アントニオ猪木「最後の闘魂」スレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
アントニオ猪木の闘いを見つめ、エールを送るスレです。 >>790
地上波だけなのでBSPはないなあ。
3/2のは冒頭が少し欠けてる。録画し忘れてたか。
その3つにないけど、10/5のクローズアップ現代版に「ラストスタンド」のサブタイトルを付けて10/10に放送したやつを録ってある。 NHK磯村アナの当時のニュース映像とか現存するんかな これから我々はアントニオ猪木のいない世界を生きなければならない。
古舘のの言葉は重みあったなあ。 死んでからちょっと評価が落ちた気がする
生きてる間はすごい高いところに居たが
死んでっみると、何であの人をあんなに祭り上げてたんだ?みたいに。その他大勢のレベルとまではいかないが、落とされちゃった感じ
例えば「天才っていうなら武藤だよな」とか。もうその選択肢の中にそもそも猪木が出てこないというか
下手したら「上手いレスラー」の中にも出てこないかもしれない 猪木自ら語った“アントニオ猪木”闘いの舞台裏と激闘名勝負 第1夜
1月2日(月) 18:00~21:00 テレ朝チャンネル2
独占公開!珠玉のロングインタビュー!
猪木自ら語った“アントニオ猪木”闘いの舞台裏と激闘名勝負
番組内容
【第1夜】
〈猪木本人が選んだ試合〉
1973年10月14日 猪木&坂口vsテーズ&ゴッチ
〈藤波辰爾が選んだ試合〉
1988年8月8日 藤波辰巳vsアントニオ猪木
〈藤原喜明が選んだ&猪木本人が選んだ試合〉
1976年6月26日 アントニオ猪木vsモハメド・アリ 猪木自ら語った“アントニオ猪木”闘いの舞台裏と激闘名勝負 第2夜
1月3日(火) 18:00~21:00 テレ朝チャンネル2
独占公開!珠玉のロングインタビュー!
猪木自ら語った“アントニオ猪木”闘いの舞台裏と激闘名勝負
番組内容
【第2夜】
〈初代タイガーマスクが選んだ試合〉
1975年12月11日 アントニオ猪木vsビル・ロビンソン
〈猪木本人が選んだ試合〉
1980年9月25日 スタン・ハンセンvsアントニオ猪木
〈獣神サンダー・ライガーが選んだ試合〉
1969年12月2日 ドリー・ファンク・ジュニアvsアントニオ猪木
〈猪木本人が選んだ試合〉
1995年4月29日 アントニオ猪木vsリック・フレアー >>788
実況の伸びが凄かったね
佐山聡の思想家らしい静かな語り口は印象的だった 猪木が死んでからプロレス、格闘技見ても全く興奮しません
卒業する時が来たのかなあ? 猪木VSビルロビンソンはブロディがVTRを見て「俺はこういう試合がしたいんだ!」と絶賛した >>801
あなたは猪木が好きだっただけでプロレスや格闘技は猪木に付いてくる単なる付録のようなものだったのでしょう
禁酒を経て酒から離れた人がこだわっていたグラスや徳利に興味がなくなるようなもの 昭和40年代のプロレスの試合といえば、客席はいい歳のおっちゃんばかりでムンムンして、
あとお兄ちゃんと男の子がチラホラという感じだが、
ドリー・ファンク・ジュニア戦で50前位のおばちゃん2人連れが、
リングに近い席でとても楽しそうに身体を動かしながら観戦してるのが
観てて面白い。
その隣のおばあちゃんも結構エキサイトしてるしw [生]ワールドプロレスリングLIVE2023
アントニオ猪木追悼大会
1月4日(水) 17:00~21:00
テレ朝チャンネル2
番組概要
WRESTLE KINGDOM 17 in 東京ドーム~闘魂よ、永遠に~
50周年のフィナーレ!IWGP世界王者ジェイvsG1覇者オカダ!オスプレイvsオメガ禁断の決戦!
