買ってくれた。 >>256
255ではないが、老眼で気づかなかったw 猪木はIWGPのためにNWFタイトル返上しててタイトルマッチできないからw三万ドル覆面剥ぎマッチなんて苦肉の策やったんだよな マスクド・スーパースターって、何回リングネーム変えたんだ? マスク剥がされてビリークラッシャーで来日したが、すぐにマスクマンに戻ったよな? >>261
IWGPのためにNWF等のベルトを返上してタイトル戦を封印するのは営業部は反対だった
>>231
新日が希少価値を出すために大都市のNWF戦の開催に拘りそれでも小都市で開催できたのは
有力プロモーターの運動が賜だった。 >>263
ボロ・モンゴル、Mスーパースター、 ビリー・クラッシャー、ビル・イーディ、アックス・デモリッション
新日外国人で最多じゃないかなぁ ビリー・クラッシャーでの来日時にサザンとラジカセだかステレオの広告に出ていた
本人が探しているとの情報を聞いてたしかポパイかホットドッグかブルータスに掲載してたと記憶して
実家の押し入れ探したが結局見つからなかった... プロレス雑誌のトレーニング器具だか栄養ドリンクだかの広告で
「わたしもおすすめします。マスクド・スーパースター」ってのがあったが本人は知っていたのかな
デタラメな世界だから本人が知らん間に使われていたような気がしてきた >>268
あれはミスター高橋のピーターパワーとか言うチューブトレーニングの宣伝だったと思う。
本人も使ってたし良いんじゃないw 高橋のチューブトレーニング
長州のブルワーカー
藤波のプロテイン
昭和のプロレス雑誌や新日パンフの常連だった記憶よね
平成に入れば武藤のニンニク系サプリとか
棚橋の江崎グリコもあったな >>268
昔のジャンプコミックの巻末に、芸能のコメントが載ってたけど、
あれと似たようなもので、スタッフが適当に書いてそうだ。 100均のダイソーにチューブ売ってるな、流星仮面はチューブ使ってる写真も
使われてた記憶あるな。いくらか金渡して合意済みだったんだろな、ビンスと何やら
揉めてたしビル・イーディーは割とそういうのにうるさいだろ。 >>165
後ダー山が覆面作家で書いた本では
盗癖かバズソイヤーみたいな薬中で使えなかったと 小学生のとき埼玉から友達と当時青山にあった新日事務所に行ったことがある。いきなりの訪問にも新間さんがにこやかに古いパンフレットやポスターをくれた。埼玉県の小学生にとっては冒険だったw >>268-270
ピーターパワーは発売がもう5〜7年ぐらい前
格闘技戦からドラゴンブーム当時に売り始めていたらヒットしていたかも
ファイトや週プロにピーターパワーの広告が掲載されだした頃は
類似商品のセラバンドが市場に流通しだしていたからね
確かピーターパワーが3800円ぐらいだったのに対して
セラバンドの初心者向けセットは2500円〜3000円程度の価格だった筈
ウチの近所の少年野球チームや柔道の町道場なんかでも
練習に緑色のセラバンドを使っているのを見た記憶がある >>229
おいおい国際でs小林が3本勝負で堂々
勝ってるじゃん ゴッチがジャーマンで決められるほどの体型だったわけだよ、ロシモフ。
それでも当時でも馬場よりデカいんだから凄いことは変わりはない。
>>268 広告と言うと月プロやデラプロ裏表紙の痩せるコーヒーとか
サウナスーツだな。髭のオッサンがスーツ着てポーズ取ってた >>273
いかにもローカルなチャンピオンベルトって感じで逆にいい
もう産廃処理されたのかな >>280
藤原がタオルを使った一部、ピーターパワーに似たトレーニング法を紹介していた。
あとシンがゴングで狭いホテルの部屋でも椅子やベッドを使ってできる筋トレ法を
公開していた。これ結構。参考になった。そして「シンって移動中もちゃんと
トレーニングしてるんだ!」と変に感心してしまったw 椅子につま先を置いた傾斜をつけた腕立てはよくやったなぁ。 俺なんかドラゴンプッシュアップボード買って”新日式腕立て”やってた
今でも押入れにしまってある 新日道場には金のメダルみたいなのが沢山付いて持ち上げてジャラジャラさせる謎のトレーニング用具もあったよね。 新日本のレスラーは鍛えたボディが売りだったからな、特にジュニア時代の藤波の無駄肉のない研ぎ澄まされた身体は見事だった
藤波はボディビルやっても成功しただろうな、アジア人初のミスターオリンピアのファイナリストにもなれた BレスナーがWWEでゴムチューブとプッシュアップボードでの訓練見せてたな 藤波がプロレスラーからビルダーに転向してオリンピア目指すとなると
・長州との名勝負数え歌
・マッチョドラゴンというプロレス界随一の名曲
・飛龍革命という名の名作長尺コント
・ドラゴンボンバーズという謎のユニット
・ドラゴンリングイン
・ドラゴンストップ
数え切れない栄光と引き換えにアナステ入れまくって早死させるなんて考えられない
プロレスラー藤波無に昭和平成の日本プロレス史が語れるか? マイク・シャープJrは重いダンベルをバックに入れて移動してたと言うな。
それだけでトレーニングになりそう、清潔好きで几帳面な性格だったんだな。 前田日明、高田はヒクソン戦惨敗に「ゴッチから学んだ技術は何も通用しなかった」と言った。何言ってんだ? お前そんなにすごいんか [牛丼★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1628321930/
そもそも勘違いしてるのは
ゴッチは技術レスラーの前に怪力なんだよな 前田が言ってることはともかく
高田は飛びぬけたテクニシャンというイメージはあんまりないな
何をやらせても一応教わってますという感じだった
若くてエネルギッシュなのが最大の魅力だったと思うけど
武藤戦やヒクソン戦の頃はとっくに賞味期限が切れていた >>290 >>297
これは通称「弓矢」と呼ばれていたトレーニング機器で
猪木がパキスタンから持ち帰った物
確かペールワンのボロ一族とは違う現地の格闘技流派から寄贈された筈 >>291
>>296
初来日は87年の新日ビッグサマーだが、このシリーズと同時期に
開催された全日のシリーズに参戦し、以降全日の常連になる。 >>299-300
いやさ
そもそも高田(と前田)って藤波みたい何ヵ月もゴッチ宅に住み込んで
一から技術を教わっていた訳ではないんだからさ
前田の凱旋帰国前2人でゴッチに預けられたのも実質3週間程度だったんだし 謎のトレーニング器具というとイランのクシュティーというこん棒みたいなの振り回してたな
この辺が全日との差別化を意識してた。 ゴッチやロビンソンが習っていた蛇の穴のキャッチって結局どんな技術体系だったのか謎だったなあ、この辺が世界中に普及したブラジリアン柔術とは全く違う
まあ、失伝する程度だから大したことない技術なんだろ、ゴッチ門下も弱いハッタリだけの雑魚ばかりだった、自然淘汰したのも当然 ゴッチは柔術が大嫌い
「ガードポジションなど売春婦がやる格好だ」
格闘技通信の記事より >>298
プロレスラーもアシストするスポートトレーナーが「スクワットはやり過ぎは膝を
痛める。ウォーキングが一番、バランスが取れている!」とラジオで話していた。
一般人はこっちの方がいいみたいw
ただ早歩きでダラダラ散歩みたいに歩くんじゃダメなんろうねw
>>288
試合前にドリーがそれを控室でやっている姿が全日中継でCM入りする時に流れた。 昨日テレ朝チャンネルで最初の猪木VSブッチャー放送してたけど
ブッチャーのセコンドに付いてたハシムモハメッドはあれっきりの登場?
猪木に正拳突きしたりして結構乱闘してたのに。 >>296
全日が試合会場に持ち込む筋トレ道具に車輪を付けて移動をに便利なようにしたのは
川田は「自分だった!」と言うとそれを聞いた小橋は「それは僕のアイディア・・・また
川田さんは・・・」と微妙な人間関係が垣間見えたw しかし異種格闘技戦なんてよく成立できたもんだと感心するなw
他流試合は昔からあるが、特にプロレスはプロレスという独自の構造の分野であって、
スポーツとしての競技種目とは一線を画すもの。アリ戦なんか未だに好き者が語りたがるが
やっぱ率直に違和感しかないな。。w まあアリ自身もああいったエキシビジョン的な舞台は
好きなんだろうけど。 武藤がこの前出したムタとしての著書で、タッグを組んだTNTは新日で冷遇されて、全日に移籍したとデタラメ書いていた。 TNTと組んだタッグマッチのムタが一番良かったな。
馳健という後輩扱い相手の試合だったから、遠慮がなかったのかもしれないが。 >>307
まぁ、男同士のあの格好は美しくないとは思う(苦笑)
戦いに美しいとか必要ないんだろうけど、
どうも気になるんだよねぇ。
パワーボムの押さえ込みとか、しかり。 >>317
パワーボムは押さえ込んでいる体勢よりも、ハイアングルに持ち上げている状態の方が美しくないと思うな 今更ながら、田上を押さえ込んだときの天龍には同情するな 今日は8月8日、どうしても88年8月8日の横浜文体の藤波VS猪木を毎年思い出します。 >>313
俺の友達の 親父が
招待で見に行って 「なにも やらねえじゃねえか」
ぶつくさ言いながら帰宅し
それ以降「猪木など たいしたことない」
と言いつづけたらしい >>321
ゾロ目好き日本人にとって永遠に記憶される大会だったな。
しかし以降飛龍革命は無かったかのように忘れ去られた。 >>321
奇妙な偶然があります。
偶然かはこじつけと言われるかもですが。
1988年8月8日 横浜文化体育館
藤波はIWGP王者として10歳年上の猪木の挑戦ー受ける。
✳時間切れドローで防衛。
そして10年後
1998年8月8日 名古ナゴヤドーム
藤波はIWGP王者として10歳年下の蝶野の挑戦を受ける。
✳蝶野に破れて王者転落。
同じ8月8日、それもちょうど10年後たったけど当時の雑誌にはそのことは一切触れてなかった。 >>321
奇妙な偶然があります。
偶然かはこじつけと言われるかもですが。
1988年8月8日 横浜文化体育館
藤波はIWGP王者として10歳年上の猪木の挑戦ー受ける。
✳時間切れドローで防衛。
そして10年後
1998年8月8日 名古ナゴヤドーム
藤波はIWGP王者として10歳年下の蝶野の挑戦を受ける。
✳蝶野に破れて王者転落。
同じ8月8日、それもちょうど10年後たったけど当時の雑誌にはそのことは一切触れてなかった。 >>326
大阪でしたか。
蝶野が初めて、最初で最後のIWGP栄冠でした。
何故か蝶野はその後はIWGPには縁がなかった。
ミスターG1だからそのバランスの為だったのでしょう。 >>300
「あそこで足関なんかするなよ」
ドームの女性客言ってた >>314
この手の自伝ってゴーストライターかせめてゲラチェックする人間がプオタじゃなくてもせめてプロレス好きであってほしいといつも思う
大体こういうのって購買層がどんなのかわかっていて出版しているのにね
あまりにも間違いがひどいと読んでいてイライラするし違うだろと一人突っ込みしてしまう
カブキと戸口の出した本なんてもうギャグの域 >>145
大阪のIWGP戦が最後のチャンスだったな
あそこで勝てなかったのでその後に勝っても意味は無いって印象 >>325
94.4.4広島グリーンアリーナ
藤波が橋本を破ってIWGP王者
4年後
98.4.4東京ドーム
藤波が佐々木を破ってIWGP王者 平成だけど、ベイダービガロ組って最強最高のコンビなんぢゃないかな?昭和の最強コンビのハンセンブロディとのドームセミファイナルが観たかったよ。 8.8横浜は現地にいたけど、ベイダーの入場が長すぎ、ビガロとの場外乱闘長すぎで、生観戦しているにも関わらず「早くしろよ!メインが最後まで放送されないじゃないか」ってやきもきしていた。結果フルタイムだったので他の試合がどうなろうが放送枠になんか収まりはしなかったな >>323
他のゾロ目は新日の場合
1・1 猪木vsボック
10・10 猪木vs大木くらいか。 ベイダー、ビガロの巨大感が薄れそう。
ウィリアムスが全日来た時に小さく見えたからな。 >>333
藤波vs佐々木の盛り上がりが凄くて猪木の試合が霞んだかな >>336
1988年8月8日は月曜日だったために
土曜日のレギュラー放送まで間が空いてしまったのも痛かった
サザンの「旅姿六人衆」を使ったエンディングとか良かった点もあったけど 関西では藤波vs猪木の通常放送分、本来ならば甲子園の中継で無くなってたはずがその日に限って雨天順延になったからめでたく観ることが出来たんだよな >>337
あと、猪木対S小林の2回目の対戦(NWF世界戦)が
1974年12月12日 https://i.imgur.com/AjmfQfe.jpg
パオパオという番組に記載してあるベイダーって何だろう
プロレススペシャルの告知かな >>340
ウイリアムスの体格が小橋とほぼ同じなの見て驚いたな >>334
6人タッグだが、ベイダーとビガロの合体はギリギリ「昭和」。
1989年(昭和64年)1月6日、後楽園ホール。
○猪木&藤波&長州対ベイダー&ビガロ&×リップ・モーガン
このシリーズは、ベイダーとビガロの合体がテーマのひとつだった。
終盤に入り、猪木&藤波(反則負け)、藤波&長州(勝ち、ビガロ(フォール)藤波、
猪木&長州(反則負け)と対戦。 >>345
ニュースステーションで藤波VS猪木の結果速報流したら久米宏が嫌そうにコメントしたんだっけ? >>345
子供向け番組でスタジオでゲームやらされてた気がする。 『ワールドプロレスリング』が放送時間内で終わらければ『ニュースステーション』で
結果を伝えるとか言ってたな。本当にやった事あるんだな、番組の信ぴょう性が一気に
下がるな。 文体は9時オーバーOKだったんだっけ?
公共施設はそれぞれOKだったりダメだったりしたけど
(単純に担当者がメンドくさがったのかエラい人に直接話を持ってったらOKがでたとか)
後楽園も昔ダメだったのにある日を境にOKになったりしたよな >>323
チャンピオンになって猪木相手に防衛したんだから
革命終了 >>353
てか藤波はあの時点でもう腰が限界だったのかも
少し前にワープロクラシックでこの年の12月に行われた
バズ・ソイヤーとのシングルを観たけど
いや藤波が腰を痛そうにしていて受身取るのもしんどそうなのが映っていて
そこまで悪いのを我慢していたのかと改めて藤波のプロ根性に感服させられたよ >>351
>番組の信ぴょう性が一気に下がるな。
どゆこと? >>355
東スポと同じレベルだろ、プロレス扱うと。一応は報道番組なのに。 >>334
海外マットだけどスタイナーズvs.ゴディ・ウィリアムスの新日対全日タッグ代理戦争
と言う豪華カードが実現していて好試合だった。ハンセン・レイスvs.ウォーリアーズ
と双璧の胸躍る素晴らしい対戦カード。
>>345
TBSがNステに対抗して始めたニュースワイドショー・プライムタイムのプロレス特集は
ブームになっていた新生UWFなんだろうね。春先の再旗揚げ戦からTBSは追っかっけていた。 >>136
カーンとユーチューブ出てたよ。
まだまだ元気そうだった。 >>352
一番、厳しいのは、東京体育館、「東京版カーフュー」と
言われた。 >>350
あの番組は小学生の女の子同士が生パンツ丸見えで靴下脱がし対決や
ピッカピカウォッシュという歌の中で小学生低学年ぐらいの男女6、7人ぐらいが
全裸で踊ってたり当時中学生だった俺にはオナニーのネタにするには十分すぎた
ピッカピカウォッシュ録画して残しておけば良かったわ >>321
もう一つの8・8となれば十四年前の日大講堂で行われた猪木とゴッチの実力世界一決定戦 >>360
土曜のワープロで流れる給湯器かなんかのCMでも小学高学年〜幼稚園くらいの男女が全裸で出てたな https://pbs.twimg.com/media/EnGeESgVoAgSFcN.jpg
それまで全日は日本武道館借りられなかったけど、ジャパンと提携したら
大塚直樹のコネで興行出来るようになったんだな。そりゃ負けブック飲むわけだ
負けるのは配下のレスラーたち、馬場本人は何のかんの理由つけて逃げれば
己のプライドだけは保てるしな >>364
十三回忌興行のときは力道山家の顔で借りれた? >>349
なるほどザワールドで
字幕で結果でてきたような 報道バラエティーなんだからアリタのアレと変わらんだろ Nステも初期には金曜にエンタメとかやってたけど、久米もプロレスをスポーツの位置付けでやることには
猪木vsアリの磯村アナみたいな心情だったんだろうなとは想像できるわ
後にテリー伊藤がゲストに出てたとき、橋本vs小川の情報が入って
「これは力道山時代のガチンコなんですよ!」ってテリーがこれもこれでどうかなっていうコメントで熱く語ってたのに対して
「力道山の頃はガチンコだったんですか?」とか小馬鹿にするような感じで久米が相手してたのも印象的だった >>364
今思うと健介x垣原のような番狂わせが無かったな
メインは天龍が勝っても良かったような。。 プロレスの日頃の行いもあるかもしれないが、久米もTBSいた頃から無粋なこと言う自分カッケーな人だったもんな これプロレスの速報ですか?こんなの流すんですねーみたいな態度だった気がする。 >>364
武道館に大塚氏と旧知の人がいて借りやすかったが都体は担当者に何度も付け届けをして
も事務スタッフ全員に行き届くまではなかなか借りられなかった。全日は営業部に
相撲協会と旧知の人がいて全日の「指定日」を蔵前は借りやすかった。
>>371
金曜10時は朝日放送制作の必殺シリーズの枠でNステ開始時に移動させる事ができなかった
ので「金曜チェック」等にバラエティ色の強い日にした。後年にこの時の構成作家が
興味深かった仕事に「SWSに関わった事と」話していた
一方、古舘アナがキャスターだった「報ステ」は小鉄の死去の時に地方巡行時の思い出
とともしみじみと語ったり橋本の死の時も激しい闘いで「プロレスに殉じた・・・」と
さすがにリスペクトしたコメントを出していた。 徳光もフリーになって、バラエティの司会をするようになってから、
プロレスを小バカというか「俺は裏を知っているんだよ」という
発言をするようになった。 >>363
しょうがないだろ
勃起するものは勃起するんだからさ
女の子の全裸も興奮したけど男の子のおちんちんもなんかたまんなかったわ 馬場が久米宏のオシャレ何とかて番組に出た時に
久米宏に終始冷たい態度を取り続けて放送事故みたいになったらしいね。
何かの本で吉田豪が書いてた。 >>379
馬場をデカイデカイと巨人扱いしたのかもな
関口宏の知ってるつもりでは収録したものの馬場の等身大パネルを渋谷の街に持って行ってどれぐらい目立つかとかやって元子の逆鱗に触れてお蔵入りにさせたらしい
逆に徹子の部屋では黒柳徹子が馬場リスペクトしまくりであまりにも興味津々で異例の2回に渡って放送 >>379,380
>久米宏に終始冷たい態度を取り続けて
>関口宏の知ってるつもりでは、お蔵入りになった
逆に
>黒柳徹子が馬場リスペクトしまくり
この中でも最年長の黒柳さんが、いまだに芸能界で
生き残っているのは、それが原因だよ。
少なくとも、ゲストに呼んで、冷たい態度を取ったり
小バカにしたらダメだろ?