番組詳細内容
実況・解説
特別解説:蝶野正洋、藤波辰爾
解説:獣神サンダー・ライガー、ミラノコレクションA.T.、元井美貴
実況:田畑祐一、吉野真治、大西洋平、
野上慎平、三上大樹、寺川俊平、草薙和輝、山崎弘喜(ともにテレビ朝日アナウンサー)、
清野茂樹、村田晴郎
(生中継 2023年1月4日 東京・東京ドーム) 今月出るのがこちら
永久保存版 アントニオ猪木全試合 パーフェクトデータブック
アントニオ猪木 胸を打つ話 (TJMOOK) なんで晩年の数か月や葬儀の公式動画が削除されてるの? ワープロ中止して猪木が子供達とパラオに冒険に行ったり、心霊スポットに行くって番組覚えてる?
海に潜ってシャコ貝採ったり、お化けと記念撮影させられたり探してるけどツベには無いみたい >>812
うる覚えの記憶で同じシリーズの番組かはわからないけど子供達と一緒にアフリカでキャンプをしていてキャンプ付近に近づいてきたライオンを猪木が追い払うシーン(BGM:炎のファイター)があるヤツかな? >>812
記憶によると幽霊屋敷のは83年の夏のはず。
当時、週刊化されたばかりの週プロ2号だか3ごうにも掲載されてた。 その手のやつは何回か水曜スペシャルの枠でやってたやつじゃないのかな
付け人やってた山田なんかと一緒に行ったときは、
連れて行った子どもたちと現地の子でレスリングだったか相撲だったか
対決みたいなことやってた記憶 しかし猪木が死んだとたん周りの関係者からズッコの存在が消され
二人で入るはずだった青森の墓もズッコのみで放置
相当嫌われてたんだな
猪木版の元子て感じ? アントニオ猪木さんの孫・寛太氏「プロレス挑戦」の可能性問われ…ニヤリ
昨年10月1日に死去したプロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(享年79)の孫である猪木寛太氏(20)が取材に応じ、祖父への思いを語った。
寛太氏は23日、参議院議員会館で行われた猪木さんの叙位・叙勲、拝受後の会見に登壇。
生前最後の日にさかのぼって授与された位階「従四位」、勲章「旭日中綬章」を遺族を代表して猪木啓介氏と共に拝受した。
最後に猪木氏に会ったのは10年前という寛太氏だが、ほぼ原寸大の祖父のパネルを前に
「自分も大きくなったけど、猪木さんは今でもとても大きく見えます」と話した。
現在ロサンゼルスに在住し、大学で自動車工学を学んでいる寛太氏だが、その胸にはしっかりと〝闘魂〟は伝わっているようで、
弟のナオト氏と共に格闘技やプロレスを見るのが趣味の1つとのこと。
弟はUFCファイターを目指して柔術やキックボクシングの練習をしていると明かしつつ、自身も「大学卒業後にボクシングをやってみたいです」と話す。
ちなみに猪木さんの試合も多数見ており、お気に入りの試合を「モハメド・アリ戦、グレート・アントニオ戦、ハルク・ホーガン戦です」とした上で、
その戦いぶりについては「とても強くて恐れを知らず、内に秘めた闘志がすごいと思います」と目を輝かせる。
なお、自身の将来のプロレス挑戦については「トレーニングをハードにしたら、もしかしたら…。分からないですけど」と笑顔を見せた。
3月7日に東京・両国国技館で行われる猪木さんのお別れの会には母、弟と共に参加する予定だという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/48930b00473728a49298021e6de07c33e55d4100 >>820
そう、サイモンとの子供。
サイモンと寛子さんは離婚したとか。 アントニオ猪木の孫・ナオトさん(2018年。当時10歳?)ムエタイ・柔術・アマレスをやっているというけど、凄いポテンシャルを感じさせる
おいこれマジか。天才?
https://twitter.com/yamazaki666/status/1617496555954790400
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>817
対立してた猪木の弟がアレだからな
どっちかって言うとまともな人なんじゃないかとおもう 倍賞美津子の後の嫁との息子はコロンビア大学卒らしいな
離婚してから猪木と全く接点ないらしいが サイモンも大柄だし猪木の遺伝子もあるはず。
だから孫も大きいんだろう。 猪木ゲノム。これが、猪木の思い出の試合っていっぱい思い出が出てくる。
あの浦島太郎の竜宮城から持ち帰ってきた木箱みたいに。
どんどん出てくる。すると、その猪木越えを果たそうとするレスラーもよみがえってくる。
その中で長州力。必死さがあった。自分の存在が、埋没するかもしれない恐怖を枕元で顔を横にしながら
悲痛な感じで悩んでいたような気がする。周囲のレスラーは、社会現象をつくりだすほどのレスラーに成長していくのに、
自分は、ただの革命戦士と呼ばれるだけの現在の状況。これが難しい。革命戦士は革命を果たしたら、
次に何を革命すればいいのかというテーマが生じる。革命戦士は、革命できないことにジレンマを感じ、
それを見届けているファンもいつになったら革命デイが来るのかというジレンマの風車ジレンマ化となる。
そこでの猪木越え。長州は、相手がぶっ倒れるまで、ロープに飛んではラリアート、そしてまたその勢いでロープのバネを利用して戻ってきて
ラリアート、そしてまた前から戻ってきて、倒れるまで自分のラリアートを打ち続ける長州力の姿が、目に焼き付いている。
猟師が、さおを絶対に放さない感じである。さおが折れ曲がるのではないかというほど、曲がるほど、画面に迫力が伝わってくる。
猪木を超えようとした長州力を引き立たせたのも、猪木神であった。 渕正信
――「王道ブルース」の中に「幻のモハメド・アリ対ジャンボ鶴田」の話が出てきますね。そんなことがあったのかと驚きました。
「そういう話を知っている人も少なくなってしまったんだよね。この本を書いた動機の一つには、馬場さんが亡くなった後、あることないこと言われることが多くなった。『馬場さんはこうだった、ああだった』といっても、馬場さんに直接聞いたと思えない話も多い。だから『俺が馬場さんから聞いたのはこうですよ』と残しておく必要もあるなと思った」
――なるほど。
「話を戻すと、本の中に『アリ対ジャンボ鶴田』という構想があったことを書いたけど、本に書いていない話として『渕とアリをやらせよう』という話があったんだよ」
――ええ! 渕さんがモハメド・アリと対戦!?
「そう(笑)。本に書いたように、1976年6月にアントニオ猪木さんがモハメド・アリと対戦する前年に、当時の日本レスリング協会の八田会長から馬場さんに『鶴田とアリをやらせてはどうか』という話が来た。その話は、馬場さんが『鶴田とはやらせられない』と断って消滅してしまった」
――そうでしたね。アメリカのプロモーターと親交の深い馬場さんが「アリ招聘のリスクを考慮して断ったのだろう」と渕さんはお書きになっていましたね。
「それで、これは後で鶴田さんから聞いた話だけど、八田会長からは『アリはプロレスが大好きでよくテレビで見ているけど、プロレスの試合をした経験はない。だから、鶴田とやる前に渕あたりと乱取り(スパーリング)をやらせたらどうだ』という提案があったというんだよ」
――ええー! もし『アリ対鶴田』が実現していたら、その前に『アリ対渕正信』があった。
「そう。『アリ対鶴田』が無くなったから、俺とアリのスパーリングの話も無くなったけど、あとで鶴田さんに『実は、俺とアリの試合が決まったら、その前にアリと渕でスパーリングをやらせよう、という話があったんだよ』と聞かされた時は、武者震いがしたよね(笑)」 当時の鶴田でそんな金集まるわけないし
あくまで酒の席でのヨタ話だろうね
そもそも馬場なんか鶴田のためにNWA買ってやることすらケチってたんだし 当時の日本レスリング協会の八田会長から馬場さんに『鶴田とアリをやらせてはどうか』という話が来た。その話は、馬場さんが『鶴田とはやらせられない』と断って消滅してしまった」
――そうでしたね。アメリカのプロモーターと親交の深い馬場さんが「アリ招聘のリスクを考慮して断ったのだろう」と渕さんはお書きになっていましたね。
「それで、これは後で鶴田さんから聞いた話だけど、八田会長からは『アリはプロレスが大好きでよくテレビで見ているけど、プロレスの試合をした経験はない。だから、鶴田とやる前に渕あたりと乱取り(スパーリング)をやらせたらどうだ』という提案があったというんだよ」
↑