久米なんか今、死んでも悲しむ人間は少ないと思うよ。 芸能人なんか、共演することもあるはずなんだから、いくら嫌いでも
プロレスを馬鹿になんかしなけりゃいいのにな。
俺の覚えてるのでは巌流島決戦直後、トミーズ雅が「時間に遅れてきたおっさん
二人が・・」という調子で嘲ってて気分悪かったわ。 吉田豪渾身の名著『悶絶!プロレス秘宝館』の1巻目(全3巻)に、久米宏が司会を務めていた日テレ系のトーク番組『おしゃれ』に馬場が出演した時のエピソードが紹介されているので該当部分を転載しておきますわ そんな馬場イズムは久米宏の『おしゃれ』出演時に発揮されまくることとなる。
読書週間のゲストとして【読書も大きく】なる失礼極まりない副題と共に登場した馬場は「読書がお好きらしいですね」と聞いてくる久米宏に対していきなり「そうでもないですよ」と冷たく言い放ち、番組の主旨を完全に無視するのだからとんでもない。
出鼻を完全に挫かれたため、あの名司会者・久米宏が「ご本名は?」だの「お酒は飲まれます?」だのとどうでもいい話ばかり口にしてしまうという、まるで【放送事故級】の空気が流れるスタジオ…。
そんな中、「コーヒーは馬鹿みたいに何杯でも飲める」と口にした馬場に久米は再び意気込んで切りかかった。
「じゃあコーヒー飲みながら読書したりとか?」
すると馬場はあっさり答えたね。
「コーヒー飲みながら読書するなんて、そんなことはない」
すっかり困り果てた久米の「学校の成績は?」という問いにも「先生に訊いて下さい」と答える馬場の冷たい試合運びもあって、2人の手はまったく合うことがなかった。「本は人に貸さない。読んだら捨てる」という馬場らしさ全開の素晴らしいエピソードも出てくるには出てくるが、とにかくスタジオの空気はバナナで釘が打てるほど冷たいのだ。 馬場が出演した「おしやれ」は録画を持ってるから見直してみるわ。 「柴田錬三郎なら、まあ読まない本はないね」(馬場)
「ああ、それはすごいですね!」(久米)
「まぁ、読まない本もあるんでしょうけど」(馬場)
「ああ、そうでしょうね…(シュン)。柴錬さんのどこが面白いんですか?」(久米)
「面白いから面白い」(馬場)
「聞いたボクがいけなかった、アハアハ(苦笑)」(久米)
とにかく、こんな調子なのである。
それでも懲りることなく、「よく寝る前に読書する」という馬場に対して久米はなおも司会者の意地を剥き出しにして挑みかかる。
「ああ、じゃあベッドに腰掛けたりして読書しているわけですね!」(久米)
「いや、ベッドに座ってってことはないよ。ベッドは寝るもんだから」(馬場)
どうですか、このもはや久米宏を潰そうとしているとしか思えない【キラー馬場】ぶり!
そう、この番組でのトークはストロング・スタイルな馬場人生の中でも屈指と思われる壮絶極まりないガチンコ試合となったのだ。
「(気を取り直して)え〜、本日はジャイアント馬場さんをお迎えして、読書についてお話をうかがったわけですが」(久米)
「でも俺は、人に言われるほど本なんか読んじゃいませんよ」(馬場)
番組の締めになっても、そんなことをしつこく言い続ける馬場。ズバリ言って最高です! Youtubeに久米宏と馬場の対談あるけど普通ににこやかにやってるじゃん。 >>366
あの時は国際が蔵前を使って新日本は蔵前二連戦だった 黒柳徹子は「馬場さんの教えだから」と今もヒンズースクワットを続けているそうだ
プロレスラーをバカにしていたと言えば小島一慶も
ぴったしカンカンで長州がゲストで来た時に「なんでロープに飛ばされて返ってくるんですか?」と
バカにしたように聞いていた >>387
たしかニュースステーションだよね、たぶん。俺も何回かそれ見た事ある。そんなに険悪には感じなかったからここを見て少々驚いてる。 >>387
それ、ニュースステーションのやつじゃない?
死ぬ前に何を食べたいかとか言うやつ。 馬場は初見の相手に冷たい部分はあるだろう。
だれもが一回目はその巨大さに、はしゃいでしまう。
二回目のニューステの時は馬場も久米に会うのは二回目だし、
前回の仕事で相手が有名なキャスターだと知ったのだろう。
高倉健すら知らなかった馬場にいきなりは難しい >>394
偶然会った桑田佳祐から挨拶をされて
後で「おい、あれがゴダイゴか?」と言ったのは有名だしな >>390
徹子の部屋で馬場が「八百長とか言う方がいるでしょ?」と聞かれて理論的に説明してた
何て言ってたか忘れた >>395
越中の定番ネタが今ではそんなに有名になったのか >>396
新聞の記事で馬場が連載したたころ
「皆さんプロレスを八百長といいますけど
試合前から勝敗がきまってるのは
今は無いですよ」と書いてあった >>395
俺はむしろ馬場が『ゴダイゴ』の名前を知っていただけでも嬉しいよw
>>396
その時は、黒柳徹子にこう話していた。
「『技が当たってもいないのに相手が倒れる、あんなの八百長じゃないか?』という話をよく聞きます。
当て身技を受ける前に相手が倒れるのは、まともに受ける前に少しでもダメージを少なくするためなんです。
まともに受けると本当に痛いんですよ。野球でもピッチャーの速球を受けるとき、キャッチャーはミットを
引いてダメージを抑える、それと同じ事ですよ。」 >>396
四天王時代雑誌のインタビューで自分が若いときはアメリカでは知り合いもいないから適当に負けてた。
でも日本で負けると格好つかないから負けそうになると無理やりリングアウトや反則で負けないように逃げていた。
今の選手達はリングアウトも反則もせず負けても良いから最後まで全力で戦っている。今の主力の選手達は凄いんだ。
みたいなことを言ってた。自分の全盛期を落としても三沢達を持ち上げてるのには驚いたな。
ちゃっかり八百長話からそらしてるのも上手。 >>400
レジェンドって「俺らの時代は凄かった。今の選手はなっとらん。」に懲り固まる人と
「昔の選手より今の選手の方が凄いですよ。」と言う人に分かれる
野球だと王、藤田元司、野村は「今の選手の方が凄いですよ」とあっさり言っているな >>397
馬場が越中の買ってきたフィレオフィッシュのファンになったが「馬場さんになんて物
を食べさせるの!」と元子夫人に怒られた話は面白かった。
>>399
日プロ時代にヘッドシーザースを仕掛けられて踏ん張ったために受け身を取り損ねて
次の試合から欠場したと言う馬場の話を聞いてヘタに技を我慢して怪我をしたり
大きなダメージ受けるより受け身を自ら取って双方から逃れるとプロレスの奥深さを
感じた。この休場明けから3000試合突破は始まったはず? >>401
当時の新日ヲタも全日のほうが上と認めてるからな。 高田が馬場のことを「化け物」と言ってた。
なんかの雑誌で見た。 >>403
王の場合、負けず嫌いすぎてそりゃ昔より今だよと断言しつつ、今のスポーツ科学、トレーニング、環境で全盛期の自分が今に身を置けたら更に成績伸ばせたかもしれないと言い出す
貪欲さが王なのかもしれないが >>404
アルバート・トーレスのフライングヘッドシザースで脳震盪を起こし入院たときも試合出場は続けたよ
国内連続試合出場はデビュー〜84年4月25日
26日の大宮スケートセンターを負傷欠場 >>405
>当時の新日ヲタも全日のほうが上と認めてるからな
↑言うまでもなく馬場信者の妄言。
昭和は、天皇陛下までも「共産主義」を崇めていた、レベル。www 誰も批判出来なかった馬場を、ヒクソン戦をアレコレ言われたのにブチギレて、お前呼ばわりでボロクソに叩いたのが高田。
あれは衝撃だったな。
その前スポーツキャスターやってた頃も、馬場の話題が出ると馬鹿にしてた。
馬場とノムさんがそれぞれ3千試合出場記録があるとの話題で、一緒にしたらノムさんに失礼と一蹴したり。 >>410
最強タッグ出場が内定してたのに
「引退してタレントになります」
と馬場に嘘ついてヒクソン戦やって惨敗したからヒクソン戦のことを聞かれた馬場に
「タレントになりたかった人でプロレスラーの代表でもなんでもないしそりゃ負けるでしょ」
と言われて逆恨みしたんだっけ? >>399
銀河鉄道999は名曲だしノリノリで盛り上がれる >>403
野球ファンのある一定の層にいるのは
「野球は昔よりどんどん進歩してる。でも今の野球は技術の
限界まで来ているのでこれ以上は進歩しない、今が最強」
という矛盾したことを言う手合い
とにかく自分たちが見たものが最高で異論は認めない、と
言いたいんだろうけど
でもテーズの時代のプロレスとか見ると、確かに60年代で
もうある程度プロレスのスタイルは完成しているんだなあと
思ってしまう
バディ・ロジャースなんて凄いものなあ ルー・テーズって猪木の1.5倍くらいのスピードで2倍くらい厳しい攻めをしてるよな >>403
野茂も上原がレッドソックスでWCになったとき言ってたな
黒田も現代のMLBでは通用しない サッカーなんてシーズン初め頃に首位に立っていたチームの
組織戦力がシーズン半ばにはもう攻略されてるものね
MLBに行った菊地が驚愕していたけれど、もうあっちの科学は凄いレベル
「野球はテクノロジー化が急速に進んでいる。以前まで選手による感覚で処理されていたものを
数値化し、それを基に技術力向上につなげていくことが当たり前に行われている。
分かりやすいところで言えば、投手が投げるボールの回転数。回転数の多いボールを投げる
技術、それを実現するためのトレーニング、投球フォームなどを研究して、ピッチングを“再構築”
するのだ。また、回転数は一方向ではなく、ホップ成分やジャイロ成分、あるいはスライド回転、
シュート回転するものなどさまざまだ。それら(回転軸)については軽視されることが多いのだが、
投手たちは、回転軸と回転数をつぶさに研究し、いかにして空振りを奪えるかを身につけようとしている。
バウアーはこう持論を展開した。
「回転軸が第一にあって、回転量は次に考えること。回転軸をキレイなバックスピンにしたいんだけど、
自分の(腕の)アングルだと、スリークォーターなのでちょっと難しい。昔は、身体を一塁側に倒して
投げていたから、その分、腕の角度は上向きになってきれいな回転軸で投げやすかったけど、今は、
まっすぐにして投げている分、腕のアングルが変わって難しくなった。その分、スライダーが投げやすく
なったんだけど。12年まではストレートとスライダー、カーブは縦系の変化のものが多かったけど、
今は、左右も使えるようになってきている」
https://thedigestweb.com/baseball/detail/id=6486 タイガーマスクの試合について、今見ても凄い!って人がほとんどだけど、
ファンの中には今見たら今の選手の方が凄いって人もいるじゃない?
タイガーマスク本人はどう思ってるんだろね なんて言うか
技術とか身体能力とか言い始めたら
どんどんつまんなくなるんだよなw
より多くのものを惹きつけるのはもっと別の抽象的な何かだったと思う
昭和プロレスも他のジャンルでも同様 体操とか見ても技術は進歩して当たり前なんだよね
80年代にD難度の技を見た人が凄い!と感じる度合いは
いまの人がE難度を見ても大したことない、と感じるのよりも
記憶にも記録にも残るだろうけど、テーズやロジャース、
タイガーマスクやらは今の目で見ても凄い部分が確かにある
タジリがアジアなどでプロレス熱が盛り上がっている地域で
始動しているのだけど、どこの地域でもWWEを形だけ真似た
「プロレスごっこ」のようなものから入るので困っているらしい
「高度な技術を持っているのですがWWEのトライアウトを受けると
首脳から必ず『それだけではダメなんだ』と言われます。我々に
何が足りないのですか?」
と言ってくる現地の若者に、タジリは
「凄い動きなんて今は世界中にあふれてる。プロレスは技じゃなくて
キャラクターを見せるもの。観客が感情移入したくなるキャラクターが
あって、技はそのキャラクターを紹介するツールとして選択される」
と言ってるそうだけど
思えば猪木も「キャラクター」を見せたから日本を制圧できたんだなあ >>418
タイガーマスクより凄いレスラーは見たことない
空中殺法でタイガーマスクより複雑だったり高度なことしてるレスラーはいるけど不知火みたいに見せる方に寄りすぎて説得力に欠けたり
あと佐山は飛び技関節技蹴りのバランスが取れてて見せ方も上手い https://pbs.twimg.com/media/E6GFtCJUUAck2dc.jpg
シンを呼ぶ予定が決まってた訳でもないのに血を連想させるシリーズ名を付けた大塚氏
スーパースターのマスクが赤いのは流石に偶然だろうか スーパースターのマスクは黒地に青の星のデザインが好きだった。 >>408
トーレスは馬場の巨体にコブラツイストを掛けたくらいだからな
その動く映像も見たい 猪木のモンスターマン戦、高田のバービック戦、桜庭のジャクソン戦と日本のプロレスラー達は黒人の格闘家を利用して強さをアピールして来た。それも八百長や約束破りで。一番最初に始めたのは猪木だから、ここはガヌーに敵討ちとばかりに、見舞い客を装って猪木に近付いて貰って猪木を殴りコ○シて来て欲しい。 >>425
トーレスが馬場を二つ折りにしてギブアップさせたコブラは写真見てるだけで
痛くなる凄さだった
猪木が最後のNWF戦でハンセンを絞り上げていたのも見ていてキツかった
やはりコブラはデカい相手にかけて絵になる
>>422
三沢タイガーが出てきた時、プロレス以外の雑誌で
「技のひとつひとつは綺麗なんだけど、相手をコーナーに叩きつけたりした後に
力を抜いてゆっくり歩み寄ったりする『間』がいかにも全日的でねえ…」
と書かれていたのを見たな
佐山タイガーの良さはやっぱり相手と接触していない時に観客が緊張感を味わえる
試合運びだったんだよなあ >>420
身体能力だけは凄いがプロレスはとんでもなくしょっぱいジョージ高野が落ちぶれて
膝を大怪我して走るのにも苦労する様になってからの
大仁田が日本で屈指の客を集められるレスラーになった事でも分かるな >>413
プロレスは1950年代でもうスタイルは完成してるよ
このオカマレスラーとか凄い動き
https://youtu.be/iK-KXOk7Pkk 佐山も大仁田も、猪木や馬場に次ぐ存在でしょう。あれだけ客呼べたんだから。
鶴藤長天とかは軽く超えている、彼らはそんな看板になったことが一度もない。 >>411
誰と組んで参加するつもりだったんだろう 当時 馬場の事 悪くいったら
週プロにひびいたような >>432
確かに大仁田は、ほとんど彼一枚看板で川崎球場に3万人動員した。
しかし、佐山タイガーはどうだ?
ビッグマッチで両国、武道館のメインさえ取れない。
佐山タイガーが大仁田レベルのスターだったら、
第一次UWFは潰れていなかったよ。(苦笑)
新日の全盛期で、鶴藤長天レベルかそれ以下。 大仁田は全日のジュニアヘビー時代から
デスマッチ流血試合の才能あったと思う
チャボゲレロに勝利して
トロフィーが出た時 チャボにトロフィーで襲撃されたとき
身体が固まって いってんを見つめて 少し震えて
見事だと思った >>435
集客の実績では佐山は前田・高田以下だな。 >>435
それ言ったら後楽園駅ホールで3000試合出場記念試合を行った馬場は大仁田以下になるが。
90年代以降はプロレスのイベント化が進み観客動員が大幅に増えているので、80年代以と比較しても意味が無い。 >>431
これが馬場が渡米して最初に見たビッグマッチの顔役で
「これがプロレスなのか?」
と唖然とさせたオカマレスラー、リッキー・スターか
実はリアルファイトにも強いシューターで、しかしオカマ・
スタイルで大人気、1957年の専門誌の人気投票では
テーズ、ガニア、ロッカらを抑えてナンバーワンだったと
いうけれど、確かに分かる気かする
バレエタイツでも履いたもっとホモホモしいスタイルなのかと
思いきや、パンチラッシュはする、ドロップキック連打はする、
レスリングも見せる、あげくの果てはサマーソルトを連発する、
フレアー・ウォーク(ロジャース・ウォーク)までやる、という
オールラウンドな実力者
これでオカマ芸のおまけがついてるようなものなんだから
そりゃカネのされるスターなわけだ 柳沢健 「1964年のジャイアント馬場」では、1962年のアメリカ
プロレス誌がこんな趣旨のことを書いていると言ってたね
「レスリングは成熟した。究極の高みに辿り着いた。ずいぶん時間は
かかったが、ようやくこれまでの批判や嘲笑を笑い飛ばせるようになった。
現在のレスラーの流れるようなコンビネーションやショーマンシップは、
原子力時代にふさわしくデザインされたものだ。そしてそれこそファンが
望んでいるものだ。レスラーはこれ以上ないほどの高みに達した。
だからいい加減、バカげた言い争いに終止符を打とう。バディ・ロジャースを
フランク・ゴッチが打ちのめすことができたか、そんなことはもうどうでも
いいじゃないか。過去を振り返るのはもうやめるべきだ。
(強さの)代わりにレスリングが見るスポーツとして頂点に達したことを
受け入れよう。そしてすべてを楽しもう!
(レスリング・レビュー1962年4月号)」
「ショーだの真剣勝負だの、強いだの弱いだの、そんなことはどうでもいい。
今のプロレスは昔よりも遥かに面白い。これ以上は望めないのではないかと
思えるほどに。私たちはそれを楽しめばいい。記者はそう言っている。
1962年と言えば日本では力道山がブラッシーと流血戦を演じていた頃だ。
日本プロレスリングコミッショナーは自民党総裁の大野伴睦だった。
韓国では(朴正熙や金鐘泌、パキスタンのペールワンの話などが続くが略)
アジアの国が勝敗の決められているプロレスを政治的に利用していた頃、
アメリカの専門誌は、『全てを楽しもう!』と書いていたのだ。
先進国と発展途上国とのあまりの落差に頭がクラクラしてくる。」 >>439
>後楽園駅ホールで3000試合出場記念試合を行った馬場は大仁田以下になるが。
極論だな!?(苦笑)
確かに、60〜70年代と90年代では、、観客動員が大幅に増えている、
それは認めよう。
馬場だって、日本プロレス時代、サンマルチノやジン・キニスキーを相手に
大阪球場に2万人を集めた。90年代としても立派な数字だ。
俺は、>>435で観客動員数では、大仁田>>>佐山タイガーと書いたのだが
佐山タイガーの活躍期は81年〜83年、大仁田(FMW)は89年〜95年
そうは変わらん。俺も佐山タイガーの才能は認める。
しかし、佐山は球場に2、3万集客するどころか、蔵前、武道館レベルの
メインも張っていないじゃないか?
ということ、その点では同時期に活躍していた鶴藤長天より劣る。
これは事実。繰り返すが、俺は佐山を認めたうえでの発言だよ。 >>443
佐山タイガーの惜しい一つはコステロ戦の武道館で試合出来なかった事だな FMWはビッグマッチの動員は良かったが地方は基本ガラガラだった
年間の動員数ならタイガー時代の新日本とはかなり差があると思う
タイガーはそんなにメイン出てないのは確かにそうだが 大仁田は所詮はサブカル的な人気止まり
テレビで大衆受けはしない ゴールデンタイムで毎週テレビ放送しているのと、ノーテレビを比較されてもなあ。メイン張らなくても、出ると出ないでは注目度も大違いだったろうし。 タイガーマスクの現役時代はメインは猪木だからしょうがないじゃん。
猪木欠場時には地方大会とはいえタイガーマスクのメインもあったし バラエティー豊かな新日本プロレスの中のひとつでしなかったタイガーマスク
藤波、長州、国際軍団、UWF、三銃士
大仁田と並べるのはちと無理があるな
四天王もそう 新日本は頑なにジュニアヘビーを格下扱いしたよな
あのタイガーマスクでさえテレビマッチのメインを任せなかった
小さいレスラーへの評価が低いとされる馬場でさえドス・カラスvsドクトル・ワグナーを後楽園ホールのテレビマッチでメインに据えたりしたのに >>436
泣きのアジテーションもシャーロットでチャボからジュニアを獲った時に片鱗を見せてる。 >>450
タイガーがシングルで唯一負けた金沢のキッド戦はテレビマッチのメインだったよ。 >>450
タイガーはむしろテレビ中継の掴みなんだよな
一番最初に持って来て中に引き込むって役の >>450
当時は新日も全日も「ジュニアはヘビー級より格下」と線を引いていた
人気爆発中のタイガーマスクがカネックと引き分けた位だからね
カネックがジュニアならタイガーマスクが完勝していたはず 大仁田厚の集客力がスゲーって言って悦に入ってる熱狂的な大仁田信者がいるよな
当時は前田が旗揚げした新生UWFが一大ブームを築いていました。新間さんは1984年に第1次UWFを創設した方で、
"前田のUWF"に揺さぶりをかけようとしたんですね。それで、オレは12月22日に大阪府立体育会館で行なわれたUWFの興行に足を運んだんですよ。
新間さんから往復の新幹線代だけもらって、なけなしのスーツと3000円ぐらいで買ったコートを着てね。
しかし会場の入り口に着くと、UWFの神新二(じん・しんじ)社長が現れて「チケット持ってますか?」とひと言。
「この野郎」って思いましたよ。どれだけUWFが人気だったか知らないけど、オレはこの世界の先輩じゃないですか。
それなのに礼儀も何もなく門前払い。その瞬間に、「今のオレはここまでバカにされるのか。
よし、見てろよ、この野郎。絶対に見返してやるからな」って、オレの中で火がついたんです。
それが、自分で団体を作ろうと決意するきっかけでした。
>「チケット持ってますか?」
これ笑えるよな完全な赤っ恥w
で、電流爆破()で頑張ったらしいけど、大仁田体制のFMWって新生Uみたく東京ドームまでやれなかったんだよな
結果的に赤っ恥かかされたUWFを見返す事もできないで、引退と復帰繰り返して引退詐欺師と言われ続ける存在の大仁田w >>455
神新二のUWFはその後空中分解、神を排除して立ち上げようとした新UWFも、
団体を立ち上げることすらできなかったんだから、
大仁田がFMW作ってからは、すでに見返す対象にもなってないだろ? 猪木も前田も一度の引退で潔く現役退いたけど大仁田って全てが女々しいよな
長州と吊るんでドサ周りしてた映像みたけどガラガラで笑ったw 大仁田ってT後藤にオウムの麻原のギミックやらせようとしたんだよな?
後藤が断ってて善かったなな、やってたらサリン被害者とか全国のオウム被害者中心に徹底的に叩かれてたぞ?
その程度の想像力もない守銭奴詐欺師なんだよな大仁田ってw
コイツの信者とかどんだけアホなんだろうw なんだかんだ言って前田に対しては、神も宮戸も詫び入れんだよな。 >>454
よりジュニアを格下扱いしているのはジュニア先進国のはずの新日本
全日本の場合はヘビーのトップクラスか経験者がジュニアに挑戦した例も複数あるのに新日本では一つも無い ジュニアヘビーの先駆者として売り出された藤波だが、リーグ戦に堂々と参加して
ヘビー級の外人選手に当然のように勝っていた。デビュー時からヘビー級の長州が連敗してるのに
これも人気の差かな ジュニアチャンプ時代の藤波と猪木の年一シングル戦が毎年春楽しみだったな。 >>461
ただ藤波もヘビー級転向当初、ブッチャー、ホーガンに完敗していたからね
やはり当時はヘビーとジュニアヘビーには厳しい線引きがあったと思う >>460
>全日本の場合はヘビーのトップクラスか経験者がジュニアに挑戦した例も複数あるのに新日本では一つも無い
それはただの人材不足だろw >>454
UWA世界ヘビー級王座のカネックが79年蔵前で藤波のWWFジュニアに挑戦してフォール負け アメリカといえマサ・サイトーに勝利しちゃったタイガーマスクみたいなのは
結果もマッチメイクもその後考えるとレアケースやね 全日本のジュニアヘビーは105kg以下で下手するとコンディション悪い時の猪木もジュニアヘビー >>446 >>455-458
大仁田の場合本人が人一倍努力したというよりは
バブル期の万事スカした雰囲気特にプオタにとっては金満イメージを隠そうともしないメガネへの反発
それに加えて三派分裂したUへの失望感そういった要素が全て追い風になった
言ってみれば宝くじに当たった様な僥倖の産物だからね (>>469の続き)
だから2度目の引退以降
タレント業の仕事は減る復帰して新生FMWの客層からは歓迎されない
長州とテレ朝に取り入って一時的な再浮上に成功こそするものの
新日に切られてからは活動の場が狭まる一方で信者商法を当てにしてばかり
その頼みの綱の信者達も年毎に減りつつある体たらくといった具合
正直言うと上手くいかない時期があろうと辛抱してタレントに専念して欲しかったんだよな大仁田
せっかく確たる形で芸能界との人脈が出来たのに
見栄張って個人事務所に拘るわ地道な演技や歌のレッスンをサボってばかりいたわで
自分で自分の首を締めるような事ばかりしていたから 昭和にはジュニア時代の藤波、木村健が6人タッグで外人のトップと当たるなんて珍しくなかったからな(もちろんやられ役には違いないけれど)
そしてその頃は中堅外人ならヘビーであってもシングルでジュニアの藤波あたりに
コロコロフォールされている
(ジュニア時代の藤波はMSGシリーズで、第1回はストロンボー、ボルコフに、
第4回はダンカン、スローター相手に勝っている) 藤波はジュニア時代に元WWWF王者のコロフやマサ斎藤にも勝っている。
挑戦者にはグレッグ・バレンタインやソリタリオ、カネックというベビー級の選手もいた。 >>473
ちょっと餌を撒いてやると、すぐくらいつくやつがいるからな ソリタリオってヘビー級なの?
獲得タイトルはミドル級やライトヘビー級ばかりだが >>466
流石にグレッグ・バレンタインに挑戦させたのは無理過ぎた
逆にジュニア時代の藤波がメキシコでカネックの王座に挑戦した事も >>468
ヘビー級は無差別級だとPWFルールに明記されている全日本の場合はむしろジュニアヘビーの方こそが「105キロ以下でないと挑戦出来ない聖域」といった印象 >>464
全日本の場合は人材不足ならむしろわざわざやる必要なんかないって印象 藤波はMSGリーグに普通にエントリーされてたし、これはこれでっていう割り切りと
ジュニアで当時の藤波の実力抜きん出てたって評価もあって、そこまで違和感感じずに見てたかもしれない タイガーマスクがヘビー級のブッチャーやマスクドスーパースターと絡んだときは、そのレアぶりにワクワクしたな。
あと、ラッシャー木村ら国際軍がなぜかタイガーマスクを襲撃したときとか 空飛ぶ呪術師、アブドーラタンバっていたな。タイガーとの試合は面白かった。 アブドーラタンバってジュニアヘビー?
タイガーによく4の字固めで負けてたイメージあるけど。 いたね。メキシコ版ブッチャーのタンバ。
軽やかな技も持っていたようだね。 アニメのタイガーマスクはヘビー級なのに、新日のタイガーマスク佐山はジュニアだった。やっぱりヘビー級だと無理なのか アニメのタイガーマスクって80キロくらいしか無かったような? 三沢タイガーはヘビー級に転向しても、青いロングタイツに黄色の縁取りだった
入場曲も初代アニメのアレンジなんだから、タイツも初代アニメに合わせれば良かったのに >>411
猪木には「よりによって一番弱い奴が」って言われるし。
大御所二人が意見するってことはあの試合はガチだったのか ホーガンが猪木のNWFに初挑戦した81年の闘魂シリーズの結果を見てみたら、藤波は
シングルでアレンにフォール勝ち、ブッチャーに二度反則勝ちしてる
売り出し中のホーガンには初対決で負け、マードック、ブラボーとはシングルでは
対戦がなかった
星野がシングルでブッチャーに反則勝ちしていたり、剛が前田に勝ってるのは
今見るとなんか可笑しい >>490
ホーガンが挑戦したのは80年じゃないか? >>458
頭に血がのぼってる人に何言ってもしょうがないだろうが
オウムギミックなんてのは一切なかったと
ミスター雁乃助が証言している >>489
さすがにヒクソンが、ブックをやることはないんじゃないか? ヒクソンて凄いよなノゲイラやヒョードルに勝ったわけでもなく大した相手とやってないのにボイスの「自分より10倍強い」とか言う持ち上げと勝てる相手としかやらない駆け引きで東京ドームを埋めるんだから ヒクソンほどのプロレスラーはいない
400戦無敗ってその400人ってそもそも誰かわかってすらいないw >>497
「ヒクソンは100%勝てる相手としか試合をしないんだ。
ホイスの方が遥かに立派だよ。」と言っていた人もいた >>482
せっかくのミショネロスとの六人タッグに水を差された印象 >>482
そうだったっけ。どういう経緯であの乱入劇になったか、全然覚えてないw
ただただ、タイガーがヘビー級の連中にやられた!というインパクトだけは抜群だった 新日でタイガーと試合してた頃のミショネロス、まだテハノがいたんだよな。
ユニバーサルの時代には、テハノは抜けてシルバーキングと組んでいて、
シグノやナバーロとは敵対関係だった。オヤジコールとか懐かしいな。 マイク・ジョージが国際軍団の助っ人やってたね。
タイガーの試合乱入したときショルダーバスターやってたな。 >>495
新日本のドームに比べると埋まってなかった ちょうどその時期のタイガーのタイツ、それまで前にだけ稲妻みたいな模様がついてたのがお尻の方にもつくようになって、それがえらいダサいなと思った覚えがあるわ PRIDEのドームは
ミルコ対ノゲイラの時以外は5万人入ったことは一度もない 大晦日の視聴率だって、ノゲイラvsヒョードルよりも曙vsサップの方がずっと上だからな。
全日本プロレスで、長州力よりも輪島大士の視聴率がずっと上だったのと一緒だよね。 >>491-492
大変失礼しました!
月刊プロレスの熱戦譜をたまたま眺めていたので勢いで書き散らしたのですが、
「81年2月号」名義なのをチラッと流し見してそのまま頭に入れてしまったようです。
あいすみません。 ファンクス人気が爆発したと言われるオープンタッグも、視聴率が一番良かったのは
馬場・鶴田組vsR木村・草津組の中継だったわけですし >>504
高田vsヒクソン初来日は同年4月の橋本vs小川と同じくらいの入りに見えた。
発表数は新日のほうがずっと多いんだろうけど。 最強タッグになってからは最終戦を先に放送し、翌週からは総集編にしたよな。 全日は決勝放送翌週以降に公式戦の放送がある場合は、それもちゃんと公式戦として放送してたけど、新日は決勝放送以降はスペシャルマッチ扱いになってたのがなんか嫌だったな
86年IWGPの猪木vsアンドレとか、猪木が決勝進出を決める、かつ初のギブアップ勝利だったのに、ただの特別試合だと意味合いが変わってしまうのがなんとも >>512
最終戦行われたのは12月15日で放送はクリスマスイブだったんだっけ。 ヒクソンがヒョードルやミノタウロとやるもんなら
当時の奥さんが許すはずない
小川でも警戒して 体重差の事など言ったから 今の新日本のヘビー級ってほとんど100sに満たないよな。その分ジュニアも小型化しているけど、ザックや飯伏はいくらなんでもヘビーとしては細すぎて説得力がないな プロレスラーって体重もサバ読みするからな、藤波のジュニア時代の公称体重は98キロ実際は10キロ軽い90キロ前後
公称112キロの猪木はアリ戦の計量で100キロ、まあこれはボクサーとの試合でスピード負けしないため減量した結果で普段は105キロ前後 >>518
スペースローンウルフ時代の武藤も明らかにジュニアのウェイトって感じだったな
皮肉にも全日本に行ってから日本では初のジュニア挑戦 ボビー・イートン亡くなったそうだけど新日への来日は90年代だったか
ミッドナイト・エクスプレス時代に見たかったけど相手も限られるかねえ 新日が「105kg以下をジュニアにする」と言い出して
「厳密に計ると猪木はジュニアになってしまうぞ」と言われていた
当時の猪木は糖尿病の悪化でせいぜい90kg台だっただろう
グレート義太夫はダイエットもしていないのに体重が減少して
体調の異常(糖尿病の悪化)に気づいたそうだ >>523
全日本での105キロ基準は鶴田のジュニア挑戦以来だったか
あるいはあれが藤波のジュニア路線の原型か >>478
どうせ鯖読みまくりだから
何でもいい気がするが
どうでもいい事に拘るのが
プロの仕事と言ったところか コブラやヒロがいなくなった田、越中時代に、急に試合前計量始めたよな。
計量するのが家庭用ヘルスメーターだったのが笑えたが。 >>526
そのヒロ斉藤が新日に戻ってきた後のジュニア王座決定トーナメントで計量に臨んだとき、針がフラフラしてる状態で坂口征二が「もういいもういい」とOKにしたというw >>525
プロレスはサバを読んでも大きく見せるのが普通だから逆にボクシングみたいに減量して下の階級に挑戦するのが珍しい
特にヘビー級偏重のイメージの強い全日本だからこそ尚更印象に残る 昭和のプロレスラーは巨漢揃いだったなあ、猪木だってスーパーヘビー級の馬場や坂口よりは小さいが十分デカかった
グレート草津も大きかったな、当時のプロレスラーはフィジカルエリートが揃っていて迫力があった >>529
ホッジがジュニア最強と呼ばれるのもむしろヘビー級に互角以上に渡り合った点だからな
特にまだまだメインクラスだったテーズからもベルトを奪っているのが特筆 1985年7月28日新日本プロレス「バーニングスピリットインサマー」大阪城
https://pbs.twimg.com/media/D16MErXU4AETLVh.jpg
NWA世界ジュニア王者ザ・コブラとWWFジュニア王者H・斉藤がWタイトルマッチ!
斉藤がコブラをリングアウトで破り2冠王!
しかし結果に納得いかない二人は再試合!
逆さ押さえ込みでコブラが勝利で2冠王に! >>503
国際軍と乱入して佐山タイガーを軽々と持ち上げてヘビー級のパワーが見せつけたが
無気力ファイトをしたのか?怪我でも無いのにカードから外されて「当人は連戦が
続くから休みをくれた!」と脳天気に過ごしていてこういう所が次ぎの招聘につながら
なかったのかな? IWGPジュニア越中エリックの試合で、試合前の計量で
ケビンが体重オーバーで急遽ノンタイトルになったけど、
あれはどういう意図のブックだったんだろうか? 藤波が78年に凱旋して、ジュニアヘビーというカテゴリーを浸透させた功績は大きいが、
それはそれであって、猪木の後継者という切り口では常に不安要素が付きまとってたな。
その流れの中で佐山がジュニアの旗手として頭角を現し、藤波は背中を押される感じでヘビー級転向。
しかし前田という世代を超えた逸材が現れ・・。と80年代前半までもなかなか予定調和的でもなかった世代交代。
ましてや80年代半ば以降の波乱の動きはその当時(80年代前半ね)でさえ想像に及ばなかったよな。。 >>534
IWGPにおける前田の存在感は半端じゃなかったからな
まさに本命登場って感じで >>531
意外にもあの二つの王座を掛け合ってのダブル戦ってあの時だけなんだよな >>535
いくらなんでも
全裸で5ちゃんするな
ちゃんと服きろ
風邪ひくぞ でもIWGPでの前田売り出しはやや中途半端な気もしたな。
アンドレの足を引っ張るのがカーンでなく前田、にしても面白かったかも 昭和のプロレス界はまだまだ年功序列の風潮があった
前田を売り出すにしても先輩レスラーに泥を被せるには無理があり過ぎた
ラッシャーをカーンに負けさせた事すらいまだに物議を醸すのに
プロレスがヘタクソな前田を盛り上げてまで
猪木の後継者に押し上げる意味があったのかという >>538
ここでの前田の役割はいわば後の東京ドームでのレッドブル軍団みたいな感じだな
IWGPという特殊なイベントを盛り上げるために異分子を組み込んだみたいな
過去でいうならワールド大リーグ戦におけるクラウザーみたいな物か 結局前田はメキシコ勢に勝っただけ(あと帰国したワンツに不戦勝)で、
猪木ホーガンアンドレ、さらには木村カーンスタッドにも負けだからなあ
初来日のクラウザーはリーグ戦の負けはミスターXへの反則負けだけだった 出戻り後の前田は確かにぃ勢いはあったかんな。
大変貌を遂げたっちゅう感じだったぞぇ。
しかしぃ前田にゃプロレス脳が足らんかったんよ。
前田にプロレス脳があっちゃればもぉちぃとぁ違っただろぉ。
寧ろぉ高田の方がプロレス脳あったっちゅうに思うちょるわぃ。
前田はぁ悪い意味で若手んときから『クラッシャー』だかんな。
そぉゆぅ面でぁ前田は何をするかわかんない、っちゅう。
危険なキャラクを確立でけた部分はあってもぉちゃる。
そんでもぉそれが原因で猪木からはぁ対戦を避けられてもぉた。 >>542
ワンツとはテレビマッチだっただけにどういう試合になっていたのか
それだけに藤波や長州が勝てなかったオーンドーフにあっさり勝ってしまったインパクトが大きかったんだよな 浜口「オットーが一番強い」
オットー・ワンツ「ありがとう。今日はオレの奢りだ」 >>542
スタッドに負けたのは公式戦だけで、後は闘魂シリーズも含めて
前田の反則勝ちか両リン・両フェンだった。 イワンゴメスが、木村政彦やエリオ・グレイシーとも戦ったサンタナとバリトゥードやってる映像がユーチューブにあるけどゴメス普通に強いな
https://youtu.be/KxBbYDHLwH4 https://pbs.twimg.com/media/Cih00yyUoAA3TWn.jpg
デビットやケリーと比べて体格や実績に劣るケビンだが
長生きした事でエリックの血筋を耐えさせる事を防ぎ
ロスとマーシャルを三世代目としてプロレス界に生み出した貢献 >>547
猪木ならホウキとでも名勝負が作れるから大丈夫! ホウキじゃないけど
いしいサミットって興で 脚立 VS コタツ の試合があったけど名勝負だった
DDTのヨシヒコよりよっぽど説得力あったよ このシリーズはまあまあ豪華だった。
中止になったけどディンゴウォリアーの来日予定もあったし。
https://i.imgur.com/F3kRBDn.jpg >>553
このシリーズUWFいなかったらゾッとするな。。 >>553
>>540が足元にも及ばない強力外人勢 >>553
このポスター見ると藤波とケビンでIWGPのジュニアを争うように見えるけど違うよね? >>553
コブラは、ブラックとベルトをかけて試合をした派手なマスク。パトリオットみたい。 >>559
リーグ決勝のキッドとスミスに離脱された以上はMSGの権威下で決定戦をするしか無かった印象
なんとあの年のWWFジュニアの防衛戦は一度だけ >>554
何でポスターに使われる猪木の写真ってこんなブサイクに写ってる奴ばかりなんだ >>540
こうしてみて見るとちょっとしたホモビのパッケージデザインとしても違和感がない。。 >>556
前田達が来る前にはもう両国や大阪城ホールは決まってたはずだから、
どんなマッチメイクの予定だったのやら。 >>566
猪木VSケリー
藤波木村VSマッドマックス
コブラVS越中
これでいっぱいいっぱい 藤波vsケリー
猪木木村vsマッドマックス
坂口星野vsナガサキポーゴ >>553
あと一人や二人、ダラスからなんとかならんかったのかな? 結局両国のメインが猪木vs藤原だからあまり変わらんな >>570
>>567>>568のカードだとタダ券ばらまいても5千人いかんわ。
猪木vsUWF代表だからこそ両国が満員になった。
まあファンの大多数が期待してたのは猪木vs前田だったろうけど。 でもその日の両国はUWFで試合したの藤原だけだったよな? ふと思ったんだが、健吾って顔も体型もウォーズマンに似てない?
モデルにしたんじゃないかな >>380
>>381
他の人は知らんけど、関口宏に関してはプロレス
をどうとかじゃなくてリングでの格闘技全般に対してあんまり敬意を持ってない。
ボクシングの世界戦の模様を紹介する時にあまりの敬意の無さに
ボクオタが怒ったなんて事もあるし。BSでやってるトーク番組でゲストで来た
F・原田が自身が世界挑戦した時のグローブを持参して来てもらったのに、それを見て開口一番
「きたないですね〜」だったから。 >>569
やはりブロディの参加も予定してたのかな >>575
ボイコット直後のシリーズだから難しいだろうね。 >>572
このシリーズのUWF勢はUWF代表決定リーグ戦(2回総当たり)
以外は殆ど試合が組まれてない。
たまに藤原・木戸・高田がタッグで出たくらい。 ここでw かつて藤原が披露した「簡単ナス料理」を披露。@ナスのヘタをもぐAヘタのついていたところから割りばしを深く突き刺すB割りばしを抜いた穴にショウユを流し込んで揉む(完成) なかなか藤原な味がするから、ヒマだったらためしてみてw 日本人選手大量離脱があり、ホーガンらWWF勢やブロディ、ブッチャーも去ったが、
UWFやジャパンがまた引き寄せられるように出戻る。
やはり猪木の人間力は磁石のようなものなのか。。 ブロディ、ボイコット前は翌年の来日スケジュールとか決まってたのかね?
WWFからも提携切られてたしホントUWFが帰って来なかったら悲惨だったね そういえば86年はアンドレ新日に来たけどWWFとの契約はどうなってたんだろ? >>584
個人の契約があったんじゃないかな
ホーガンにもあったらしいが
猪木が容認してなかったことにした マッドマックスは変に期待してしまったな
試合見て塩なのが分かっても何故か次に期待してしまった
毎週ワープロで見たかったw >>586
マッドマックスは86年の1月毎週TVマッチには出てたな
大阪城前の週は1号のシングルだったけど 第2のウォーリアーズにしたかったんだろうけど、
なら毎週3分くらいで圧勝させないとな。中途半端だった。 >>588
そう思う。星野キャット組辺りに秒殺勝利でっていうインパクトが必要だったな。 >>574
関口宏、久米宏は自分の興味あること以外は極端に馬鹿にしたがる傾向があるな >>590
久米はヒクソンもかなり馬鹿にしてたから、ただの好き嫌いでガチ論者でもないのかな 久米は逆にペイジ・プラントやリッチー・ブラックモアに対するはしゃぎ様は見てて赤面物。 「世代闘争とか言わんとな!誰が一番強いか、決まるまでやればいいんだよ!決まるまで!」 前田のしどろもどろの一人ごとはマスコミが修正捏造して勝手に伝説にしたがるからな >>590
ダブル宏で,
関口は、1943年7月13日、
久米 は、1944年7月14日生まれか!?
両方とも、残骸左翼。俺は嫌いだ。 >>567
猪木 藤波 木村vsマッドマックス ナガサキくらいかな >>573
健吾に握手もとめたらコ〜ホ〜コ〜ホ〜唸ってて不気味だったな >>579
それ、何かのテレビ番組で俺も見たなw
料理作るときの合間に紹介してたかな >>579
生のままでいいの?
暑い日とか良いかも >>598
生島は大道塾東孝の同級生で初期の格通で対談してた
今調べて東孝が亡くなってたの知ったわ >>591
ニュースステーションでジョー・モンタナに球入れゲームをさせて
「上手い上手い」とか言っててすげえ不快だった
モンタナは大人だったから笑ってたが
あんな扱いをされたら怒っても不思議じゃなかった メッシやロナウドだって、看板くりぬきゲームやってるだろ。
要は小遣い稼ぎ。 >>599
生島ヒロシは、1995年4月2日、ベーマガ社主催の
「夢の懸け橋」の司会をやったが、開口一番、
「ヘイ!乗ってるかい!?」
もう、それ死語だよ、、、 >>605それは、ハッスル!ハッスル!が一時流行ったのと同じで、
一周回って逆に笑えるなw コロナで しばらく後楽園ホールの
売店 閉まってるので
家から弁当作って行ったほうがいいよ 生島ヒロシはライオネス飛鳥をライオネル飛鳥と呼んでいた。
ライオネル・リッチーじゃねーつうの! >>602
空手の有段者のはず。海外留学中は空手を現地の子供に教えていたらしい。 芸能界喧嘩最強はMr.オクレだそうだけどネタだよね?
山本晋也監督はホントに強かったらしいけど(日大応援団長) ちなみにライオネスとは雌ライオンの意味。
生島ヒロシがライオネル飛鳥と呼んでいたのは芸能人大運動会での実況だった。 割とアナウンサー性格悪いくらいじゃないと成功しないみたいなとこある業界やね
関口同様大橋巨泉周辺の人間だと、石坂浩二は例の猪木vsアリのポスターとか描いてたけど >>611
大木凡人は190cmで極真の有段者じゃなかったっけ? 関口宏 職業俳優
久米宏 職業フリーアナウンサー
職業は違うが、興味の範囲は大変狭く興味ないことは徹底的馬鹿にするのは似ている 猪木が日プロ乗っ取りを認めたな
「俺の周りに俺を利用しようとする奴らがいた」
「(乗っ取り)そう見られても仕方なかったかも」 >>615
大木凡人はデカいが190もない。
せいぜい180cm(公称)、
今はちょっと縮んでいる。
以前、自由が丘で時々、見かけた。 >>617
>「(乗っ取り)そう見られても仕方なかったかも」
自分にその気はなかったが、(後から思えば)誤解されても仕方なかったと言ってるんだろ
乗っ取りを認めたことにはならないだろ >>620
上手く行ってたらそのまま乗ったんだろうがな 東京プロレスが成功しちゃれば新日はでけなかったかんな。
しかしぃ東京プロレスが新日以上になったとぁ思えん。
やっぱぁ新日だからこそぉ大成功でけた。
猪木もそれぁわかっちょるはず。
また藤波もぉ新日だからあんだけビッグになる事がでけた。
全日ならあすこまでにゃならんかった。
佐藤昭雄ポジションだろう。
しかしぃ藤波がもしも佐藤昭雄ポジションなら本当に宝の持ち腐れだな。
そいから馬場は自分の団体を《新日本プロレス》にしたかったらしいかんな。
でもぉ猪木に先を越されてもぉた。 >>620
木村昭政が自分の知らない所で勝手に動いてたというなら猪木の関与はないけど自分を利用して乗っ取りと思われても仕方ない動きをしてたのを自覚してたのだから乗っ取りだよ >>584
新日に来てた時期は抗争してWWEを追放されたアングルだった
だから戻った時は新日から持ち込んだマシンギミックで登場した × 抗争して
○ 抗争してたヒーナン軍団の策略で
マシンギミックが終わった後は追放アングルなんてなかったかのようにあっさり
素顔に戻り、ほどなくヒール転向 >>617
ソースはどこ?
猪木が死なないと明らかにならないと思っていたが、自身が綺麗事抜きで話し始めるのか。 >>548
ゴメス対木戸
https://youtu.be/5e8hSnUyBn4
なんというか…よくルスカはギリギリまで我慢したな、えらいという感想
背中とか脇腹への掌底がイヤらしい
ストロング小林は可哀想、こんなのやりたくなかっただろうに >>626
今出てる猪木の本
ホーガンに失神させられたのもあの後しばらく呂律が回らなくて選挙出る前に古舘に発声の練習してもらったとか言ってる 古館もライガーチャンネルで舌だしはガチだったと言ってるよね。
負けるのは決まってたようだが、あのアックスボンバーは決まり過ぎたようだ。
田コロでアンドレの軽いラリアットで寝る予定だった高橋が病院送りになったようなやつだな 藤波は思い切りが足りない
飛龍革命で髪を切った時もなんであんな先っちょしかきらねえんだと書いてる TPGは初めベイダーの相手は藤波だったのに藤波がびびって拒否したから仕方なく自分が2連戦やったと >>567が
猪木VS木村
藤波VSコブラ
越中ケリVSーマッドマックス
>>568が
猪木星野vs藤波木村
坂口vsケリー
ナガサキポーゴvsマッドマックス
これなら少しみたい
>>629
すぐ気づいたけどヤベーと思って最初から考えてたことにしたのかも >>614
そりゃ古舘がテレ朝退社した直後に同僚に会って挨拶したら、別れ際に「潰してやるからな」
と言う世界ですし 連投になるが
新日に来日外人で評価されたのに突然来なくなったレスラーの中には日本でトラブル起こしたのが結構いるね
暴行で逮捕 オートンJr.、クリスアダムス
薬中 バズソイヤー
盗癖 ジョニーパワーズ、ヒギンズ
新日に限らずなんか?全日参加外人レスラーのトラブル話ある? 「馬場さんとブッチャーは当たらないのに倒れるから凄い」
「ブッチャーとは2回シングルでやったけど俺の器量が足りなくていい試合に出来なかった」
「馬場さんとは若手の頃やって16連敗したけどなぜかって?知らねえよ。興行的なものがあったんでしょ」 >>637
スティーブ・ウイリアムス ハルシオンの大量保持で成田から強制送還
トム・ジンク ホテルの自室で大暴れ
ダニー・スパイビー WCWから誘われてると馬場に駆け引きを持ちかけ一年くらい干される
ドリー・ファンク・Jr. 新しい嫁がカメラマン気取りで色んなところで撮影したりした上にギャラアップを要求して元子の逆鱗に触れる ベイダーなんかノアでは宿舎で毎晩のように暴れてたんだろ。 全日はジョー樋口が結構目光らせてたとかいう話だったか >>628
失神後に発声障害が出たことは当時の一般向けのインタビューでも話してたし、
そこは一貫してるんだよな。だからガチ失神と言うつもりはないが。
>>629
色々と憶測の流れる舌出しだが、「ザ・プロレス」ってタブロイド版に
キムケンが舌を引っ張り出す決定的瞬間が映ってたよ。 >>630
アレでも勝手に切った事を奥さんのかおり夫人に責められて(´・ω・`)となったそうだ 決勝の失神を猪木の芝居とか言ってるのは新間、トルコ、高橋、ゴマシオだぞ
酒の席のヨタ話ならともかくマジにとるなよ たまたま客が入ってたからよかったけど
ただ失神してた振りしてただけなら
1シリーズ欠場で穴をあけるなんて
会社の売り上げに響くような事をしないわな あの失神がマジだったら坂口が人間不信なんて置き手紙は書かんわな。
猪木の失神がマジとか言ってるのは猪木だけ。いや猪木だってその後に発声練習したと言ってるだけだ。古舘は舌が出てるのを見ただけで、それは誰かが窒息するかもしれんと舌を引っ張りだしたが正解。>>643のキムケンか。
ていうか昭和新日スレで猪木舌出し失神事件が取り上げられるのはひさしぶりだね。 猪木の替え玉で救急車に乗せられとか前田当人が話してたけど、どこまで信用していいのかって話が多いわな >>643
つまっちゃって本当に死にそうだからケンゴが引っぱったんだろ。
過程が問題じゃないでしょそこは。
>>647
坂口の人間不信はIWGP初代王者は猪木で決まりと思って担いでがんばってきたからだろ。
ホーガンに勝たせる=猪木周辺が仕組んだこと
猪木の失神=これは単純にアクシデント
だったと俺は思っているのだが。 梶原一騎の取り巻きから逃げる説はすっかり取り上げられなくなったな 動画でかすかに音声が入ってるけどこんなやり取りがある
試合結果をどうコールするかでケロ、高橋、坂口の話し合い
ケロ「ノックアウト?」
高橋「リングアウトではないです」
坂口「ノックアウトってのはリングの上で大体・・・ノックアウトでいいやもう・・」 柔道やってた坂口があれだけ大慌てでルール無視でリングの上に担ぎ上げたから最初は本当に失神したのかも
リング下でホーガンから後頭部にアックスボンバー受けておでこをしたたか鉄柱に打って凄い音してたし >>646
クーデターで会社を追われそうになってんだから、
欠場してもおかしくはない。 はっきり言ってホーガンが一番の被害者だったな
あの憔悴しきった顔でトロフィー持ってフラッシュ焚かれていた姿が気の毒すぎる >>655
あの時の来日までのホーガンは、猪木にフォール負けしても構わない格だったんだよな。
次の来日からのホーガンは、猪木相手でもフォールされるわけにいかない格になっていた。 昭和56年までのふっくら猪木ならあれだが、昭和57年からの病気猪木じゃあホーガンに勝てなそうだと思ってた。 猪木失神事件の時、ホーガンはあの結果を知らされておらず
怪我させてしまった事でギャラが支払われない事だけ心配してたなんて
櫻井氏が書いていたが、アレも出鱈目だったのかな ウチのクラスではダウンしてる猪木をリングに上げる坂口に不信感蔓延してたぞ 新間が「坂口がリングにあげたからノックアウトではなく反則負けだ」と言っていた。猪木KO負けは避けたかったとか。 >>656
83IWGPの頃ではフォール負けでもクイックしか許されなさそうな感じだった。 >>651
でも実際は梶原一騎、半島系ヤクザ、士道館(結果的にブレーキ役)から逃れる為だろ。
ホーガンはWWF巻いてからビッグになりすぎてもぉたかんな。
そんで来日もでけない状態になったんよ。
あのまんま来日しちょったらなぁ。
そぉすりゃあ逆に猪木がフォール許す羽目になっちょったっちゅうに思うたが。
やっぱぁ世界のホーガンに日本の猪木だかんな。
世界のホーガンをフォールするわけにゃあいかん。
かと言うて毎回両リンみたいに曖昧決着も続ける事ぁでけない。
85年でホーガンは来日しなくなったかんな。
そっから8年も新日にゃ来日せず。
新日も全日もホーガン呼ぶにゃあかなりぃの金が掛かった。
代わりがいちゃれば高い金出して呼ぶ必要もないかんな。
SWSは金があったからホーガンを呼べた。
他にもぉWWF外人を大量に呼んだりもしたかんな。
金に物を言わせて。 >>637
ドリーの娘は武藤全日時代のドリーの引退試合の時にいっしょに来日して三冠戦を
リングサイドから撮影していた。母親よりはやさしそうだったw
>>644
あの少し切っただけでも後で調整が大変だったらしい・・・
>>646
MSGシリーズ途中離脱、IWGP失神事件後の二度渡る^木欠場の影響も受けず興行成績
も順調だったのが「^木抜きでもやれる!」とクーデター派を勢いづかせた。ただ
^木・坂口・新間の存在感は凄くて三人が国内いない隙を狙わなければならなかった。
PWF奪回のためにシリーズ全休したために「馬場抜きシリーズ」となり「どうせオレが
いないんだから赤字だろう!」と馬場は思っていたらカブキブームもあり興行成績が
絶好調だった。全休のはずが上田の挑発を受けてと言う事でで最終戦に出場して上田
を脱臼させて存在感をアピールした。 ホーガンは初来日から日本人で負けたのは猪木だけだったよな
リングアウトや反則絡みじゃない負けは81年名古屋のギブアップ負けが最後か? 猪木がホーガンに勝つには当時の猪木の技はマンネリだったね。後のアンドレ戦の腕折り固めや魔性のスリーパー的な新技を見せないと難しい。長洲戦のグランドコブラとか 猪木vsホーガン シングル対戦結果
【1980】
5・23 宮城・迫町民体育館 1/60 〇猪木(5分40秒 反則)●ホーガン
11・3 東京・蔵前国技館 1/61 〇猪木(13分19秒 体固め)●ホーガン(NWFヘビー級)
【1981】
3・9 愛知県体育館(名古屋市) 1/無 ●猪木(12分22秒 反則)〇ホーガン
5・12 宮城・名取市民体育館 1/30 〇猪木(11分7秒 リングアウト)●ホーガン(MSGシリーズ公式戦)
12・1 愛知県体育館 1/60 〇猪木(9分57秒 卍固め)●ホーガン
【1983】
5・19 大阪府立体育会館 1/60 △猪木(15分21秒 両者フェンスアウト)△ホーガン(IWGP決勝リーグ戦)
6・2 東京・蔵前国技館 1/無 ●猪木(21分27秒 KO)〇ホーガン(IWGP優勝戦)
【1984】
5・11 福岡スポーツセンター 1/60 ●猪木(9分43秒 反則)〇ホーガン
6・14 東京・蔵前国技館 1/無 △ホーガン(17分15秒 両者リングアウト)△猪木
延長戦 1/無 △ホーガン(2分13秒 両者エプロンアウト)△猪木
再延長戦 1/無 ●ホーガン(3分11秒 リングアウト)〇猪木
(IWGP優勝戦)
【1985】
6・13 愛知県体育館 1/60 〇猪木(11分25秒 リングアウト)●ホーガン(IWGPヘビー級)
こうやって見ると猪木がホーガンにちゃんと勝ったのってあんまりないんだな。 >>667
85年は「IWGP&WWFチャンピオンシリーズ」で、明らかにホーガンやWWFに遠慮してたよな。
ホーガンは本戦に出てなくて、優勝者の猪木との防衛戦みたいな変な感じだった。
試合はカツカツのリングアウトで、客が不満抱く前に、猪木が喜び爆発だった記憶があるわ。 >>667
84年は開幕戦の特別試合で完全フォール負けして
優勝戦は乱入なしのリングアウトで完勝、あわよくば逆さ押さえ込みとかでフォール勝ちの取引き出来なかったのかね >>663
新日とホーガンとの個人契約があったけど猪木が解消したんだろ。
新日との契約がなければAWA王者になってたんだろうけど。 意識がない状態で見つかって集中治療室に入って10日か。心配だな >>662
梶原はあの決勝の前既に逮捕されていて
しかも(何故か忘れ去られているけど)それまでのパワハラ暴力沙汰の数々や虚言癖
(自称柔道六段空手五段と自慢していたが勿論そういった認定記録は無し)を暴露されて
今の河村やDaiGo並に叩かれていたからそんな圧力をかけられる影響力や実行力なんか無い
あの日詰めかけていた借金取りはまた別のルート 何だかんだで昭和の頃のケロは好きだったな。心配だ。 >>675
柔道は知らんが空手は名誉段だが持ってるぞ (>>675の続き)
どうも梶原とのトラブルに関しては
梶原サイドに都合の良い言い分や
猪木と不仲だった頃の新間の放言ばかりがソースにされてるけど
要は三共企画(梶原が出資していた映画制作会社)の台所事情がそもそもの原因
「もどり川」という映画があってこれの公開自体は猪木vsホーガン決勝の約2週間後だったんだけど
度重なる撮影の遅延や予算オーバー等で公開が延期になっていて
配給元も東宝から傘下の東宝東和に格下げ扱いになって
上映館数も当初見込まれていた数から減らされていたから
公開前に赤字が確定している状況だった
その赤字をどう解消するかの話し合いの中で
梶原が「タイガーマスクを主役にしたアクション映画を撮れば一発で赤なんか消し飛ぶ」みたいな軽口を叩いたのを
周りが本気にしてじゃあ今すぐにでも製作にかかれと要求されて
引っ込みがつかなくなった梶原が新日に
「タイガーマスクの映画を撮るから佐山のスケジュールを空けろ」と強要したんだよ
当然急にそんな事言われてハイ直ちに手配しますなんて承諾出来る訳がない
新日が梶原の無理強いを断ると逆ギレした梶原が
誰のおかげでタイガーマスクがあるんだと版権(今の契約法の基準だとかなり曖昧でいい加減な内容だった)の話を持ち出したり
俺の顔に泥を塗るとタダじゃ済まんぞと脅し始めたりしたから
新日と猪木側(とテレ朝)がある意味トラップに掛ける形で警察沙汰にしたのが本当の所なんだよ 梶原の映画会社は三協映画だよ
「三共企画」ではない >>669
名古屋を舞台にしたのは東京や大阪よりも暴動の危険性が低いと見たからか >>680
田中ケロちゃんに関しては。
ホントに好きだったんだよ。ファンにも丁寧だったし。旅日記も面白くって年末には必ず新刊買ってた。最初は猪木坂口藤波、長州マシンマサ、前田藤原、他にはキチンとリスペクトをした上でネタにしてたしライガーや三銃士のエピソードも「リングで闘うプロレスラー」の別視点でのエピソードを楽しく紹介してた。だからこそ愛すべきリングアナウンサーだった。
メインイベンター達が自分の後輩になってからだよね嫌な奴になっちゃったのは。
またあの美声と楽しい文章を見せて欲しいよ。 実はサインしてもらった「ケロのモノを投げないでください 」持ってたりした 1983年は猪木がKOされたり、梶原一騎が逮捕されたり、
本当に「ひとつの時代が終わった」と思ったよ。 日プロにアーニー・ラッドとロッキー・ジョンソンが来日した時「黒いBI砲」と呼ばれた
黒い馬場がラッドで、黒い猪木がロッキーという訳だ。令和の今そんな宣伝したら国際問題 >>682
暴動も何も
猪木のリングアウト勝ちで客も大喜びだった ケロがもう62歳というのに驚いたが、考えてみたら40年前タイガーマスクがデビューする前から
リングアナやってたんだから、そりゃそれくらいになるな。 >>687
その数日前に東京でやったIWGP決勝のアンドレ戦のリングアウト勝ちは
暴動にはならなかったけど微妙な雰囲気だったよね。 ケロと菊水丸がやってたラジオの「闘魂プロレス塾」「おはようプロレス」が懐かしい コロナ!いいかよ〜く見ていろ!これがケロのパワーだ!ケロは絶対負けない! >>690
闘魂ザ・ワールドだっけ?
当時前座だった高田の話題になって、食べても太れない悩みを紹介してたのが記憶にある 山口良一のオールナイトニッポンではケロはほぼレギュラーみたいになってたな。 >>697
長州らの新日離脱をいち早く伝えたのもこの番組だったな。 >>667
良い筋書きだね。
結局ホーガンをピンフォール・ギブアップさせたのって猪木だけか。 >>696>>697
オールナイトニッポン内でのコーナーが人気になり独立して関東では土曜の夜に
単独の番組として放送されて好評を博した。
>>683
田中・仲田両リングアナの年末のタッグリーグ戦での旅日記は面白かった。
2月には元気にラジオに出ていたのに・・・ >>700
その前にナイターオフの月金の10分の帯番組だった。
ナイターが始まって土曜の夜に移動になったが、
ナイター延長で殆ど放送されることなく終わった。 >>683
ケロちゃんファンサービスは良かったよな ケロは団体が自分より年上ばかりだった頃は良かったが
年下のレスラーが増えて来たら何か性格変わっちゃった気がするな。 大量離脱で若手の面倒見れる選手がいなくなったから、代わりにケロちゃんが兄貴分みたいになったのが大きい。
ソープ蝶野ランド佐野のノリが、彼らが上に上がっても抜けなかったのが残念。 >>704
橋本真也のことは「5kgウ○コ橋本」と呼んでいたな。 橋本「身長183センチ、体重…」
ケロ「160キロ」
橋本「100キロ」
ケロ「うそだ、もっとあるよ」
橋本「ウ○コをして100キロ」
ケロ「じゃあ普段は105キロだ」
橋本「5キロもウ○コはしない」 ケロは蝶野をラーメンマン蝶野、ライガーになる前の彼をコロポックル山田と呼んでたな。
武藤はあだ名で呼ばれてたかな? ケロちゃん、新日がHPつくって試合結果載せる様になったら、毎回 ベイダー初期のハンディキャップマッチって、よく考えたらストロングスタイルの対極にあるのにな。
その辺は全日のほうが常識があった。 ハンディキャップマッチはマクガイヤー兄弟、ハンセン、猪木とかもやってる >>710
藤原喜明&木戸修&山崎一夫 vs ビッグバン・ベイダー&マサ斎藤は
試合前から木戸と山崎がどっちらけの表情で藤原だけがベイダーの甲冑に蹴りを入れて
盛り上げようとしていた
試合は山崎が技らしい技も出さずにベイダーに負けて終わった >>712
あの試合、ベイダーが手を広げて叫ぶと甲冑から煙が吹き出すパフォーマンス、
シュポっとしか出なくて失笑がもれてたな。
その甲冑を自分で担いでセコンドに渡すベイダーが不憫だった。 >>710-711
リアルでは見てないけどアンドレもやってたんだろ?ハンディキャップマッチ ベイダーが坂口、健吾組と1対2のハンディキャップやったのは酷かった。
あの頃のマッチメーカーは坂口? >>710
全日もハンディキャップマッチやっていたよ。
ブロディ日本デビュー戦(1979.1.2 後楽園) vs大熊元司・伊藤正男
とか。 >>716
同じシリーズでブロディvs大熊、肥後
86年にホーク負傷のためアニマルvs浜口、仲野
ジャパンのシリーズで
キマラvs永源、栗栖
キマラvs寺西、永源
これで全部かな? ブロディ初来日のシリーズは、キムドクまで秒殺される役の雑魚キャラにされた。
シリーズ最終戦でキムドクは鶴田と60分フルタイムだから、間接的に鶴田下げにまで。 アニマルも輪島の日本デビュー戦でハンディキャップマッチやってたな。 >>627
当時のグレイシー最強のカーウソンでも攻められまくっての引き分けで、その後は理由つけて戦わなかったし
ルスカもバックまで取られてたし、タイマン裸でロープブレイク無しならあの頃世界最強だったかもしれんイワンゴメス 1番有名なハンディキャップマッチは猪木VSはぐれ軍じゃない? >>722
それな。
相手がいかに若手でも、ストロングスタイルを標榜する以上、
1対1は守らんとなって俺は個人的には思うわけですよ。 >>723
それはそういうストーリーの流れがあったからいいと思う。
寺西や浜口が試合にちょっかい出すんだから。
でも>>722みたいなのは、良くないと思う 元々>>722はファン感謝デーのエキシビションマッチ5分1本勝負のシングル2連戦
猪木vs山田の試合中に船木が乱入してハンディキャップマッチの形になっただけ >>710
昭和の新日、最後にプロモーターの賞金争奪バトルロイヤルとかを地方ではしたりしたことあったから、しょっきりみたいなのはむしろ新日の方が好きなイメージ >>722
>猪木vs山田&船木
まぁ、あれは「ファン感謝デー」のアトラクションじゃないか? >>726
そういう、流れでなったとハンディ戦いうと猪木・山田vs藤波・長州で山田が秒殺されて、
その後に猪木vs藤波・長州をやったのがあったな。 88年のベイダー vs 坂口健吾組
っていうのは当時の全日で言えば
ブロディ vs カブキ谷津組をやるようなもんかな。あんまりだわ 平成の話だが、
1999年2月5日札幌中島体育センターで蝶野正洋の復帰戦が組まれ、
なんと蝶野正洋VSヒロ斎藤&武藤敬司のハンディキャップマッチ!
いくらなんでも、ムチャだろ!?と思ったら、試合途中で、
AKIRAが乱入して、蝶野側についた。 >>705
中学時代 帰宅部に専念して
夕方再放送の影の軍団をみてた
かっこ良かった 残念です 88年末のイリミネーションタッグリーグ決勝も、最後は猪木vs橋本&蝶野になってた 猪木対長州藤波あったよねw
すぐ仲間割れしたけどw 猪木は多人数側としてカルホーンとハンディキャップやってるけど 猪木対マクガイヤー兄弟もあったな
興行をつなげていくためには
主張以外にもいろいろやらなければいけないから大変だなw ハンディキャップマッチ以前に、
マクガイヤー兄弟の存在そのものが
ストロングスタイルから外れていると思うがね。
思うに、新日の方が(体がデカい)怪物を招聘していたよ。
アンドレ、グレート・アントニオ、バンディ、ビガロ、ベイダー。
それを言うと、全日はブッチャーくらい。 全日にはジャイアント・ヘイスタック、ワンマン・ギャングが来てたね。 >ストロングスタイルから外れていると思うがね。
多少外れる分には別にいいんじゃないの?
そこまで拘れるほど外人の台所事情が豊富ではないのは
誰もがわかりきってる事だし
むしろそれらでよく食いつないでいたと思うね そもそもベイダーのハンディキャップマッチ以前に
ミスター高橋が阿部四郎に影響されて悪のレフェリー化していた
ストロングスタイルが女子プロレスのネタをパクるなよと思った 書いてある日付は正確なのか不明だけどハンセンとのMSGタッグリーグ戦の後だな。
ホーガンがドゥガン相手にラリアットでフォール勝ち。
https://youtu.be/K0ROzfopFjU 親日はストロングスタイルとは言ってたけど
じつは次々に扇情的な話題を作っていく形の
スキャンダラススタイルだった アンドレは国際でハンディキャップマッチがあったな
相手のひとりはスネーク奄美で他は忘れた >>708
このラジオに^木が出演した時に各レスラーの渾名の話になり小林邦昭の「サンペイ」
は由来が誰もわからないと語っていた。ライガーは道場の近所の人に「ハチベイ」と
呼ばれていたねw
>>713
ベイダーのあの入場パフォーマンスはタイミングを見てリモートで行っていたが
その後、壊れてやらなくなったのは残念だった・・・
>>739
ワープロ初期に視聴率に大貢献したのはゴッチ戦のストロングスタイルよりシンの狂乱
ファイトだったのは皮肉だった。 >>741
二人セットで呼んだらブラッシーの方がギャラが高かったんだっけ
地味な王者バックランドより無冠だったホーガンの方が客を呼べたという皮肉 ハンセン売り出しシリーズになった79年MSGシリーズも、
ブラッシーがマネージャーでついてきたよな。
坂口に噛みつきアシストしてフォール勝ち、とかあった。 かなりぃ前にようつ動画で79年MSGシリーズのアンドレ×ハンセンがあった。
そん時ゃあハンセンのセコンドにゃブラッシー。
アンドレのセコンドにゃあ何と上田が付いちょった。
アンドレと上田っちゅうのぁ意外だったなぁ。
アンドレと上田の合体っちゅうのぁこん時だけ?
アンドレ 上田×ハンセン ブラッシーの図式だったかんな。
こん時ゃあ上田はまだシンとぁ仲間割れ→修復前だった。
しかしぃ後にシンと修復してからはぁMSGタッグでアンドレとぁ敵対。
そん時の公式戦ではぁハンセンがシン 上田に協力してアンドレ組敗北の流れだったなぁ。
ハンセンが乱入してアンドレとやり合う間にシンがハングマンをフォール。
こんでアンドレ組はぁ決勝戦進出でけなくなり。
これぁ本当に上手いアングルっちゅうに思うたわぃ。
皆さんしっかり仕事して盛り上げたっちゅうのがぁ本音だかんな。
後に全日でハンセンと馬場のシングルん時にゃあ上田がハンセンのセコンドに付いた。
それもぉ覚えちょるんよ。 >>746
ブラッシーは翌80年10月にハンセンがWWFに復帰した時までマネージャーをしていたよね。
その頃には、以前と違ってプロモではハンセンがメインでまくし立てるようになっていたんだけど、
ハンセンが「もう自分が中心に話させて欲しい」とブラッシーに依頼してブラッシーも了承したから。
79年〜80年はホーガンとハンセンのマネージャーを兼任していたよね、ブラッシーは。
81年からはキラー・カーンのマネージャーもしていた。
https://i.ebayimg.com/00/s/MTIwMFgxNjAw/z/U40AAOSwfhNcyL1W/$_1.JPG?set_id=8800005007
https://assets.st-note.com/production/uploads/images/44693687/picture_pc_0b9dfa2baf916c861a3ebd2559dec8f2.jpg?width=800 ブラッシーは1982年のアドリアン・アドニスの初来日にマネージャーとして来日したのが最後かな? ポール・エラリングみたいにマネージャーは特定のレスラーやチームの専属の方がいいな
ブッキングの兼ね合いとかで現実には無理だっただろうけどブラッシーもホーガン専属でやってほしかった
あと若松も契約が残っていたから仕方なかったのだろうがマシン軍団終わった後が悲しすぎた >>736-737 >>744
キワモノゲテモノのマクガイヤー兄弟やシン
(シンはその後実はレスリング面も高レベルだとの認識が広まったけど)
をキッチリ退治するストロングスタイルの猪木という体裁にはなっていたからね
今みたいな意地の悪いツッコミや揚げ足取りはそんな大きく喧伝はされなかっただろうし
それにマクガイヤー兄弟が同時期のブリスコドリーレイスの70年代アメプロ最強トリオに
客入り視聴率の両方で完勝したというのも昭和の現実だから ハンディキャップマッチなら来日初期のホーガンも全日のブロディもやってたからな
「一対一じゃないからストロングスタイルじゃない」なんて当時のファンは誰も
思ってなかったろう
「少ない手駒をどう料理して興行の目玉にするかを猪木はアメリカ遠征で学んだ」
という経緯を論じた「史論:力道山道場三羽烏」は面白かった ムタが海外でハンディキャップマッチをしてる動画を見たことがある
ムタがリング中央で忍者ポーズを取ったまま動かず、相手二人が戸惑いながらも攻撃しようとするとあっさり蹴散らされるってやつ ハンディキャップマッチで人数が多い方が
反則決着とかじゃなく、完全決着で勝つことってあったっけ?・ >>756
グレート・アントニオの初来日時の帰国間際にはあったらしい 70年代から見てる人には「ストロングスタイル」って拘りがあるのかな
佐山タイガーから見はじめた身としては「ストロングスタイル=猪木(馬場とは違うよ)」程度の認識でどうでもいいんだけど 猪木の70年代というか、新日時代初期の頃の人気はリアルヒーローのような存在だった。
まあ贔屓は勿論あるがw、映画だとブルースリーやロッキーのような男が憧れる男のような感じ。
一連の異種格闘技戦なんかも柔道や空手ファンも巻き込んでの猪木の存在感を示す格好のイベントだったと思う。
翻って馬場はもう日プロ時代で全盛は過ぎたという認識は大きかったと思う。それゆえの豪華な外人勢を従えての
トータルな全日色を演出してたな。 >>758
70年代の「ストロングスタイル」ってむやみに反則や乱闘に走らない
普通の正統派プロレスの事だよ
昔の動画見てると馬場鶴田戦ですらストロングスタイルの攻防という実況がされている グレートアントニオは4対1もやってる。
>Four On One Handicap: The Great Antonio defeats Kotetsu Yamamoto,
Makoto Arakawa, Masashi Ozawa & Riki Choshu (7:15)
別の話だが、アンドレは2対1の2人組の方でフォール負けした事がある。 >>761
1vs5もやったよ
vs山本&栗栖&小沢&荒川&小林邦 ストロングスタイル=日テレのバックアップやNWA参加団体の全日と違って
新日は権威もカネもないので、リング上の闘いを魅せる団体ですよという苦肉の策じゃなかったっけ
カール・ゴッチ以外、知名度の無いヘッポコ外人しか呼べなかったから
エエカッコしい猪木のプライドを保つためには「実力至上主義」を掲げるしかなかった 弟子の佐山が「真剣勝負風にプロレスやったら受けるんじゃないか?」
と考えたのが、ラッシャーや剛が辞めた後の第一次UWFだよな。 >>756
猪木と上田が釘板デスマッチやった武道館の前座で
星野・小鉄・永源がマクガイヤー兄弟に勝ってる
決着の仕方はわからないけど反則ではなさそう
その前に小鉄と永源は2対2でも勝ってるみたいだがw マクガイヤー兄弟は、アンドレ、ベイダーのような
「デカい、強い」というキャラではなく、
「デブ・フリーク」だから負けても構わないんだろ。 ハンディキャップマッチ、珍しいところだとザンビアエキスプレスvs谷津・小林・寺西って試合
でかくて強いはずの少ない方が負ける、というw シン スーパースター ハンセン
彼等もハンデマッチやっちょるかんな。
やっぱりぃ強いっちゅうのを強調すんのにゃハンデマッチは最適。
わかりやすい演出でもあって。
ベイダーもハンデマッチあったか。
ノートンは意外にもぉ無かったかんな。
平成になってからはぁハンデマッチ無かったな。
そぉ言えばドームでのぉ大巨人コンビん時ゃあやったゎ。 >>749
ビンスがシニアからWWFを引き継ぐ時の条件のひとつに「ブラッシー、パターソン、
モンスーンは永久雇用する事!」と言うのがあったけどなんでそんなにシニアに
買われていたのかな?
アリ戦の時も付き添いで来日してカメラの前でアジっていた。試合後に^木に挨拶を
しようとしたら拒否されて自伝でかなり怒っていた。自伝の宣伝を兼ねてミヤコ夫人
とRAWに登場して乱闘に巻き込まれそうなった所をレスラーに守られるとコントの
ような展開を演じて元気そうだったけどその数ヶ月後に亡くなった。
>>753
^木が手の合うドリー、ブリスコ、レイスを招聘できたらどうなったのかな?現に日プロ
時代は前期の二人とは名勝負を繰り広げたけど視聴率は上がらなかったかもね。
>>759
日テレは「力道山のプロレスを継承するのは馬場!」と言うのが小林社長の考えだった
が坂口グループ合流後に東スポは「これからのプロレスは^木!」と言うのが東スポ・
社長の方針でマスコミ初の主催興行である最強タッグ戦の開催に踏み切った。月刊プロレス
は編集長が馬場派だったがングはこの頃はやや全日よりの中立派だったかな? 「リングの外のブラッシーほど温厚で紳士的なレスラーを見たことがない」と言われていたからね ブラッシーは奥さん日本人だよね。愛妻家だったらしいな。 >>768
その前に長州・浜口が圧倒されたのも含めて維新軍団が大きくイメージダウンした展開だったな >>770
世間的なプロレス界のトップはあくまで馬場の時代だからな
日プロへの報復も含めてここはどうしても馬場でなければって感じか >>773
ミヤコさんだよね。雑誌のインタビューでのろけまくってた記憶がw >>773
ブラッシーの奥さんの旧姓と
プロレス研究家、小泉悦二氏の本名が一緒。
結構、珍しい姓。
小泉氏は、「親戚かも知れない」と言っていた。
(半分ジョークだろうが) 国際結婚というとキラーカーンもだが、離婚した?
月刊誌に夫婦と幼い娘の写真が掲載されてたと思うが、娘は結構デカかったようなw とっくに離婚してて、その際にアメリカで稼いだカネ全部ふんだくられたって
自伝に書いてあったような 88年福井市体育館
ベイダーvs小林、ヒロ、保永
ベイダー(2分07秒体固め)ヒロ、保永
二人まとめてダイビングボディプレス
小林が蹴りでカット入ったけど微動だにせず >>780
>蹴りでカット入ったけど微動だにせず
普通のタッグマッチだって、フォールした選手が
ちょっと蹴りを食らって、大袈裟に痛がりフォールを
解くのは見ていてオカシイよ。 >>780
あったね。
その日はIWGPタッグがメインで、
藤波、木村対ソイヤー、フェルナンデスだった。 谷津の日本デビュー戦でも一本目フィニッシュのハンセンのラリアートで猪木が珍しくカットに入ったけど
ハンセンは微動だにしなかったな。 昔はカットに入ってもちゃんとフォールの邪魔をしなければ
3カウント入れてたもんだったが
今は触ればカウント不成立みたいになってる
こういういい加減さが今のプロレスをダメにしてる 本来はそうだよな
反則よりフォールのほうが優先されるはず
レフリーはフォールされてる選手の肩だけ見て
相手のパートナーがカットに入ってきても
肩がついたまま3秒でフォールになる 蹴り入れてどかせるのはいいが、背中に手を触れただけで相手が素早く退くのも興ざめだなw
カウント取ってる腕をつかんで無理やりカットとかもあったな。 藤波は味方がピンフォールされそうになってリングインしても
カット入らず試合終了が多かった感 平成になるとカットプレーにトンチが効いてきて小賢しいと思うようになった
相手レスラーじゃなくて、カウントしてるレフェリーの手を直接掴んで止めるとか
能天気な観客は喜んでたけど、反則負けにしても当然の暴挙だぞ ロープブレークでもロープを手で掴んだだけでブレークと認められる時があったり
掴んだだけじゃダメな時があったりしたよね。
ミスター高橋はサードロープ掴んだ時はロープ蹴っ飛ばしたりしてたけどw >>787
健吾とコンビを組んでる時は、健吾は藤波を信じてカットに入らなかったけど、藤波は信用してなかったのかやたらカットに入ってたイメージがあるな >>790
プロレスなんだから、信用してないとかそういう問題じゃないだろ。
木村がやられそうって言う演出だろ。 健吾が自分の引退試合の相手に藤波を指名したら拒絶したんだっけ
アレでドラゴンの人間性が疑われた >>786
初めてプロレスを見た若い人が、タッグマッチは、
フォールしても相手方の選手に「触られたらフォールが無効になるんだね
(そういうルールなんだね)」と言っていたので驚いた。
まぁ、見ているとそんな感じなんだが、、、
ほんのちょっと背中を叩かれても、フォールを解くからね。 そういえば藤波は今日の横浜市長選挙で
どこかの候補の応援団長に名前出てたなw >>789
高橋采配?として、ロープを掴むだけだとむしろ反則とみなす感じだったな。小鉄もだったかな?
あとタッチワークもあいまいつかいい加減で、ルールではコーナーのタッチロープを握ったままで
認められるけどさあ。。もう乱戦になるとそうも言ってられないw >>768
ビッグファイトシリーズ 第2弾 〜開幕戦〜
1984.03.30後楽園ホール(生中継)
長州力●アニマル浜口(6分56秒反則勝ち)エリンジャー・アキム〇ムハメド・カリブ
1984.04.06 泉市民体育館(生中継)
〇アントニオ猪木 藤波辰巳(11分42秒逆エビ固め) エリージャー・アキム●ムハメッド・カリム
1984.04.13福山市体育館(生中継)
小林邦昭&寺西勇(10分17秒体固め)エリージャー・アキム&ムハメッド・カリム
1984.04.11 飯田勤労体育センター
〇アントニオ猪木 藤波辰巳 坂口征二(10分28秒体固め)マスクド・スーパースター エリンジャー・アキム●ムハメド・カリブ
1984.04.15 万博お祭り広場
〇谷津嘉章 小林邦昭 寺西勇(9分47秒逆片エビ固め)エリンジャー・アキム●ムハメド・カリブ
1984.04.17 徳島市立体育館
〇長州力 アニマル浜口 谷津嘉章(13分1秒体固め)エリンジャー・アキム ムハメド・カリブ●ヘラクレス・アヤラ
開幕戦維新コンビが苦戦して露払い、2週目のテレビで師弟コンビが勝つという流れなのはわかる
確かに4月15日は不可解だね。何がおこったのだろう
>>796
おっと4月13日勝敗わすれた
小林邦昭●寺西勇(10分17秒体固め)エリージャー・アキム〇ムハメッド・カリム >>784
今はタッグマッチでは合体攻撃も、普通にカウント取るから。
タッグマッチの後半はバトルロイヤルになってつまらん >>796
>>797
4月13日を受けての4月15日のカードだと、ハンディキャップ戦でも負けたら、
谷津は何しに出てきたんだろう?って流れにはなってしまうよな。
とにかくそんなカードを組む、マッチメイク自体がおかしいんだけど。 >>789 >>795
70年代まではそれで正しかったんだよな
往時の試合映像を観ると沖識名やユセフ・トルコもやってるし
昔のアメプロはリングロープが縄製だったから
強く引っ張るとロープが伸びきって台無しになったり切れたりする事が度々あったらしい
だから腕でロープブレイクする際は肘の部分までロープの外に出すのが目安で
掌で掴むのは禁止という言ってみれば慣習法がお約束だったみたい >>799
浜口から谷津へのパートナーチェンジへの布石も感じさせるな 猪木はぁ国際軍団とのハンデマッチばかりぃ思い浮かぶ。
しかしぃ考えるとマグガイア兄弟ともハンデマッチやっちょるんだよな。
ありゃあ2×1だがな。
そのマグガイア兄弟はぁ他では3×2とかあったはずだがぁ。
何かの記事で見た記憶あるんよ。
他ではハンデマッチのマグガイア兄弟は猪木とぁ逆ハンデマッチ。
マグガイア兄弟側からすりゃあ逆ハンデマッチだかんな。 >>803
国際軍団の場合は新日本側のレフェリーが三人だから見様によっては逆に四対三にも見えるのがポイントなんだよな >>781
そんな試合は行われていない。
ちなみに88年に実際に行われた福井市体育館(11・17)には
ベイダーは出場していない。 >>806
プ板で福井福井言ってるのは古くからの基地外だから相手したらダメだ >>771
日本遠征時に一目惚れして探しまくった。夫人の両親に結婚の許可を貰う時に流血ショック死
事件の事があって大反対されたが誠意を見せてやっと了解された。
プロレスブームの最中に日テレ・木曜スペシャルで放送された力道山特集で日テレスタッフ
がNYの自宅を訪ねるドアを開けた夫人が「遠い所にごくろさまです!」と日本語で
歓待し日本人妻がいるなんて知らなかったから驚いた。ショック死事件に触れられる
「オレには関係ないぜ!それより力道山をぶちのめしたかった!!」と老いても盛んな
"プロ魂"を見せていた。沖識名の生前最後のハワイでのインタビュー(放送際に亡くなった
事が示された)があったり最後にリング上からデストロイヤーが「リキ!」と語りかける
シーンは少ししんみりした。
後年、WWE日本興業の時にミスター高橋の隣で売店に立っていた夫人を見て驚いた
と言うファンの報告があった。
>>776
日テレとNETで馬場の争奪戦になり馬場がTVコンテンツとして絶大な商品価値があった
TV的に最大のモテ期だった。第二のモテ期はCMタレントとしてブレークした
頃かな?多忙で国内ではCMの撮影時間が取れず「ハワイにまで来れれば・・・」と
言われた中古車屋のCMなのにハワイロケするくらいだった。律儀にCMのライバル
メーカーも商品は使わないとか徹底していたらしい。 昔はタッグマッチでのカットとして、カバーしている選手の足を引っ張ってフォールの体勢を崩すとかやってたけど、最近はそういうの見ないな。 最近はレフェリーを引き摺り下ろしてカウントさせないのがはやり 昔、マスカラスがジョー非常口の腕を掴んでフォールを防いだのとか、なぜ反則じゃないんだと凄い不思議だった AWAに移った頃のホーガンはよくハンディキャップマッチやってた。
後にアンドレと組んでの2対3もやった。
https://youtu.be/fC3dI8E-XH0 そういえば週プロのほとんどジョークというコーナーで
「王者がジョー樋口に暴行して反則負け防衛するのを非常口と呼ぶ」というネタがあった気がする。
ホーガンはアンドレと組んでマードック スタッド バンディと3×2あったな。
大きな5人が揃った試合は圧巻だったぞぇ。
後々にゃあヒガンテやビッグショーもハンデマッチやっちょった。
シルバ カリは新日ドームで4人相手のハンデマッチだったか? >>808
> 律儀にCMのライバル
> メーカーのも商品は使わないとか徹底していたらしい
じゃあグリコジャイアントカプリコのCMに出ていた頃は大変そう
人前では迂闊に余所のメーカーの商品(馬場は明治のチョコが好きだったなんて逸話を聞いた事がある)
は口に出来ないし >>808
>律儀にCMのライバルメーカーも商品は使わない
それはテレビCMを引き受けたタレントに取っては常識だよ。
ビートたけしが昔「ジョルトコーラ」のCMをやっている時、
https://www.youtube.com/watch?v=sBHRuaHlWwg
ゴルフ場でコカ・コーラを美味そうに飲んでいたという
たれ込みがあって、スポンサーがたけしに怒ったそうだ。
ビールのCMなんか、外で他社のビールを飲んではイケない、
と契約書に書かされる場合もあるとか。 ミナミの帝王を観ていたら不動産事務所のシーンに馬場のポスターが貼ってあった。
不動産取り引き関係のポスターようだが初めて見たわ。
https://i.imgur.com/yjKf5yI.jpg 80年の福井で
S小林、長州、藤原vsシン、上田のハンデ戦もあったね ワールドプロレスリングクラシック、
この前のって一か月ぐらい前にやってたよな。
飛龍革命で笑いたいのはわかるけど >>817
スレ違いのレスになるけどそれたけしが自分でネタにしてたよ
UCCの担当者からお願いですからせめてコカ・コーラのロゴが分からないように
缶を持って欲しかったとか言われたって
まあ何かと弛かったバブル期の話だったからね たけしのCMと言えばラッキー好きだったな
すぐなくなったけど 馬場は僕にも弾けたとジャイアントコーンで猪木はリズムタッチ 福山雅治が一番搾り契約切れから、半年後ぐらいにはスーパードライに出ていたよね。
売れっ子なのはわかるが、依頼する側も受ける側も節操なさすぎに感じたな。 陶陶酒(とうとうしゅ=養命酒みたいな滋養強壮飲料)のcmに猪木が出てたな。すっげえ昔。
自分が物心つくかどうかだが、わずかに記憶がある。日プロ時代かもしれん。 >>823
馬場の商品はメジャーで、猪木のCMの商品にはなぜか胡散臭さがある >>826
例えば?猪木のジャンボフランクは全く胡散臭く無いが。 >>827
猪木もたまにはメジャーからもあるだろうけど、
馬場は上場企業の商品にしか出ないイメージ。
猪木は怪しい商品や会社のサービスなんでもやるところない? 馬場にはクリーンなイメージがあったからな。
猪木は借金やヤクザなどマイナスイメージが強かった。 馬場はグリコ、ヤマハ、ヰセキあたりか
猪木のCMってやっぱリズムタッチが歌と一緒に思い浮かぶな いまだにコブラキッドスミスの三つ巴戦は、印象深い。 馬場やクリーンなイメージというよりゆるキャラ
馬鹿にしたり笑いものにしても許されそうなイメージ
実際は許さないだろうが >>831 >>834-835
馬場は“クリーン”どころか真っ黒だぞ社会的には
山口組三代目の葬儀にのこのこと現れて
「田岡さんにはとてもお世話になりました」
とか臆面も無くコメントしていた奴なんだから
馬場(と鶴田)がCMやテレビ番組出演の機会に恵まれていたのは
明らかに読売グループの庇護と仕掛けの為せる業 >>833
売り出そうとしたがしょっぱかったコブラをゴリ推し優勝させず
キッドを優勝させたのは賢明だった
プロレスはショーだけどそういうところは観客の評価が反映されるんだよな 週プロで馬場がどこぞの組長と知り合いとかしれっと書かれて笑ったなあ。 80年代にプロレス見始めた頃の馬場は、低学年のガキも馬鹿にする八百長の象徴みたいな感じだった。
90年前後の馬場さん路線から、天皇みたいな批判も許されない存在に上手くもっていけたなあ。 >>837
当時なら、相撲、プロレスから歌手のコンサートなど興行は全てに関して丸暴に世話にならずには成り立たなかったんだからな >>828
^木はタバスコやリブステーキを日本に紹介した功績は大きい。ハイセルの赤字解消
のためにタバスコの権利は商社に売却した。
ひまわりナッツは今やったらウケそうだけど。
>>835
「カシオの弾けますトーン」だっけ?「音楽、苦手のタイトル返上!」と言うのが
キャッチコピーだったw
>>837
馬場だけで無く関係がより深い「美空ひばり」までが葬儀に駆けつけてインタビュー
まで堂々と受けていた時代だった・・・ 空手家・水谷征夫は最初馬場に挑戦しようとしたが馬場側の方のバックが強すぎて
猪木の方にした >>838
あれはコブラの初フォール負けだっけか。
てか、コブラの負けは他にどれくらいあったっけ。余り記憶にない >>844
ケリーに2回、後はスヌーカー.斉藤.越中ぐらいか >>845
タッグでブロディ、アンドレにも負けてたわ >>838
リーグ戦ではコブラがキッドをフォールしてるんだよな。余り語られないけど。 コブラはウィキペディアに全試合結果が載っているんか。凄いな。 >>843 水谷っていうのも よくわからない人間で 同じ空手なんだから猪木より まず極真とやるのが筋じゃないかと…
まあ 売名行為なんだろうが。 >>844
海外でフォール負けしてる映像YouTubeで見た事ある
>>850
いや、途中抜けてるシリーズあるよ >>837
馬場は亡くなるちょっと前、1998年に「週刊文春」の阿川佐和子との
対談で「俺の口から言うとマズいが、、」と前置きをして
「力道山が亡くなった後、山口組の田岡組長の力がなければ、
プロレスは潰れていた」と言っていた。
64年の春に帰国して、日本プロレスの窮状と田岡の尽力を肌で感じたんだろ。
まぁ律儀と言えば律儀だよ。
俺もヤクザは嫌いだが、あの時、プロレスが無くなったら、嫌だろ? ヤフコメなんかじゃいまだに「人格者の馬場さん」とか書いてる奴いるからな
馬場も猪木と同じ一癖も二癖もある人間でしょ 【プロレス】小川直也VS橋本真也『1・4事変』真相ついに判明…小川に「蹴りまくってリングから出すまでやれ」暴走王を作った男 [あかみ★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1629761918/ ェ水流空手はいまや4つの会派と海外含めた支部を持つNPO法人だからなあ
泡沫団体化した全日本プロレスより世間的にはよっぽどちゃんとした組織だぞ
こないだも創始者の水谷師範と猪木を誹謗した記事を書いたライターが猪木に
内容証明送られて慌てふためいて猪木を絶賛して媚を売ったものの、出版社にも
「取材しない捏造ライター」と公的に引導渡されていたな >>853
力道山死後、いい気になってグレート東郷の海外ルートを切った日プロのダラ幹連中が
自分たちだけでやって行こうとして海外で「世界のババ」になっていた馬場も切り捨てる
つもりでいたのを一喝し、また日プロを辞めてアメリカに定住しようとした馬場を
半分以上脅迫して日本に連れ戻したのは田岡組長だからな
確かにあそこで田岡が馬場を日本に呼び戻さなかったら日プロは10年早く日テレに
見捨てられて、日本のプロレスの灯はいったん消えていただろうな >>837
デタラメ書くな
田岡の葬儀は81年10月25日
その日全日本は滝川市スポーツセンターで興行もちろん馬場も出場
23〜27日まで休み無しの北海道巡業でどうやって神戸に行くんだよ >>838
その後、キッドがスミスと共に全日に引き抜かれ
新日ジュニアはコブラ、ブラックタイガーの負け組同士の惨めなタイトル争い >>837
仮にそうであっても、葬儀にのこのこ出向くような著名人はいない。 >>860
当時は丸暴もそう避けるもんでもなかったぞ
時代を理解してカキコミしろよ >>854
団体エースの日本人レスラーで真の人格者はラッシャー木村だけだ >>856
例え泡沫化してもNWAと全日本と社民党はなかなか終わらせて貰えない模様 >>859
だから改めてのWWFジュニアの決定戦はMSGの威光を舞台にするしかなかった 急に思い出したが、藤原と田が突然旧UWFに移籍してしまい、WWFジュニア王者の
キッドに挑戦する予定だった田に代わって、スミスが挑戦者になった試合があったよな。
あの試合も王者決定巴戦に匹敵するぐらい、好試合だった記憶がある。 >>865
あの時はキッドとやってから移籍して欲しかった >>865
ダイビングヘッドバットで負けたスミスが、すぐに立ち上がりキッドと握手したシーンを見て、つくづくスミスは負け方が下手くそだなと思った。 全日でのゴディ戦も酷かったな、あの試合はフィニッシュ以外もだけど
前年の同じ時期にやったハンセン・ゴディ対ブルドッグスは名勝負のひとつで
最強タッグのブルドッグス対ゴディ・アーウィンは会場大盛り上がり
そしてゴディの試合巧者ふりを考えれば誰が悪かったかは明らか >>862
ラッシャーは人格者なのだろうがエースとしての勤めは善戦マン鶴田以下。
対戦相手の質も問題だが国際時代のラッシャーには名勝負好勝負と言うものが皆無。 そりゃあ、徹底的に叩きのめすのが金網線やからな
しかし木村がマイクジョージだったかにやられそうになった時に、なんとさんざんやりあったスミルノフが助けにきたのがあったな
あれなどは、木村ースミルノフの関係に関与しての名勝負にいれていいだろう 高田がずっと新日にいたら、どのタイミングでジュニアのチャンピオンになってたのだろう。 >>871
ストンパー戦だな
あれはストンパーとスミルノフが連続挑戦する予定がガニアの緊急参戦で枠が残り
一つになり、挑戦者決定戦がなぜかシングルではなくタッグで行われ
パートナーが負けて挑戦権失ったスミルノフが荒れ狂うという伏線が張ってあった
国際には珍しくちゃんと練ってあるアングル
ジョージ戦はたしか乱入も何もなく優勢だったジョージがフィニッシュのダイビング
ヘッドに行こうとして不自然に足滑らせて自爆だったはず >>870
敢えて言うならベストバウトを取った鶴田戦 >>861
そもそも>>837が嘘なんだが
何の疑問も持たないのか? 馬場はともかく、田岡会長の葬儀に美空ひばりは参席した。
まぁ、彼女の場合は、それ以前に(暴)との関係を指摘され、
紅白からも追放されたんだが。
参席せずとも、田岡の葬儀には芸能人からの花輪が
多く寄せられたが、
https://kwsklife.com/yamaguchigumi-flower/
それを見たひばりが、その「少なさ」を嘆いたと言う。 >>876
田岡組長は神戸芸能社のオーナーであり、日本プロレス協会副会長であり
神戸水上警察の一日署長でもある。
単なるヤクザの親分ではない。 >>873
ストンパーが上田、鶴見と結託し、スミルノフはジョー、アサシンと結託。
開幕戦はスミルノフ、上田、ジョーのタッグだったが、なかったことにされた。 >>878
全日では全く格下の扱いやったが、スミルノフと木村は最強タッグで組ませてやればよかったのにな 門茂男の本の馬場批判にヤクザの葬式に堂々と花輪を出したというのがあった思う。
それが時間が過ぎて伝聞となり>>837のような事実誤認になったのではないか。訂正してくれた方には感謝だな。
おそらく花輪自体は出しているが、当時の元も含めプロレス関係者で田岡組長の世話にならなかった者など一人もいるはずがない。
馬場は自著の中で若い時分運転中にヤクザに絡まれて車から降りて複数人と対峙する羽目となり、「プロレスラーだろうが構わない。こっちは**組だ」と凄むヤクザに対して、
馬場は当時付き合いの有った親分の名前を出して事なきを得たなんて書いてた。 >>879
木村とスミルノフは全日ではほぼ入れ替わりみたいなもんで
スミルノフが木村より全くの格下扱いなんか受けてないだろ。 今で言えば、横浜市長を決めてしまったあの爺さんみたいなもんかな。 >>884
スミルノフはUNに挑戦したし、ハンセン、ブロディとそれぞれ組んでインタータッグにも挑戦した。
通常のシリーズでは外人二番手の扱いだぞ。 国際崩壊後に新日全日両方のポスターに載ったり、引き抜き時代は売れっ子だったよな。 >>886
とにかく鶴田のボディシザーズドロップにやられまくっていたイメージ >>881
>ヤクザに絡まれて車から降りて複数人と対峙する
>馬場は当時付き合いの有った親分の名前を出して事なきを得たなんて書いてた
その話も誇張され、「馬場は絡んできたヤクザ数人をKOした」という話になった。 オールスター戦のメインは馬場&猪木vsシン&ブッチャーのカードだったが、
馬場&猪木&木村vsシン&ブッチャー&スミルノフだったら顰蹙買っただろうな。 >>881
相撲の龍虎が「地方巡業を仕切っていたのはみんな893だった」と回想していたり
北島三郎が893の会合に出席して歌って問題になったりしたが
相撲の高鉄山も「893と付き合わないと興行は打てない」と言っていたからね
少なくとも昭和はそうだった
もちろん新日も同様
ホーガンの自伝にもD・キッドの自伝にも「日本のプロレス団体は893と関わっていた」という記述がある てか神戸芸能社の社長が田岡一雄だろ
当時は普通に堂々と興行の仕事をしてた
美空ひばりも所属してたし、その線で
力道山とのツーショットや対談が多かった 戦後は、人足集めからスタートして港湾荷役仕事は一切仕切ってたから、役所の者だろうが市長だろうが丸暴と付き合いがないと仕事なならなかったな あの時代に見世物商売しててヤクザと付き合うなってのは酷だよ 1991年のSWS神戸ワールド記念ホール大会で
開催前に天龍が山口組に挨拶に行って招待券を渡し
組長他大勢がリングサイドに来てる前で
あの北尾の八百長発言事件が起きたんだよな
インタヴューで天龍が怒ってた 夢のオールスター戦から42年
猪木、アリがDVDで出た時はこっちも時間の問題かと思ったが、出ないまま終わってしまうかな >>874
ネットで手軽に見られる映像だけ見ると「相手の攻撃を耐えて最後に反撃」と言う
古いファイトなのでエースは辛い・・・TBS時代の映像では小林戦はゴングの名勝負本
に取り上げられるほどいい試合だったけど・・・
>>896
興行を行う時に地元の893は挨拶の菓子折と招待券を持参しみかじめ料は払わない。
警察は菓子折は受け取らないけど招待券は受け取ってくれて会場の警備陣に弁当と席を
手配し事故に備えて地元の医師会にも招待券を配り医師が観戦煮来てもらうとか
大塚氏が苦労を語っている。昔、893の人が「カタギの人が店をオープンする時は
一升瓶でも持って来ればOKでもううるさい事は言わないよ!」とコメントしていた。 猪木が若い頃、力道山と893の酒席に同席させられて
一升瓶の酒を回しながら(そうすると中身が早く落ちてくる)飲まされたことがあったと本に書いてたな 昭和はヤクザがプロモーターだった訳で、
地方なんかでは、「○○親分○回忌追善興行」なんて当たり前の様に開催されてた。 プロレスなら仁義なき戦い・代理戦争
コンサートなら新仁義なき戦い
で描かれてるな。 プロレスもそうだけど、ウドー音楽事務所の主催のコンサートだってウドーから直にダフ屋に流れてたからな。
武道館の入口の門をくぐるのだってもう罰ゲーム状態。
ダフ屋とウドーのスタッフ仲良く談笑してるし。
馬場も週プロでサラッとどこかの親分と懇意だってバラされてた。 地元で新日の興行あるときなんか何ヶ月も前から猪木が親分詣でしてたぞ。
当日はクラブ貸し切って打ち上げやってたし。
そのへんの付き合いは猪木の方が目立ってたろうな。 坂口の名刺入れに警察関係やらその筋の方の名刺が多数あったとか。 >>901
都内でも80年代では今考えるとどう見ても堅気じゃない人が場内整理をしていたよ
「坊主、そっちに行くな!」とか言われた 旧Uが潰れて新日に出戻っていた頃の高田は、893とプロレスの繋がりを理解出来ず
バーか何かで893に誘われたら「893と一緒に酒なんか飲めるか!」 根が真っ直ぐすぎるんだろうな高田が
それを無理やり曲げようとしたから歪んだんじゃないか >>906
ヤクザが締め出し食らってから、特設リングが無くなったよね。 >>459
前田の吹かしを信じてる信者乙。
神は詫びなどいれてない。 >>904
ヤクザ絡みじゃなくても
猪木坂口とウチの田舎の酒造メーカーの社長との対談が
地元紙の日曜版に掲載されていたり
坂口が藤波健悟若手等を連れて地元企業の柔道部との合同練習みたいな事をやっていたりと
昭和の新日は単なるチケット営業以外の細かい人脈造り話題造りに積極的だった
第三世代に一番欠けていたのがこういう人脈の構築と確保の手腕だった
>>905
息子の健二が話していた逸話か
まあ芸能経由のネタだから幾らかは盛っているんだろうけど 当時の暴力団はプロモーターみたいのも立派な収入源だったからね。
今でも残ってるけど、呼んでくれて興行買ってくれて、それが可能な資金なんか、あの頃はそういう人たちしか持ってなかったからありがたいお客さんだよ。
どっちかってと投資家みたいな感じだったよな。 昭和の頃は裏社会と表社会の垣根があやふや、というか普通に目に見える形で繋がってたよな Gスピリッツの大塚インタビューで猪木のWWF王者奪取が徳島だったのはプロモーターへのご祝儀みたいに書かれていたけど何か納得出来ない。はじめからちょん借りするため地方都市利用しただけでは?あの決着の仕方も東京大阪だと批判されかねないと思う >>904
どんなに偉い人と会っても馬場が下手に出る事は無く悠然としていた越中が証言している。
一方、^木は試合後に疲れているのに自宅を訪問したテレ朝の天皇・三浦専務が「カンジ、
揉め!」と言われてマッサージさせられた。両団体の盛衰の差はBIのスポンサーへの対応
の違いがあったのかもね?ちなみその後に三浦専務は美津子夫人に「主人になんて事を
させるんですか!」と一喝された。 美津子夫人、最強だねw
>>905
興行で地方の警察署に挨拶に行くと警察の柔道人脈が全国、津々浦々あってていろいろ
助けられた。特に「柔道日本一の金看板」もあるしね。
>>907
国プロ崩壊後にのデビル紫はそれが嫌で警備会社に入り元プロレスラーの肩書きが珍しく
重宝されたが体調不良で勤務代わってもらった同僚が現金輸送車の襲撃に遭い命を落とした
らしい・・・ 25%あたりの視聴率が求められるゴールデンタイムは
1980年代にはプロレスには厳しくなってた
さらにプロレス番組のスポンサードをしても
企業イメージが上がらないことでもスポンサーから敬遠された ―ところで馬場さんは、特に贔屓にしてもらっているスポンサーとか、
いましたっけ?
カブキ あんまり「タニマチはこの人」って呼べるような人はいなかったね。
猪木さんなんかはあちこちにいたんだろうけど。猪木さんは、うまいですから。
戸口 馬場さんはそういうところでもカッコつける部分がありましたよね。
カブキ そうそう。だから佐川急便の会長、清さん(佐川急便初代会長の
故・佐川清氏)が京都の料亭を貸し切ってくれて、全日の選手を招待して
くれたことがあったの。 そしたら座敷だから馬場さんは座れなくて、入口の
ところで椅子に座って足を組んで葉巻くわえてて、そのすぐ後ろに俺がいて。
そうしたらドアがバッと開いて、佐川急便の会長、清さんが入ってきた。
そしたら、馬場さんの姿を見た付きの人が馬場さんの前に走ってきて、
「馬場さん、その態度は何ですか、うちの会長も世界の佐川ですよ」って
怒って。馬場さんも「どうも、どうも、すみませんでした」って。
そこが猪木さんと違うところで。猪木さんなんか清さん見たら、即座に立って、
深々とお辞儀するじゃないですか。そうするとお祝儀が、バーン、バーンて
置かれるんですよ。
戸口 そこなんですよね。実際そのあとに、佐川急便は馬場さんでなくて、
猪木さんのタニマチになった。
カブキ そうそう。だからその時にうまくやっていれば佐川急便は馬場さんの
タニマチになったのかもしれないよね。馬場さんはそういうところは気が
回らないから。天然で気が回らないのでなく、プライドが高いの。誰にも
頭を下げたくない人だから。 >>918
馬場のほうが男らしいじゃん。
カブキや戸口みたいなちんけな奴らがえらそうに言うなっての カブキはSWS移籍後に馬場の悪口を言い始めたわけではなく、
馬場が死んだ後から急に言い始めたから余計にカッコ悪い。 馬場オタの捏造脳は事実現実を絶対に直視しようとせず、話を間髪入れず
人格攻撃にすりかえた誹謗中傷に走るのがデフォwww
こういう犬畜生が慕うんだから馬場の「人格」も推して知れるwww 猪木の方が馬場より器が大きいなんて誰でも知ってる。カブキがチンケなだけ。 カブキが尊敬する芳の里は日本テレビの人から
「もうちょっと常識があるかと思ったが日本プロレスの人間にはバカ負けした」と罵倒されているんだよな
経営者どころかマッチメイカーとしてすらレスラー達を纏められず
自らマッチメイカーを投げ出したカブキは
あまりに器が小さすぎてBIについて四の五の言えるような男じゃないよ 日プロが崩壊した後も、高千穂はUN王者として全日入りできると思っていたみたいだからな。
インターを手放さなかった大木と同じくらい、頭がおかしい。 黙って聞かれたことに適度に答えてさえいれば、カブキだって一世を風靡した名レスラーとして語られただろうに。男のおしゃべりは、やっぱりみっともないね。 >>922
それは器の大きい小さいの話に当てはまらない。
猪木のほうが人たらしってだけ 健介の新日時代の動画見たくなってYotube検索したら全然無いのな
NOAH時代のはいっぱい出てきたが >>922
猪木が裏切りに寛容なのは自分も裏切るから オールスター戦の6人タッグフォール負け拒否でも、高千穂は男を下げたよな。
マサが代わりに寝てくれたが、どう考えても寝るのは高千穂の役目だろ。 >>926
馬場は日テレが金出してくれるから、自分が偉いと勘違いしていた。 学生の頃にIWGPの大宮スケートセンター大会のメインが猪木対ビッグジョンクインで楽しみに見に行ったら国際ではエース格だったクインがホンの数分で負けて途方に暮れて帰ったな
その前のタッグの花道では悪ノリした小僧がアンドレに胸ぐら掴まれてその後ろのスーパースターに放り投げられた後、若手に怒鳴られて泣いていたのが良い思い出 >>919
普通に社会人としての常識でしょ
馬場がおかしい オールスター戦の6人タッグなら、戸口は、「俺はいいけど他団体の相手に
寝るわけにいかないだろ、会社の立場はどうなるのよ、斎藤さんが寝るしか
無いのは分かりきってるじゃない」 と言ってたな
で、フリーで新日系の斎藤が全日系のマスカラスに、
全日の高千穂が新日の藤波に同時にフォールされて、
新日の高橋が高千穂ではなく斎藤が抑えられているのをカウントした
戸口がタックルに行く前に斎藤は高千穂にタッチしているように見えるから
高橋は本来高千穂をカウントしなきゃいけなかったはずなのに、その辺は
全日の立場を考慮したのかな
もともとあの試合は当日まで3本勝負だと発表されていて、そうだったら
藤波鶴田マスカラスの誰が寝る予定だったとかと昔から言われてるw >>933
たまたまどこかですれ違ったとかならともかく、社員挙げて招待してくれ
御馳走してくれているその会社のトップが会場に来たのをわかっていて
椅子に足組んで座ったままふんぞり返っているんだから、どう考えても
言い訳の余地のない常識知らずの無礼者なんだけど…
これが基地外馬場信者にかかると
「悠然とした態度」
「男らしい」
「ファンを大事にしているからタニマチを作らなかった」
とかになるんだからなあ >>932
テレ東のPが見事な外人と評するほどのビッグジョンクインも
新日では雑魚でしかない、悲しいね >>935
全くその通り
社会人として当たり前の事が出来ない人間を美化する事に薄気味悪さを感じるし、やっぱり変な人達しかいないのかとガッカリもする >>932
IWGPの大宮と言えば猪木VSビッグジョンスタッドだと思ったら
クインともやってたのか。 >>937
その代償として営業力が弱かったんだからそれで良いんじゃないの
周の粟を喰らわずで餓死するのも本人の自由と勝手って >>926
^木は金銭が絡まないととても魅力的と言われるね。
>>935
ある時期からリング上の状況とファンのニーズ等を全日は和田レフェリー&仲田アナ
、マスコミではター山&市瀬記者の週プロコンビの4者が分析、協議して馬場に
「ご提案」として慎重に上げないと「プライドの高い馬場」はどんなにいい提案も
却下した。 >>940
ある意味では馬場の巨人としてコンプレックスの裏返しでもあるんだよな
むしろそこまでのプライドが必要なんだってくらいに 『男芸者』なんて馬鹿にされるって価値観は当然あるだろからな。馬場クラスなら
タニマチの用意した宴席に顔出すだけでも十分じゃないの。 >>935
その通り。
それを男らしいと思い込むとか、馬場信者は常識ゼロのアホ。 >>943
クインもまったくやる気のないシリーズだったろうな。
第四試合も魅力的なカードだけど、おそらくグダグダなやっつけ仕事と想像できる。 >>934
あの当時なら高千穂がマスカラスに負けるのが自然。マサはフリーと言っても新日本の常連だから、実質的に新日本が全日本の外国人に取られた。
3本勝負なら、1本目は両リンでしょう。あるいは、鶴田と戸口か、藤波とマサの組み合わせで1本づつ取り合うか。
どちらにしても最後は高千穂がマスカラスに取られて終わり。 キャリアからすると高千穂が一番古く戸口が一番後輩。
順番からいくと戸口なんだけど全日入りしてすぐなんで馬場が蹴ったんだろうな。
両御大から「斎藤、頼むよ」ってパターンか? >>946
マスカラスが高千穂を抑えるはずが間違って斎藤を抑えたということがあり得るのかなあ
まあレフェリーが気を遣うにしろ誰が負けるか決めるにしろ、三団体合同の大会では
レスラー個人の意志なんか二の次で、団体トップの意向が全てなんだろうし
まああのオールスター、全日は星取りからしておかしいんだけどね
バトルでは最後に馬場の付き人・大仁田が小鉄にギブアップ負け、
タッグで石川・木戸組が井上・星野の国際新日組に負け、
極道コンビも長州・浜口の国際新日組に負け、
全日対新日唯一のシングルで羽田が坂口に6分でフォール負け
石川は直接負けたわけじゃなく、羽田は健闘、極道は名誉の反則負けだけど、
これでマスカラスが斎藤をフォールしていなかったら全日は決着部分については
全敗になるところだったんだよなあ
本当はメインで馬場がシンをフォールするはずだったのを猪木がさらったと言われてたけど >>946
その時点で藤波は斎藤にはたぶん勝った事ないから藤波と斎藤で取り合うのは出来ない。
鶴田と戸口で取り合うのが理想に思われるが、当時の鶴田と戸口の関係からどちらかがフォールする事も避けたい。
また、この試合は鶴田藤波マスカラスの夢のトリオが目的である事、斎藤戸口高千穂のいいとこを見せる必要もなくファンもそれを見たとこで喜ばないので斎藤戸口高千穂に星をあげる必要がない。
よって一本目を両リンもしくはマスカラスが連続勝ち(リングアウト→フォール)が妥当かな。 >>948
間違えて、とは書いてないけど。
星取のバランスの為にマサが負けたというのは理解出来るよ。 1本目、2本目リングアウトでそれぞれ
3本目両軍リングアウト
みたいな酷い決着すらありそうな >>949
その年のMSGシリーズで藤波が回転エビで勝ってるよ。 アメリカで後に佐山タイガーにピン取られたり、マサも当時は割と相手の格上げで負けてもいいポジションではあったか
維新軍のヘッドみたいな感じで長州と組んでから当人の箔がついて、猪木以外には負けないような位置にっていう印象 >>950
失礼しました、「高千穂を抑えるはずがマスカラスが間違って、似てる斎藤にうっかり
飛び乗っちゃったなんてことがあり得るかなあ?」というのは私の妄想です、すみません
しかし本当にこの「幻の三本勝負」は一体どうするつもりだったのか摩訶不思議
基本的にこのオールスターのタッグは
・なるべく同団体同士で決着させる
(星野→木戸、原→寺西、猪木→シン)
・騙し討ちがないように勝つ側の団体のレフェリーが裁く
(坂口羽田、木村小林のムリヤリ決着)
ということになっていたから、高橋が裁くからには藤波と斎藤で一本ずつ取り合っても
不思議はないと思うものの、じゃ決着はどうするのか、やっぱりマスカラス高千穂なのか
大会後ゴングの座談会で田鶴浜さんがこの試合を
「あの試合は面白かったな。最高だったよ。この日のベストマッチじゃないか」
と絶賛してくれていたのは嬉しかったけど ビッグジョンクインは当時若手だった高田には凄い試合やって
田中ケロに「弱い奴には滅茶苦茶強い」と週プロに嫌味書かれてたな。 クインも国際末期のエース外人としてせっかく新日に来日したのにいきなりジョバーで内心腸煮えくり返っていたかもね >>947
三番手としてタイガー戸口を名乗った最初のシリーズでもあったからな マサがジュニアヘビーの頃の藤波にフォール負け、77年頃に長州にも
フォールされている事を知らない人が多い。 プレ日本選手権で、ヒロマツダがリーダーの狼軍団が結成されたが、すでに老いてコンディションが良くなかった
Gスピは当時年齢的にも体調的にも良好だったマサ斎藤を据えるべきだったなどと無責任に語っているが
年功序列が常の昭和プロレスで、マツダや上田がマサの下に付くなんてあり得なかった 猪木vsマサで87年頃両国や大阪城ホールとか巌流島の決闘なんてやっていたけど、
昔のマサが猪木と大会場でメインを張るなんてありえないから マサ斎藤は長州の師匠ポジションになってランクが上がった感じだね
ジャパンの背番号はマサが0で長州が1
マサについて好感が持てるのは東京プロレスが潰れた事関連の恨み言は一切言わなかったこと
口を開けば恨み言のキラー・カーンやカブキとはえらい違いだ 宮崎大会でのアンドレvsクインの公式戦を会場に見に行ってて、
前夜祭でクインは「アンドレなんて口だけだぜ」と挑発してたと聞いて期待してたんだが、
わずか1分40秒・・100秒で負けてガッカリしたなぁw 今思うと貴重な試合を見れたが >>935 >>940-942
馬場は全日中継のゴールデン降格前に日テレの首脳陣から
「少しは猪木を見習え」みたいな事を言われた時も
憮然とした表情を隠せずにその場の雰囲気が険悪になって
慌てた松根光雄が仲裁に入って何とか収まったなんて逸話もある
兎に角気位が高くて自分が世の中で一番偉いかの様な態度だというのは
「身内」の週刊読売のコラムにまで悪し様に書かれるくらいだった >>962
長州マサ組で、ケロの選手コールが88年位までマサのほうが後だった
88年末のイリミネーションタッグリーグでも、最後マサが長州にバックドロップでフォール勝ち >>962
斎藤は猪木が木村ら東プロ残党が日プロに戻れるように交渉しても
「自分はアメリカでやっていくから大丈夫です」と言って断ってる
さすがに男らしい マサは坂口がテレ朝を新日に引っ張ってきた時の中継交渉の席にもついてる クインはニックとのタッグで猪木と日プロ時代に名勝負をしたよな。雑誌でクインは猪木に凄い感謝してたね。最高の気分だったとか >>961
革命軍としてのラストマッチでは蔵前で猪木と対戦したがメインは長州と藤波のリターンマッチだったんだよな
その意味ではラッシャーよりも格が低かった >>965
長州は藤波とマサのコールを後にするように立ててたんだよな
但し入場テーマはパワーホールで
コールの後先や表記は重要だかんな。
そいから入場テーマもぉ。
入場が別々でもぉどちらが先か後かっちゅう部分も重要だぞぇ。
それがぁ序列になるかんな。
それもぉ序列が曖昧なバワイにゃあ尚更。
大物同士ならぁ別々の入場から合体テーマになったなぁ。
鶴龍や超獣コンビからぁそれが始まった。
しかしぃ合体テーマっちゅうても後にテーマが流れたブロディはかなりぃ不満だったとかぁ。
天龍も後々WAR時代にゃあその不満を言うちょった。
『同格で合体テーマっちゅうても俺の方が後』っちゅうに。
そこで自分は鶴田よりもっ格下っちゅうになるとかぁ。
ブロディも同じ理屈で不満だったんだろぉなぁ。
そいから天龍はぁ『鶴龍』っちゅう表記も不満だったとか。
『龍鶴』にゃならずに『鶴龍』
これもぉ自分が鶴田よりもぉ格下っちゅう証拠だと。
そんでかつつのBIん時にぃ猪木が馬場よりもぉ格下扱い。
それに猪木が不満抱いちょった気持ちもぉよぉーくわかると言うちょった。
そん時の猪木を自分に置き換えてっちゅう事ったな。
但しぃ自分は鶴田よりキャリア的に後輩っちゅう割り切りもあったとか。
そこぁ複雑だなぁ。 >>956
クインは他の参加レスラーのファイトマネーを聞いて
すっかりやる気が失せたそう。 マサ&長州組は全日だと長州があとのコールだったんだよな
最初の鶴龍戦で、あ、順番入れ代わってると
新日Uターンでまた戻ったんだっけ >>966
マサはビッグレスラーのインタビューでは
アメリカへのルートは猪木が仲立ちして各関係者に紹介してくれたと話していたな
>>973
クインはギャラだとかやる気だとか以前に
年取ってスピードが無くなっていたし
フィニッシャーもエルボードロップとカナディアンバックブリーカーぐらいしかなかったから
上では使えないと判断されたのでは? オックス・ベーカーもMSGタッグの時に明らかに他のレスラーとギャラに差があってやる気をなくしたと書いてあったな
実際はそんなの関係なく負けブック係で呼ばれたんだろうけどあのキャラだからちょっと勿体なかった プロレスラーは自分のギャラがいくらかはお互いに話さないのがマナーだろ。 >>979
ブリスコは新日本に来日した時、ハンセンにギャラを聞いて、自分のも教えたらしいね。 アメリカではレスラー同士がギャラの話を情報交換するのが当たり前
アメリカ人に金の話はするななんて言う方が基地外沙汰
だからテリトリー時代のアメリカのレスラーは「このプロモーターの
興行で、この規模の会場で、この入りの観客で、第何試合なら
俺のギャラは幾らになる」というのが瞬時に計算できるわけで、
実際の払いがそれ以上だったりそれ以下だったりするとたちまち
レスラー間で「あのプロモーターは気前がいい」「あいつはケチだ」
と評判が飛び交うわけで ジャック・ブリスコは1974年、馬場にNWAベルトを1週間レンタルするに
当たって、仲介人のテリーに「金のことは心配するな」と言われても
そんなあやふやな話では納得せずこう言ったと自伝に書いている
「私は具体的な額を聞きたいんだ。馬場に聞いてくれ。
タイトルを貸す費用が2万5000ドル。
日本滞在中のギャラは試合がなくても日給2000ドル。
タイトル戦の試合給は1試合当たり8000ドル。
NWAの許可は私取り付ける。
滞在中の全ての費用は米ドルでほしい。」
「12月2日に東京に着くと、私は馬場のスタッフに迎えられ、
小型カバンに入った2万5000ドルを渡された。それまでに私が
王者として受け取った最大の金額は2600ドルだった。
一晩の仕事で2万5000ドルなど聞いたこともない。
しかもこれは1日当たりのギャラとタイトルマッチ3試合分の
取り分を含まない額なのだ。」
「パット(オコーナー)とわたしはテーピング用のテープで
カバン全体をグルグル巻きにして、至る所に私のサインを
書いた。誰かが開けたらすぐ分かるようにしたのだ。
私はそれをホテルのセーフティボックスに預けた。」 柳澤健は馬場がNWAタイトルを獲得するための費用を
・タイトルレンタル料 2万5000ドル
・日給2000ドル×12日間 2万4000ドル
・タイトルマッチ試合給 2万4000ドル
その他航空費・宿泊費・食事代などで最低7万5000ドル
この年12月のドル相場は300.41円なので約2253万円
当時の大卒初任給が78,700円なので今ならばだいたい
6000万円に当たる金額と計算してる >>978
ベーカーの扱いも酷かったね
全日がジプシージョーやスミルノフをある程度準エース位で扱っていたのに新日はベーカー、クイン、マイクジョージの扱いが酷くてビックリした
マイクジョージなんて使いようによっては仕事出来たと思うんだけどな >>984
それだけ使う価値があると見られていたという事でもあるんだよな >>973
>>978
そりゃレスラーは猪木を盛り立てるコモディティとしか考えていない、心の機微なんてこれっぽっちも頭にないよ。 第5回IWGPの外人はひどいな。
コンガ・ザ・バーバリアンなんて、スコット・ホールに勝たせりゃいいじゃん。
バーバリアンは自身にブロディのパクリってのを気にしすぎてて、
チェーンの振り方も、アウアウも本当に迫力不足。
試合前はそれでもちょっとは観客にちょっかい出してたけど、
ホールに逆転で勝てたのに気をよくして、
退場時はファンとフレンドリーに。
こんなセンスのない選手はそうそういない 元々日本の相撲界にいたし、思わずファンに対して笑顔にw >>989
ノードの方はブロディのコピーだったこともあったけど
コンガの方はウォリアーズのコピーでしょ >>977
大分は藤波の地元でこの当時は藤波の兄がプロモーターだったから
当然の様に好カードが組まれる >>911
スコット・ホール戦では、首輪につながったチェーンを振り回して入場。
チェーンで威嚇。
そして試合が始まるまでに2,3回アウ、アウ吠えてしまっている。
ウォリアーズとブロディのいいとこどりで結局中途半端なレスラーになってしまったんだな。 >>942
泉田の本に馬場は選手をアスリートとして扱い男芸者のような事はさせなかった。馬場が生きていればあのような事件は絶対怒らなかったと。
気位が高いというか性格に難ありというか柔軟性に欠ける事は間違いないが、ノアの末路や円天にどっぷりだった新日ジャパンライフの新間とまともな奴がいなさすぎるのも問題だ。 >>962>>967
坂口とは明大時代から^木とは東プロ時代からの関係がありと「片手三分!」騒動以来、
険悪になっていた黄金コンビを同じテーブルに着かせた功績は大きかった。NETを連れてきた
坂口の功績は大きいと言われるがその下地を作った斉藤の功績も大きかった。のちに
AWA奪取、引退試合、ワープロの解説者と新日に重用されたのはこの功績だったんだね。
アメリカ上陸後に日プロのブッカーだったのに現地で最初に斉藤の面倒をミスターモト
だった。 >>995
球界の根本睦夫は選手に「タニマチは作るな」「タダ酒は飲むな」
「気が付いたら呼び捨てや「オイ!」と呼ばれて頼み事をされて断われなくなる。
それがタニマチだ」と選手に言っていたって話
第一次UWFのスポンサーが海外タイムス(豊田商事)だったのが物語るように
胡散臭いのが近寄ってくるし 新日はなんでコンガとウォーロードを別々に呼んだんだ
AWAがせっかく偽ウォーリアーズを作ったんだから合わせて呼べばよかったのに
まぁユーチューブで二人の試合を見るに、オリジナルと違って普通のパワーファイター
タダのコスプレでしかないことがバレバレだから、人気は出なかったかもしれないけど >>995 >>997
相撲出身の泉田がタニマチの有難味を知らない筈がないんだけどな
泉田がそう云う事を書いていたのは
ノア旗揚げ時の後楯でこのプ板にも事情通気取りで大本営発表的
ノアのヨイショ文を書き込んでた山崎とかいう小金持ちへの当てつけだろうね
ノアの移動バスの購入費用と建て替えてやったりディファの運営会社を紹介してあげたりと
功労者ではあったけど
あちこちの宴席に選手を連れ回したりオレはプロレス界では大物なんだと周囲に吹いてたりと
選手スタッフからは煙たがられていたから
>>996
猪木と坂口は明治屋だったか共通のタニマチがいた縁で
そんなに悪い関係ではなかった
猪木坂口会談大きな話題にする事で
合流に後ろ向きな日プロの選手社員を黙らせるのがマサの役所 ウブな連中で免疫が無かったから小田原みたいなのにひとたまりもなかった このスレッドは1000を超えました。
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