これを酒の席の与太話にしないと猪木信者は自我崩壊する。 アリがやりたかったプロレスは、ゴリラ・モンスーンとやったような楽しいプロレスだったろうしな。 確かな事は、アリ戦は、猪木が名乗りをあげ実現にこぎつけたのでは全く無い。
という事が明らかにされた事。 鶴田とアリ戦。
想像ができないな。鶴田だったら、マットに横になりながら、
足でけるような戦い方は、作戦として浮かんでこないと思う。
鶴田が真正面から、アリと戦うことができるのだろうか。
鶴田クラスの体重の相手を倒してきていたからヘビーのベルトを腰に巻いていたのがアリなのだから、
普通に鶴田がボクシング的な拳を出しても、かわされているだろう。
ただ、鶴田が相手のからだを手でつかんでもいいルールなら、つかむというチャンスが出てくるが、
アリのからだをつかむということは、アリにとっても、チャンスなのである。
相手との距離がゼロこそ、ボクサーにとって一番のチャンスなのである。
レスラーにとっても距離がゼロになってこそ、チャンスである。
ただボクサーは足を使って距離を取り、かきまわすことができるので、
鶴田にとっては辛い試合になるだろう。
猪木は無制限時間一本勝負はいくらでもあるが、鶴田の場合は、有限制時間プロレスのような気がする。
ボクシングのように15ラウンド、全部全力で腕を振り上げ続けることができるのだろうか。
ボクシングのように15ラウンド、腕を構えて、リングの上でステップを踏み続けることができるのだろうか。
まずステップで上下左右に体を揺らさなければ、まともにアリのパンチを顔面にもらうことになる。
まずアリのパンチを寸前で顔をよけることができるのだろうか。よけたところにすでにパンチがきている可能性もある。
顔を打たれながら、真正面からアリを両腕でつかみ、体ごと、バックドロップしてしまうのだろうか。 TBS見てたら、明日はプロレスの日なんだって
盛大に祝ってやらないと 猪木お別れ会の動画全編は上がってないね
ドリーとシンのコメント映像を全部見たい >>837
消えてるけどどうせブロディ戦の控室で泣いた話だよね? (;゚Д゚)yヾポロッ炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎ノ;゚ロ゚)ノ炎炎炎 ギャァー!! >>840
「#マネが(SEX)やってなかったあだ名(東京)キティ君」
「#マネがいつもだとサブンか?」
「#マネがそれが違うっなんとかこうとか」
「#マネが佐川なら違うかっ」
「#マネがお笑い芸人だよねー?」
「#マネが見えてるって油豚さんなのー?」
「#マネがこいつらがわかるあたりー」
「#マネがおチンチン測ったなー?」
「#マネが池沼の家で違うんでねー?」「#マネが佐川だと大学行ってるよー?」
「#マネが上で言って合ってるしよー」
「#マネが痔瘻じゃない」
「#マネてるとー佐川でしょー?」
「#マネがトシガクっ」
「#マネが出してる」
「#マネがここらへんでやんのー?」
「#マネがここが出しちゃってんのー?」
「#マネがサザンが違ったらー?」
「#マネがウェッピーって目指してんのかー?」
「#マネがネタをやってイララック」
「#マネがネタでオジサンだねー?」
「#マネが気づかなくてチクニーなんだもんねー?」
「#マネがあ痩せてるってー」
「#マネがサウナーさーん」
「#マネが太郎じゃお金なんか持ってないでしょー?」
「#マネがアニーでっ」
「#マネが一人暮らしじゃ出してんじゃん?」 猪木に関するものを目にすると、一瞬で猪木を思い出すというか、
”最後の闘魂”というメッセージがよみがえってくる。
ギヤが入るという感覚である。その戦うぞという拳でイメージを与えるみたいな感覚である。
今、”最後の闘魂”と呼べる人間はいない。現れることはない。
怒りはあるかもしれないが、
猪木のように魂を焦がすようなレスラーはいない。なぜ猪木には、魂を焦がすようなレスリングができたのか。
それは、常に途方もないレスラーと対峙してきたからだろう。
猪木が常人ではないのは、常に途方もないレスラーと戦い続けていたからであろう。
猪木の時代には、常人でないレスラーが世界各地で戦っていたのである。
それでいて、レスリングもきちんとできていたのである。
多分、これも、白熱電球しかなかった時代で、電力を流す電線が弓のようにたれながらを電信柱を通してリングを照らしていたからかも
しれない。現代のように、リングを照らす照明器具が発達していなかった時代、
その中でレスラーを応援していた。あの昭和の香りの中で猪木の汗粒がキラリと光っていたのだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています