【若手三羽烏】昭和の全日本プロレス92【渕正信 大仁田厚 園田一治】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
過去スレ
【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】
【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】
【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】
【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】
【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】
【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】
【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11)
【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】
【世界王座】昭和の全日本プロレス26【争覇戦】
【メフィスト】昭和の全日本プロレス27【マーシャルボーグ】
【桜田】昭和の全日本プロレス28【轡田】
【駿府会館】昭和の全日本プロレス30【九電体育館】(実質29スレ)
【三沢タイガー】昭和の全日本プロレス31【川田大笑い】
【PWF杯争奪】昭和の全日本プロレス32【タッグトーナメント】
【テリーが行った】昭和の全日本プロレス33【左のパンチ】
【インター】昭和の全日本プロレス34【PWF UN】
【あ!スタンハンセンだ!】昭和の全日本プロレス35【ハンセンですよ】 【夏の主役】昭和の全日本プロレス36【ミルマスカラス】
【国際血盟軍】昭和の全日本プロレス37【C・ハリケーンズ】
【B・テラー】昭和の全日本プロレス38【M・アサシン】
【M・ルーイン】昭和の全日本プロレス39【K・イヤウケア】
【百田義浩】昭和の全日本プロレス40【原軍治仲田龍】
【プロレス観戦の記念に】昭和の全日本プロレス41【ご家庭へのお土産に】
【ジム・デュラン】昭和の全日本プロレス42【バック・ロブレイ】
【アラビアの怪人】昭和の全日本プロレス43【インドの狂える猛虎】
【リングの中ジャイアント馬場です】昭和の全日本プロレス44【控え室ジャイアント馬場です】
【豪華な花束】昭和の全日本プロレス45【興奮のるつぼ】
【凱旋帰国】昭和の全日本プロレス46【善戦マン】
【チャンピオン】昭和の全日本プロレス47【カーニバル】
【マシンガン】昭和の全日本プロレス48【チャイニーズカンフー】
【バーンガニア】昭和の全日本プロレス49【ハーリーレイス】
【新春】昭和の全日本プロレス50【バトルロイヤル】
【ボブ・ガイゲル】昭和の全日本プロレス51【ジム・バーネット】
【ジ・アステロイド】昭和の全日本プロレス52【ジ・アベンジャー】
【ウルトラセブン】昭和の全日本プロレス53【マジックドラゴン】
【ナショナル レスリングアライアンス】昭和の全日本プロレス54【パシフィック レスリングフェデレーション】
【スーパースター】昭和の全日本プロレス55【カリフォルニアハッスル】
【ローリング・ドリーマー】昭和の全日本プロレス56【J】
【オリンピア】昭和の全日本プロレス57【カクトウギのテーマ】
【福ノ島】昭和の全日本プロレス58【琴天山】
【キャピトル東急】昭和の全日本プロレス59【オリガミ】
【六本木インターナショナルビル】昭和の全日本プロレス60【世田谷砧道場】
【馬場元子】昭和の全日本プロレス61【ジャイアント・サービス】
【オープン選手権】昭和の全日本プロレス62【世界オープンタッグ選手権】
【輪島大士】昭和の全日本プロレス63【ディックスレーター】
【松根社長】昭和の全日本プロレス64【佐藤昭雄】
【デビッドフォンエリック】昭和の全日本プロレス65【ジェイヤングブラッド】
【サンライズ】昭和の全日本プロレス66【移民の歌】
【昨日付で解雇しました】昭和の全日本プロレス67【いい選手ではあったけども】 【ロッキー羽田】昭和の全日本プロレス68【ミスター林】
【ザ・デストロイヤー】昭和の全日本プロレス69【覆面10番勝負】
【大熊元司】昭和の全日本プロレス70【グレート小鹿】
【PWF会長ロードブレアース】昭和の全日本プロレス71【ドウモアリガトウゴザイマシタ】
【あーやめてもらいたいこれは!】昭和の全日本プロレス72【アイドルがやられます!】
【ダブルアーム フロント】昭和の全日本プロレス73【サイド ジャーマン】
【ニックボックウインクル】昭和の全日本プロレス74【ジャックブリスコ】
【ジャイアント馬場くんを】昭和の全日本プロレス75【ますますテレさすスレ】
【スーパーアイドル】昭和の全日本プロレス76【ブラックパワー】
【スピニングトーホールド】昭和の全日本プロレス77【ローリングクレイドル】
【ファンク一家】昭和の全日本プロレス78【テッド・デビアス】
【吹けよ風】昭和の全日本プロレス79【呼べよ嵐】
【世界最強タッグ】昭和の全日本プロレス80【決定リーグ戦】
【新春ジャイアント】昭和の全日本プロレス81【シリーズ】
【馬場の頑張り】昭和の全日本プロレス82【本当に涙が出ます!】
【エキサイトシリーズ】昭和の全日本プロレス83【EXCITE SERIES】
【東洋の巨人】昭和の全日本プロレス84【若大将】
【風雲昇り龍】昭和の全日本プロレス85【流浪のヒットマン】
【グランド】昭和の全日本プロレス86【チャンピオンカーニバル】
【竹山祐一】昭和の全日本プロレス87【読売テレビ実況アナ】
【脳天唐竹割り】昭和の全日本プロレス87【河津落とし】 (実質88)
【スーパーパワーシリーズ】昭和の全日本プロレス89【SUPER POWER SERIES】
【世界最強タッグ決定リーグ戦リマッチ】昭和の全日本プロレス90【賞金$100,000争奪戦】
※前スレ
【サマーアクションシリーズ】昭和の全日本プロレス91【SUMMER ACTION SERIES】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1594004649/
http://jump.5ch.net/?https://pbs.twimg.com/media/CyRzdJvUQAAojMK.jpg この若手三羽烏の渕正信 大仁田厚 園田一治は、
新日の「藤波、長州、健吾」「前田、ジョージ、平田」「武藤、蝶野、橋本」と比べるとショボいなw 三羽烏とは呼ばれなかったが
三沢、冬木、川田は凄い面子だ 三羽烏
馬場猪木大木
大仁田渕薗田
小橋菊地北原
あと居たっけ? >>5
> この若手三羽烏の渕正信 大仁田厚 園田一治は
この時期の若手で比較しないとフェアじゃない。
浜田、関川、栗栖、小林、荒川、藤原だから似たようなもんだろ。 そもそも「藤波、長州、健吾」なんて括りはない
いつもの「木村健&ジョージ高野厨」の人なんだろうけど 園田じゃなくて薗田だろ
と思ったら、本名は薗田一治なのに園田一治でデビューしたんだな
ウィキペディアみると
1975年〜1979年 園田一治
1979年〜1985年 マジックドラゴン
1985年〜 ハル薗田
(1980年〜1982年まで一時的にプロフェッサーソノダ)
なんで最初が園田だったか不明 占い師の進言でにんべんなくした小橋みたいに薗田は草冠なくしたのかな? ウィキペディアには淵という表記はないから渕は最初から今までずっと渕でしょ。雑誌の誤植は別として
天龍もたまに天竜と記載あるがあれも誤植かと 秋山全日辞めちゃったけど渕だけは辞めないでくれ
秋山もいつか戻れ 本当だ知らなかった
でもパンフレットも誤植じゃないかと疑ってしまうwたまに内容が雑だった思い出が 豹のような闘争心なんて一度も見たことないぞw
一応書くが淵を疑ってるわけじゃないからね >>6
国際が潰れて落ち延びてきた外様の冬木をなぜ入れる >>18
wikiを信用しすぎ。
ソースなく誰でも書き込めるページをよく鵜呑みにできるな。 熱戦譜面白いな。
1985年3月4日白石市民会館 観衆1500人(満)
タッグマッチ60分1本勝負
ジャンボ鶴田 天龍源一郎(0-0)ブルーザー・ブロディ キラー・ブルックス
(11分6秒両軍リングアウト)
ブルックス頑張ったじゃん!
…とか、新鮮な感動があるw シークってあんまり語られないけどすごいタフだよな 大木の原爆頭突きとか食らっても
あんまり効いてなさそうだし >>25
ガチで当ててなく寸止めなんだから効くわけないだろw
あんまり効いてなさそうに見えるのはセールしてないから。 セールとか話してない膨らまして得意顔で書くアホニワカw
痛すぎwww >>28
ジョーの額からの大流血は流石になかったか。 81年最強タッグでのシークvs上田ってテレビ放送なかったよね?竹内宏介がシークに襲撃された場面を観たかった。 >>11
薗田の事故の件が週刊紙の載り夫人の友人のコメントとして「彼はハンサムじゃないけど
一緒に居て楽しい人がだから結婚した」と言う記事をこのゴングでの誌上デートの後に読んだ
から胸が痛くなったよ。気乗りしない薗田を新婚旅行がまだだった二人にその代わりに夫人の
航空券代まで送り出したから馬場は責任を感じていたんだろうね。
日本人は他に遠洋漁業の交代要員の人が機内に乗っていて犠牲になっている・・・
>>28
レジェンドレスラーズを訪問するドキュメンタリー・プロレス・スーパースター列伝で
登場してカメラの前で騒ぐシークを夫人が「ちょっとアンタおとなしくしなさい!」と
制止されていたw ジョーはヒジやてがあたったりサンドウィッチされて失神が多かった。 戸口「南アフリカの話、前に、僕にも来たんですよ、オーストラリア人のマリオ・ミラノっていうヤツから。
マリオ・ミラノから「ハウスの8%払うから、ヨハネスブルグに行け」って言ったけど、「俺は行かない」って断った。
「ハウスの8%」っていうのは、すごい額なんですけど、なんか嫌な感じがしたんで。その代わりに、大仁田と石川連れてドイツへ行ったんです」
カブキ「その話には続きがあって、亡くなった薗田のお姉さんが、「これは労災じゃないですか」ということで、会社の馬場さんの部屋をノックしたら、
元子さんが、「うちは、関係ありませんから」って、バーンってドアを閉じちゃった」
戸口「ひでえな」
カブキ「それで会社からは一銭も出なかった。本当は訴訟を起こせばいいんだろうけど、お姉さんが激怒して「もういい」って。
最後、お姉さんが、「あなたたちは、人でなしだ」って。それでも、平気で薗田メモリアル大会やって、お金儲けをしてるんだからね」 >>33
労災は労働基準局が絡むから短絡すぎるな。
胡散臭い話だ。 激怒して「もういい」は絶対にないわな。
まして人の命のことなんだから。 カブキがそこまでの話知ってるんなら暴露みたいなことしないでフォローしてあげればいいのに。 全日に砂かけてSWSに行った時に暴露すればいいのに、馬場と元子が亡くなってから
初めて暴露するってのもな。カブキは二人がそんなに怖かったんだろうか? その話ははじめて聞いた。
でも逆にカブキは俺って嫌なヤツだろ?っていう自己紹介に聞こえてしまうな。
カブキは長生きしないとな。死んでも良く言われないもんな。 カブキの悪口は俺も好きじゃないけど、今になって話せることはどんどん聞きたいけどね
薗田の話が本当ならひどい話だし、ただカブキの話だけじゃ真意が怪しいからなw 揃いも揃ってプロレス人生の恨みがあるのか、いやぁ鼻につくね
壮年期を過ぎれば表向きだけでも好々爺、終わったことなんだけどね・・・
故人であり恩人である人物にここまで言うかという感じで、嫌な気分だわ。
人としてどうなのかね? 飛行機会社が薗田だけでなく夫人も合わせて賠償するのが道理なんだが、
カブキの論旨はおかしいな。 遺族とひと悶着あったのは事実なんだろうし全日本側に問題があると思う
ただ労災だの訴訟だのはカブキが盛ってる可能性はあるな カブキの話は「死人に口なし」になってばかりだから話半分で聞いた方がいい
「ゴッチはエゲツないだけでそんなに強くなかったですよ」もそう
はっきりしているのは自分のUNを取り上げて中堅クラスに置いて
帰れるか分からない海外遠征に出した馬場を恨み続けていることだけ 元子はお嬢様だからな
「同情するけど金はやらん!」だ そりゃあ遺族にやり場のない悲しみや怒りはあるだろう。
全日としては航空会社から支払われる損害賠償金の他に慰労金やれ退職金、香典など払われただろう。
遺族に感情はあるだろうけど、航空会社の賠償は通勤途上の労災の扱いと等価か慰謝料はそれ以上支払われるのが一般的。
全日に過失はない。
米良は死人に口なしで前後関係を切り取ったり事実を歪めて話をしているよね。
少なくとも米良の悪意だけは汲み取れる。 >>43
馬場は、カブキに日本に残って若手のコーチをしてほしかったんだろ。
それを嫌って海外に出たのはカブキの方だぞ。 薗田の追悼興行なのに、売上を全く遺族に渡さなかったから揉めたんじゃなかった?
でも、奥様も一緒に亡くなったし、もし薗田が同居で親の面倒見てたら分かるけど、それ以外は事故で亡くなって遺族が金要求もどうかじゃないかな。 >>46
天龍が「宣戦布告―天龍革命」で
カブキから
「源ちゃんには帰る場所があるじゃないか。おれには帰る場所がないんだよ。」と
言われたって話を書いてるよ
人員整理の海外遠征だったが売れたから帰ってこれたが真相だと思う SNSで『プロレスラーって怖そうな人でも、普段は優しくて気さくな人でした!』とコメントに対して、『カブキ以外はね』『カブキ以外は大体いい人』を見たw ウケたww >>48
>>46ではないが、コーチ役で終わるのを嫌って
「自ら出たから、もう帰る場所がない。」という意味だと思うぞ。 >>43
カブキが貶した存命中のレスラーって猪木ぐらいか
「馬場さんとは差があったよ」
「猪木さんは基礎ができてなかった」
本人がそう思ってるだけでそういう意図はないのかもだが。 カブキの内情の話はソースがカブキのインタビューしかないから、あまり議論しても意味がないような >>52
切り取りや思い込みの伝聞の印象操作を鵜呑みにする人がいるから打ち消すためにも語気が強くなってしまうかな。
こどもの頃カブキも好きだったから、尚更残念な気持ちもある。
まあ、毎回カブキの発言が出ると年寄りたちの同じことの繰り返しなんだろうけどねw >>52
でもクツワダのクーデタ未遂とかは他にもいろいろと証言が出てきて
本当だったことがあきらかになったし、全部でたらめってわけでもないから質が悪い
結局自分のリテラシーで真贋を見抜くしかないのでは? >>51
> 「馬場さんとは差があったよ」
> 「猪木さんは基礎ができてなかった」
ミスターヒトも同じようなことを言ってたから
海外でヒール役をやる技術は無かったということじゃないかと思った。
実際、猪木はアメリカでは売れなくて馬場は売れた。 園田の事故の件は遺族の気持ちは判るが労災にはならないと思われる。
全日本からの斡旋とはいえおそらく現地で得たはずのギャラは全額園田に入ったはずで、雇用主は現地のプロモーター(=シン)のはず。
しかも全日のシリーズではなくオフに新婚旅行も兼ねて夫人も同伴となればますますプライベートの一環となるのではないか。
一般の企業に例えると本業でツテができた先に休みの日にアルバイトで出かける際に交通事故似合ったようなもの。
また航空会社からの慰謝料は園田夫妻の遺族に権利があって全日本が絡むことは一切ない。
会社が社員に生命保険を福利厚生目的でかけることは極々一般的なことであり非難されるものではなく、発生した保険金も会社に権利がある。
この件に関しては労災の法知識が無いレスラーのタチの悪い噂話や馬場夫妻への陰口で、カブキが恥ずかしげもなく未だに言いふらしてるだけ。
10分でもネットで調べれば判るはず。あまりにも馬鹿らしくて相手にしたくないレベルだが、まあ自分の年金や雇用契約を全く知らない人たちだからな。 レスラーの悪口や暴露は
一定の需要があるから
喋る方も見る方も
うまいこと乗せられてるケースが多い >>56
保険金に関しては引き受ける際に本人の同意と死亡保険金受取人の同意も必要。
慣習的には身内以外を死亡保険金受取人に指定する以外は法廷相続人が受けとる。
その当たりで揉めたかもしれない。今は引き受ける際に保険金殺人や揉め事を無くすために上に書いた約束事は遵守するけど、
30〜40年前の契約で今で言うコンプライアンスが守られていたのかの議論くらいはあるよ。
なおかつプロレスラーは危険な職業だから一般的には入れないけど、全日と保険会社の団体契約だからこそ
加入出来たのだと思う。
まあそんなに高額な保険金では保険料は莫大だから、葬式代程度だったと思うよ。 法律的に労災とかはないと思うけど、そもそもこの遠征を薗田は嫌がってたり事故後の対応でそれなりに問題があったとは思うから民事で薗田側が全面敗訴にはならないとは思う
プロレス団体は数年後のSWS時に契約を見直したりしたから逆に言えばそれまで問題だらけだったわけで >>57
カブキは乗せられているのじゃなくて悪口と暴露の常連だから 87年最強タッグ優勝コンビの鶴田と谷津が、優勝賞金10万ドルを
薗田家に寄贈するとか申し出てたな >>55
古い写真を見ると、アメリカ時代の馬場は実にいい表情をしているわ。
目にメイクもして、長身の不気味な東洋人を上手く演じている。
猪木は悪い意味で日本と同じスタイル。 >>48
だから、会社の方針に背いて海外に出たのに、
帰れるわけないでしょうよ。
戻ってこいなんて言われるわけ無いし、
戻らせてなんて言えないだろ。 >>56
薗田の遠征はオフではないぞ。シリーズ中。
新婚旅行を兼ねているとはいえ、試合をしに行ってるのだから、仕事でしょうよ。
色々間違いなあるから指摘させてもらう。 79年に3シリーズ日本で試合しているのは都合よく忘れる高千穂 ギャラが安いとかUN王座を取り上げられたとかジャンボの引き立て役が気に入らないとか
己が馬場と全日に抱いてる後ろ暗い気持ちを、薗田の死を利用してぶつけているようにも取れる
馬場がカブキにして欲しかった若手選手のコーチを薗田が引き受けていたのに… >>64
メイクもそうだけど、左側の全身写真が凄えわ
上半身の幅広さ、あと脚が大木みたいに太い
これは強そう、いや強くないわけがない 馬場が声を掛けなければ南アフリカに行くことはなかった
馬場が声を掛けなければ新人コーチをする事もなかった
馬場が南アフリカに行ってくれるなら嫁さん同伴で新婚旅行兼ねて行っていいよと言わなければ2人は死ななかった 馬場やシンのせいで飛行機墜落したわけでもないだろ、他の日本人もたくさん亡くなられたのに。 京平さんが昔ウルトラセブンは正義の味方だからレフリングを甘くしてたな80年代の話 >>64
米国遠征時の馬場の活躍ぶりに関してはさすがの師匠の力道山も自分の立場が危うくなるくらいの
勢いだったというが、次の世代に任せられるのは馬場だというのは力道山の存亡に関わらず確定されてたかもね。 当時の南アフリカはまだアパルトヘイト政策で国際制裁を受けていたけど
そういう情勢下でのプロレス興行ってどうだったんだろう
そういう国に行ってその実際を体感してきて見聞を広げるということでは
南アフリカに行く意義はあっただろうけど サンシティって向こうじゃ有名なリゾートだな
80年代にアメリカのミュージシャンとかラッパーが集まって
反アパルトヘイトの曲を出した時のタイトルがサンシティだったっけ 坂口征二も南アフリカ遠征経験者。現地で世界ヘビー級王座を奪取している。 >>35
絶対ないよ
谷津の動画だと移動バスで馬場が口癖のように
アフリカに送らなきゃよかったと繰り返して
ずっと落ち込んでたって
谷津と薗田は本当に仲が良かった >>83
というか事実をねじ曲げて自分でもそう思い込まないと
自我が保たないんだろうな。
今があまりに悲惨だから。
誰かが忠告しても聞く耳持たないだろうな。 >>79
うーん…テリーvsホーガンの写真がサンダーリップスのみで
テリーは文字だけか、さらにホーガンの名前の方がテリーの文字より倍ぐらいデカい
この時点でホーガンてそんなに大スターだったのか? >>85
だったのか?って、そうだよ。
ちゅーか、この頃がホーガン人気の最高潮だろ。 >>79
ロッキー3対パラダイスアレイでスタローン繋がりだな。
しかしインターナショナル女子プロマッチとは何なんだw
ミスインド対ミス南アフリカ
ミスカナダ対ミスオランダ 日プロ末期にUN王者だった高千穂は写真を見る限り、華がないよね。
スターレスラーだった馬場や鶴田に対する嫉妬が凄いんやろね。 >>84
芳の里については「オヤジが会社の金で飲んでいたなんて猪木さんとその周辺が作った話だよ
オヤジは自分の金で飲んでいた」
芳の里擁護って要は芳の里にベッタリだったカブキ自身の擁護なんだよな
外野から見ていても日本テレビとの「馬場は他局に出さない」約束を平気で破って
日本テレビを激怒させた時点でまともな経営者じゃないんだが 園田夫妻の話は20年近く前、大阪の安達の店で聞いたの思い出した。
馬場夫妻を保険金詐欺だと言ってたよ。
日プロクーデターの話なんかも聞けて楽しかった。
猪木さんが芳の里さんに土下座していたとか。
安達の話だからどこまで本当かわからないけどね。
鍋は美味かったな。 >>45
薗田の件では航空会社からの賠償金が
全日側がこれはうちの仕事での事故だからで
全日側が貰って遺族に渡さなかったから揉めた
って書き込みがかなり前にあったけど、それは違うかな。 >>92
その書き込みは見てないな。
それが事実ならアウトだよね。常識的に考えて夫妻で数千万円〜1億数千万円の賠償金は降りるからね。
まあ、憶測が過ぎるから何とも言えないよね。 >>77
馬場がNYで大人気になり以前からほしかった高級パイプを購入しそこへ力道山が来訪して
悠然と吹かしている姿と馬場のNYでの人気ぶりに嫉妬して態度が急に冷たくなったらしい。
>>78
国プロ時代に小林も南アフリカに遠征してたまたま寄港していた自衛艦の乗員が観戦に
来てくれて試合後は艦内でのパーティに招待されて久々に日本食を堪能した。
>>88
ロッキー5でクレジットされていながテリーがスタントコーディネーターような立場で
参加したと映画雑誌に書いてあった。。確かにボクシングシーンよりストリートファイト
シーンが多い作品。 >>90
芳の里は後年「わしに学があったら日プロを潰さずに済んだ」と
しきりにコボしていたそうだ
先の展望もなく目先の金に目がくらんだことをよほど後悔したんだろう
>>92-93
航空会社の賠償金って、保険金とはまた別物?
保険金なら指定された受取人に払われるけど、賠償金は遺族に払われるものなので
いったん会社を経由することは考えにくいけどね >>94
ロッキー5からは見てないんだな。
スタローンは一度仕事をすると長い付き合いになる印象があるね。
パラダイスアレイは悪役のテリーと戦う主人公の吹き替えを佐山タイガーがやっていて
間接的に人気者同士の対決が見れて嬉しかった。
テリーはアメリカではヒールをやっていたことは知っていたからショックはなかったな。
でもプロレスを題材にした作品にありがちな退屈な映画だったな。佐山のセリフも棒だったしなw
あと、当時、自衛隊の船が南アフリカまで行っていたなんて知らなかった。 >>95
航空会社から支払われる賠償金は、交通事故で支払われる自動車保険の航空機バージョンみたいなイメージ。
生命保険は各自が任意で加入してなければおりないよね。
だから全くの別物。
航空機会社と生命保険会社が介在しているのに遺族と全日がトラブるのは謎だよね。
後に三沢君が馬場さんを死なしたようなものと言ったとされる馬場夫人のような激情的なもつれなのかなあ... >>98
記事の説明文が18文になっている!
両足だから36文キックだw 1987年デビューしてまもないリーガル。南アフリカだからひょっとして薗田さん
出演予定の大会かな。記録調べたけど分からなかった。
https://youtu.be/vU4UKfqlp00 >>94
小林が行ったのは南アじゃなくケニア
自衛艦の乗員が観戦に来た試合後じゃなく、プロモーターに「日本の船が来てるよ」と連れて行ってもらった
艦内でのパーティじゃなく、将校専用の食堂で梅干しや海苔の佃煮を出してくれた
その後試合に応援に来てくれた >>80
アパルトヘイトで来てくれないアーチストが多いのでその分ギャラが破格だったらしい
売れる前のホール&オーツは一晩ライブ一回で50万ドルと相場の10倍以上を提示された
けど出演断ったって
レスラーのギャラもさぞよかったんだろう >>102
なるほど、補足説明ありがとうございます。 H&Oのように白人ながらブラックミュージックリスペクトのアーチストなんか
いくら積まれても出れないだろうな。。w マードックとかコックスとかは出たんだろうか?
主催者が喜んでオファー出しそうなんだが 全日時代の大仁田って観たことないんだよな
どんなレスラーだったんだろ サンシティで演奏して批判されたのがクイーンとロッド・スチュワート 大仁田は平成だと菊地毅みたいな感じかな
熱血キャラで技もそこそこ豊富で受けっぷりや顔芸がウリだが、同時期にタイガーマスク(ライガー)がいたのでジュニアとしての評価がイマイチだった >>107
イメージ的には感情を表にだす和製テリーファンクかな。流血試合も多かったしね。
トペスイシーダなどの空中戦や、ジャーマン、ブロックバスターホールドなどのスープレックスもできる
オールラウンドな選手だったよ。 ノースカロライナでチャボを破ってNWAインターJr.を奪取した時
放送席の馬場に向かって号泣しながら「社長、社長…」と叫び
セコンドのテリーと抱き合っていたw
初代タイガーが同時期にいなかったら、
大仁田のファイトスタイルも少しは違ってただろうな。 全日本での大仁田の全盛期って僅か一年なんだね。
昭和57年3月 対チャボゲレロ インターJr.奪取
昭和58年4月 対ヘクターゲレロ 負傷で王座返上
この間にメキシコでサングレチナカに獲られて獲り返して、アメリカでダイヤモンド、
帰国してヤングブラット、セブン、ジョー、ドスカラス、マイクデービス、ロッキージョーンズ、チックドノバン、チャボと日本で防衛戦。
チャボとのダブルフォールからの王座決定3番勝負。
リッキーと組んでAWA世界タッグ挑戦。
濃厚な一年ではあったけど一年間の活躍だとは今まで意識してなかったよ。 田鶴浜さんが大仁田君にトンボ返り出来る様になりたいから体操教室紹介してくれと言われ
紹介したけど馬場さんに怒られるといけないから内緒にしてくれと言われたと試合解説の時言ってたね >>111
こういうところも菊地っぽいわ。熱血だけどおバカな感じって当時はウケなかった
80年代はたけしタモリが一生懸命な人を小馬鹿にする時代だったし、70年代なら熱血ドラマ時代だからウケたかも タイガーマスクの対抗馬として売り出されたが、技が汚く、もたもたしててアピールもカッコ良くなかった。FMWで成功したのは、プロレスが真から好きなのがファンに浸透したから。当時のプロレスファンは優しくて、鈍臭くても華がなくても頑張ってるレスラーを応援した(藤原とか)。ヨシハシも昔ならブレイクのチャンスあったかもw >>114
内緒話を全国の老若男女のプロレスファンの皆様にしてしまうんだw >>113
歳とって1年2年なんか昨日のように過ぎていくのもあってか、10代に熱中してた時期って
毎日がワクワクするような日々だった。佐山タイガーなんかすでに40年近く、嫌というほど語られてるが
リアルで活躍してそれを見ていた時期なんか2年ちょっとだしな。 >>110
なるほどー
ウィキペディアに書いてあったのは本当なんだね
空中戦も出来たなんて想像つかないな >>115
こういうところ「も」って、
全然菊地に似てないぞ。
大仁田はなんだかんだ言って、次の日クラスで話題になってたから、当時からある種の華はあった。 >>110
そうそう、和製テリーがピッタリだな。
どこらへんが菊地と近いのかよくわからん。 >>120
そうか、タイガーと比べすぎて悪いイメージを持ちすぎたかも
今見ると熱い好試合をしてるし三羽ガラスの中では一番だね。人間性は一番ダメだが >>111
>初代タイガーが同時期にいなかったら、
>大仁田のファイトスタイルも少しは違ってただろうな
佐山タイガーがいなかったら、新日ジュニアはもう少し藤波のトップが続いたと思うから
その場合大仁田は藤波のライバル設定で売り出されたんだろうか? 大仁田がマイティ井上に負けた試合後「俺のベルトだぁ!」と泣きながらの絶叫は熱かったよ。 >>124
井上「ベルトはダメだけど、この小さなトロフィーなら…ほらっ」 >>91
安達の話は話半分どころか10分の1ぐらいでとか言った元レスラーがいたよ。セクハラで話題になった元文部科学相の人 >>118
初代タイガーの活躍時期の短さは自覚していたけど、大仁田がもっと短かったとはね。
二人は比較されがちだけど当時は、タイガーマスクは試合は好きだけど何か無機質というかね、
大仁田のほうが感情移入出来て好きだったよ。
当時は馬場鶴田の下に天龍が漸く第3の男の位置を確立して、井上原が移籍して石川も伸びてきて中堅の層も分厚くなって、
大仁田がベルトを持って返ってきて全日Jr.路線のスタートと本当に毎週のテレビや雑誌が楽しみだったよ。 >>119
俺としては大仁田はインターJr.王者時代のイメージが大仁田なんだよね。
>>121
地べたを這いつくばって相手に立ち向かっていく感じは似ているかもね。
でもステータスは大仁田のが上だったよね。 大仁田が和製テリーなら菊地は和製キッドか。テリーとキッドじゃタイプ違うね。 大仁田は一度目の引退の後に暫くしてテレビ東京の芸能人のど自慢大会という特番があって、
中村雅俊の『恋人も濡れる街角』を熱唱して優勝したんだよね。
優勝してもう一度唄っている時に大泣きしていたな。
まだジャパン女子などと関わる前だった思う。 和製テリーなのにテリーみたいな女性ファンのチアガールはいなかった チアガールはテリー引退で燃え尽きたのかな。大仁田に乗り換えなかったんだろうな。
当時鶴太郎もふっくらしていたから大仁田と似ていたよね。
鶴太郎はひょうきんプロレスでタイガージェットシンの物真似をして暴れていたね。 https://pbs.twimg.com/media/Cqvl7uUUMAADUxj.jpg
https://pbs.twimg.com/media/Cqvl7uYVIAAoyga.jpg
大仁田がヘクターとの試合後、佐山タイガーの真似して
トップロープ越えのリング下着地したら膝の皿が割れたという
忌まわしきグラチャンカンか、このパンフ超貴重品だな
漢字のスタンプ作ってもらえなくて不貞腐れてただろうなカワダさん 大仁田がチャボから王座を奪ってから、ゲレロ兄弟は天敵になったな。
関係ないけどヘクターとエディが似過ぎて見分けにくい・・
全日時代は鶴太郎、FMW時代は上島竜兵にモノマネされ
それだけ人気者なんだよ >>135
> トップロープ越えのリング下着地
しょっちゅうこの誤り見かけるが、エプロンからリング下にポンと飛び降りただけだぞ
G+で放送された >>135
大仁田凄いな、ジャンボと天龍を露払いだ。 >>115
>こういうところも菊地っぽいわ。熱血だけどおバカな感じって当時はウケなかった
あの号泣シーンは観ててこっちも素直に感動したし、ゴングの記事でもローデスたちが感動していたって書いてあったけどな。
「当時はウケなかった」ってのは何を基準に言ってるのかな。 >>135
スゴいカードを観に行ってますね。鶴龍対決第二章の生き証人なんですね。
ファンクス対ハンセンブロディ
馬場対レイス
大仁田対ヘクター
時代が時代なら東京ドーム級のカードじゃないですか。 >>142
タイガー基準なのは、新日ファン目線だよな。
全日ファンの俺は、タイガーと大仁田は別物と見てたし、
勝っても負けても泣くパフォーマンス面白かったし、ブロックバスターホールドとかカッコいいと思ってたし、馬場鶴田以外は目立たなかった全日で、華があるなあと思ってたよ。 俺は別に新日本ファンじゃないし馬場鶴田や外人レスラーの世界観が好きだったけどそれ以外はそうでもなかったな
タイガーマスクと比べて大仁田がイマイチという意見にこれだけ異論が出るとは思わなかったが、本当の新日本ファンに来られても困るからやめとくw 過去からの時系列で大仁田の印象を語っている全日ファンと、
後年の大仁田の印象から歴史を遡って語っているファンとでは
話が噛み合わないだろうなあ。 インタージュニア奪回直前の大仁田だが、膝壊す前は綺麗なブリッジしてるんだよな
https://youtu.be/SEwlF-lm0T0 よく見る活字だけど、空飛ぶタイガーマスク、地をはう大仁田厚って後年後付けで言われていた言葉だよね。
逆に大仁田は逆手に取ってその言葉を利用していたと思うけど。 佐山はジュニアにしても小さ過ぎたわ。大仁田厚はぎりジュニアくらいの体格
だから2階級くらい違う感じ。 https://www.youtube.com/watch?v=Q7n1q3cE1E0
ジュニア王者時代の大仁田、華もあるし落ち着いてるし、いいなぁ。
相手のロッキー・ジョーンズもいいレスラーだ。まぁほとんどヘビー級だけどw >>146
昔はブリッジが随一の上手さだったらしいね 後年の大仁田の代名詞になったサンダーファイヤーパワーボムは、
FMW初期までしか使われなかったのが悲しいな。
あれ、正調のものはかなりダイナミックなパワーボムなんだよね >>147
「地を這う大仁田厚」は当時の新日のパンフレットTHE WRESTLERか闘魂スペシャルに載ってた
レスラーに株価上下に例えた特集で当然全日選手に辛口だがブロディは高評価
新日勢では藤波が「ヘビー級転向後パッとせず」とズバリ斬られてた 泥臭いけど熱いスタイルの大仁田も華麗なスタイルのタイガーマスク
どちらも好きだったけど
当時の子供達はスーパースター列伝で大仁田こき下ろされて
タイガーマスク>>>大仁田という図式になっちゃったんだろうな…(´・ω・`) チャボにやられて血まみれになった表情が時代劇での斬られ役の俳優さんの
表情みたいに決まってた。 大仁田の引退商法だって、元はと言えば師匠であるテリーから学んだことを忠実に守っているだけだからな。 うちの近所の大坂屋食料品店は15年前から閉店セールをやっている >>158
それは本日の営業終了時間のことじゃないの? こんな番組やってたの、全然記憶にない。
日テレ、攻めてたなぁ!
https://youtu.be/nS0cUkMgiDk >>159
大仁田に絡まれたときのあの嫌がり方、明らかに同族嫌悪だったね。
俺は昔散々馬場に絡んでいたのを思い出して「馬場の気持ちが少しはわかっただろう」
と留飲の下がる思いだったけど。
猪木も、まさか馬場の弟子に自分の同類がいるとは思わなかっただろうな。 日テレのプロレス特集なのに
出演が新日とリングスのエースとは・・・
この頃から日テレが全日を見放しつつあったことが伺える >>152
あぁ、新日の専門誌は読んでないや。まあ、出所はその辺りなんでしょうね。
>>156
ん?
昭和57年チャンピオンカーニバル公式戦が鶴龍対決の初戦で、次が昭和58年の日テレ向けに組まれたのがその日の2戦目だよね。 後にジュニアの中では上手いし強いって言われることにばる同期の渕
それよりも早く出世させてもらったのだから、大仁田にはやはり光るものがあったのだろう。 後にジュニアの中では上手いし強いって言われることにばる同期の渕
それよりも早く出世させてもらったのだから、大仁田にはやはり光るものがあったのだろう。 繰り返しているけど、「ことにばる」ってどんな意味だろ? 高橋ヒロムは全日の頃の大仁田にソックリ
昔ならトンパチっていわれる
大仁田が今の時代にいたら、髪型とかコスチュームもあんな感じだよ 大仁田と渕は陽と陰、三沢と越中の関係と似てるかな。
越中はそんなに暗くはないけど、三沢の明るいであろう前途とくらべると
暗い印象あったな。
渕は明らかに実力者っぽい雰囲気あったな、藤波よりは強そうに見えた。 大仁田はチャボにトロフィーで引っ叩かれてから
運が全部飛んで行ったイメージがあるなぁ。
あれ以来良くも悪くもイメージに残る試合が無い。
でも怪我から復帰して引退するまでの半年くらいは
あたる相手皆から膝を攻められて、泣き叫びながら
大声で「いてぇよ〜」と吠えているのは
当時の全日本では異色だったね。 陽と陰は、猪木と馬場、長嶋と王だろ?陽が年上だと上手くいくが、陽が年下だと上手くいかない。 >>172
馬場と王が陰?そんな話聞いたことがない。 陽気と陰気という意味だと思ったのかな
だとしても猪木が陽気とは思わんが >>173
派手と地味だよ。私は長嶋よりも王、猪木よりも馬場の方がずっと好きだけど。 >>175
いや、だからそんな話聞いたことないって。
王も馬場も地味じゃないだろ。
まだトンチンカンなこと言うか? 性格が地味じゃん、長嶋や猪木みたいな大ボラなんか吐くタイプじゃないから。 渕は喋り上手いよね。
新日乗り込んだ時のマイクパフォーマンスも良かった。 俺は40代前半なんだけど、馬場さんの良さが全く分からない
プロレスを見るようになった80年代後半、馬場さんはすでに一線を退いていた
洗濯板のような胸板に細い手足、ハエが止まりそうなスローモーな16文キック
みっともなさしか感じなかった
見世物小屋の見せ物のようにすら感じた
今になってCSで全盛期の試合見たりするけど、それでも「まぁ、デカイ割には動けてるなぁ」くらいしか感想が無い 馬場の全盛期はずっと長い間、BI砲のころだと思っていたけど全然違うよね。
力道山が生きていた時の六人タッグをクラシックで見たけど、あの時の馬場には誰も敵わないだろう。 >>181
櫻井康雄氏は馬場の本当の全盛期はこの時期と語ってる >>181
アメリカでバディロジャースとやっていた頃になりますか。
力道山存命の時ってもう約60年前になるんだけど、そこが馬場の全盛期だったとするとリアルタイムで見ている人は70代80代になるね。
馬場が亡くなって21年、生きていたら82歳。
高齢化の5ちゃんだけどさすがにこのスレにもそんな猛者は居ないよね? 「馬場」じゃなくて「馬場さん」なんだよなぁ
俺くらいの世代だと
ショーバイショーバイで芸人どもにおもちゃにされてた馬場さん
リスペクトも無くただただ笑い者にされてた馬場さん 昔のプロレス今見ると色々おもしれーなー。
馬場が寝っ転がりながらブロディに来いって合図出してブロディがOKって頷いちゃってたりとか。
所沢青果市場で子供にどけだの放せだの尊大な態度取ってるの見たらとてもじゃないけどさん付けする気にはなれん。 >>184
俺も馬場さんなんだけど、このスレは馬場と呼び捨てにしないと説教する人がいるから呼び捨てにしている。
説教は冗談だけど、呼び捨てにする拘りはわかるからこのスレの慣習に合わせているよ。 馬場さんと言うようになったのは何時からだろう...
超世代軍当たりか四天王あたりかなあ。
天龍にフォールされた時は馬場だったけど三沢にフォールされた時は馬場さんだったな。
俺の馬場のさん付けはレジェンドへのリスペクトかなあ。
猪木、鶴田、天龍は呼び捨てだもんな。
3と言えば三沢さんだから三沢は例外かなw >>187
ターザン山本が週プロに「馬場さん」と書き出してからでは? 当時全日にすり寄っていたター山だけど、信用ならないからこの人にすり寄ることはないからそれはないな。 >>189
じゃあバラエティで司会の逸見さんが「回答者の馬場さん」と呼び出したあたりでは? >>177
ミスターは大ボラ吹かんわ。
お前適当すぎ。 >>190
馬場が解説やりだして、「馬場さん」って呼び名が馴染んできて、
ターザンがヨイショのために週プロに書き出してから信者中心に広まった。 >>186
「さん」なんてつけたら現役扱いしてなくて、本当はめちゃめちゃ失礼なこと。
実はリスペクトでもなんでもない。
今は亡くなってるけど、思い出を語る時は、現役バリバリの姿を想像して言ってるから、「さん」付けは違和感があるんだよな。
あとは、ターザンがヨイショのために言い出したことに嫌悪感あるやつも違和感あるはず。 馬場が大仁田を「お前はプロレスをやる為に産まれてきたような男だな」と評して
「なんであんなショボいレスラーを・・・」と思ったが後のFMWでの大ブレイクを見たら
その評価は見事に当たった
タイプ的に猪木とそっくりな大仁田が馬場のお気に入りだったと言うのも面白い >>164
それは鶴田と天龍の二戦目。
鶴龍対決第二章という表現は天龍が革命起こしてからの二戦目をいう。 >>197
なんだこれくしょん。大仁田が持ってたのか?
猪木は現役後ぽいけど選挙か政党のポスターか?
てかここ何処なんだよ?実家?旅館?www >>198
新間が役員をしてたリゾートクラブだね。当時、毎年夏に来てたよ。藤波とね。実際は練習などしてる姿は見なかったけど プロのアスリートは偉人だから呼び捨て
アマチュアの素人は一般人なのでさん付け
トップアスリートにさん付けする人がいるけどさん付けは本当は失礼な呼び方
さん付けで呼んでいると、あんた友だちですか?ってなる
本人を目の前にしての対談ならさん付けだけど
敬称でも「ジャイアント馬場氏」と「氏」を付けて呼ぶようになると最悪の関係 馬場本人は、だいぶ年を取ってから参加した巨人のOB戦で
千葉茂から「おい、馬場」と呼び捨てにされたのが嬉しかったと回顧してたな
しばらく前にこのスレでも話題になってたが、プロ野球は実績無関係に
年齢で上下関係が決まるから、馬場の年齢ならあの王にさえ「馬場さん」と呼ばれるし 大仁田は髪が黒々として羨ましいよ
染めてないって本当かな
秘訣を知りたい >>196
大仁田の話だとFMWでブレイクした90年以降も馬場と頻繁に食事していたんだよね。
馬場から電話がかかってきて「恵比寿ガーデンプレイスでお茶するぞ」と言われたって。
馬場は大仁田がお気に入りだし、大仁田も馬場のことが大好きだしな。
>>204
安倍晋三の父親・安倍晋太郎を見かけても普通の態度だったけど、
プロ野球の先輩・金田正一に上から「おい、馬場!」と声を掛けられたら
「お疲れ様です!」と頭を下げたというエピソードも大仁田が語っていたよ。
長嶋は「馬場ちゃん」って呼んでたっけ。 馬場さん、の元祖は栃内良だよね。
あの人はガチの馬場オタだから 口の良くない猪木が、インタビューなどで「馬場さん」と呼んでいたからな。 >>106
コックスはゴロがいいからKKとつけだけで人種差別主義者で無いと言っていた。
>>152
テリー・・・(ウソ)泣きの演技は松田聖子も顔負け
鶴田・・・全身痙攣のためにマイナス評価
大仁田・・・地を這う空中殺法
とかファンジンならともかく新日が公式に出している出版物に堂々とライバル団体の
レスラーが面白おかしく揶揄されていて常識を疑うと専門誌で批判されてた・・・ >>191
おっしゃる通りです。
解説席で鶴龍対決、四天王プロレスを語るのは馬場さん
バラエティー番組でほのぼのしているのも馬場さん
馬場のさんづけはプロレスファンだけでなく一般人もいつからか、馬場から馬場さんで定着したと思う。
まあ馬場夫人の馬場さん呼称が由来なんて言う人がいなくて良かった。 >>199
俺は初対決からカウントしている。あなたは違うだけだよね。拘りはそれぞれだからどちらでも良いよ。 >>210
さりげなく聖子ちゃんをディスりやがって!w
新日許せんw >>214
まさに本のタイトルの名に恥じない、こどもたちの教材にふさわしい特集ですね。
国際色豊かなのもすばらしい。
なんて、流石にこれはw 越中の馬場呼び捨ては何だったんだろう。編集者の悪意? >>208
元祖かなんか知らんけど、
その栃内ってやつになんの影響力もないから、
それはスルーしていいんじゃないの? >>218
栃内氏は馬場派三部作を発表して
それまで村松など猪木一辺倒だったプロレス論壇で初めて馬場派の
立場を鮮明に打ち出した人だぞ
彼が声を挙げなかったら、馬場ヲタは今以上に日陰の存在だったはず
そりゃ村松には及ばないだろうが、影響力なかったなんてことはない >>212
自分のこだわりじゃなくて、一般的なことを言ってんだよ。
鶴龍対決第一章、鶴龍対決第二章は1987年の8.31と10.6のこと。これは天龍でさえそういってること。 >>220
一般化されているんだ。でも俺は譲らないよ。まあ些細なことだけど。
それは天龍が言うことじゃないよ、それは客目線で言うこと。
天龍が一人前になってからのカウントが解せない。天龍中心の考え方はおかしい。 『馬場派プロレス宣言』の栃内良だな
どう読んでも猪木幻想を膨らませた村松に
すべて明らかになった今の時代、猪木プロレスを語るなんてムリだよなw >>221
倉持がテレビで4回目の対決を第二章と言ってたし >>223
まあ頑固じいさんみたいだけどw、俺に言わせれば倉持が間違っている。
三沢対川田や越中対三沢なら若手時代の対戦はノーカウントでも良いけど、
鶴田対天龍の初対決は天龍がデビューして5年も経っている。
まあ少数派なんだ、1人でも俺についてきてくれるならその人のために意地を見せるぜ!レボリューションだぜ! >>219
村松の尻馬に乗って猪木は違うぜ過激だぜと発言しだした人が多いなかで
情緒的にすぎる嫌いはあるが馬場や全日にも見所あると一矢報いた偉人だと思うよ。
名著ともいえないがいがらしみきおのイラストも含めて良作だったよ。 >>224
倉持は鶴龍対決第二章と言った後に通算四度目の対決と言ってたし俺もそんなこだわりはないけどね >>222
村松さんの『〜の味方』みたいに文化人の俺がプロレスの味方だよ。
栃内さんの『〜派宣言』は多数派の他者を意識してのマイノリティのあえてのカミングアウト。
上から目線の前者、コンプレックスの後者、プロレス(全日)に自信満々だったから逆に不愉快だったな。
叔父さんたち早くこちら側に来なさいよ、という感じだったかな。>>214を読んで育まれた世代は違うよとw
どちらも読んだとは思うけど保身の入っている感想文など忘れてしまったよ。 >>226
まあ鶴龍袂を分かって第二戦、鶴龍対決第二章のほうが実況放送の煽り文句としては向いているかな。 >>207
>馬場は大仁田がお気に入りだし、大仁田も馬場のことが大好きだしな。
元々の相性はもちろんだけど
FMWで球場クラスを満杯にしたり、瞬間台風では全日以上の動員力をするようになっても
また、テレビのバラエティなんかでも常に「自分は馬場門下の落第生」と言い続けていた
本心にしろ、戦略にしろ、あれだけ公共でそういう言い方をされりゃ馬場も悪い気はしなかっただろうな。 >>230
FMWが押さえた後楽園ホールを譲ってくれと馬場が大仁田に言ったとかあったな。グラジ保坂辺りの馬場の評価も高かったようだし関係は良好だった。 >>214
一緒に仕事してる仲間だから、なかよしと言えなくもない。 >>228
しつこくてすまん。
あんたのこだわりはわからんでもない。
ただね、鶴田天龍戦の第一戦第二戦はいわゆる序章という解釈なんだと思うんだよ。各媒体や天龍のインタビューを見るとそんな感じだな。
見てた我々もそういう感じで見てた。 >>207
安倍晋太郎は福田派だったから。
福田派は猪木や新間と懇意。馳も福田派系譜の細田派だろ。 >>230
あの二人の関係はよくわからないね
全日とFMWの提携見てても悪くはなかったんだろうが、
馬場がFMWに上がることも、大仁田が全日にあがることもなかったし
それにいつか大仁田が馬場に電流爆破での対戦迫ったことがあったな
もちろん馬場が応じるはずもなく「お気持ちだけ受け取っときましょ」と軽くいなしてたが、
馬場がああいう猪木的な対戦アピールを大嫌いなことを大仁田が知らないわけないのに、
大目に見てもらえる程度に良好な関係だったってことか
>>223
俺もチャンカーの公式戦として行われた二戦は鶴龍対決としてカウントしたことないな
鶴龍ってそもそもタッグ組んでインター戴冠してからいわれるようになった言葉だし、
超獣組や長州たちとの抗争を経た後に袂を分かったからこその鶴龍対決だしな
最初の二戦はただの鶴田天龍戦だと思う 直接の絡みはなくても、ハヤブサを全日に挙げるのは了承したんだよな
アジアタッグ止まりだったが 大仁田は「亡き馬場さんに報告に来ました。昔、恵比寿のガーデンプレイスで、
馬場さんから『大仁田、電流爆破は痛いのか?』と言われて、(電流爆破は)30年が経ちました。
その記念として、商標を登録しました」とコメント。 >>235
細かいことを言えば83年の試合はカーニバルの公式戦ではないぞ
日テレのお偉いさんが観戦に来る?というので急遽組まれた特別試合だっけ
だからエキシビジョンマッチな意味合いだと思ってる 章と戦の違いだし今後章とは使いません。
そうか意外と過去の2試合に思い入れもないし記憶にも留めてない人もいるんだね。
というか俺のほうが例外なんだね。
天龍革命後は袂を分かったりお互いの全盛期なんだけど、過去の2試合も含めて好きなんだけどね。
時間切れ引き分けだからお互いに傷ついてないしね。
失礼しました。 同門の日本人対決って意外に熱い戦いになるからね。天龍同盟前でも鶴田対天龍は熱かった。ロビンソンとのタッグも
テリー対ドリーとか、ゴディ対ウィリアムスとかは寝技ばっかりでバチバチした試合にならなかったのとは対照的 >>239
お偉いさんというか当時の高木社長が来場した。
前シリーズで久々にゴールデンで特番打ったら
まずまずの視聴率だったのでそれを定期的に行うか
どうか確認する為社長を招いた。
今後の全日本を背負っていく人材の紹介という事で
鶴龍対決が実現した。 >>239
お偉いさんというか当時の高木社長が来場した。
前シリーズで久々にゴールデンで特番打ったら
まずまずの視聴率だったのでそれを定期的に行うか
どうか確認する為社長を招いた。
今後の全日本を背負っていく人材の紹介という事で
鶴龍対決が実現した。 >>240
天龍革命の前にも鶴田と天龍が対戦していたのは事実だから
それをどう見るかは人によるんだろうけど、
鶴龍対決は全日では珍しい、長期にわたる伏線というかストーリーのあった
大物日本人対決だったからね。その部分は大事にしたいというか、
これといったストーリーなしに実現した最初の二戦はカウントしたくないってのが
(自分を含めた)多数派の見解だと思うよ。 >>241
なんで意外なんだ?
そりゃ熱くなるだろ。 >>246
いやなんか軍団抗争のが熱い気するじゃん
開幕戦からタッグ対決して最終戦で一騎打ちとか、そうじゃないのにバチバチしてたってこと >>245
だね。リーグ戦と単発の試合だから、
イデオロギーの戦いではないから、章でくくるのは違和感あるわな。 他スレを読んでたら
「全日の平成最初の武道館が、全日での最後のNWA戦」とか書いてあって
改めて「NWA」は「昭和全日」と並行セットだったんだな…と思ってしまった。
三沢タイガーが挑戦者の時だよね、その後は中身の実体は別にしても
NWAの挑戦者は藤波だったり蝶野になっていったからね、そしてWCWに… >>241
同門対決という言葉も何時しか消えていったワードだよね。その後日本人対決が当たり前になったからね。
戸口が抜けて凱旋帰国した天龍はスレーターの代打でロビンソンと組んで馬場鶴田のインタータッグに挑戦。
天龍の出世試合だよね。
日本に定着して天龍がはじめて参加した昭和57年のチャンピオンカーニバルは翌年には開催されなかったから、
天龍は一回しかチャンピオンカーニバルに参加してないんだよね。
開催しない理由が馬場が「俺と大熊の試合をお客さんが見たいか?と言ったらそうはならない。
だからリーグ戦はやらない」みたいなことを言って
お茶を濁して終わってしまって、
馬場対天龍も鶴田対天龍の同門対決がもう見れないじゃないかと残念だった。
その年に日テレのお偉いさんが査定しに来るから、全日の試合はこれだと言うことで
鶴田対天龍がエキシビションマッチと銘を打たれたが実現。てっきり技を掛けたらブレイクしてというスパーリング的な試合を見せるのかと思ったら
白熱した試合を30分間やってくれた。
その年、鶴田天龍組が結成され最強タッグに出場。同門対決は封印。
その後の鶴龍対決も三沢川田も同門なんだけど軍団の長の対決という殺伐な感じになって
同門対決とは言わなくなったよね。
同門対決のクリーンな感じが好きだったな。三沢対小橋は試合はエグいけどそんな感じはあったかな。
三沢が珍しく「小橋ありがとう」と言ったりね。これは平成だけど。
あと大熊対小鹿はパートナー同士だからリーグ戦では戦わないなんていうのもあったけど見たかったな。
怪我がなければ大仁田対渕の同門対決も見れただろうなあ... >>245
ひとつだけ
当時プロレス(例えば鶴龍対決)は団体やテレビ、雑誌が作ったストーリーを見せられているんじゃなかったよ。
与えられた材料でお客がそれぞれに自由に空想したりストーリーづけて楽しんでいたのが
あの頃のプロレスだったと思うよ。
イデオロギーだストーリーだとかは後年の後付けで、後からマスコミが修飾した作文に当時の記憶を投影しているのだと思うよ。 >>250
殺伐としてるから同門と言わなくなったんじゃなくて、軍団だ別れたから、もう同門じゃないだろ。
お前はいつも思い込みが激しすぎる。 >>251
それも違う。当時はまだ日本人対外人が主流で、それ自体がイデオロギーの対立で、見た目でもわかりやすいから、わざわざ説明しなくて良かっただけ。
だからたまに日本人対決があったら、珍しいので「同門対決」と銘打たれていた。
日本人対決が主流になったら、戦う「理由」が必要になり、それぞれの主張をあからさまにするようになった。決して後付けではない。
で、最初の二回の鶴田と天龍の戦いは、別にテーマがあるわけでもなく、線ではなく点の戦いだから、同盟結成以降の戦いとは区別する必要がある。 >>250
>馬場が「俺と大熊の試合をお客さんが見たいか?と言ったらそうはならない。
だからリーグ戦はやらない」
いや、大熊とかをリーグ戦に出さなきゃいいじゃん、って思うけどw 過去にインタータッグ王座を獲った日本人コンビは
馬場&吉村、馬場&鶴田を除いて対立か別れるかしていない?
BI砲、馬場&坂口、大木&坂口、鶴龍、長州&谷津
(大木はキムイル名義じゃないから…)
大木&上田や鶴田&谷津もあるから、ジンクスとまでは言えないかw >>254
いやいや、希少価値があるから是非見たい。
馬場vs小鹿・大熊・高千穂・羽田なんて見たいよ〜
1度だけでいいけどねw >>250
大仁田対渕は怪我から復帰後普通に
地方でやっているよ。
テレビ中堅もされた。 >>255
「日プロ時代に戻れるなら、吉村さんか坂口とタッグを組みたい」(=猪木とは組みたくない)
馬場にとって、日本人はやはりタッグを組む相手であって対戦する相手じゃなかったんだろうな
馬場自身「日本人vs外人」の図式に固執してて大木や上田との抗争もあっさり終わらせちゃったし、
そんな全日が日本人対決に舵を切ったのは、やはり長州たちの参戦が大きかったということか 4年間封印ってあるけど、馬場天龍vs鶴田タイガーっていうカードがあるのをみんな忘れている。 マードックも「ベストタッグパートナーは文句なしでM・スーパースターだった」と言っていた
仕事ができる名脇役みたいな人が一番やりやすいんだろう シリーズエース外人も務めたことのあるスーパースターを脇役と言って
いいかどうか
かといってスごいトップスターと言うわけでもないから難しい >>222
あの本、結構ケーフェイ破りなこと書いてるぞ
その辺を読み取れないで「過激なプロレス」というキャッチコピーを
文字通りに捕らえて無邪気に喜ぶ新日ファンを生暖かい視線で眺めていたのに
平成になると立場が逆になっちゃったw >>254
おれが最初にそんな話を聞いたときは、例にあげたのは小鹿だったな。
例のクーデター未遂時期の馬場×轡田なら見たいけど(笑)
違うスレだけどキャッチボールの話も
馬場とブッチャー、鶴田とブッチャー、馬場とデスト
といろいろあるなあ。 >>234
新日は福田元総理の秘書が新日ファンでそれがキッカケでパイプができて佐山を緊急に
呼び戻す時は元総理案件で外務省を動かした。田中派の二階堂元幹事長をコミッショナー
に担ぎ出していた時期もあるけど・・・
>>244
久々のゴールデン特番の土曜日放送が高視聴率を取りそれ以降の特番枠も数字が良かった
が編成局に評価されたのがゴールデンタイム復帰に理由だった。長州達が来たのが理由
ではないが景気づけのなったと原Pが証言していた。
>>249
新日はNWAベルト復活にWCWに大金を払っている・・・
>>250
「馬場君は限界!」と公言していた松根社長が"ポスト馬場"として鶴田&天龍を日テレ社長
への御前試合としてアピール。経営者失格の馬場を会長に更迭して佐藤をブッカーとして
外人天国返上、日本人中心主義に舵を切った。鶴龍が最強タッグ初優勝して成果を見届け
馬場との関係が悪化するのを警戒した佐藤は全日を離脱した。
>>254
当時はメンバーを厳選して開催すればいいじゃんと思ったけど白黒ハッキリつけて
有力レスラーに商品価値を落とすわけにもいかないし難しいね。
全日最高の陣容で行われたインター争奪戦シリーズは不透明決着が多かったし・・・ >>263
新日も全日も年間200試合近くあることを引き合いに出して
「真剣勝負がこんなにいっぱいあるわけない」とか書いてたっけw 83年はケリーやカブキが参加?だったのでリーグ戦が楽しみだなと思ったら、まさかの中止・・
2ブロックでもやってほしかったけど、馬場がやりたくないんだから仕方がないね。 鶴龍対決といっても、82・83年の時期はまだまだ鶴田が引き分けてあげているという感じだったな。82年CCでは天龍はブロディに3分で負けていたし、「世界」をめざす鶴田が天龍に勝てなくてどうするんだ、という印象だったよ、俺は。 馬場が参加だと2~3年に一回は優勝しないといけないので、
83鶴田(orブロディ)、84馬場、85ハンセン、86鶴田、87馬場、88天龍、89鶴田・・・な感じで優勝だったろうね 東京体育館の鶴田vs天龍って
放送されていないけど、この試合って
映像として残っていないそれ以前に
この試合の収録自体してなかったのかな?
エキシビジョンとはいえ30分やっていたし
映像があれジータスでやってほしい。 >>269
確実に引き分けてあげてたね(笑)格でいうと鶴田が一気に勝ってもいいんだけどここが同門の不思議だよね。 >>271
たぶん最初から練習試合という意味合いで収録してないと思われる。 >>270
その馬場の優勝には無理があるし、日テレも認めないよw
ジャパンも参戦して来るわけだし…
馬場は10回大会を区切りに殿堂入り卒業という事にしてもらって、
それでもカーニバルリーグ戦は続けて欲しかったな。 >>270
>>270
85年7月にハンセンにPWFを奪回されてから馬場はシングルタイトル戦線から撤退しているし、
この頃にハンセンに「鶴田、天龍を中心にしていく」と明言しているから85年以降の馬場の優勝はないと思うけどな。
出場は86年頃まではするかもしれないけど。馬場も「時代の流れ」は理解していた。
最強タッグも80年を最後に優勝しなかったしね。タッグリーグだからその後も出場はしたけど、シングルのCCはそうはいかないと思う。 鶴田対石川もクイック勝ちだった。タイガーとのタッグ対決も同じでボディアタックの切り替えし丸め込み
長州がタイガーにラリアットで完勝してるのに鶴田がスッキリ勝たせないのは不思議 >>267
リーグ戦に片方が参加しなきゃいいだけだろ >>276
猛虎七番勝負でバックドロップで完敗してるぞ
このまえ久々に見たけど意外といい試合で
これなら鶴田対三沢は盛り上がるわと思った
馬場さんがそこまで考えてたかしらんけど その試合は平成だよね、この頃になるとスッキリ勝負が増えてきた印象
昭和のタイガーと天龍戦でも完璧フォールだからまったくなかったわけでもないけど >>258
NWA経由で送られて来るガイジンの質に疑問を持ち始めた頃に、日本人同士でも金が稼げるってのが分かったからじゃない。
もし、優良ガイジンが送られ続けていたら路線は変えなかったと思う。 >>272
この頃はもうちかいうちに馬場鶴田組が解消されて鶴田天龍組に切り替わるのが既定路線だったからね
天龍が明らかな格下設定だと負け役が固定されちゃうから、この時点では鶴田=天龍はともかく
鶴田≧天龍にしておく必要があったんでしょう。このときの、
「わざと引き分けやがって」という天龍の屈辱感も鶴龍対決の盛り上がりに一役買っていた
ってのは考えすぎか >>276
対長州はジャパンの大将との対抗戦だから、完敗してもやむなし。
この時期の鶴田は、自分の引き出しの多さを
(対戦しながら)伸びてきた三沢タイガーに教えていたようにも見えたなぁ
クイックもあり、バックドロップで仕留めるもありと・・ >>276
>鶴田対石川もクイック勝ちだった
鶴田と石川のシングルってあったんだ…?
いや、あってもおかしくないけど…テレビマッチなのかな? >>284
82年カーニバル公式戦でしたね。
馬場、石川、天龍と鶴田の日本人対決が3つも放送された珍しい年だった。 全日スレで新日を例えに出して申し訳ないが 藤波vs長州を名勝負数え唄と呼ぶのは噛ませ犬発言の後に限るからなぁ
俺的には鶴龍で袂を分かってからを指すな >>286
> 藤波vs長州を名勝負数え唄と呼ぶのは噛ませ犬発言の後に限るからなぁ
そりゃ噛ませ犬発言以前は名勝負とは言われてなかったんだから当たり前だわ。 >>285
ありがとう、そんなに前だったか…
石川のイメージはジャパン軍が来て迎撃してる姿、天龍革命の時でも同じ
だから鶴田とシングルの必然性が?って感じだったんで…
あとはアジアタッグ要員という感じ 鶴田にはクイック負け
第三の男に躍り出た天龍相手にリングアウト負け
長州とは阿修羅原乱入でノーコンテスト
石川って、大物外人相手には瞬殺されてたが
日本人相手だと結構配慮された棚
やはり学生横綱+元幕内の実力者だし、あのポジションで納得して働いてもらうには
それなりに気を使う必要があったのかも
そんな石川も、輪島の重りを経ていったん引退し、WARで復活した後
ドームのセミの藤波戦というレスラー人生の頂点を迎えるわけだが >>278
その試合、フィニッシュよりも
途中で見せた高速引っこ抜きバックドロップが印象深い
まさにあれこそテーズ式 でも小林にも両リン引き分けだしな、ジャパン側が嫌がる気持ちもわかるが >>290
石川はジャパン軍相手だと、長州以外にフォール負けを見た覚えがない
その長州に負けるにしても、石川が長州を対角線コーナーに振って、突進するところをカウンターでラリアット
そんな感じでノーマルなフォール負け(起き上がりざのラリアット)より、ワンステップ手の込んだ負けの印象
おくまで自分の記憶だから自信がないけど
あと、「日大の後輩の谷津には負けたくないだろうな」と石川に関しては対谷津の視点で自分は見ていたな。
その谷津に関しても石川が負けたの見た記憶がない、逆に石川が勝ったのも見てないけど >>292
当時の対抗戦、小林相手だと井上でも両リンの気がする。勝つとしたら冬木くらいかなぁ。寺西戦キャンセルの馬場や鶴田天龍の対小林が異次元で観てみたい。 石川はプロレスセンスは武藤と同等
見た目が格上げを阻止していた サンフランシスコでは天龍は石川のおまけだったしな
タッグでは試合組まれるがシングルだと石川のセコンドと言う立場 石川って数少ない元全日勝ち組だね
インタビューや対談読んでもギスギスした悪口はほとんどない、金持ち喧嘩せずを地で行ってる 散々書いているけど石川のルックスが良くてもう少し大きかったら
馬場はエース級で売り出したと思う
プロレスへの適応と言う点では天龍より先を行っていたからね
相撲出身なのにプランチャはできるし動きはキビキビしているし >>293
いくら地元の山形でのシングルとはいえ、
阿修羅抜きの全日で4番手以下だった石川が
ジャパンのエースだった長州相手に
その阿修羅の乱入でノーコンテスト裁定だったんだから
異例の好待遇だよ
詳しくはわからんが、やはり配慮すべき何かがあったのだろう
でもWAR時代は、藤波やテンタからピン撮ったかと思えば
木戸や越中に負けたりしてよくわからない扱いだった
>>296
相撲出身なのにジャーマンもプランチャもできたからな
運動神経がよかったのだろう
>>298
さすが横綱。かいなぢからがすごいのだろう
>>299
今の仕事って清掃業だっけ?
学生横綱だけあって、日大相撲部のバックアップ受けてるんだろうな
例の理事長とのパイプも太そうだ
長年の持病の糖尿病ともうまく付き合ってるみたいだし、引退した
元レスラーでは間違いなく勝ち組の部類だね 確かに石川は運動神経良さそうだった。
ただプロレスって表情とか感情表現だからねえ。 >>301
>石川のルックスが良くてもう少し大きかったら
たられば追加すると、国際にいたとしたら完璧なエースだな。 当時、新日贔屓だったけど石川は藤波なんかよりははるかに強いだろうなと
見ていて思ったわ。佐藤昭夫はふくらはぎが太過ぎて損してたな。 俺もジャパン時代にパンフレット買ったら永源遙120キロと書いてあって
マジかよ。。ジャパンには前座にこんな強豪が控えてるのか。。と思った ちょっとメタボになると誰でも簡単に100kgを超す。
しかしそこから上は案外と体重は増えない。 >>299
Gスピで、海外時代ポーゴにパートナーで呼んで貰ったのに、その事をナガサキの前なのか悪口言ってた。
東京プロレス時代も、FMWに次いで参戦してもらっておいて酷い言い草だったよ。
95年のポーゴなんて、ドル箱ヒールで呼べれば集客力かなり有ったのに感謝どころか悪口なのは幻滅した。 >>305
見事なブリッジとは言い難いが、
相撲出身の石川が自分よりデカいドリームマシーンに
ジャーマン決めただけで大したものでは?
例の鶴龍決戦の開始早々、天龍が鶴田に決めた
不格好なジャーマン思い出した。 >>311
> 95年のポーゴなんて、ドル箱ヒールで呼べれば集客力かなり有ったのに感謝どころか悪口なのは幻滅した。
その分のギャラは払ってるだろうし
それ以上に素行が悪かったら悪口言われたって仕方がないだろ。 >>313
> 例の鶴龍決戦の開始早々、天龍が鶴田に決めた
> 不格好なジャーマン思い出した。
あれと比べたら遥かに綺麗だと思うよ。 佐藤のミサイルキックから石川のジャーマンて凄いな
でも凄く見えないのはなんでだろうw 当時の石川の身体能力とセンスのまま
当時の菅原のマスクと体格だったら
全日のエースは決まりだろうな…うまくいかんもんだ >>316
これほど華麗さからほど遠い
ミサイルキック→ジャーマンの連携って初めて見たかも 菅原と石川だったら体格的には変わらないから全日のエースは無理だね。
国際だったらエースで決まりだな。
新日だったら長州、藤波とエース争いができたかも。 そっか、確かに菅原はサイズが全日だと厳しいか…
よく考えりゃ原ですら四番手だったわけで
それとは別だけど、原や菅原はカッコ良かったよね
冬木にしてもデブる前、移籍当時のポッチゃりしてた頃は悪くなかった
井上と鶴見はやくざみたいだったけど、総じて国プロ勢はルックスがいいと思ってたよ。 連レス失礼、高杉を忘れてた
原と菅原と高杉、どれもいい男だわ(移籍当時ね)。 >>322
Gスピリッツで見た国際勢の私服がお洒落だった憶えがある。
原がトレンチコート姿で渋かったような。 ミスター・勝ちブック 小橋建太
現役時代から現場監督になっても勝ちブックを貫き「ミスター・勝ちブック 」と呼ばれる 石川はミラノ失神を含め結構相手に怪我させてるな
健吾程ではないにしても技の使い方が乱雑 >>135
1カ月近いシリーズで休みが3日。
前半は通いだろうし、休みの日は仙台から広島の移動、東京釧路、大阪長崎の当日移動と、この頃はすごいな。
やっぱりチャンピオンカーニバルという名前で地方に売れたのに >>303
田中理事長が牛耳る日大・相撲部閥の恩恵を多大に受けている。
日大関連の清掃業業務と産廃処理を請け負うだけで無く権利を得るのに難しい大学
構内へのコンビニの出店までさせてもらって凄まじい優遇ぶり・・・
今は業務も人に任せて悠々自適らしい。
谷津は「アマレス閥は力が無いから・・・」と羨んでいた・・・
輪島のアメフト部のコーチ就任もこのラインだったんだね。 >>326
WARで天龍、北原と組んで両国で健吾、越中、青柳とやった時、
序盤で健吾がショルダースルーをやろうとしたところをケツで顔をカチ上げて健吾をのばした。
WARが初めて新日に上がった大舞台で相手チームのエースを序盤で伸ばしたらダメ。 >>322
菅原のルックスと石川のプロレスセンスを併せ持った実在のレスラーというと、
タイプ的に一番近いのは維新力かな
相撲出身とは思えない細マッチョ体型だし、空中技やスープレックスができたし
最高位が十両だったから、地力は明らかに石川に劣るが
>>326
中堅どまりだったのはそういう部分も影響したのかもね
健吾よりパワーある分、相手に与えるダメージもガチっぽいし
>>303
インタビュー読んだ時も余裕あるなあというか、他競技から
プロレスに転身してきた選手特有の悲壮感がないなあと感じたけど
こういう背景があったのね
本人は動けるうちはリングに上がって、しんどくなったらサッサと
止めようくらいの気持ちだったなろうな
でも最近のコロナで大学は構内立ち入り禁止でコンビニも商売にならないから
今になってしんどい思いしているのかも 連投スマソ
303は>>328の間違い
>>331
日大相撲部のラインでしょ。
大相撲経験者かどうかは知らんけど >>330
この時はまだ健吾がエースで最後にコールされていた。 >>331
描き文字が学祭プロレス並みで草wwww
有名じゃなくても書道家に迫力のある文字描いてもらえよwww >>336
マスコミの扱いやファン目線ではコンビ結成当初から越中がエース。 >>208 >>222
遅レスで申し訳ないけど
栃内良氏が多用する以前から「馬場さん」表記はあったよ
たぶんイーデス・ハンソンとあと1人名前忘れたけど馬場ファンのタレントがいて
その人達のインタビューやコメントに触発されたのか専門紙誌が段々と
「馬場さん」「馬場社長」「馬場御大」といった肩書付きの固有名詞を
掲載するようになった筈
(ちなみに猪木は肩書無しの「猪木」「アントニオ猪木」が殆どだったけど
これは単に語呂の良さ読み易さみたいな要素が大きかったと思う)
村松友視でさえ「当然プロレスの味方です」「ダーティ・ヒロイズム宣言」の中で
“馬場さん”表記を用いてた(勿論「馬場派プロレス宣言」が出版される前)くらいだから
>>328
輪島の学生援護会(当時)アメフト部の監督就任は
輪島個人のタニマチの縁からだったんじゃないかな?
輪島が日大の選手をスカウトしに
日大アメフト部の練習に出入りしていた逸話と目撃談はあったけど >>332 >>334
石川の日大相撲部での後輩だったそうだね坂下博史 >>335
馬場のランニングネックブリーカーは受けが悪いと上手く見えない
鶴田天龍にはバシッと決まるがラッシャーだとすっぽ抜けるし、石川とかは受ける時に露骨にジャンプしてる
自分より40センチ低い相手にランニングネックブリーカーをかけると想像すれば難易度がわかるが、もう少し対処法がないかなとは思ってた。好きな技だけに >>342
ラッシャーは後頭部からドーンと落ちるから、めちゃめちゃ痛そうだけどなあ。 理事長選にやくざが絡んできたり人死にが出たりとか日大内部の利権ってのは
相当すごいんだろうな >>342
1969年12月19日ロスのインター選手権
9分45秒辺りの変な技はランニングネックブリーカー狙いだよね?
https://youtu.be/ifAZP48Sz6g
12月3日ドリーのNWA王座に挑戦した時は、初披露で完璧だった。 >>345
これは違うんじゃない?チャンピオンカーニバルでブロディーに勝った決め手をフライングボディシザースドロップというくらい無理がある >>342
NWA初戴冠のときのブリスコは最高の受けじゃない? >>348
あれは良かった。良すぎて特集とかの度に繰り返し見せられてブリスコの弱いイメージが定着したくらい NWA戴冠のときはどれも素晴らしいから。レイスの受けっぷりも褒めてあげて下さい。 馬場三度目のNWA戴冠の時は決め手のランニングネックブリーカー以外に
三十二文にバックドロップそしてブレーンバスターまで出してた
サプライズのNWA戴冠だから相当張り切ってたのかな?w >>350
83年2月にセントルイス・チェッカードームで馬場がPWFを奪還した時のレイスの受けもよかったな。
腕を広げて受け身を取って、キャンバスに頭を打った後、横を向いて「効いた」って顔で目をつむるんだよな。
魅せるよ、レイスは。 >>355
81年のカーニバル公式戦のことじゃないかな?
ボディーシザースと言うか正面から倒れ込んでそのままフォールを取った奴のことを言ってるのかと思う >>357
そうそれ、移動中だから証拠動画はれないが >>353
知らされてなかったジョー樋口が可哀想だろ、カウント中に固まるし。 小生が子供の頃(昭和49年頃)、巨人戦で深夜に追いやられた全日本プロレス中継。
そのメインが馬場とある外国人レスラーのシングルマッチだった。
その外国人レスラーが馬場をヘッドロックに捕らえ、リング対角線上を走り、トップロープ
に登りフライングメイヤー。そのムーブを3回繰り返し、その三回目を馬場に捉えられ
アトミックドロップ一発でピンみたいな試合があった。16文も出さずに。
でも客は全然不満そうではなかった。
当時の地方のプロレスファンにすれば、本物のジャイアント馬場が躍動するのを見れただけでも
よかったんだなと感じたわ。 >>357 〜359
なるほどね。
納得しました、ありがとう >>340
やっぱりね。
相撲軍団とのアングルでWARで日大色が強くなったのを
天龍が警戒したのが、石川の離脱につながったんだろうな
石川のタニマチだったバイク便も日大相撲部のラインだったのかな
>>350
あの受けは見事だったな
ロビンソンも後でネチネチ馬場を批判したりせず
「あれは効いたぜ!でも俺はあの技は二度と食らわなかったぞ」
くらい言っておけばもっと株が上がったのに レイスはそれぞれ素晴らしいね。
それぞれ検証してみましょう。
https://youtu.be/k5cj-cOxD64 >>364
やっぱりレイスは上手いし一流レスラーは基本的に上手い、身長もあるんだろうけど
だからこそ石川のジャンプが気にくわない、上手いレスラーなのに
https://youtu.be/GsklCKuHO54
の19分ちょうど >>357
猪木も馬場を意識してかブロディ初対決でボディシザーズドロップ仕掛けてる(他の試合じゃ見たことない) >>348
>>349
自分は決まった瞬間のセコンドのマティ鈴木のオーバーアクション
3カウント入った後、一目散にリングに入場
疲労困憊の馬場を無理やり起こして抱擁&担ぎ上げ
この一連の背景動作が一番印象に残ってる、あの鈴木のリアクション見ると絶対にガチ勝負だと思うよなw >>367
猪木がボディシザーズドロップでハンセンに勝った試合なかったっけ >>345
>>347
相手の首に腕を引っ掛けようとしてるからネックブリーカーでいいと思うよ
ただし使い始めて間もない頃のせいかタイミングの取り方が
ホーガンのアックスボンバーの初期のものと同じで
自分もロープに走ってる分うまくいってない感じ レイスとなるとむしろUNとPWFを取った82年が印象に残る
あの時点での世界最強は移籍したばかりのハンセンでなくレイスでないかと思ったくらい >>371
「レイスがNWA王座を降りたら、最強タッグに呼びたい、PWFやUNの挑戦者にしたい」
ってずっと馬場は思っていたんだろうな。そしてレイスは、その仕事をキッチリとできる人だった。 >>371
馬場からPWFを獲った時の急降下ダイビングヘッドバッド
セントルイスで奪還した時のランニングネックブリーカー
両者ともに見事な切れ味のフィニッシュだったね、レイスも馬場もさすが >セントルイスで奪還した時のランニングネックブリーカー
こっちはそうでもなかったんじゃないの?
ランニングどころかウォーキングだったよw
動画見てきなよ NWA王者はむしろ降りてからの方が強いというのはキニスキー・ドリー・レイスが代表的かな
ブリスコは王者時代がピークでテリーは降りてからがようやく本番という印象 >>375
ありゃ、そうなんか…
壮大?なるオーデトリアムをやや全景で映しながら、馬場とレイスが小さめに写ってて
なんか芸術的というか、ネックブリーカーが決まったシーンが美化されて脳裏に残ってたのかもしれない。 鶴田が馬場に勝つとしたら、バックドロップは綺麗に決まらなそうだから、
2発目のランニングネックブリーカーをスカしてフライングボディーシザースドロップかな? >>376
レイスは本来の金髪でAWAでブルーザー&クラッシャーに揉まれて実力がついたのでは。
(後追いで観た)日本でのブッチャーとの喧嘩マッチも迫力あった。
王者時代には段々モジャモジャになってww 受けに重点を置いたので不満を漏らすファンもかなりいた。
王者陥落後はPWF・UN・WWA・ミズーリ王座と実力をまたまざまざと見せつけた。
WWFに行ったらまた受けに回ったけどw “KING”の称号をもらった。やや滑稽ではあったがw 日本でのレイスのベストマッチはやはり田コロでのフレアー戦かな >>380
あの試合は日テレジータスのプロレスクラシックで見て、まさにプロフェッショナル同士の試合だと
感服した >>369
第二回MSGシリーズの優勝決定戦では?コーナーポスト最上段からダイビングしてボディシザーズドロップのような形で決まったと思います。 レイスは晩年にNWAタイトルマッチの立会人で新日に来てたけど、別人みたいな風貌になってたね。
ウッチャンのコントキャラみたいな。 レイスは馬場にNWA王者プレゼントしたり肥後にNWAベルトプレゼントしたり
プレゼント好きなんだなw >>382
猪木がボディアタックで勝った。ほとんどクイックのようだったね。 よもや後年にジェイムズ・ヘットフィールドがハーリー・レイスの真似をするとはねえ。 >>371
鶴田、馬場と続けて撃破し鶴田には即座に奪回されるもスヌーカと組んで最強タッグ前哨戦
の師弟コンビ戦も完勝と晩年の狂い咲きのような活躍だった。
>>382
コーナーポストに登る猪木が馬場と違いw「猫のように素早い!」(ハンセン談・列伝風w) 幸せいっぱいの新婚旅行があんなことになろうとは
武道館での園田夫妻の遺影を見て悲しさと虚しさを覚えた。 >>380
久々に観てきた。いいね!上手い。守るモノがないレイスは極上。
フレアーも油が乗り始めた頃だから、ちょっとしたタイミングが合わないのも
2人できっちり処理出来るのは流石。
いつもフレアーのトップロープからの攻撃は必ず失敗するから、
何がしたいんだろうと思ってたけど、ボディアタックだったのねw >>389
狂い咲きとは言われるにはまだまだ、と思うけど
どうせなら髪を金髪に、パンツを派手にして咲いてほしかったね。 「リングの目激者」
「馬場派プロレス宣言」
「馬場派vs猪木派」
これら上記の本、かなり後年に古本で読ませてもらったけど
「目激者」の新間・山田・竹内の三者座談会では
今の猪木(1982年頃)とやらせたい全日系の選手は?
という議題では「テリーは老いたし、充実度ではレイスだろうね」と話してたね。 >>393
ニックの名前も出ていてのとファンクスを一時代前のレスラーと桜井発言だっと記憶
しているけど竹内が同意していたのは?。仮にも馬場のブレーンでしょう。 >>394
山田さんは猪木嫌いだけどリング上だけは評価してたのかなあ うーん、まあ内容的に記憶があいまいだけど
竹内さんは良くも悪くも中立の立場で参加してて
記述や座談会でも「馬場が好きな自分も心苦しい部分はある」という風な事を言ってたような?
鶴田に関しても「新日に入団してたら全然違っていた」というのは三者同意だったかな? >>395
基本新日本アゲの本だからな〜
馬場派の山田さんや中立派の竹内さんに新日本アゲさせる誘導があっただろう。 >>396
ああ、ごめんごめん
山田さんじゃなく、桜井さんだ
新間・竹内・桜井の三者の座談会ね
つまり竹内さんだけが1vs2の少数派の方だね なーんだw
東スポ記者なのに猪木嫌いを公言する(でも記事でネチネチ悪口とかはしない)山田さんが大好きだったから意外に思った
とはいえ三者三様あたりで新日本の話題に触れることもあった気がしてるけど(自信ない) あと「馬場派vs猪木派」でのそれぞれの言い分も面白いんだけど
とにかく全日派の新日ブームに飲まれないとする意地
でもコンプレックスも皆が認めてて、なおかつ自虐的な感情も面白かった
誰が書いてたか忘れたけど
「金曜夜8時は家族団らんで食卓を囲み、健全な時間帯」
「それに比べて土曜夕方5時半にテレビを見るような者は、健全な生活とは言い難い」
かなり直情的で偏屈な断言なんだけど、当時の全日ファンの形見の狭さが透けて見えるようで同意してしまったw
自分はかなり子供だったんで土曜夕方にテレビ見るというのはノーマルで健全な年齢だったけど… レイスの強さはツベにあるアンドレ戦でよくわかるな
ボディスラムも持ち上げて溜めてから投げるし、後半なんか押しまくってるからね >>404
ボビー・ヒーナンが「アンドレが恐れた男は世界で2人だけだった
ハーリー・レイスとハクである」と言っていた
レイスが控室のボスだったのは有名で
「おい、この記者に椅子を持って来てやれ!」と言うと
若手外人が「イエッサー!」と言って持ってきた
ただ威張るだけのボスじゃなくて子分のレスラーは有力なプロモーターに
売りこんでやっていたんで感謝されていた >>391
メインで鶴田に防衛のケリーを含め三人にとって唯一の田コロ出場だったか
この後にNWAが急速解体していくのを考えれば事実上これが最後のNWA路線だったんだよな
三代揃い踏みで始まった全日本のNWA路線が同じく三代揃い踏みで終わったというのも因縁
そしてどちらにもレイスが絡んでるというのも >>342
84年4月のPWFタッグ争奪戦の最終戦では、ブロディが怖がって横向いちゃったから、もの凄く不格好になったな。 >>408
その動画の流れでマスカラスとドスカラスの素顔の動画を見たけど
昔からマスカラスは「アランドロン似のハンサム」って記者から評されてたけど
自分には谷村新司にしか見えなかった
むしろドスの方が甘い顔立ちでドロン似に見える
ドロン似はマスカラスじゃなくて、ドスの方じゃないの?
マスカラスの髪型が刈り上げてたからそう見えただけかもしれないけど…
あと単純にドスはかなりいい男、フレアーをマッチョにしたみたいだ。 >>397
本格政権となる二度目の戴冠前まではこんな感じだったんだよな
その意味でも最初の戴冠の時の暫定ぶりが強調される感じだが >>403
こういう話を見るにつけ、スタートの時点で金曜8時枠と三菱電機という
有料スポンサーを失ってしまったことがつくづく悔やまれる。
あの枠は、馬場と猪木を失った瀕死の日プロでさえ、惰性でそこそこの
視聴率をマークすることができたプロレス最適の枠だったからな
日テレも日プロ打ち切り+馬場独立を促すのはいいとして、並行して金曜8時枠を
維持することを画策できなかったものか >>412
優良スポンサーだろ、無料スポンサーなんてないんだから。 >>412
三菱電機がプロレス自体のスポンサーで居続ける事自体に嫌気が刺していたというのもあったかも
当時は既に単独のスポンサーでもなかったわけだし
馬場問題で強硬だったのはむしろ三菱電機の方だったようだがあるいは当時の日プロとしては三菱電機が抜けても日本テレビが穴埋めのスポンサーを見つけてくれるくらいの気分だったのかも 新倉が著書でマスクマンの素顔について書いていた
マスカラス:メキシコの谷村新司
デストロイヤー:アメリカのおっさんと言う感じ
M・スーパースター:映画俳優並みの二枚目
カネック:カメレオンみたいで「マスクをかぶってて良かった」と言いきれる顔 >>410
だからさ。昔から言われてたならその頃から年月はたってんだろ?
ということは弟のドスが昔のマスカラスに似ててても不思議じゃない。
あなたの見たそれぞれの素顔は、アランドロン似の老けてしまった顔と昔の兄の顔に似てる顔だったということだ。 堀田がカネックに関し「あの人の素顔は見ない方がいい」と言っていたな >>423
そう。キング・ハク。
和田京平があの試合に言及しているな
受け身を拒否!80年代最強外国人£エ獣ブロディの記憶に残るマスカラス兄弟戦
https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/ajpw/2005494/
自分の哲学というものを持っていて頑固。悪く言えば融通が利かない。
一番記憶に残っている試合は、ハンセンと組んだ世界最強タッグ決定リーグ戦の
マスカラス兄弟(ミル・マスカラス&ドス・カラス)戦(83年12月5日、福岡)。受け身を取らないんだよ。
フライングクロスチョップを受けても立っているんだから不穏な試合だよね。
「お前らごときに、なぜ俺たちが」という考えだったんでしょう。結局、ブロディとハンセンが初優勝したんだけどね。 ネットでもカネックの素顔は見たことないな
伊東四朗似らしいが >>416
大正力とその番頭たちの讀賣・日テレの社是の話にしても
三菱電機の大久保謙にしても
このへんまでは単に企業の会長だ社長だってだけじゃない
カリスマ性を持つ戦前戦後を通じての大物の意向が
直接強い影響力を持ってた時代だからね
三菱電機にしても“大物”大久保の立場や意向が重要視されたわけだが
とはいえスリーダイヤにはグループ内においては
その大久保以上の権力持つ人間や
なによりグループ全体の利益を守ろうという強い組織意思が働くからね
そこは讀賣・日テレと違うところ マスカラスってファンクスや鶴田にも
あからさまにジェラシーを抱いていた感じ合ったもんな。
佐山タイガーに懲らしめて欲しいと思っていたよ。 昭和の外国人の美男美女に対する形容の定番
男性なら「アラン・ドロン似の〜」
女性なら「イングリッド・バーグマンのような〜」
さすがに80年代になってもまだこういう表現を平気で書いてる人がいたってのは
なんというかプロレスマスコミらしいというか、なかなかキツいなw ビル・イーディーとしてはWWEのビンスとキャラの使用権で争った位だから
アックス・デモリッションのキャラのほうが気に入ってるんじゃないの?
もうマスクド・スーパースター時代よりもアックス時代のほうが長いよね >>368
そしてデストのババサンイッチバーン!で全員バンザイ >>428
ベンジャミン伊東みたいな顔のメキシカンは確かにいるね >>428
かなりエラの張った輪郭なのは
マスク越しにもわかるね
伊東四朗似と言われてなるほどと思った
>>429
三菱内でどういう議論があったかはさておき、
金曜8時枠の後番組が「太陽にほえろ」に決まった瞬間に
プロレス存続の可能性はなくなったな
なんたってあの石原裕次郎の初主演ドラマだ。
視聴率はともかく、三菱のような大企業が何より気にする
世間的イメージ、好感度という点でプロレスとは比較にならない >>431
美男の形容としてアラン・ドロンは、榊原郁恵のヒット曲にもあるほど定着してるけど、美女の形容でバーグマンを出す人は昭和でも多数派じゃないと思うけど。まあ俺は40代後半の若輩者だから断言はできないがw >>434
気に入ってるってよりもアメリカでの知名度がデモリッションの方があるからでしょ
インディーやサイン会で呼ばれるのもデモリッションとしてだとインタビューで答えてたし
スーパースターの方を好んでくれるのは日本だけって言ってたしね >>437
2000年頃の格闘技ブームの時のCMはパチンコと消費者金融だらけだったがそういうスポンサーはいなかったのかな。黄桜や井関に不満があるわけじゃないが
土曜七時時代は日産自動車とかいたがメインてほどじゃなかったのかも >>443
ゴールデン帯の全日中継は巨人戦の雨傘番組だったからな
日テレ的には、巨人戦の枠で消費者金融やパチンコのCMは流せなかったのでは
日産自動車は石原プロのスポンサーだったから、間接的に太陽のほえろの
おこぼれに与ってたのかも >>418
まあ、確かにそうだな…返す言葉もない
しかしドスカラスのレベルでも「イイ男」って聞いたことがない
オレが動画で見たドスカラスはけっこう晩年だと思うが、かなりイケてる顔だった
風評ではそのドスより間違いなく上なんだろうから、全盛時のマスカラスはどれだけハンサムだったんだろう? どんな地方のホテルでも常にマスクしてたマスカラスは凄い
ホテルのロビーなのに追っ掛けてくるシンも凄かった >>443
深夜の全日見てれば、消費者金融の大体は網羅出来たなw >>444
巨人戦の枠はっていうより70年代半ば〜80年代ばはまだ
パチンコや消費者金融のTVCMはキー局及び系列ネット局では自粛申し合わせの時代
サラ金が社会問題化したため民放連で貸金業のCM排除の申し合わせもあり
それまで一部時間帯により放送していたものも含め一律に放送しないようになった
但し独立U局に関してはこの限りではなく引き続き放送もされていた
(ようは多くのU局はそれだけ営業的に厳しかったってコト)
消費者金融へのTVCM解禁がどのくらい儲かったかっていうと
なにしろ90年代になってバブルが弾けた景気の落ち込み対策として(一応名目上ではね)
最終的にTV業界が消費者金融大手6社中心に段階的に規制を緩和・解禁した結果
バブル時代よりはるかに広告収入で儲かったってくらいだからね
後のパチンコ関連業界等への解禁は要はこの時の夢よもう一度だったのよ >>430
初来日の時に馬場に張り手かまして、報復の鳩尾への蹴りと、固い脳天唐竹割りかまされてるな 近鉄バファローズがネーミングライツをしようとして他球団から却下されたが
あれは大阪アコムバファローズにしようとしたんだよね
さすがに消費者金融を球団名にするのはNGを喰らった >>445
デルリオはドス似かどうか知らないけど、ニヒルなハンサム系だよな。 >>448
テレビ業界が好不況の波に関係なく好調に見えたのは金貸しやギャンブルの段階的解禁からだったんだな
でもテレビ以外のスポンサー活動は出来たのにしてなかったっぽいからどっちみちプロレスには来なかったのかも 何で1000カラスの弟が2カラスなんや? おかしいやないかぁ!
で関係ない100カラスがおるんじゃ? おかしいやないかぁ! >>437
猪木追放から始まり雑言罵詈合戦、ついにはNETによる馬場の強奪とスキャンダルに呆れ果て
三菱電機は「プロレスから手を引きたい・・・」と申し出た。人気番組を打ち切るのに躊躇する
日テレの背中を押した背景は三菱電機と日テレは共同で電波塔(仮称・正力タワー)を建てる
計画があり単なる提供スポンサーではなく強力なビジネスパートナーだったから。
三菱電機としても高度成長が終わり家電製品も各家庭に一回りして提供番組も含めて
新しい戦略を立て直す必要があった。またオーナー企業ならともかくカリスマ経営者の
時代も終わりを告げて集団合議制の時代になりつつあった。例え金八に全日中継が入っても
手垢のついた馬場と外人レスラーでは数字は取れなかったはず・・・
三菱電機だけでなくプロレスファンもスキャンダルに呆れて人気は急減していた。
マスコミも東スポとディリー以外は報道から手を引いた。団体は4つもありながら
力道山、BI砲時代の黄金時代とは遙か遠いまさに「プロレス不況」と言う状態だった。 >>453
マスカラス(千の顔を持つ)、ドスカラス(2つの顔=2面性を持つ)でないの? >>454
三菱が降りたのも猪木のせいだとすれば恨みは凄いだろうな、勿論何もしなければ衰退するだけという主張もわかるが >>456
兄が顔で何で弟が人格なんや!おかしいやないかぁ! 連投すまんが、
ちなみにオレが最初に見た100カラスは素顔やないか!おかしいやないかぁ! カブキ自伝「東洋の神秘」によると、みのると会っていて、みのるのメキシコ遠征の話になり、
「カブキさん、マスカラスの野郎はどうしようもないですね。しょうがねえから、グチュグチュにしてやりましたよ」
「あっ、やったの? そりゃ良かった(笑)」
鈴木と意気投合してしまった、とある。 >>457
猪木というかダラ幹のせいだよ。
高度成長期も落ち着き始めると、馬場の衰えと共にプロレスもマンネリ気味になり
観客動員・視聴率も下降気味
私欲もあるだろうが猪木の馬場挑戦も『世界中に敵がいなくなったら…時期尚早』
という訳の分からない裁定を下す。
ドローで良いからBI対決をやれば人気も盛り返していたと思う。
まさか同一団体内で猪木裏切りのセメント仕掛けなんかできないんだから… 日プロ時代の猪木の挑戦表明もポーズだろ?実現しても、一番の理解者であるNETテレビで放送できないし。 日プロ時代でのBI対決なら
どうせやるなら後楽園球場でという話が出たことを
のちに芳の里が語ってるね
別に一回限りにこだわることなく
普通にワールドリーグの公式戦で毎年やれば良かっただけの話かもしれないな
猪木坂口、馬場鶴田戦はじめ
現在では普通にそれをやってるんだから
それに46年時点では日本人対外人路線ではもう限界が見えてたのも事実 プロレスに限らず試合よりもスポーツ紙や週刊誌のが面白くなってるジャンルは良くないんじゃないかな
真面目に応援し辛くなるしスポンサーもつきにくい >>454
しかしダラ幹は、としかいいようがないな
こういう背景があるなら、日テレと三菱に不義理したら
どんな目に合うかぐらい想像つくだろうし
ほんと目先の金のことしか考えてなかったんだな
>例え金八に全日中継が入っても手垢のついた馬場と外人レスラーでは数字は取れなかったはず・・・
日テレの打ち切り後すぐに枠移動してきたNETの日プロ中継は
馬場も猪木もいないショボい布陣で2桁マークしてた
あの枠は、団体とか選手とか関係なく「プロレス」ってだけでチャンネルあわせる層が
かなりいたから、そこで全日中継を開始できればスタート時点でかなり違ってたはず
少なくとも、ヘーシンクの獲得はなかったろうな >>465
テレビはそんなとこあるね、マンネリ化した頃が最高視聴率でそれが長く続く
都心のビックマッチの観客動員は落ちても視聴週間のついた視聴者と地方の動員は中々落ちなくてその間にスター選手が出れば盛り返す
腐敗した幹部問題がなければそのままのが良かったはず、我々コアなファンは困るがw >>460
マスカラスをグチャグチャにしてやったなんて本当かなあ
ソラールから後ずさりし続けたくせに 猪木追放の前からプロレス人気は凋落してたと言うよね。
だからこそあそこで馬場軍vs猪木軍の軍団抗争とかしたら面白かっただろうな。
高度成長を経て、勤め人が増えてたから派閥抗争とオーバーラップして時代にも
マッチしてたと思うけど。 >>466
>>467
テレビ番組ってそういうもんでしょ
会場に行って金落とすほどのファンでもないし、特に好きな選手や団体があるわけでもないが
金曜8時枠には惰性でプロレスを見ていた視聴者がかなりいた
そういう視聴者をつなぎとめ、他団体に渡さないための最善策は、引き抜きでもテコ入れでもなく、
「枠を変えない」こと
そういう意味では、唐突な打ち切りで金曜8時枠をNETに明け渡してしまった日テレの編成は
かなりの悪手だった。この初動の失敗がなければ、その後のプロレス界の勢力図は相当変わっていたはず 三菱電機一社提供は1971年3月末まで。
4月からスズキ自動車とクボタの3社提供。 >>462
当時の二局放映体制下では馬場の試合は放映出来ないNET的には
「猪木が馬場に勝つ」か「ハッキリと優勢でドロー」以外の選択肢が無いとこが難しいな
日テレ側は高視聴率間違いなしの馬場vs猪木戦を放映出来て
そのうえで馬場が完敗さえしなければとりあえずOKという余地はあったんだろうけど
馬場を放映出来ないNET的にはやるならせめて猪木>馬場にならなきゃ
せっかくの「ワープロ=エース・猪木」の価値が下がっちゃう
>>470
TVに限らず大衆人気ってそういうものだよね
いわゆるファン人気と一般人気だのセールスだのはちょとずれる
特にメディアがまだ限られていたあの時代はね
ピンクレディだって売上ピークの「UFO」「サウスポー」の頃は
既にあまりにも子供向けにシフトしすぎて初期からのファンはちょっと醒めだしてたし
ビートたけしも一般メディア的にはたけちゃんマンで人気沸騰のって言われてたけど
ファンが好きだったのはANNやTHE MANZAIのたけしだった
「金八の枠変更」はピンクレディの米進出みたいなもんだな
ピークの陰で実は人気は下降の気配見せだしてたところで
いつもいたはずの場所から姿を消したら「お茶の間」はあっという間に離れる
まあそれでも日テレ的には金八の枠自体は
『太陽にほえろ!』の大成功につながったんでちょうど良かったんじゃないかな
なにしろ力動山とひばりが戦後日本で特別な存在だったのと同様に
裕次郎と長島茂雄&巨人は復興・高度成長の日本の象徴でやっぱり特別な存在だったわけで
誤算はあくまで独立した馬場全日が金かかるわりには
思うほど視聴率が取れなかったことであって。 芸スポとかの書き込みでもそれなりにテレビ見たり会場に何度も行ってる人でもブッチャーや天龍が移籍してたとか知らなかったりするからね
プロレスファン続けてると不思議だが、毎週のようにテレビ見てても目の前の試合以外に興味わかない人も多いし、そういう人は放送時間が変わったらあっさり見なくなってしまう >>475
石原裕次郎もある意味馬場と同じで、1972年の時点では
明らかに映画スターとしてのピークは過ぎていたんだだが、
「太陽にほえろ」でテレビに活躍の場を移したことで延命に成功した。
視聴率ならプロレスも太陽も大差なかったろうが、プロレスは何といっても
流血や八百長で社会的イメージが悪いから、スポンサーの三菱的には
乗り換えて万々歳だっただろう。
>誤算はあくまで独立した馬場全日が金かかるわりには思うほど視聴率が取れなかった
馬場エース時代の日プロの高視聴率はあくまで金曜8時枠が前提でのものだから
それよりも劣る陣容で放映日が変わっても同じような数字が取れると踏んでいたのは
明らかに過大評価だったな。
それでも、金曜8時枠を維持できていたら、長期的にはじり貧だったかもしれないが
現実よりもずっと順調なスタートを切り、その後の展開も大いに変わっていたはず
日テレは馬場に独立を持ち掛けるのではなく、NETから甘い汁を吸ってたダラ幹と
その配下のレスラーを排除する方向で裏工作すべきだったな。
結果的にその方が金もかからなかったはず。 >>470
日テレの編成がかなりの悪手、てそれはない。太陽にほえろがどれだけ長く人気番組でいたか知らない訳ではあるまい。
>>473
NETは猪木を日本プロレス中継のエースていう考えあったんかな?
人気コンテンツのプロレスが欲しかっただけで、隙あらばBI両方放映したかったんだろう。
なし崩し的に馬場戦を放送したのがそれを物語ってる。
BI戦をあの当時実現したとしたら、馬場の勝ちはゆるがない。当時の猪木もそれは承知してるし自分の負けで納得するはず。仮にそうなっても、NETの中継の視聴率は日本プロレス人気で上がるはず。
ただそれはBI戦で日本プロレスの人気が回復すれば、の話。たぶんそんなに変わらない。 >>468
サムライTVで8人タッグが放送させていたのを見たけど、
グダグダの展開の中で、鈴木がマスカラスに執拗に絡み続けて
マスカラスが根負けして、さっさとバックステージに引き上げてはいたな。
高山善廣、鈴木みのる、SUWA、ウルティモ・ゲレーロ
vsミル・マスカラス、ウルティモ・ドラゴン、ミスティコ、岡田かずちか >>477
もちろん日テレや三菱の立場からすれば、プロレスから太陽に乗り換えて大正解だろうけど、
ここは全日スレだからな。虎の子の金曜8時枠を失ったことは全日にとっても、日テレスポーツ
局にとっても大きな痛手だった。痛手をこむった以上は悪手だよ。
にしても、日プロ打ち切りの経緯を日テレで調べてみたんだが、取締役会で馬場のNET登場を
諮った際、馬場本人を除く10人全員が賛成だったらしい。
こりゃ日テレがブチぎれるのも当然というか、476では違う方向で内部工作すべきと書いたけど
馬場引き抜き以外の選択はないわ。となると、やはり金曜8時枠の維持は無理だったか。 7月に太陽にほえろをスタートさせているのだから
金曜8時枠をプロレスで維持しようという気は日テレ・三菱にはなかった
視聴率60%を取ることもあった力道山時代ならともかく
70年代になって電機メーカーがプロレスをスポンサードするメリットは少ない
義理で続けてあげていたのに、日プロが不義理してきたのだから、三菱としては渡りに船だった Wリーグ優勝戦で打ち切り。
10週間名勝負集を放送、太陽にほえろ開始 馬場の自伝本
「たまにはオレもエンターティナー」を古本で読んだことがあるが
金曜20時の枠、日プロ中継を打ち切った後に、NETがすかさず入ってきた事に対して口惜しいようだったな
いや、はっきりと「頭にきましたねぇ」とか書いてあった。
諸事情はともかく、金八を失った事は当事者の馬場が10年経っても痛恨だったみたいね。
この本が書かれた頃は、金八の枠で新日が20%越えをしていたからなあ… 馬場目線でその頃の顛末が書いてあるね
日本プロレスのクーデターは「とりあえず馬場を味方にしておいて
成功したら馬場も蹴っ飛ばしてしまえ」というプランだったとか
日本テレビの人が「もう少し常識があるかと思っていたが
日本プロレスの人間にはバカ負けした」と言って返す言葉が無かったとか
日本プロレスの残党は対等合併だと思い込んでいたが対等合併ではなく吸収合併に決まっているだろとか
ドリー・ファンク・シニアは総会を待たずに役員会で
「俺が保証するんだから間違いねえ」とNWA加盟させてくれたとか クーデターの真相は勿論不明だけどこのスレの人は馬場目線を信じるんで良いでしょ
残党に関しては大木が焚きつけた部分もあるから大木以外はまともかと思う。悪いのはだがこの人も憎めないキャラで嫌いじゃないけど >>485
あと、脇道のネタとしては
「ババ」コールも悪くないなぁ…とか書いてたね。
「3000試合突破のガニア戦で初めて起きたと思います」とまんざらでもない感じ。
他には「テリーをヘッドロックでテキサス・ブルドーザーで引っ張ってたら、
リングサイドのキレイなお嬢さんが涙目で「バカ!バカ!」と言われたとかw >>485
三菱にUFJと東京が合併されて、UFJと東京の銀行員が対等だ!って言うくらいあり得ないのにな。
何で潰れかけの老舗吸収した、新興企業と同等だと思うかね。 >>487
ガニア戦の最大意義はババ・コールを引き出す事だったか
一説ではオールスター戦でイノキ・コールに応じる感じで初めて出たとも言われるが 71年12月 猪木追放
72年1月 NETが日プロに馬場出演を要求
72年3月 日テレが日プロにNETへの馬場出演を認めないよう要求、契約更新を拒否
72年4月1日 日プロ取締役会で馬場のNET出演が決定。反対は馬場本人のみ
72年4月3日 馬場NETプロレスに初登場
72年4月4日 日テレ、東京地裁に仮処分を申請
72年4月末 日テレ、三菱と協議して日プロ中継打ち切りを決定
72年5月12日 日テレ、最後の日プロ中継
72年5月15日 日テレ、日プロ中継打ち切りを発表、翌週から過去試合の特集を放送
72年7月14日 日テレのプロレス放送終了、翌週から「太陽にほえろ」が放送開始
72年7月28日 NETが金曜8時枠でプロレス中継開始
72年7月29日 馬場日プロ退団を発表
72年10月7日 日テレ、全日本プロレス中継開始
72年10月22日 全日旗揚げ戦
日プロがいつから馬場に独立を持ち掛けていたのかはわからんけど、こうして時系列で見ていくと
最終的な決断のきっかけはNETの金8枠強奪だったのかも
金8枠を維持しての独立ってのは、時系列見る限りほとんど不可能だな
>>481
松岡の全日時代の画像って初めて見たかも
まあ華はないね
そういえば、Gスピ最新号のカブキのインタビューに松岡のことが
比較的詳しく載っていたが、現在の消息は全く不明らしい
>>488
日プロからなだめすかすために対等合併だと言われていたのを真に受けてたか、
そう思わないと自我が保てないのか、どっちかだろうね 馬場退団て太陽の後だったのか、そりゃどうしようもないな しかし裕次郎はショーケンや優作、後期は神田正輝が主役と言われたら素直に従った
しかし馬場は80年代までトップにしがみつき… >>301
石川は地味なのに器用に色んなことするのが寒かった。
全日本在籍時はエリートアスリートには見えんかった。
少年時代の俺の見る目の無さだな。 >>494
石川はマシンのようなマスクマンがいい。 あるいは、お地蔵さんのリングネームでお地蔵さんのような試合をする。 >>492
太陽にほえろは石原プロ製作ではなかったからね
あくまで雇われて出てただけだからそこまで思い入れもなかったといえる 太陽にほえろでは新人刑事は一本15万円のギャラなのに
石原裕次郎は1日で500万のギャラもらってた。
どうして『太陽にほえろ!』を降板したのか?
ショーケン「自分たちのような若い刑事がドラマの中で
体を張ってずっと走りっぱなしなのに、ドラマの最後に
ちょこっと登場するボス役の石原裕次郎さんがギャラの
ほとんどを持って行くのがねぇ…」 >>492
トップにしがみついてたのは猪木だろ。お前の大好きな。 >>495
体型といい素顔といい小器用なのになんかもっさりしてるファイトスタイルといい
マジック・ドラゴン1号2号ってのはいかがだろうか? なんで石川は最初フリーだったんだっけ?日本相撲協会との軋轢? 天竜トンガと続けて入門したから、相撲協会との軋轢を避けるためじゃないの >>500
記録を見るに馬場は結構早くからシングルのメインを鶴田に任せたりしてるんだよな
猪木だって70年代では坂口や藤波にメインを譲ってるのが多いし >>502
石川は星野みたいな硬派の名脇役であるべきキャラなんだよな
80年代のアジアタッグの主役であるが最強タッグには出られなかったというのも特徴で >>465
1973年10月に最初で最後の地上波で四団体ものプロレス中継が放送された週の視聴率
日プロ・・・・14.7%(NET)
全日プロ・・・10.5%(日テレ)
国プロ・・・・ 9.2%(TBS)
新日プロ・・・ 9.8%(12ch)単発放映・ゴッチ戦
>>469
馬場と猪木、坂口が唯一、揃い踏みで参加した昭和44年のワールドリーグ戦がピークだった
と言われる。これ以降、視聴率も観客動員も徐々に下がり始める・・・
>>482
太陽に吠えろ!までの繋ぎで放送した日プロ名勝負集がレギュラー放送より高視聴率を取った
時もあり「まだまだプロレス行ける!」と言う手応えを得た。また根強い人気のある
プロレス放送を打ち切った日テレへの地方局からの風当たりはかなりのモノだった。
>>490
5月から7月のまでの間に馬場は日テレを訪れ個人的に陳謝、日テレから独立を持ちかけ
られて日テレ・小林社長自ら口説きにかかり「君がやる気があるなら全て任せなさい!」
と言質を得るも日テレから新団体設立へのより好条件を求めて交渉は続けられてNETが
金八を乗っ取った前後に独立会見と日テレはNETと日プロへ冷水を浴びせる報復に出た。
>>483
後発局の"日本教育テレビ"は先発局・日テレから強奪した番組を週二回放映して
プロレスで勝負に出た。
>>499
後年に日テレ・大都会PARTVの最終回の翌週からテレ朝で西部警察が始まり強奪とか
引っ越しと言われた。最近の証言でコレは日テレの了解を得ての移動で派手になり過ぎて
制作費も上限を超えて俗悪番組の風評もあり少し次回作に時間を置きたいと言う日テレの
社内事情があった所にテレ朝から好条件で誘われて独立プロはスタッフのために番組を
作り続けなければならなかった石原プロの事情を理解した日テレが快く送り出したと
言われる。 >>505
むしろ何でもかんでも
とにかく猪木がメインというのは
80年代に入ってからの方が顕著
たぶんマッチメーカーが代わったせいだろう >>507
確かに太陽や西部警察は暴力シーンが多かったよね
PTAからプロレスと同じレベルに見られても不思議じゃない、相棒みたいなのなら良いんだろうけど >>505
鶴田が入団して「私の後を継ぐ男(次期エース)です」とはっきり言っていたけど
有耶無耶にしないであの位はっきり言っておかないと勘違いする輩が出るって理由もあるんだと思う
早々に日プロの残党は試合について「馬場鶴田じゃなくて馬場大木にしろ!」と文句をつけてきたわけでね >>507
あのショボい陣容+ブランド力の弱いNET日プロ中継が
トップの数字をたたき出すとは
つくづく金8枠を失ったダメージはデカかったな
まあエースで高給を保証されていて独立する理由のない
馬場に独立させるためには、打ち切り+新団体補償の必要があったんだろうけど >>507
新日凄えなあ。
当時の12chで9.8%は週間トップじゃないか? >>509
昔はPTAの「子供に見せたくない俗悪番組」の不動の東西両横綱が
プロレス中継と全員集合!
その次が噂のチャンネルとかウィークエンダーとかTVジョッキー
ここまでがダントツで下を引き離して
その次あたりにアクション系の刑事ドラマとか
アイドルが出る歌番組とか
テレ朝「水曜スペシャル」や日テレ「木曜スぺシャル」
川口浩とかユリ・ゲラーとか宇宙人とかかな
なお12chは当時視てる人自体が少ないためか
番組内容のわりにランクインはしてなかったりするw >>512
馬場が新日に有名外人が行くのを妨害し続けた理由がわかるだろ
ロートルのゴッチですらこれだけ話題集めてしまうんだから >>488
日プロ勢は対等合併なんて用語をよくわかってないんだと思う。
株式1に対して…みたいな意味なんだが、それは措いても
日プロの王者が全日でもタイトルを、という担保にはまったくならないのに。
そもそも全日が全・日本プロレスレスリングなんて名前になってないし。
銀行の伝でいうなら役員兼支店長だったから新店でも取締役支店長にしろ
それが対等合併だ、となんていうイカれた企業人はいない。
>>513
ウィークエンダーや時間ですよみたいな裸の出る番組がいけないのはわかったが
ドリフとかなにが悪いのかはわからなかったよ。 >>506
相撲マニアの友人が大ノ海の頃も地味でどっちかっていうと不人気力士の類だったと言ってた 小学生のころ“チョッとだけよ”がけっこうな問題になってた記憶がある。 だからプロレスもいいだろ、ってわけじゃないけど、スポンサーが難色とかのコンプラ関係は人気番組はそれなりにあったんじゃないかと >>507
NETは73年3月で日プロ中継を打ち切り、4月から新日本を中継している。
4月には日プロが消滅し10月は3団体時代 石川が86年、その時点で一年くらいアジアタッグを巻いていた不動の王者だった頃、
「井上さんとも話したんだけど、我々はタッグのチャンピオンなのに最強タッグに出られないのはおかしいよ」
と珍しく馬場の方針を批判するような事をインタビューで言っていたら、
案の定、アジアタッグは原・マシン組に獲られ(そりゃ獲られるわ)、
原・マシン組が最強タッグに出た。 >>502
当時厨ニだったが昼休みプロレスごっこ仲間に1人だけ石川ファンいたよ
半分小馬鹿にしてたけどw 新日なんか坂口&長州組が北米タッグ王者だったのに、MSGタッグリーグでは解体されて
別々の組で出場させられたよな。優勝争いもできない成績で終わりそうだから当然だが。
日プロ時代のNWAタッグリーグで、BI砲がバラバラにされたのとは全然違う理由だな。 >>507
日テレがあのメンツで15パーセント近くとれたってことは
全日が金8時でスタート切ってたらどれくらいとれたんだろう。
打ち切り直前の数字が目安になるだろうが、裏に太陽もないし
新団体の話題性もあって20パーセントちかくいけたのでは?
つくづく逃がした魚はデカい
たとえて言えば、「進撃の巨人」を逃したジャンプ編集部みたいなもんだ
>>513
12chで俗悪番組上位に初めてランクインしたのがドラマ版の「ハレンチ学園」
それだけ視聴率かったということで、局内はむしろ祝賀ムードだったらしい
「プレイガール」なんかは内容だけならランクインしておかしくなかったけど
視聴率そこまで高くなかったし
>>515
落語や漫才みたいな伝芸はともかく、スラップスティック系のお笑いは
人気が出ると大概俗悪番組にランクインするよ
ひょうきん族が全員集合と視聴率争いしていたころは、俗悪番組の
ランキングでも上位争いしてたし
>>518
多くの企業はとにかく流血や八百長などのイメージを嫌うよ
必殺シリーズもあれだけの人気番組だったけど、殺し屋が主役で
イメージが悪いということで大手企業のスポンサーがつかなかった
>>520
亡くなった元全日・ノアの泉田の手記を読むと
中堅以下のポジションで延々飼い殺されると相当にストレスがたまるみたいだね
腕に覚えがあってこの世界に入ってきた以上一度はスポットライト浴びたいんだろうな
石川の場合、WAR時代に藤波にピン勝ちしたことでタガが外れてしまったような >>507
73年は72年の間違いだろうが
最初で最後の地上波で四団体放送された週、ってのはどうなんだ?
猪木VSゴッチは2回放送されたんだけど(大阪の方は11.9%
その週他3団体のどれか放送されなかったってこと? >>520
逆にアジアタッグ王者にはなれなかったが最強タッグには出場できたのが鶴見 ここでは先輩方が多いみたいですね。
松岡厳鉄について詳しい記載がある書籍やムック本ってありますか? >>526
馬場、大木はアジアタッグを取って、最強タッグにも出てるが、
鶴田は最強タッグ出てるが、アジアタッグ取ってないな。 >>527
日プロ残党の一人 松岡は謎が多いな
扱いを巡って全日を離脱してから、それ以降の詳しい情報がないからね。
人間的には道場でのイジメや上田と組んで馬場に暴行だとか
悪いイメージしかないけど、レスラーとしては好きだったな
ファンには優しかったみたいだけどね。
(ホッジのNWAジュニアに挑戦した試合とリンゴ潰しのデモンストレーション
しか記憶にないが…w)
おそらく松岡個人を追った書籍はないと思うよ?
https://igapro24.files.wordpress.com/2019/03/img_20190314_0005_new.jpg?w=325&h=274 松岡はイジメが酷い嫌われ者で大熊と仲が悪かった
合併の時に馬場は小鹿に「上田と松岡は連れて来るな」と言ったが
小鹿は「それはできない」」と断った
上田と松岡を試合から干しまくって2人が自ら出て行ってくれたことは
馬場の計算通りだった >>523
昔は時代劇の方がえげつなかったよね、首が飛んだり子供が切腹させられたりレイプもあったし
子供の頃は怖くて見れない時代劇多かったわ、それに比べブッチャーやテリーの流血は怖くなかった。怪獣が流血してるかんじで 松岡は年齢的に最初から知らなかった、ファンになったのが80年代に入ってからだし
ただ、門茂男氏の本で印象深い存在として出てきて知ったくらい
例の沖レフェリー引退興行での暴行や、試合結果の変更のやつね。
最初は馬場鶴田が王者になる予定がグリーンボーイの鶴田じゃ許さん、みたいな内容だった
門本を読み漁った自分は、松岡とマンモス鈴木は「報われないセメント強者」だと思ってたよ… >最初は馬場鶴田が王者になる予定が
変更はいいけどその後獲るのに何年も空いたよね、あれがなんで? と思う。 >>523
必殺シリーズは22時以前に放送出来なかったと山内プロデューサーが言ってたな >>525
高千穂がちょっとだけカッコいい扱い!?
まぁ当時の最年少デビューで坂口後のUNチャンピオンだから期待はされてたんだろうな。
もっともUNはすっきりした形の奪取ではなくて超短命だっけ? >>533
報われないセメント強者=地味で花がない融通の効かないヤツ 色々、皆様「厳鉄情報」ありがとうございます。
なかなかダークネスな松岡の事が昔から気になっています。 >>528
そもそも鶴田はアジアタッグに挑戦すらしていない
(UNとのダブルでアジアヘビーには挑戦)
馬場や大木の取った時期のアジアタッグとも価値が違う
(特に馬場の取った最初の時期では日本マット界唯一の王座ですらあった) >>536
このポスターではキリッってかんじでよく撮れてるけど
実際のマットの上では引き締まった精悍な若者っていうより
田舎から上京したてのちょっとぽっちゃりした朴訥な子って感じなんだよな マンモス鈴木が「報われないセメント強者」とは恐れ入った
大相撲時代も含めて四回も逃亡した正真正銘の臆病者なのに
マスカラス初来日で星野勘太郎をイジケ野郎に仕立て上げたり
門茂男氏は救いがたいウソツキだったんだ >>525
タッグリーグだから参加選手は偶数でなければいけないのに何で奇数の17巨豪なんだ >>543
観客の女性が着物姿なのが時代を感じるなあ。
昔は正装は着物って女性がいたんだね。 >>527
>>530
Gスピの最新号に載ってるカブキのインタビュー
に松岡の話題も出てくるよ。うろ覚えだが、
・出自は韓国系
・後輩いじめがひどい。相撲廃業したのも部屋の人間関係が原因
・自分も入門時にいじめられたが、1年も経って自分の方が強くなったから手だしてこなくなった
(まあこの辺はいつものカブキ節だけど)
・遠征出されたのは厄介払いみたいなもん
・プロモーターの信用がないから、アメリカではロクに試合組んでもらってない
韓国系のコミュニティ渡り歩いて食いつないでたんじゃないか
みたいな内容だった。詳しくは直接読んでみてくれ。
またカブキにインタビューした流智美が、現在の消息は全く不明と補足してた
松岡と接触したプロレス関係者はもう長いこと誰もおらず、生死さえ明らかでないようだ。
前に一度、なんかの席でターザンがすでに亡くなっていると語っていたことが
あると聞いたが、ソースは不明。 >>542
坂口征二&高千穂明久組
大木金太郎&グレート小鹿組
吉村道明&星野勘太郎組
上田馬之助&ミスター松岡組
ミツヒライ&永源遥組
ワルドー・フォン・エリック&フリッツ・フォン・ゲーリング組
ダニー・ホッジ&ネルソン・ロイヤル組
ザ・ヒッピーズ組
ラリー&ジョー・ハミルトン兄弟
実際は18人
永源が抜けてたんだな。
というより、堂々と17人って謳う方がどうかしているw マンモス鈴木は食う事の伝説だけだな。
馬場が一度テレビでこんな話をしたことがある。
「あの頃物の無い時代でね、味噌汁しかないんですよ。その中味もネギがちょっと浮いてる程度でね。それだけで丼飯を八杯食った奴がいたんですよ。それ見てビックリしましたね」
これってマンモス鈴木だろうな。 >>545
THANKSです!
中学の時に買ったチャンピオンベルトの写真集の
「栄光の輝き」のアジアタッグの27代に小鹿・松岡の記載があって
小鹿はエピ語っているけど流血戦しか語ってない。
力道山時代から観ていた親父に聞いても「知らん」やし
やっと2000年代に入って某昭和プロレスサイトの紹介があって気になってました。
結局、全日飛び出して消息不明なんですな。
益々、ダークな松岡だなぁ 田中忠治も引退後はわからないみたいだね(国際が最後らしいからスレ違いだけど…)
漫画家のあおやま英雄さんが二代目タイガーのデビュー前に
週ゴンの漫画コラムで「正体は減量した田中忠治ではないか?」とか書いてた事があった
本気だか冗談だから知らないけど、それで田中の名前を知った
当時はガキのオレですら正体は三沢だとわかってたのに…
「あおやまさんは全日観戦は前座から見ないんだろうか?」と変な疑問がわいたもんだ。 >>544
着物姿の女性、老けて見えるが多分あれで50台。 >>525
しかしまあ、見事なほどに人気の出なさそうな
メンツだな。坂口除けば、一生前座中堅暮らしの
ような面構えだわ >>543
UNのベルト大きさに負けない様な美津子のバストを期待していたんだが…不穏だ。 やはりタッグリーグが定着したのは77年オープンタッグ選手権だね
https://static.mercdn.net/item/detail/orig/photos/m85109506013_1.jpg?1583989645
星取表を調べてたら、ファンクスと対戦した筈の高千穂&井上組の負けは
井上の結婚式出席のための不戦敗だった事を初めて知ったw >>555
マジで!w 馬場の井上のへ贔屓に忖度しろよ。
ちゃんと予定組めよってwww デキ婚かよwww
昔は年明けに式上げないとか風習あったのかな? 井上の嫁が芸能人だったから日程とか自分の意見ではどうにもならないとかあったんじゃないの? >>545>>548
馬場離脱後の第3回NWAタッグ優勝戦の日にホッジのNWAジュニアベルトに挑戦している。
ストマッククロー1本で勝負して壮絶痛み分けとゴングのジュニア名勝負本にカラーで載っていた。
ある意味、貴重かな?試合前のリンゴ潰しのデモンストレーションでは片方の手首を掴んで潰した
松岡に対してホッジは片手であっさり潰してホッジの勝利だった。松岡の最初で最後の晴れ舞台だった。
Gスピリッツでの外人レスラーの評価では上田は技術も人柄の評価されていたが松岡は
両方ともサッパリだった・・・ >>556
せめてその日に公式戦組まないとか、やりようがあったのにw
理由が適当すぎる。 更なる厳鉄情報ありがとうございます。
ホッジへの挑戦は大阪府立なんですね…80年代に置き換えりゃタイガーですもんね。
松岡はホッジには仕掛けんかったんでしょうね。仕掛けたら伝説になってたかも?
あと井上の式の件はオープンタッグ開催中に強行したという事は
全日選手の出席なしという事ですかね?
オープンタッグ欠席してまでのケーキ入刀の真顔になんか腹立つww
ていうか別れとるやないかい!w マイティってモテるのか?顔はそれなりに整ってるけどデカくてパンパンなのに オレは女優の元嫁知らんしww そんな有名じゃないでしょ? >>564
西尾三枝子、映画はデビュー作しか主役ないしドラマも主役ないけど
プレイガールのレギュラーでそこそこ知られてるんじゃない? マイティは西尾さんと離婚した後に再婚したのかな?
あと西尾さんとの間に子宝は授かったんだろうか…?
色んな意見はあるだろうけど、マイティはモテると思うよ、会場入りの時に一人だけ目立っておしゃれだった記憶
ちょっと派手だけど…でも馬場の教え(服装をちゃんとしろ)とは少しずれるけど、ある意味では一番体現してたかもしれない。 >>562
松岡ごときがホッジなんかに仕掛けたらボコボコにされて
とんでも無い事になるよw(ある意味伝説だけど) 同じ風味??の(違ってたらスミマセン)
「キーハンター」も再放送で「Gメン」は幼稚園から小学校なんで
プレイガールは敷居がたいですな。
Wikiったら范文雀 (「探偵物語」にも出てた・寺尾聡の元嫁?)と
ひし美ゆり子 (アンヌ隊員)位しか分かりませんでした…..
OPかっこいいすね! 元ネタはアントニオーニとかんなだろうけど
Stereolab の 「Ping Pong」はプレイガールを知っている感がある
https://www.youtube.com/watch?v=tsumMcjEPtQ >>565
知らない理由が分かりました。
国プロ同様、子どもの頃住んでいた地域には
田舎なので12chの番組が放送してなかった!! 赤いジャンパーを着てる関西のおっちゃんイメージが強すぎるが若い頃は逆に好青年な感じではある >>555
馬場が当時国際所属の
井上のスケジュール縛るのは無理だったんだろうけど、
出場契約の際に日程調整とかしなかったんだろうか
(ファンクス相手ならどうせ負け確定だから
不戦敗で傷つかないようにしたとか)
>>567
五輪アマレスの銀メダリストにしてプロボクシングでも実績あるからね>ホッジ
松岡どころか、ガチで太刀打ちできる日本選手なんて誰もいなかったのでは?
88歳の今も健在らしいから何よりだ
>>565
プレイガールか、上で話題になってたけど
12chよりネットの多い他局でやってたら俗悪番組にランクインしてたろうな >>562
なんか少し勘違いしてるようだが。
当時マイティ井上は国際プロレス所属だよ。
国際プロレスの選手の結婚式に全日本プロレスの関係者が出席しなければならない道理はない。 >>574
今だと誰レベル?主演じゃなかったんでしょ 昔(話の続き的に70年代まで)のプロレス視聴率の安定度、こういうのは各家庭ごとでホント浸透度がまるっきり
違う気もする。ウチなんか女系家族でだれもプロレスなんか見ない(つか毛嫌いしてたw)し、
俺一人自分の部屋に籠って見てた。で、学校のプヲタも数人くらいだったし、マクロでみれば
人気コンテンツだったろうけど自分にとっては全くマイナーなイメージがぬぐえなかったねw >>576
70年代にテレビ数台あったって凄くないすか?!
オレ、ドリフ観たかったのに親父がチャンネル件もってるから
全日毎週観ててオープンタッグの開幕戦の血みどろ痙攣テリー観てパッカーンww
幼稚園ですよww >>578
うちも当時は一台しかテレビなかったよ
金曜8時はおふくろが太陽にほえろのチャンネル件がっちり握ってたから
家に2代目のテレビが入るまで、プロレスは土曜の全日しか見られなかった
その時の刷り込みがいまだに抜けず、当時から一貫して全日派だわw >>578
馴染みの電気屋さんがあって祖母ちゃんの顔で分割とかで買えたのよ。。w
勿論自分じゃなくウチ自体の話。どうなんだろうな、70年代つか昭和50年代にもなると
そろそろ複数台の家庭も多くなってきたような。まあそれこそ各家庭の話だしな。 >>578
幼稚園児があのテリーの流血絞首刑シーン観たら
トラウマになるよw
親父さんに目を塞がれなかった? 他にプロレスラーの嫁さんが女優なのは猪木、坂口、三沢か。
力道山と鶴田はスチュワーデス
良家のお嬢様は馬場、天龍、藤波 オレも、ホントドリフ・太陽・金八観たかったわ〜(泣)
盆と正月に母方の本家に行っても同じチャンネルやったからねww
力道山から観てる親父や叔父は観てる時、明らかに瞳孔開いてたからねw
大学の時には学プロが盛んな学校だったんだけどオレ隠してたね。こんなん口に出したらモテん!!
なのに、就職して洋雑誌のECW Magazine 定期購読。三つ子の魂………….. >>555
米国建国200記念とはスケールが大きいな
アメリカ横断ウルトラクイズとか日テレのアメリカ志向がうかがえる >>585
オープン選手権の翌年、1976年だね。
『ホテル・カリフォルニア』で覚えてるわw >>582
平成だけど
小橋、演歌歌手
大森、石川県の旅館の女将 >>582
>プロレスラーの嫁さんが女優
高田、坂田、デルフィンもそうじゃないの?
いずれも全日ではないが 連投スマヌ
あとオカダか
奥さん声優だけどミュージカルにも出演してるし
ソロで武道館満員にしたこともあるし
立派な人気女優の部類だろう 中西の元嫁が女優
その母親も新東宝の女優だった北沢典子
俺は昔のビデオでこの人の出てる怪談映画を見たが
一目惚れするほど綺麗だった ハンセンは日本のサイン会に来た女性ファンと結婚したんじゃなかった?
鶴田の泊まるホテルに女性ファンが順番待ちしてたとかレスラーはモテるね
でも結婚となるとプロレスのイメージが良くなかった時代だと色々大変で親戚からの反対もあったのかと想像する プロレスラーの娘と結婚したプロレスラーはいないのか >>592
天龍、A・浜口、木戸修らの娘
逸材が揃っているけどね。 馬場夫妻に娘がいたら大仁田と結婚させられたかも、結婚したのが相当先だから未婚の子だけど >>592
ホーガンがガニアの娘との結婚を
断ったというけど、素直に従っていれば
リンダと結婚せず離婚の時もほとんどの財産を奪われ
なかったのに。 坂田の嫁
散歩番組で母ちゃんに巨乳揉まれまくってたww 真横で見てたけど、やれそうな女だったな >>590
中西の元嫁は父親はプロ野球の監督
本人も大のスポーツ好きでコンディションニングや栄養学の知識とかもあったはず
結婚のニュース知ったときはいい嫁もらったなあと思ったが
うまくいかんもんだね。
>>591
保子夫人は鶴田と知り合うまでプロレスを全く見たことがなく
レスラーもみな荒くれ者と思っていたそうだが、
自分が働いていた機に乗ってた馬場が物静かに読書している
のを見てプロレスへの偏見を改めたとか
のを見てプロレスへの偏見を改めたとか。 >>600
鶴田と保子夫人は結婚前に疎遠になったことがあって
(鶴田の話だとスチュワーデスへの就職活動で忙しかった)
松永アナ(だと思う)に「俺はサラリーマンになっておけば良かった」って泣き言を言ってたとか。 高田が女優と結婚したのはコンプレックスだろ
素人さんでもいい女たくさんいるじゃねえか
と大仁田は批判していた 向井亜紀って女優か?
クイズ番組とかバラエティでしか見たことないが。 離婚歴や不仲の噂のあるレスラーを見るとプロレスの試合も自分勝手なのが多いような レスラーの嫁で最高なのはKENSOの嫁だな、なんでもできちゃう人だし。学生時代から付き合ってたんだよな。 >>603
高田の結婚については
「女優と結婚して自分のステータス上げようって
発想からしてやっぱり猪木の弟子だよな」と誰か言ってなかったっけ?
向井亜紀は高田が選挙出たときも最後まで協力惜しまなかったし、
いい嫁さんだと思ったけどな。 高田の落選と田村の件は新日対抗後だと思ってた…
そんなんじゃ勝てる訳ないよねww 佐山も落選したし
大仁田って凄いな。今じゃ軽蔑してるけど。A.K.A 有吉 >604
自分はミスDJのイメージが強いけど、グラビアアイドル崩れのタレントだよね 大森かな
プロレスだけじゃなく旅館の若旦那もダメだったかと >>592
ロッキー・ジョンソン(ピーター・メイビアの娘と結婚)
マイク・ロトンド(ブラックジャック・マリガンの娘と結婚) 前を歩かされた屈辱を忘れないのが、この「お前なんか大嫌いだ16文!」の連発に表れているよな。
https://m.youtube.com/watch?v=DxizCmM9vFM 自分からロープに走ってからの16文キックは
この頃はラシクとの防衛戦でも見せてるので
別に草津相手の時が特別というわけではないよ 過去にも何度か出てたけど、木村のクロスチョップ、ダブルブレンバスターの後だから予定通りのフィニッシュに見えるけどそんなに異質なの?
鶴田がビックブバに勝った時も不穏で一気に仕留めたとか言われたけどそうは見えなかったし >>591
結婚については実家の反対がまだ強かったのか?ハンセンの引退試合時の会見でも
子供達は写っているけど夫人はいなかった・・・
馬場も元子夫人の母親が強硬に反対して中々、了承されなかった。馬場の方が先に
亡くなると「こんな風になるんだったらもっと早く認めてあげれば良かった・・・」と
悔やんでいたらしい。ただ元子夫人の実家からは当時の費用で数千万円が全日旗揚げの
費用として提供されている。
>>601
馳は森元総理、大仁田は古賀元幹事長と地元を選挙区とする自民党の大物で実力者が
バックについたのが大きい。
>>604 >>601
スチュワーデスを目指すも果たせずにグランドスタッフになるも二度目の挑戦で見事に
合格して憧れにスチュワーデスになり世界を飛び回る中で鶴田の事は忘れかけていた
らしいw 鶴田は心配して防犯ブザーをプレゼントしていたとかオールスター家族対抗歌合戦
に夫婦で出演した時に語っていた。 >>581
幼稚園の時大仁田のトロフィー血だるま
見てしばらく全日本見れなくなった。
新日本は明るい照明のなか猪木やホーガン、タイガーが華やかに対してただでさえ全日本は薄暗い照明でどんよりした空間だったし。
で ほぼオールカラーの雑誌で1人のレスラーだけを特集した雑誌あったよね?
1980年頃から不定期に発行されてた記憶。
大きさはA3より縦に長かったかな。
その雑誌でハンセン号があって、ハンセンの実家写真があって、金髪マッシュルームカットの息子が写ってた。
コピーは「父と子供 どっちがハンサム?」確か子供が、ユース!ポーズをとってた。
あの可愛らしい子供は現在なにをしてるのかな >>622
全日の歴史で自分の中でのショッキングシーンベスト3は
オープンタッグ開幕戦のテリー絞首刑シーン
大仁田のトロフィー殴打シーン
ブッチャーvsシークでの頭に凶器を何十回も突き刺すシーン
この3つは強烈に残っている
次にテリーの胸に割れたビール瓶を突き刺すシーン…これはカットされたかな?
>>623
ハンセンの息子は、MLBマリナーズに入団したのでは? >>592
ブルーザーの娘と結婚したスパイク・ヒューバーもいたな >>620
ハンセン引退式(2001年1月)の時点では、実家の反対ももうなかったと思うけどね。
2人が結婚したのは1986年だから、もう15年も経ってるし。
ハンセンは90年代始めに数年、ユミ夫人の実家の街にも住んでいたしね。
ユミ夫人がメディアに頻繁に出てくるようになったのは、
2008年にNHK『英語でしゃべらナイト』のハンセン特集に出演してから。
あれからは普通に公に出るようになった。
引退式時点では、ハンセンもまだプライベートで妻は出したくないだろうし、
ユミ夫人もそうだったんじゃないかな。
ただ、ハンセン引退式のビデオでは少しだけど映ってるよ。
>>624
ハンセンはユミ夫人と結婚する前に、デニスさんという同じアメリカ人と結婚していて、
その間に長男・ジョンと長女・ペイジがいる。>>623の息子はそのジョンだよ。 >>624
記憶がおぼろげだけど、テリーvsハンセンで「残虐すぎて放送できません」
と途中でテロップが入り、数分飛ばして放送された回があったと思う
確かブルロープでテリーの首を引きずり回してたシーン…だったかな?
「テリーは牛じゃない、人間なんだ!」の倉持節の時だったか…
あの試合も含めて、あのシーンはノーカットでプロレスクラシックで放送されたんだろうか…? ハンセンには前妻さんとの子供が1男1女居たな。前妻さん可愛かった記憶ある。 ×「ハンセンもまだプライベートで」
○「ハンセンもまだ公の場で」 >>624>>626
ありがとう。
あの時の幼児が、メジャーリーガーになったんだ。ジョンっていうんだね。
確か奥さんとの2ショットがあって、金髪の女性だった記憶がある。 >>630
MLBは数年で引退して大学に進学して今は銀行に勤務していると最近、ハンセンが
語っていた。地元ではドリーの息子のディンク君が医者をしていてハンセンの子供達
は幼い時に大変、お世話になったらしく「ファンクスとは不思議な縁を感じる・・・」と感慨深げだった。
当時、プロレスか医者か?と進路に悩んでいると言う報道はホントだったんだね。
アメリカで医者になるのは日本よりも時間と経験が必要で大変そう・・・
>>626
神奈川の中央林間に住んでいたんだっけ?
夫人は日本人で「引退後に今だに日本とこんな付き合いが長くなるんだったら日本語を
勉強しておくべきだった!」と後悔していた。 >>632
>当時、プロレスか医者か?と進路に悩んでいる
いやあ、結果論だけど医者で良かったと思うよ
ブロディに襲われた映像しか知らないけど、身長はあったけど骨格があれでは…
あの時点で20才前後だろうし、成長期は終わってるだろうし体格的に伸びしろは少ない
万が一に肉体改造や増量ががうまくいっても、良くてエリック一家のケビンみたいな風貌かなあ…?
下手すると、親父や一家のプレッシャーに押しつぶされた兄弟達の二の舞になるかもしれない…
息子さんには失礼だけど、そういう未来しか想像できない。 うん、あの時点でトレーニングとかしてなさそうなディンクさんのプロ入りはなかったね。
前妻のとの間にディンクさんの次にアダム君って子も居たよね。 バスケット時代の鶴田もあんな感じでは?
背が高ければなんとかなるでしょ その道の専門家ではないから、素人の印象論でしかないけど
骨格の比率以上に肉はつかないから厳しいんではないかと?
鶴田は肩幅も含め、ベースの骨格がそこそこあったと思うし
志賀みたいに骨格があっても体質で大きくなれなくて苦しむ者もいる世界でもあるし
まあでも確かに天龍みたいなナデ肩でも大成した者もいるから断言できないけど。 当時から親父さんの頭部のDNAが強そうだったし、肉がつかなそうでロン・フラーとかケンドール・ウィンダム
みたいになりそう。あと大人になったディンクさんを週刊時代のグラビアでちょっとだけ見た記憶があるんだけど
マードックの葬式とかだった??? ブロディの息子ジェフリー君は
目の鋭さなんかお父さんにそっくりだったな >>622
よく言われるけど、照明の暗さで言えば、新日の方が黄色っぽくて暗いなあって思ってたけどね俺は。
試合内容も、新日は猪木独裁で猪木以外は全員悪っていう傲慢なストーリーの方が暗く感じてて、当時いじめられてた俺は嫌悪感しかなかったわ。 リングのマットの色も加味したんじゃないかな。
新日の水色と白いエプロンは明度が高い。コーナーポストは4本とも白いし。
全日は青にしても赤にしてもちょっと暗め。 全日が土曜19時のゴールデンに復帰したら明らかに照明が明るくなったな ああ、全日と新日の照明度の差は物理的に本当に違ったんだ…?
新日を見るときは完全に夜だったし
全日を見るときは夕方ぐらい、微妙な斜陽の時間帯
テレビと周りの明るさとの相関関係で、新日はパッと鮮やかでもあり
全日はもの暗いような…そういう時間帯の心理的な影響もあると思ってた…w >>640
それはあるね
全日はどうしても暗い感じがする
会場で見てもそうだったし 当時のオーディオ雑誌には
内容は新日の勝ちだが、音響は全日の勝ちと書いてあった
内容も見る人が見たら悪くなかったんだけどな >>636
高野俊二 16歳で入門時196cm・65kg、SWS以降の野良犬時代は150kg超
佐山 入門時70kg、一時120kg
相撲取り 数年で倍になる。 >>643
昭和の時代の何回かの観戦では、会場の照明の明るさは新日のほうが暗かったよ。
全日でも暗い時、新日でも明るい時はあったけどね。
>>620
>馳は森元総理、大仁田は古賀元幹事長と地元を選挙区とする…
古賀元幹事長は福岡で大仁田は長崎だが影響あったのかな。 >>627
ドイツのCWAに招聘された時、馬に乗って入場する案を持ち掛けたテリー
CWAはそれは了承したが、その後テリーが
「馬から降りたその後、俺がその馬を殴るんだ!コイツはウケるぜ!」
さすが大仁田の師匠、クレイジーだww 馬かわいそうだな。そういや80年代初期?位のテリーのプロモでも馬シバイてたw
あとクリス・キャンディードと馬小屋で乱闘してたら馬に蹴られそうになってたな
下手したら死ぬわwww テリーって日本遠征で馬肉食うのを知って可哀想と泣いたって話アレは嘘なのかな 鯨は頭いいから可哀想、馬は頭いいから可哀想ってアメリカ人的だよな。牛は頭悪いからいいのか? >>626
もう25年ぐらい前。当時の同僚が、相模原のショッピングセンターで
ハンセンを見た!って言ってたな。
当時は、場所柄でよく似た米軍の人じゃね?と思ったんだけど、
実はそういうことだったんだろうね。 >>645
うーん、そうか…
あまり入門前の体格は当てにならんか、身長以外は。
逆にいえば身長は伸ばせないけど、肉ならいくらでもなんとかなるという事かな。
しかし、16歳で196cm・65kgってあまりにも細すぎだなあw
そういえば去年のGスピで、入門したばかりの前田の写真が載ってる号があったけど
他のレスラーに混じっての前田はアメンボみたいに細かったな。 >>650
その考え方の割には欲しいとこだけ取ったら捨てたり後先考えずに乱獲するよな
慈しみ感謝しすべてを使いきるのは日本独特なのかもしれんが >>653
新日本の外国レスラーの使い方を批判するのはやめよう テリーは自前のブランディングアイアン持ってるww
牛には容赦なしだなww >>652
新弟子採用は柔軟性と持久力重視だって
体重はあとからいくらでも増やせるから >>646
83年のタッグリーグの名古屋大会では生特番の全日本が明るくノーテレビの新日本が暗い印象 >>632
そうだね。大和市と言ってたから。
>>645
芝田山親方(元横綱・大乃国)は入門時点の15歳で83sで、10年後の体重が221sだから約140s増えたことになる。
「10年で140s体重が増えた日本人」っておそらく大乃国だけじゃないかな。
>>651
ハンセンが大和市に住んでいたのは1993年〜1995年だから、まさに「25年くらい前」だね。
間違いなくそれはハンセンじゃないかな。さすがに見間違いはしないと思うよ、ハンセンはw >>654
使い潰してファンクスまで新日に上がったのを忘れたのかね?
ブッカーとかNWA加盟とか散々世話になったのにw ドリーが馬場のことをボスと言ってたろ。馬場があくまで使う方だったからな。 馬場というより、ドリーのロープムーブで場外に落とされて骨折したのを
元子が恨んでたのとドリーが全盛期過ぎたのにギャラを下げんかったじゃないの?
あとドリー後妻のマーティがなかなか面倒くさい人だったみたいだし... >>662
元子よりめんどくさいオバハンはおらんよ。 ドリーの後妻が50歳過ぎの1992年の時点でギャラアップを吹っかけたんじゃなかったっけ 誤解が生じるといけないので、ここではまず、あくまで私個人が感じた
馬場元子さんの人柄というものを記していきたい。
私は週刊ゴングの全日本担当という役に就いて以来、元子さんとは
色々なことがあり、様々なことを経験させて頂いた。
その中には良くして頂いたこともたくさんあるし、陰で悔し涙を流す
ほどの思いをさせて頂いたこともある。
とにかく元子さんという方は、良くも悪くも自分の感情に正直な方で、
すべてストレートにその感情を周囲の人間にも投げかけてくる。
だから素直に感謝する面もあれば、怒りや哀しみに直結する思いも
数えきれないほど経験させて頂いた。
全日本プロレスという会社の歴史において、元子さんとの確執で
辞めていった人はかなりいるだろう。我々マスコミにとっても、
馬場さんを始め、選手たちには感謝していても、元子さんとの確執で
全日本には協力したくないという記者、会社も存在していたと思う。 >>663
元子夫人と同じくらい性格はキツそう・・・
サイン会も仕切り野次馬整理でド鳴っていたりw日本から撮影隊が来た時にドリーの前で
はしゃぐジム生を力強く制していたw
海外でのサイン会の様子を見た人が「まさにアメリカ版元子」と表現していた。
ドリーの娘は今の夫人との子供かな?武藤全日にいっしょに来日した時に三冠戦を
リングサイドから撮影してドリーのブログにアップしたりしていて逆に母親より
温厚そうだった・・・ 例えばある地方大会の会場についた際、私は元子さんから「これ食べなさい」と饅頭を差し出されたことがある。
しかし私は、会場に着く直前に食事を済ませてきたばかりで満腹だったので、それを丁重にお断りした。
「スイマセン、食事をしてきた直後なので、お腹一杯でとても食べられません。どなたか別の方に差し上げてください」
その言葉に元子さんは驚いていたのだが、私は委細構わず選手控室へと出向き、取材を始めていた。
するとあるスタッフが私のもとにスッ飛んできた。
「鈴木さん!元子さんがくれたお饅頭を断ったらしいですね!?」
「は? あぁ、お腹一杯だったので、別の方に差し上げてくださいって言いましたよ」
「ダメですよ、元子さんの好意を断ったら!お腹一杯なら会場を出た後に誰かに
あげるなり、最悪、ホテルで捨てるなりすればいいじゃないですか!?」
「そんな失礼なことできないよ」
「今、ジャイアントサービスの売店で大変なことになってますよ!勘弁してくださいよ、
元子さんの機嫌を損ねて!あとで謝っておいた方がいいですよ」
私にしてみれば誠意をもって対応したつもりだったのだが、それが全日本のルールから
したら、とんでもない暴挙だったようだ。
確かに今となれば、「では後で食べさせて頂きます」ととりあえずでも受け取っておけば
良かったのかな、とも思う。ただ、当時の私も若かったので、そういった配慮ができなかった。
ちなみにこの件をきっかけに、数ヶ月、私が挨拶しても元子さんには無視されるようになった。 馬場さんを始め、主力選手が台湾に渡った際にも、こんなことがあった。
一同は現地のTV番組に出演したのだが、台本にあったある質問が
「馬場さんとプロレスを冒涜している!」と元子さんが怒りだし、
その収録が数時間ストップしてしまったのだ。
最終的にその質問事項とやり取りをカットして無事に収録は終えたが、
内容を大幅に急遽変更させてしまったため、局側は明らかに困り果てていた。
その間、馬場さんを始め、選手たちはただ黙ってことの顛末を見届けていたのだが、
三沢はコソッと横にいた私にこう耳打ちしてきた。
「そんなもん、本番が始まっちゃえば俺たちが俺たちの流れに持ち込めば
いいだけの話なんだから、ガタガタ言わずに録っちゃえばいいんだよ」
とにかく、元子さんには『馬場さんには絶対に恥をかかせない』という強い信念が
あるあまり、場所を選ばず、空気も読まず、あちらこちらで感情をさらけ出していたのだ。
結局のところ、私に対しても元々は好意でしてくれたこと。TVの収録に関しても
プロレスへの、馬場さんへの元子さんなりの愛情を守るための行為であり、
それは元子さんにとっての正義からくる言動なのだろう。
だから元子さんの言動が悪意に満ちたものではないことだけは、私も充分に理解していた。
だから私自身も、正直、接するのが苦手ではあったが、決して嫌いという訳ではなかった。
ただ悪意がないからこそ、余計に厄介だともいえるのだが…。 特に全日本の選手たちへの言動は、一言でいえばまさしく過保護な母親の姿そのものであった。
例えば、ある若手選手は「明日、○時に○○にある○○というお店に行きなさい」と命じられ、
行ってみるとそこは床屋で、既に髪型や切る長さまで細部に渡っての指示が店主に伝えられて
おり、そのヘアスタイルを強制されたという。
もちろん、料金も既に支払い済みで、それを自己負担させられることはないが、いっぱしの
社会人となっている青年が、ましてやプロスポーツという人に憧れられる職業の人間が、
相談した訳でもないのに、髪型を強制された、というのはいかがなものだろう?
自分のしたい髪型にできないというのは、結構なストレスだ。
また昔の雑誌などを持っている人は確認して頂ければすぐに分かるのだが、当時の全日本の
選手の履いているタイツは上丈が長く、必ずおへそまで隠れるようになっていた。
一方、新日本の選手はへそが出る短い丈のタイツを履いている選手が多く、口の悪いファンからは
「全日本の選手のタイツは、紙オムツを履いているみたい」と揶揄されていた。
だが、これは実際に私が元子さんから直接聞いた話なのだが、「日本人は外国人と違って
胴長短足な体型だから、おへそを出してもみっともないだけ」と言いきっていた。
つまり、「みっともないカッコはするな」と選手に指示を出していたようだ。 また、これは馬場夫妻揃ってそうなのだが、私服のときにズボンやスラックスの上に
シャツを出すことも嫌っていた。Tシャツであれドレスシャツであれ「シャツはズボンの
中に入れなさい」と指導する。そのため、既に当時はズボンの外に出す方が一般的
だったのだが、それをすることすら禁じられていた。
ある記者会見のとき、秋山がジーパンの外にセーターを出していたときも馬場さんに
直接注意されたのだが、さすがに秋山も「いえ大変申し訳ないのですが、セーターを
中に入れている人はいませんよ」と反論。実際、その場にいた若い記者たちも同調
したため、馬場さんもそれ以上は言わなかったものの、その不満げな表情に、その場が
なんとも言えない空気に包まれていた。
恐らく、馬場夫妻にしてみたら、子を思う親と同様に、みっともないカッコをして恥を
かかせたくない、という親心からの言動なのだろう。だが、正直言ってそれは時代遅
れなものもあり、当時の流行には添っていなかった。なので逆に笑われる結果になって
いたものもある、ということだ。
親が子を思い、アレコレ口を出す。これは愛情表現の1つであり、一概に批判はできない。
親は人生経験が豊富な分だけ、子供の理屈よりも正しいことを言う場合が多い。
だが、それも度を過ぎれば、ただの過保護になってしまうし、かえって子供の反発を
招くことになる。
当時、馬場夫妻がしていたことは、今の時代ならパワハラやモラハラで訴えられても
おかしくないことがある。親にとっては愛情であっても、子供のとり方によっては
ただの強制としかとれないこともある。 馬場動けとか野次が飛んでた昭和全日の会場では
モトコはどんな心境だったんだw >>671
秋山の件って、セーターなの?
今まで聞いたやつだと全部「Tシャツをズボンに入れろ」だったんだけど。
セーターなら話が全然違うな。セーターを中に入れる人なんか見たことない。
しかし馬場も「セーターをジーパンに入れろ」と言うかね?
やっぱTシャツじゃないのかな。
>>672
たけしがその手のネタで散々馬場のこと言ってきたけど、82年の「ゆく年くる年」で共演してるんだよな。
https://img.tokyo-sports.co.jp/wp-content/uploads/2016/12/f7741cc9584f7d4d58647df5022fd319.jpg
この頃はたけしもまだ馬場ネタは言ってなかったのかな。
いや、言ってたとしても元子も別に気にしていなかったのか。 秋山の件はセーターではなくポロシャツだよ。
タイツをヘソ上で縛るのは「このほうが力が入る」という馬場の持論から弟子たちにも推奨した。
元子さんが強制したというのはデマじゃないかな。 >>674
>タイツをヘソ上で縛るのは「このほうが力が入る」という馬場の持論
これは一般人が力仕事するときにヘソの上からベルト占めるのと同じだから
理にかなった考え方ではあるんだよな。
ただ試合中にタイツのひもを締める動作をどうやって取り入れるんだろうって
点は気になる。 >>672
この時のゆく年くる年の司会陣に抜擢された馬場は進行中に戸惑いを見せメイン司会の
女性アナに「馬場さん、ここです!」と諭されて「どうもすみません・・・」と小声で
話しそれを見ていた人は馬場が段取りを忘れたと思って友人もそれを指摘していたが
馬場が自著で「女性アナが段取りを忘れて内容を飛ばしたので非常に戸惑った!」と
あって真相がやっとわかった。馬場のミスでは無かったw >>676
馬場はあの女子アナに相当怒ってたみたいねえ
ミスを自分に擦り付けられた上にいちいち「ほら、早く」みたいに馬場をせかし続けたらしい
その上「馬場さんのタキシードも貸衣装ですか?」という質問、「こんなサイズの貸衣装なんて
あるわけないだろうに、頭にきたから貸衣装です、といってやった」という馬場 >>677
その時の「ゆく年くる年」はフジテレビがホスト局だったから、件のアホ女子アナウンサーはフジテレビ所属だろうね。
日本テレビのアナウンサーだったらそんなアホで失礼な質問はしない。 >>673
うろ覚えだけど、冒頭の自己紹介でたけしが「今晩は。マンモス鈴木です」ってやったのは、その時じゃないかな。 永島の元子の第一印象は「デケェ!」だったそうだが
元子の世代で170越えてる女性ってあまりいないよな > タイツをヘソ上で縛る
極真空手の大山倍達が最近のプロレスラーはヘソ出してケシカランと批判していた
古い人の感覚ではそうなんでしょ ドリーの件から、一気に元子話に持ってくとは..ちょっとスマんかった。 >>624
>全日の歴史で自分の中でのショッキングシーンベスト3
普通にレスが進んだから改めて言うのもなんだけど
よく考えりや、ディンク君のニードロップが一番のショッキングシーンじゃないかな?
なんたって素人だし、血まではいたんだから…
>>647
>「馬から降りたその後、俺がその馬を殴るんだ!コイツはウケるぜ!」
テリーのこの発想…こういうの聞くと
ディンク君の吐血シーンのアイデアの発案者は実はテリーなんでは?と思いたくなるなw カブキの噴水はショッキングシーンに入らないんだなw WWFでは全日で自分がハンセンにやられてたロープ絞首刑やってたしなテリーw
あとKOした相手に熱した焼き印押し付けようとして止められるパフォーマンス
一度段取り間違えたのか誰も止めてくれなかったから
場外徘徊して客に毒づきながら冷めるのを待ったとかw https://youtu.be/EIf_v3WBiJ0
13:28
マスカラスって、1日2時間しか練習してないの? 90年代の話だけど和田レフェリーが馬場のマンションで片付けを手伝っていたら日プロ時代の馬場のソフビが出てきてそれを馬場にことわってもらったのに元子が怒って和田からそのソフビを取り上げた話があったけどいい年してオモチャでマジなるのはちょっとなあ。 >>686
噴血パフォーマンス全日マットでやったっけ? 寺西とシングルやって試合後にジャパン軍に袋叩きにあった時に噴血してた記憶 >>690
後楽園ホールでの天龍同盟とのタッグマッチでもやった記憶・・・ >>691は言われて思い出したが
相手に自分の血を振りかけるイヤなムーヴはなかったなw
>>693は覚えてない カブキ輪島組の時でしょ
輪島が天龍原に一方的にやられてうずくまってる傍らでカブキがひっそりと噴血してたから目立たなかった 全日時代は墳血はあったが墳血パフォーマンスは無かったな。
たぶん馬場が許さないだろう、そういう気持ち悪いパフォーマンスは。 86年1月のタイガー戦も噴血してた
冬木が乱入した試合 思い出したが83年の鶴田カブキvsシン鶴見でも噴血してた
試合後に鶴田とジョー樋口が興味深そうにカブキの額を覗き込んでた >>670
ヘソを出そうが出さまいが
元々、全日には格好いい選手が少ないw 全日本のあのデカパンはカッコ悪かった。
ヘソが出てると力が出ないなんて詭弁だよ。
今のWWEのスーパスターも皆んなブーメラン型のビキニパンツだもん。 新日の選手はシェイプしている選手が多いからへそ出してもカッコいいが、
全日の選手は下っ腹の贅肉を隠すためにへそ上まで上げるんだよ。
ラッシャー木村のタイツなんて胸の下まである。 >>704
全然腹の出てない志賀でさえ
ヘソの隠れるパンツ履いてたからな
馬場の教えに忠実だったんだろう
でも全日系のパンツって、形もだけど
新日系と素材も違っていない?
鶴龍と長州たちが対戦した時、同じ黒パンなのに
鶴龍のはゴワゴワした感じ、長州のはテカテカした感じで
明らかに布地の質感が違っていた >>704
> 今のWWEのスーパスターも皆んなブーメラン型のビキニパンツだもん。
それは見た目を優先しただけだろw >>704
オーティス知らねえのか
腹がスカスカのレスラーは強そうに見えない
ルセフなんはレスラーらしくてよかったが >>708
寺西のパンツはオムツみたいとかよく言われてたね
一時期組んでた小林邦のショートタイツは黒白半分(当時発売されてたチューインガムの商品名)とか葬式パンツとか言われてた >>706
新日系のショートタイツは、確かスパンテックスというレオタードなどに使用される生地で
黒タイツでも照明が当たると光沢が出て、「派手な黒」という感じ。
全日系のタイツは、ジャージなどと同様コットン(綿)を生地に使ってたんじゃないかな。
仮面ライダーや戦隊ヒーローの服地も、昔はジャージの様な生地だったけど、今やスパンテックスの
光沢があって見映えが良くなってる。 >>712
新日の光沢があるのはツーウエイ(2Way)という、どの方向にも伸びるレオタード生地。
ツーウエイが出るまではコットンでモモヒキやジャージ、ズロースと同じ生地。 マスカラスのタイツは70年代の初頭からてかてかの生地だったよね。
穿くと締まりがよく見えるが蒸れそうだな、これは、と思った。
一方のデストはそれこそ綿で伸びる感じ。 白タイツはオシッコ漏らした時に黄ばむんじゃないかと心配して見てた 好みと言われればそこまでだが、白パンを選ぶセンスはよく分からん。
ミスターレスリング#1みたいに全身のスタイリングなら分からんでもないが。
単純に流血したりされたりしたら大変そうだ。 ノーフィアが白パンにしてたのはよかったけどね。
いろいろいたけど大木がいちばん似合ってなかったと思う。 >>717
マスクド・ストラングラーは凄かったもんな。 >>711
ヤングライオン時代の西村の白パンも
オムツとか言われてたな
>>712-713
おお、ありがとうございます。
このスレには服飾にも詳しい住人もいるのか
まあレスラーのパンツって市販されてるわけじゃないし、基本オーダーメイドだから
本人はともかく、スタッフには最低限知識のある人が必要そうだしね
>>717
巨大だな。
ゼーラス・アマーラ時代はこれでリングに上がってたんだろうか >>714
デストロイヤーは中々、合う素材が無くやっと巡り合ったのが女性用のガードルの
布地だった。 ずっと続いてたへそ隠せの伝統を破ったのは大森かな
大森は見るからに温和そうで実際そうなんだろうけど元子のの「記者会見やれ」を
断ったりとか大胆なとこがある、まあ空気読んだり忖度したりの塩梅がわからないんだろうかね >>722
よく知ってんな
そんな無駄知識
当スレでは貴重な情報だがw >>724
そもそももっと前に鶴田が出してるし、三沢タイガーも三沢も。他の選手も。
このスレにあるヘソ隠の伝統はたしかにあるんだろうが、全日でも一部しかやってないよね。 >>729
またーwww
右左別色のシューズを履くセンスのコックスがw リップロジャースは初来日の開幕戦で天龍、原と試合したけどピンクのパンツで奇妙な感じだったけどシリーズの途中からオカマキャラに変わっただっけ? >>731
リック・スタイナーも右左別色のシューズを履いていたな。 馬場がリングシューズの中に履く靴下は既製品がなかったので元子さんお手製だったそうだ。 伊集院は円楽(楽太郎時)の付き人時代に馬場にハワイで靴作ってもらったけど
(天龍繋がりだろうね)採寸したまま取りに行ってないって言ってなかった? 不義理w >>732
開幕戦ではリングインした時に既に腰を振ってて
タイミングを見計らってたけど、爪痕残す気満々の
スパイビーにたじろいでやり損ねた感じだね。
翌日の後楽園で谷津渕組相手に全開したとか。 今日は天龍のプロレス開眼日
あの日の後楽園で見ていた方はいらっしゃいますか? PWFの挑戦者はカマタ、UNの挑戦者はスレーター。カマタはマーシャルボーグと組んで
インタータッグにも挑戦。ロビンソンはスレーターと組んでインタータッグに挑戦するだけ、
って扱い悪すぎだろ?と思っていたら、スレーターが緊急帰国してパートナーに天龍を抜擢。
結果的にはこのシリーズで、一番記憶に残る試合になったんだよな。 鶴田、ドク、天龍、谷津といずれも節目となっている感じのインタータッグ
初挑戦でいきなり取ったのはドクだけか カタワ金太郎は本当にカタワだった。
昭和49年10月蔵前の猪木対カタワ金太郎は歴史に残る名勝負みたいに言われてるが
あれは演出に凝っただけで実にツマラン試合だったよ。
猪木は対ドリーや対ロビンソンのような名勝負を作りたかったろうけど
いかんせん、カタワ金太郎には「それ」をやるだけのスタミナも体の柔らかさも全然ない。全く無い。
ツマンネーばかりのカタイ時間が10分続いた後、カタワ金太郎お決まりの頭突きラッシュ、
猪木がカウンターパンチ、そこだけ見どころ作って、フィニッシュはバックドロップなんだけど、
これが猪木史上、最も見映えの悪いバックドロップ。ぜんぜん体が反ってない、反り投げになってない。
ただ持ち上げて落としてるだけ。あんなのフィニッシュじゃないよ。
それもこれも、カタワ金太郎の体が硬すぎたからだ。
猪木史上でも最低クラスの、みっともないフィニッシュだった。 カタワ金太郎は翌年、全日へ移り、同じ蔵前で馬場とシングルをやるんだけど、
これがまた猪木戦以上に酷かった。
「猪木が12分掛かった相手(カタワ金太郎)を、たった6分で仕留めるシナリオを書いた馬場は
何と嫌な奴だ」という批判があるけど、あれはカタワ金太郎にスタミナが無さ過ぎたのと、
カタワ金太郎の試合はあまりにも単調でつまらなさ過ぎて、
たとえ10分でも観客や視聴者を飽きさせてしまうからだ。
それが分かっていたから、馬場は6分の試合にしたんだよ。
肝心のフィニッシュ、ランニングネックブリーカードロップも、馬場史上で最低の
ランニングネックブリーカーだった。カタワ金太郎は、ただ倒れただけ。
あれで「馬場のランニングネックブリーカー=最強の必殺技」という幻想が崩れ去った。
どうしようないお荷物のガンだったな、カタワ金太郎ってのは。 猪木に続いて馬場まで抜けた日プロで、そんなカタワ金太郎をインター王者にして
本当にやっていけると思ったんだろうか、日プロの乞食残党どもは。
なぜ奴らは、「猪木との再合流主張派(派と言っても坂口だけ)」だった坂口を誰も支持しなかったのか? 「ボク専用のプールだ。大きいだろう。中で金太郎が泳いでたりして」
「は?」
「キム・イル。大木金太郎。わーい」
「なんのこっちゃ」 力道山が亡くなっても豊登を追放しても生き残って隆盛したのは日本プロレスだったからね
今見ると狂気の沙汰に見えるが
大木他が「生き残るのは日本プロレス」と判断しても変じゃない
(実際プロレスの歴史をたどるとほとんどは出ていった方より残った方が上手く行っている)
それだけ大木、高千穂、上田・・・と言うラインナップに魅力が皆無だったとも言える >>745
日プロの隆盛がBIによって保たれていたのを
認めたくなかった連中w 大木は馬場、猪木のことをライバル視していたが、それが妥当なのかを判断するのは観客だからな。
オールスター戦の時は「馬場、猪木が相手じゃなければ出場しない!」
そんなカードを、ファンが望むわけがないのを全然わかっていない。 >オールスター戦の時は「馬場、猪木が相手じゃなければ出場しない
馬場猪木×大木ブラジル
こんな試合があったとしても
「ワシがフォールされるブックじゃ試合しない」になるんだろうし >>749
高千穂が鶴田、藤波、マスカラスに負けるのを拒否して仕方なくマサ斎藤が負けた。 大木は韓国の大統領に気に入られて英雄気取りだった
それが日本でも通用すると錯覚した不幸なレスラー >>703
力が出る以前にプロレスは演劇なんだから、客にいい第一印象をどうやって与えるか
次も来て貰うためにどうするか?
プロとしての基本を無視しすぎ、客もプロレスも馬鹿にしてるんだよ。 >>707
そりゃプロレスなんだから見た目重視だろ
客にいい印象を与えるビジネスの基本は初対面の7秒で決まると言う社会人なら新人の時に教えて貰う基本ができてないんだよ。
社会人向けのプロレスと仕事してない底辺向けのプロレスの違いかなw >>745
力道山は様々な事業を展開していたが死後に真っ先に消滅すると思われていたプロレス
ビジネスが生き残った。死後にすぐにまず三菱電機と日テレがTV放送継続を宣言した
のが大きかった。このような対応や第一回ワールドリーグ戦開催寸前に経営危機に陥った
日プロを三菱電機の大久保会長は当時は宣伝部長で部長決裁ギリギリ額の稟議をきり緊急
融資したお陰で日プロは危機を乗り切った。この信用不安が外部の漏れたら日プロは
危なかったらしい・・・
こういう経緯と大恩もありスポンサー料と放映料の増額を言い出せない日プロに
つけ込んだのが後発局のNETだった。 >>753
>>707は
>ヘソが出てると力が出ないなんて詭弁だよ。
に対する反論だ。的外れな反論するなアホw >>753
> 社会人向けのプロレスと仕事してない底辺向けのプロレスの違いかなw
仕事してない底辺がどうやってチケット買うんだアホw インター王者→カタワ金太郎
インタータッグ王者→カタワ金太郎&おしまい馬之助
UN王者→高千穂チンバ明久
あうあうあうあうあ〜 >>756
雑誌の記事読むと「惜しくもタイトル奪取はならなかった」って
エリック目線なのが笑える。
このこと一つとっても、大木の集客力のなさがわかる。
にしても、やる気満々の大木に対してエリックのやる気のなさ気なこと
ガラガラの客席見て「もう日プロに来るのはこれが最後だな。
次からはババのところに呼んでもらおうか」とでも考えてたんだろうな 日プロが崩壊して猪木・新日本は得だけをした。
「大物エース坂口+NETテレビ」を獲得して、高い集客力と高い放映権料を一気に手に入れた上に
人数が少なくて前座カードに困っていたが、
坂口が若手数名(後のキラー・カーンや木村健吾ら)を連れて来てくれた。
一方で全日はガラクタ廃棄品ばかり押し付けられてしまった。
この時、春にミュンヘン五輪アマレス・ヘビー級代表の鶴田友美を獲得して米国修行へ出していて本当に良かった。
これで秋には鶴田を凱旋帰国させてファンクスとのインタータッグ戦が出来る。
それが不用品どもへの引導になるから。
馬場はそう思ってたろうし、まさにそうなった。 >>758
ママにでも買って貰ったんだろ。
ノアなんてYFCの500円チケットじゃないと買わないオタばっかりだったと宝島で暴露されてるじゃん。 >>762
> ママにでも買って貰ったんだろ。
なるほど、鳩山由紀夫みたいな金持ち向けのプロレスだったんだなw あとね、日プロ崩壊時に海外遠征中だった中堅でもさ、新日へ行った方の
星野勘太郎は突貫ファイトでそれなりに人気があった。
当時、中堅クラスでは一番人気だったんじゃないかな?
それ故に引退後の星野総裁にもなった訳だし。
魁勝司(北澤幹之)は温厚で決して人と揉めないし、若手のコーチ役もしっかりと出来た。
全日引き取りガラクタの松岡癌鉄やカタワ小鹿のような「有望若手潰し」とは魁勝司は無縁だしね。
その人柄と人徳があったから、引退後も前田に請われて北澤氏はリングスのメインレフリーまでやっていた。
そして永源遥は営業力が凄かった。とにかく切符をバンバン売りまくってくれた。
一方で全日引き取りのガラクタどもは…あうあうあうあうあ〜 練習絶対重視派の小鉄は最初から猪木へ、人柄派の熊さんや人格者のマシオ駒は
最初から迷わず馬場に付いて行った。
日プロに残った連中(海外遠征中の者と坂口を除く)は一体どういうつもりだったんだ???
死ね。 まあ、元子もガンだったんだよね。
倍賞美津子は芸能界のトップスターでありながら、坂口と坂口夫人には腰が低かった。
一方で元子は坂口と坂口夫人に横柄だった。
だから坂口夫人が夫に「全日本に行くのは絶対やめて!」なんて言ってたんだから。
坂口には「夫人同士がうまく付き合えるか?」ってのもあったのかもね。 >>769
大木、高千穂、上田、小鹿、ヒライ、松岡、桜田、羽田、伊藤
以上9選手 >>763
鳩山ってキチガイって言いたいのかね?
酷いな。
プロレスファンて馬鹿じゃないと思うぞ。 >>770
初期を知らない俺だとヒライ、松岡、伊藤は知らんな、ヒライの息子は知ってるが。生き残るには才能以外もあるんだろうな カタワ金太郎vsTJシンは予定通り見たかった。最初から当て馬だったか? カタワ金太郎が81最強タッグに出てたら誰と組んでいたろう?
ロビンソン・天龍組、カタワ・原組なんて面白かっただろう 正確には残党ではないが、72年初頭に日プロの体質に嫌気がさして離脱した
百田光雄が秋の全日本旗揚げから参加
海外武者修行中に日プロが崩壊したミスター林も、帰国後に途中入団した 大木、上田、小鹿、ヒライ、松岡、高千穂、
桜田、羽田、伊藤の九人。目的があって残ったのではなく、何もせず流れるままに残っていたからまとまりもなく、全日でもなすがままだった。 NETテレビから切り捨てられた後もテレビ放送なしの状態で
未練がましく「選手会主催・アイアンクローシリーズ」なんてやりやがって!
鉄の爪に頼ればなんとかなるとでも思ったのかっ!
入場料を取るなっ!
来てくれた人に5千円払えっ! 馬場は全日本旗揚げに際して、国プロで一時期エースだったサンダー杉山を獲得してスタートしたけど、
なんで日プロは国プロでエースだったB・ロビンソンやS・小林の獲得に動かなかったんだろうか?
本当にカタワ金太郎をエースにしてやっていけるとでも思ってたのかっ! 鬼畜という映画でいきなり腹違いの子供三人を押し付けられた小川真由美みたいな感じだな
その結末もそんな感じに。。 実際、馬場が独立した72年秋の段階で日プロがロビンソンとS小林の獲得に動いて取ってれば、
NETはそのまま日プロ放映の継続を決めてたんじゃないだろうか?
吉ノかたわ里は真実の障害者だ! そうやって日プロが「ロビンソン、坂口、S小林」の三大エース体制で客を入れ視聴率を取っていれば、
「猪木を新社長にして迎え入れる(NET案)」ではなく、猪木とゴッチを契約レスラーとして取り込む事も
可能だったろうに。
当時、吉の里はNWAの大口優良会員であり、外人陣営も充実させられたはずだ。
それを迎え撃つ日本陣営が「猪木・坂口・小林・ロビンソン・ゴッチ」なら、日プロはウハウハに儲かっただろうな。 >>779
小川真由美は押しつけた方で、押しつけられたのは岩下志麻
当時はガキだったから岩下志麻は怖いオバハンにしか見えなかったが、今見ると熟女の色気に溢れてたまらんわ〜 ホントね、馬場が独立した当時って、「馬場=NWA」じゃなくて「日プロ(吉の里)=NWA」だったんだよね。
だから馬場は子飼いのマシオ駒が懇意にしていたファンク一家を頼るしかなかった。
馬場の本物の親友で男気のあるサンマルチノや、金で釣ったブッチャーは全日本に来たけど、
馬場にとって「仲がいい知人」程度のBブラジルや鉄の爪エリックは日プロの外人のままだった。
バレンタインも猪木にとって親友ではなく「敬意を払うべき先輩」という関係であり、カネがなくて呼べずに
彼は日プロ外人のままだった。
だからこそ、馬場が抜けた後の日プロはロビンソンと小林を獲得して、NET放映権を維持して、
そのまま潰れた新日本から猪木とゴッチを引っ張るべきだった。
本当に本当にバカだね・・・。 >>782
そうだったかw団塊ジュニアの俺には小川真由美ってキツいオバハン時代のイメージのが強いから勘違いしてた。
最近復讐するは我にありを見たけど途中まで小川真由美が誰かわからなかったくらい良い女だった。
ちなみにこの映画を知った理由はプロレスファンだから 正確には「芳ノ里(本名・長谷川淳三)」だけど、カタワのバカの名前なんかどうでもええよ。
カタワ金太郎、カタワ小鹿、松岡カタワ癌鉄、その他のカタワども、死ね。 >>756
大木の流血ってそんなになかったと思うけど、何度見てもこの血の量は半端じゃないな。試合後も血が止まってなさそうだな。 相撲時代の四股名が芳ノ里で、リングネームは芳の里だぞ? >>773
>>774
全然おもしろくなってないよ。
カタワ金太郎は国プロに移る前の全日末期時代に「ブッチャー軍団の一員」に入れられてたくらいだからね。
最強タッグでも、「カタワ金太郎&トーア・カマタ組」なんていう員数合わせチームにされてたくらいだしね。 デストの話に戻して悪いけど
デストのマスク、女性のガードル生地というのは何かで読んだ事がある
マスクマンになり立ての頃、マスクのしっくりくる生地がなくて探してる時に、たまたまカミさんのを見た時に思いついたとか。
試しにその生地で作成してもらったら、バッチリな被り心地だったとか。
それ以来、より良いマスクの向上に努めるため女性用下着売り場に通うのが習慣になったとか…
しかし弊害もあって、大男がそんな売り場にいるだけで変なのに、試しに販売用のガードルを被るもんだから奇異な目で見られてたとか…
自分が知ってるのはまんまそういう内容、間違いなく記憶の通りだとは思うが、どこまでが真実でどこから盛ってるのかはわからないw
ただ、たとえ全部が真実だとしても、商品を被ったら奇異な目どころか通報されると思うけどねw 鶴田友美が凱旋帰国して馬場のパートナーに抜擢されて
ザ・ファンクスとのインタータッグ戦で時間切れ引き分けが内定した時の日プロ残党どもの歯ぎしり・・・
ざまあみいや! >>776
看板スター&エース 大木
準エース&タッグ王者 上田・小鹿
巧者のテクニシャン ヒライ
鬼軍曹 松岡
次代のエース 高千穂
若手のホープたち
ガチンコ最強 桜田
甘いマスクで女性ファンに人気 羽田
スケールの大きなパワーファイター 伊藤
無理やり役割をふってみた
こうすれば残党組でもなんかイケそうな気が… しないかw 81年大木をもっと使いこなせなかったかな?
それこそ、ブロディとのインター戦など、ハンセンとも見たかったし、
ずっとアンダーカードでひっそりと退団・・ 単に客を呼べなかったからじゃない?馬場猪木と勝負付けは済んでるし 81年と言えば全日移籍したばかりのシンに「大木なんか格下、試合なんかできるか!」と言われた時だな。 大木は体幹太くて見るからに頑丈そうなんだが、
いかんせん手足が短いうえに
動きもドタドタしていてスピード感に欠ける
あれじゃ強豪外国人相手にカッコよく戦う
エースの役割は担えないよ デストロイヤーのマスクの話は結構有名じゃないの
そんなに詳しくない俺でも知ってるから >>796
拍付けがうまくいけばわからんよ
ドタバタと一括りにするのは無理があるけど、エリックとか…外敵の大エースだよね。
あの風貌と雰囲気、そしてアイアンクローの認知度…
大木も猪木とのシングルで一本足頭突きを出した時の歓声、いやどよめきか…
いずれにしても大木は認知度はかなりあった、その時代に体感してないからビデオの会場の雰囲気でしか知らんけど。
他にもオープンタッグの馬場鶴田との試合とか、自分が想像してるより会場人気は高いと思った。
あ、カッコよく戦うって点か…それは確かに無理だな。
しかしコロンとかワンツとか、お国柄によっては大エースの大歓声だよね…よくわからんけど。
なんか脈絡がバラバラな文になったな、ごめん。
>>797
そうなの?
いや、したり顔な文章書いて恥ずかしいw
ただ下着売場で被るという話がインパクトあったもんでw
当時の作者が盛ってるにしてもね。 デストのマスクのガードル話、戦後50年のプロレス特番で本人が語ってるね。
https://youtu.be/9Ou7z9Yv3yg
11:50〜 だから日プロが瓦解した時にね、坂口がNETテレビを持って若手数人を引き連れて
新日と合流した。
この時ね、馬場は海外遠征組を全日本に呼べば良かった。
星野勘太郎がいて目を光らせてれば、カタワ小鹿も有望若手潰しなんて怖くて出来やしない。
それ以前に、永源がいれば小鹿なんていらない。 永源遥の方が暴力団対策は遥か上だし、
営業力はカタワ小鹿なんて比較にならん。
魁勝司がいれば、マシオ駒亡き後の若手の良き育成コーチになっただろう。
魁は練習熱心で、ゴッチも舌を巻く位の道場での実力者だけど、小鉄のような鬼軍曹ではないから
全日向きの温厚な、若手の芽を伸ばす道場コーチになっただろう。
他のベテランや中堅とも決して揉めない人徳を持つプロレス界では稀有な人物だったしね。
だが全日は日本テレビから日プロ残党のカタワのカスどもを引き取らされて大所帯になってしまっていたから、
当時海外遠征中だった優良人材を引っ張れずに、「いい方」はみんな新日に持っていかれてしまった。 ホントね、カタワ金太郎は体が硬すぎなんだよ。
この、馬場史上最低のランニングネックブリーカー、見てみいや。
https://youtu.be/WLZrjLHi5uM?t=655
同年代時期に、ブリスコやロビンソンに決まった時は、
「大一番でしか出さない馬場の必殺技が完全に決まった!これじゃあいくらブリスコでもロビンソンでも
カウント2で返すのは絶対無理だろ!」という完全な決まり方だった。
ブリスコもロビンソンも完璧に仰け反って、見事に後頭部からマットに突き刺さってくれたからね。
(前年に金太郎が猪木のバックドロップで沈められた時も、猪木史上で最低のバックドロップだった。
ただ持ち上げてドスンと背中から落としただけ。 カタワ金太郎が猪木の動きに合わせて全然体を反れなかった。)
その後、カタワ金太郎は自分の持つアジア・ヘビー級ベルトを差し出す形で
ようやく馬場とのシングル再戦に扱ぎ付けるんだけど、もうフィニッシュにランニングネックブリーカーも
32文ロケットも使って貰えなかった。 どうせまたへっぴり腰でしか受けられないだろうから。
で、カウンター16文のみであっさり敗退させられて終わり。
馬場はカタワ金太郎から取った、そんなカスみたいなタイトル、一度も防戦をやらないまんま封印しちゃったね。 >>800
魁(北沢)は新日旗揚げ時に猪木について行っただろ。 >>800
魁が出演したYouTubeみたけどガチガチの猪木信者で全日には絶対行かないわ
司会が日プロ時代尋ねても馬場の話殆どしなかったからw >>793
大木vsカマタの元タッグパートナー対決が観たかった❗ >>768
あったのかもね、というかそれだけがネックだったろう。 >>789
末期の意味わかってんのか?
このカタワが。 >>793
ブロディ対大木なんて誰が見るんだよ。
セミ前のカードだろ。 >>795
大木が硬いから、シンが嫌がったんだろうな。 >>803
練習熱心でセメントが強く、後輩いじめしない猪木が大好きだったと。
あと力道山晩年には、もう猪木からセメントで取れなくなってたと
貴重な証言もしてた。 >>776
このうち小鹿は大熊から一緒に全日行こうって誘われたけど断ったんだっけ?
残ったほうがメリットあると判断したんだけど、結局は馬場に頭下げる羽目になって
最後は切り捨てられたな
それにしても相撲出身者多いな。猪木の相撲嫌いもここに由来しているのかも。
まあ相撲出身っていても番付大したことないのばっかりだし、三役幕内クラスが
いたら、認識がかなり違ってたんだろうけど >>811
昭雄の証言だと大木も誘って大木本人は乗り気だったのに翻意したけど。あと下三人は
自分の意思で判断は難しいだろう。 下っ端だと自分の意思は通らない
佐藤の話では
「藤波は「猪木について行きたくない」と泣いていた」
小沢は「全日に行きたかったが坂口に新日に連れていかれた」 天龍プロジェクトトークバトル 天龍源一郎特選集プレミアムDVDセット【特典付】 https://www.tenryuproject.jp/product/387 >>813
馬場は小鹿に「上田と松岡は連れてくんな」っていったんだっけ?
上田はクーデタの時の確執あったし、松岡は嫌われ者だったし
ホントに欲しくなかったんだろうな
776のメンツだと、当時まだ若くて大型の桜田と羽田は馬場好みの人材って気もするけど、
桜田はこれといったチャンス与えられなかったし、羽田もチャンスをものにできなかったな
まあすでに鶴田がいたからね
>>813
>藤波は「猪木について行きたくない」と泣いていた
藤波は猪木の付き人だったから選択の余地なかったんだろうけど、やはり将来が不安だったのか
結果的にはついていって正解だったけど 猪木は相撲嫌いとかあるが
千代の富士の家に行って酒飲んだり、北の湖の断髪式で鋏を入れたり
相撲との関係が悪いとは思えないのだが。
全日の方は力道山が二所ノ関部屋ということで
二所一門の力士がプロレス入りするときはほぼ全日。
天龍、大ノ海、玉麒麟、琴天山・・そして輪島も二所一門。 辛坊治郎「竹山先輩は前の日に台本書いてたんですよー」 相撲が嫌いでなく相撲から来たレスラーに好印象がないんじゃないかな ダウンタウンDXに出たときは、色んな格闘技で何が強いか訊かれ、
「ルールがなきゃ相撲です」
と即答してたけどな猪木 格闘技としての相撲は高く評価しているが
相撲取りの体質が嫌いなんだと思う
後輩イジメにギャンブル狂にピンハネ
猪木は力道山に酷い目にあわされたって話だが「船上から海に突き落とされた」ってのが一番酷い >>817
>>819
相撲でも稽古嫌いで怠けてそうなタイプばっかり周りだから
印象が悪いんだろうね
付き合いのある北の湖、千代の富士は角界でも稽古熱心で有名だったから
通じるものがあったんだろう
安田忠夫は上記のタイプの典型だが
それでも九重部屋だったから嫌でも稽古させられてた部類 猪木が嫌いだったのはプロレスに来た相撲取りだろ。
ほとんどが相撲でパッとしなかった連中ばっかり。 そりゃ相撲でちゃんと実績上げたら
普通はプロレスになんか来ないからな
最高位まで極めたのにプロレス来ちゃった
訳ありも今のところ4人いるけど ファンでも相撲上がりで好意的なイメージ持っているのは少数派でしょ。
イジメ好き、練習嫌い、金にだらしない、頭が悪い。
昭和組で人間的にまともなのってラッシャー木村ぐらい。 力道山を除けば、相撲出身で一番成功したのって
間違いなく天龍だけど、天龍は相撲でも前頭筆頭まで
行ったし、二所ノ関のお家騒動で廃業しなけりゃ
三役に出世しただろうし
やはり最後にモノを言うのは地力だね 天龍もスランプを乗り越え、インタータッグで開き直ったのか吹っ切れたのか
プロレスに真剣に取り組んだのが他大勢の角界出身レスラーとの違いだな。
そこら辺はサラリーマン化していた長州が豹変したのと被って見える。 >>826
そりゃ、出場選手3人で決まったオリンピック代表が相撲の幕内よりも強いとか、
ふんどし担ぎだったハクがシュート最強なんて言われる世界だろ
ガチ経験してる相撲取りとしちゃ馬鹿らしくてやってられない。
演劇に思い切って振り切ったから今の天龍があるんだよ。
ハードヒットとかマジで信じてる全日オタなんていないよな。 >>827
天龍は3度目?のアメリカ行きが決まってたんだっけ。
あの試合の評価が高くて、その話が無くなったんだよね。 天龍の相撲時代の戦績見てると
三役は難しそうかなw
横綱、大関に勝ったこともないし
あのまま続いても安田みたいに
一回だけ小結に上がれればいいところだろう
力道山みたいに三役常連というレベルは無理 全日の最良パターンはね、ハンセンを獲得した昭和57年頃にね、
カタワ元子が事故か病気で死ぬ事だったんだよね。
で、翌年に新日を追われた新間が翌84年辺りに全日入りして営業本部長になる。
これで全日は隆盛期を迎えられたはずだ。
新間は馬場に取り入るのが上手かったからね。
そうすれば、平成に入る頃には、いいや、その前に外人レスラーはもちろん、
日本人レスラーのトレードや貸し出しも活発化して、両団体ともマンネリを打破した好カードの
目白押しとなって、両団体ともに潤っただろう。
カタワ元子さえ死んでいてくれれば・・・。 >>768
坂口夫人だってカーンの金抜いたりしてたんだろ
馬場と坂口では格が違うから勘違いするのもわからんではない
坂口夫人の人柄がわからないとなんとも言えないわ >>835
カーンは坂口夫人に店開店させたの知らせてなくて
公衆の面前で夫人に教えてくれれば祝儀出すのにと言われたのに
未だに祝儀貰ってないと愚痴言ってるもんなw >>836
その話の真偽は知る由もないけど、
マット界の中抜きって割と最近言い出された
言葉なんだよね。
鶴見とかカーン とか谷津とか。。。
しかしそんなに簡単に特定の人(会社)に行くはず
の金の大半をせしめちゃうなんてそんな簡単に
できる訳?
マット界はそんなに異常者詐欺師の集団な訳?
その手の話の大半はインタビュアーを喜ばそう
としてのホラ話にしか思えないんだけど。 相撲崩れでも十両以上まで行ったやつとそれ以外は区別したいよな。 >>839
各人のインタビュー読むと個人に払われる移籍金はどうも裏金っぽいので
領収証不要だとしたらいくらでも簡単に抜けると思うよ、ただ将来的に
中抜きがバレる可能性は低くないだろうけど
鶴見の言ってるWWFの提携料は仲介手数料として堂々と抜いたかね 相撲協会が懸賞金の中抜きをして貯金してやって
引退したときや退職したときに渡すというのは
輪島が懸賞金を全部使っちゃって借金取りが協会や部屋に押しかけてきたのが理由で
懸賞金の半分を協会でプールするようになった
だから坂口も選手が給料を無計画に使っちゃったりしないように中抜きしてたんだろ >>830
安田は国民栄誉賞と現会長に当たらないというアドバンテージがあってそれだもんな 坂口って真面目なイメージしかないのにカーンの金抜くとか本当なんだろうか
坂口婦人がキツいのはよく聞くけど選手の給料にそんな関わるのもおかしな話だし >>842
でも本人に渡したと言う事実はないじゃん >>791
やっぱり一本目のジャーマン勝利が効いたな
そこに持ち込むまでの交互のドロップキックとかも最高だったし 坂口はギャンブルで借金を作って日本プロレス入りでチャラにしてもらったって聞いたけど。
G1クライマックスも坂口が競馬好きという由来から取ったとか。 Gスピリッツの東京プロレス特集本で豊登の滅茶苦茶なギャンブル好きに触れてたな >>848
G1は坂口がやってた競馬から取った。
坂口のやってたパチンコ台がペガサス→ペガサスキッド 東プロ旗揚げ戦の売り上げを豊登が何の手続きも断りも入れず
手づかみで現金鷲摑みで持っていったエピソードは衝撃が強すぎる
ただの盗賊じゃねぇかと >>839
ギャラが変動する世界なんだから
どうにでもなるだろ。
帳簿はめっちゃくちゃなんだろうな。 >>851
だから元子が帯同するようになったのかも チケットの売り上げと枚数なんてどんぶり勘定なのは
昔、新日の試合にセミファイナルくらいで当日券で二階席で見ようと
窓口言ったら、おばちゃんが2階席の値段なのにいいからいいから!
と言ってリングサイド席のチケットくれた経験からわかる。 大仁田がFMWで引退した後、社長継いだ荒井さんの元から金鷲掴みして持って行った話もあったな。 あんな豊登でも力道山が重用したのはやはりそういう奴だから自分の権力を脅かさないというのもあったんだろうな 今日はレイスのUN奪取日
当時あのニークラッシャーと思わせてのバックドロップは衝撃だった
あとベルトを掲げて飛び跳ねている場面も感動
あの当時五度NWAを取っていたレイスだけに >>851
テキトーがまかり通っていたあの時代にしても、めちゃくちゃすぎるw 豊登は力道山の死後によく社長になれたもんだな
四天王の中では元々の力道山との縁は薄いほうだし
4人の中では一番若い
かと言って頭が良さそうでもない ありがとうUWF読んだら昔は入場券に税金掛かったから税務署で確認したり面倒だったとか
確認の判子がないチケとか席番書いた紙を当日売ったり
現金貰い勝手に関係者入り口から入れて小遣いにする悪い営業がいたとか書いてあった ケロが言うには1982年正月の後楽園ホール(猪木VSボックの時)は
用意してたチケットが全部なくなって金をもらったらそれと引き換えに客を中に入れたそうだ
そんなテキトーなやり方じゃ売上金の管理なんてできていたわけがないね 後楽園での試合後、エレベータホールのごみ箱に入場時にもいだ半券が
捨てられたけど、何色が何枚とか数えた上で捨ててたんだよね? 上井なんて当日券の売り上げ懐に入れたなんてこと言ってたぞ ×330パウンド(150kg)
アブドーラ・ザ・ブッチャー
〇481パウンド(218kg)
アブドーラ・ザ・ブッチャー ドリーがゲストで出てたね
蝶野のテレ朝チャンネルの番組に。
ただしテレ朝にはドリーの試合映像がほとんど無いという事もあって、2001年のドームの試合のみ。
あとはブッチャーやマードック、ブロディなど全日系の試合が大半だった。
印象深かったのはブロディに関して、蝶野が「扱いにくい人物という風評が…」みたいな質問に対しては
ドリー「そんな事はない、とてもいい友人だった」と答えたこと…
蝶野「それはドリーさんに対してだけは従順だったんでは?」みたいな返しをしたけど、通訳はされずにドリーには伝わらなかった。
そのへんをもっと突っ込んでほしかった。
あともう80歳近いらしいが、ドリーが40歳前後ぐらいの頃は「おじいさんみたいな風貌で老けてるなあ…」と思ってたけど
今のドリーを見ると個人的にはシュッとしてて、そこいらの80歳じゃ全然かなわないぐらい、断然カッコいい感じだわ。 北沢をして日プロ時代グランドスパーが強かったと言わしめたミスター林について教えてください。
先日、昔の全日の熱戦譜を見ていたら
ミスター林(足固め)伊藤正男
ミスター林(足固め)肥後宗典
なんて記録を目にしました。
基本的?な質問かもですが、
ミスター林のこの「足固め」ってなんでしょうか?
(私の推測)
◆又裂き?違うだろう。
◆レッグロック?肘を相手の内スネまたは内モモに当てる藤原がやるようなの?違う。
◆トーホールド1?両手で相手の爪先とカカト捻るやつ、痛め技だろ?
足先つかんだまま前に跳んだりやつもあるが。。。
◆トーホールド2?足を絡めてブリッジしたり後ろに倒れるやつ、これ??
◆インディアンデスロック?これか?
◆アキレス腱固めではないだろう。
◆ヒザ十字でもないだろう。
◆ヒールホールドのはずはない。
◆アンクルホールドも違うだろう。
◆スタンディングレッグクラッチ(ゴッチのあれ)違うだろう。
◆ジャパニーズレッグロールクラッチ。カウント3技だが林がやる?
よろしくお願いします。 ドリーは馬場とタッグを組んだ頃の
赤タイツが異様に似合ってなかった >>867
そりゃぁ、ネットで出回ってるとは言ってもボイコット事件を新日の扱いの下手さという原因もあったことにはしたくないだろうからな。
ドリーに「そういう面もあった」って言わせたかったんだろ。
というか、ドリーって日本語勉強して分かるんじゃなかった?
蝶野の返しは分かってたけど、そんな事はない以外に答える気がなかったんじゃない。 ミスター林といやあんなファイトしてるけど、星野勘太郎曰く喧嘩が相当強いとか。
クーデター事件の時にも日本刀持って猪木の家に乗り込んだけど、不在のために事なきを得たとか。 >>858
力道山死後の役員の人選と体制は…
はっきり云えば日プロと力道山の後ろ盾になっていた
893や右翼などの裏社会の実力者たちによる合議と綱引きで決まったものだから
所謂ダラ幹時代の日プロと力道山が創設した日プロは
厳密に言えば別会社で元々の日プロは敬子夫人が
力道山の死後、私財と共に他事業により作った借財ごと引き継いだ(押しつけられた)形のもの
日プロ崩壊時に残党一派の身分を形式上一時預かりとした会社 >>870
新日の扱いの下手さ「も」ってなんだよ。
約束反故にして突然負けブックに変更されたら、
ボイコットするしかないだろ。
悪いのは100%新日。 >>872
力道山は有能な実業家だっただけにもったいないよな 力道山が安藤組と揉めた話を安藤組の実際現場にいた人が詳しく書いてたけど
東富士とかが交渉に来て本人は一切出てこなかったとか色々面白い本だった 井上譲二がブロディについて「プロモーターからの評判は悪かったが
レスラー仲間の評判は悪くなかった。亡くなった後に「彼はとても良い男だった。」という声が多かった。」と書いていたな
確かにダイナマイト・キッドは「フランクはとても紳士でおれにはいつも良くしてくれた」だし
B・アレンは「プロモーションに対して一歩も引かないブロディの真直ぐな人間性が好きだった」と言っていた
ジョン・テンタは「君は2,3年キャリアを積めば誰にも負けない。私との試合でアリーナを埋めよう。」と言われて
感謝していた >>868
「足固め」といっても色々あるからなー
インディアンデスロックもキウイロールも足固め表記されていたし、
おそらく前座試合だから単なるトーホールドだと思うよ…? >>868
林、伊藤、肥後
この3人、いつも東スポの熱戦譜で
第1、2試合あたりに名前が載ってたけど
一度も試合を見た記憶がない
テレビに映ったことあったっけ? >>876
逆にダラ幹がある意味スゴイwのは、
普通はこうやって跡を継いだ後継者が
結果的に儲かってるにも拘らず会社傾けるパターンって
だいたいは創業者の業績に対するコンプレックスとかから
無理な事業規模の拡張を行ったり
本業とシナジーの薄い新規事業に手を出したりってケースが多いんだけど
芳の里の話なんか聞いてると
この人達はホントに心の底から十年一日同じようにプロレス興行をやって
TV放映権料と興行の日銭を稼いでればそれで十分。
会社をもっと大きく成長させようとか
一般社会でも認められ一目置かれるような存在になろうといった
一般的な社会人としての「欲」が全く感じられないんだよ
プロレス興行やってりゃ金は黙ってても勝手に儲かるから
その金で飲んで食ってやってりゃそれでもう満足
余計なサイドビジネスなんか良くも悪くもハナっからやる気なんか全くない
リキパレスやマンションもサッサと売って現金に変えちゃえ
NETでの二局中継にしても将来見越した馬場猪木のWエース体制構築とか
二局を競わせることでさらに有利な条件引き出すための戦略っていうより
単に目の前にキャッシュぶら下げられて
「あげる」って言われたから遠慮なく貰ったくらいのかんじっぽいしねw >>880
中学生の時に夕方のスーパータイムで、肥後が婦女暴行で逮捕されたニュースを見て驚いたな。
それ以前に後楽園ホールで何回か試合見た記憶がある。その後は完全引退してプロモーターだったかな? 遠藤幸吉って、まだ生きてるらしいね。
きっと完全に痴呆老人なんだろうけど。 坂口の話だと
「馬場さんも猪木さんも、日プロ幹部の浪費癖を指摘していた。
事実、幹部の方々は事務所の金庫から、ガバッと札束をワシづかみにして銀座や六本木に直行していた。
私や小鹿さん、高千穂(明久=後のグレート・カブキ)、安達(勝治=後のミスター・ヒト)、
永源(遙)らも、しばしば幹部の方々に同伴させていただいたものだ。」 >>875
全日は馬場自身が外人レスラーと対話してたが
新日は猪木は一切出てこないで新間や営業にやらせてたから悪い。
猪木が直接ブロディに説明してたらあんなことにはならなかっただろう。 >>859
>かと言って頭が良さそうでもない
損得の計算は苦手そうだがお金の計算はすごく速かったらしいよ。 >>881
BI時代の日プロはダラ幹の合議制だったからな
誰かがなんかの事業やりたくても、足並みがそろわないと難しかったのでは?
日プロ崩壊後は
遠藤→スポーツジム経営
吉村→近代相撲部+自動車業
やってたみたいだけど、芳の里は何やってたんだろう?
吉原が残ってたらもっとまともだっただろうし、逆に
豊登が残ってたらもっとすさまじいことになってたろうし
あのダラ幹にしてあの会社だったんだと思うよ>日プロ
>>885
>猪木が直接ブロディに説明してたらあんなことにはならなかっただろう
猪木の英語力ではそういう説明は難しかったのでは?
ケーフェイが関わる部分だから通訳は間に入れずらいだろうし >>813>>815
猪木の付き人として日プロ内部でも肩身の狭い思いをしていた藤波と木戸。これから
に不安を抱いていると倍償氏(のちのリングアナ)から連絡入り「寮にある猪木の私物
を持ってすぐ来てくれ!」と言われてそばにある猪木後援会事務所に来てくれと言われて
行くとそこには旗揚げ準備で寝袋持参で小鉄が泊まり込んでいた。あの日の夜逃げのように
深夜に日プロ・寮を出た寒い冬の日の事は忘れられないと藤波と木戸も証言している。
どっちが真実なのかな?
カーンは「郷里の先輩の馬場さんの所に行きたかった〜」と当人が証言している。
>>872>>883
リキパレスは売却されたがリキアパートとマンションは百田家に残されてアパートは
百田兄弟、マンションは敬子夫人だったのかな?百田兄?弟?は日プロ退団後に管理人を
していた。敬子夫人は大変な時のマンションを手放さずがんばったらしい。アパートは
転売されたのか?別のマンションが建つも隣のリキマンションには今もRマークが輝いている。
馬場は恵比寿の外人専用マンションに引っ越しするまではリキアパート住まいだった。
>>881
馬場と猪木の生き様にダブルね。馬場が猪木に会った時にサイドビジネスへの参加を
求められて「猪木は訳のわからん話をしていたなあ〜」と言う話があるねw
>>883
数年前にマスコミが接触を諮ると家族から断れたらしい・・・ >>887
門馬さんが書いてたけど芳の里は国際の解説やりつつたしか高級羽毛布団の
セールスマン?やってたらしい、無理やり買わされたって
失礼だがかなり怪しい部類の仕事ではあるな >>888
どっちが真実なのかな?って、
別にどっちも真実だろ。
急に呼び出されて行ったことと、
新日に行きたくないって泣いたことはなんにも矛盾しない。 よく遠藤は猪木派だったと言われるが実態的には反馬場派という感じじゃなかったかな
特に力道山の死後言いなりになると高を括っていた馬場から条件を吹っ掛けられてカチンと来たとか 1964年力道山死後の日プロに、三顧の礼で帰国を懇願された馬場が、日プロに出した条件が気になる。
アメリカで超売れっ子になり、マネージャーの東郷から年20万ドル(7200万円)で米残留を提示された状況。
個人的予想としは。
・ギャラは外国人レスラーと同様に一週間単価のドル払い。それもトップクラス(5000$)。
・巡業宿泊は外国人レスラー同様に洋式のホテル。高級ステーキが食えるレストラン併設が必須。
な感じ。
馬場が和風旅館に泊まって、大勢でちゃんこ鍋食ってるのが想像できないわw 最初は馬場なんかいらないと高を括っていた連中だが田岡組長に脅されて震え上がったんだよな >>892
別スレで出ていた話だが猪木は遠藤の事は嫌いだったらしいね
そもそも幹部の中でも金銭的なデタラメさは酷かったらしい
NETの頼みだったので断れなくて解説者として迎えたとか NETテレビにしてみたら、遠藤はプロレス中継を実現させてくれた大恩人だからな。
馬場にしてみたら、日本テレビがプロレス中継打ち切りを決めるきっかけになった大悪人。 >>890
タニマチ筋の紹介だろうね
ダラ幹でも、大卒でサラリーマン経験のある
吉村はプロ入り前の人脈で仕事にありついてプロレスと縁が切れたけど
他の2人はそうはいかなかったみたいだな
>>893
アメリカだといくら高額ギャラ保証されてもヒールとしてリングに
上がらないといけないから、かなりストレスたまっただろうね
ベビーとしてリングに上がれる日本だとそれが相当軽減されるし
物価も安いから、半額くらいでも首縦に振ったのでは?
東郷の提示額がピンハネ前ならまた別だけど
「俺はパンも食える」を自負してたし、都市圏なら洋風ホテルは譲らなさそう
>>895
ダラ幹より組長の方が馬場の商品価値理解してたんだな
猪木でさえ「力道山の死後、馬場さんが帰ってこなかったら日プロは終わってた。
当時の俺では支えるのは無理だった」と認めているのに。
>>895
馬場が猪木の改革話に乗ったのは遠藤追放って点で意見が一致したからかもね
結果的にその後違う方向にいっちゃったけど
遠藤は営業力抜群だったらしいから、その系譜は永源に受け継がれていったのか 日テレだけで十分儲けてるのに
なんだってNETと契約しようとしたのか謎。 >>879
ありがとうございます。
全日(日プロ)伝統・保守本流の
一点攻めからの前座らしいフィニッシュがイメージ出来ました。
今日の林は執拗に相手の足を攻める。
それなりに攻防・山谷をいくつか繰り返す。
いよいよフィニッシュか?
林が倒した相手の足をつかみながら
その足にストンピング。
そこで林、レフェリーに「おいアレ」と明後日の方向に指をさす!
横を向いたレフェリーを尻目に
股間にストンピング一閃!
林の真骨頂!?
悲鳴をあげ悶絶の相手。
ざわつく場内。
「大丈夫か?」レフェリーが振り返って下の選手の顔を見る。
すると林、足を大きい動作で
ひと捻りふた捻り、
たまらず「イテテーッ」と林の勝ち。
立ち上がった相手
「おいっ!急所蹴ったじゃねえか!」
林「(無視して)参ったしたじゃねえか!前座からやり直しだ、お前!」
とか。
あるいは不意をついた林の逆転の
もっさりとしたジャックナイフかも? >>880
林はレフェリーとしてはテレビで観た記憶はあるが、選手としては個人的に記憶はない。
伊藤・肥後についてはテレビでの記憶は皆無。
伊藤はプロレス雑誌の付録で全日本所属レスラー(海外遠征中)としてラインナップされているのを見た微かな記憶があるのみ。
渕の回顧録に伊藤は怪力レスラーと出ていたが、今思えば全日に残って(帰国して)その姿を見て見たかった気もある
。
が、やはり当時から全日派の自分としても
伊藤は見た目残念なビジュアルの
いかにも悪い意味で全日的な
何とも言い難いひと山いくらのレスラーくらいにしか感じられなかったかも。
国際との対抗戦、ジャパン参戦時、
そして平行して3バカ(大仁田、渕、園田)、越中、三沢、後藤、川田ら若手の育成に
伊藤にも何か出来たかもだが。。。 石川伊藤対エリック兄弟の試合が遠軽から中継されていたはず。
ミスター林は凱旋帰国のタンクパットン戦がオープニングでチラッと映ってたような… 1984年テキサス州ヒューストン、ロックンロール・エクスプレス 対バディ・ランデル&マサオ・イトー
https://www.youtube.com/watch?v=KyP2HAT0t_A >>899
BI砲スレでも書いてるけど、
東郷(&テーズ)がNETに新団体の計画を匂わせたからだと思うよ。
日プロとしては国際TBSに続いてライバル団体を放送されては
堪らないからね
日テレの意向を無視してまでも2局と契約したから
莫大な放送権料が発生してダラ幹へと変わっていったんじゃないかな?
結局、東郷の計画は頓挫したけどね >>899
>>904
国際と喧嘩別れした東郷が今度はNETに新団体の計画持ち掛けてた話は知ってるが、
仮に日プロがそれを脅威に感じたなら日テレに支援の強化を要請するのが筋だろうに、
NETと二股中継を認めさせてしまうという発想が斜め上だな。首謀者は遠藤か。
(しかも数年後には日テレに約束した馬場の独占中継の約束も平気で破るデタラメぶり)
そもそもTBSがバックについてた国際でさえ日プロとは勝負にならなかったのに、
これといったスターもおらず、ネット力の弱いNETがバックの東郷新団体なんか
大した脅威ではなかったはず。結局二股中継の放映権料目当ての口実に
東郷を利用しただけなんだろうな ダラ幹のなかでは吉村は外様だった事もあるかもだけど
他の人間よりはるかにまともだったらしいね 吉村はダラ幹達のメンバーではあっても吉村自身をダラ幹と呼ぶのは気の毒。
猪木の言うダラ幹には、吉村は入っていなかったのかな?
馬場は「幹部で唯一まともな人」と吉村を評していたし。 日テレの一時間の中で
エース馬場以外にも猪木が台頭して
さらに坂口が凱旋帰国
他にも大木、吉村がいて
さらに育ってくる中堅若手にも光を当てたい
と考えたらさすがに枠が短すぎると考えたんだろうかな?
日テレがゴールデンでもう一番組できればいいが
そうでないなら他局でゴールデンでという考えになっても
それほど不思議ではない 自分は馬場の何が凄いのかと思うのは
力道山死後、アメリカマット界から10年契約を持ち掛けられ、それを蹴って帰国したことだな
単純に今の貨幣価値なら10億とも20億とも想定される額でしょ?
良く言えば義理人情、打算的には日本マット界のトップに立てるからだと思うけど
どちらにしてもプロ野球で一度は挫折した男が、全米クラスのオファーに乗らないのは凄い
アメリカで10年やれば、40歳前後でハワイで悠々自適だっただろうし… >>910
まあお金第一だろうな、たしか若手中心のヤングファイトとか別枠の番組もあったみたいだし >>912
ヤングファイトってゴールデンじゃないから
放映権料は違うと思う 昭和50年代に出版されたプロレス史には、NETが中継を始めた69年から「除去しがたい病根が日プロを蝕み始めた。70年も静かに広がり続け
71年にどっと出た」とある。後になって分かることで当時は何ともしようが無かったんじゃないかな! >>911
力道山に貸し付けていた大金を回収する目的もあったのでは…?
門茂男の話だから真意は不明だけどね >>880
肥後vs伊藤を見たことがある。技の肥後とパワーの伊藤という感じの試合だった。結果は肥後がスモールパッケージホールドを鮮やかに決めてみせた。 誰のインタビューだったか、遠藤が1億円の手形を切ったけど、何に対して切ったのかまるでわからないという。
なのに社員の前で謝罪しただけで他にお咎めなしという話
トンでもねえよ… >>910
そんなやり方が通用するの勢いある時だけだよ
レスラーなんていつ怪我で戦線離脱するかわからないのに
じっさいキックやK-1が勢いあったときはテレビ局2股3股かけてたけど
勢いなくなったらあっという間に切られた
日プロは力道山の死という最大のピンチの時に支援してくれた
日テレとの関係を最優先しなければならなかった
>>911
タラれば言っても仕方がないが、力道山が健在だったら
多分あのままトップ譲らなかっただろうから、馬場は
帰国しないでアメリカに定着してただろうな >>911
昔のアメリカはテリトリー制でどの選手も3ヶ月の口約束が多かった。
テリトリーがバラバラなのに10年契約などあり得ない。
今日セントルイス、来週ニューヨークだとしてもプロモーターが違う。 芳の里って「下駄社長」としてリングに上がっていたらしいけど
どんなキャラ・ポジションだったんだろう?
田吾作スタイルで、前座の「悪役商会」でもやっていたのかな? >>911
ヤクザに脅されて仕方無く帰って来るしかなかったんじゃないの? >>880
79年だったか、伊藤の試合をテレビで観た記憶がある。というか、伊藤の存在をテレビで知ったんだけど、相手が誰だったかはもう記憶にない。 ここまで読んだが日プロってすごいな
闇が深いなんてもんじゃない
まさに深淵だわ 協会の上層部に田岡や町井がいたからな
今で言えば司忍や高山がいるようなもん >>917
>遠藤が1億円の手形を切ったけど、何に対して切ったのかまるでわからない
どんぶり勘定どころの話じゃないな
どんぶりに穴が開いているんじゃないの?
日テレに加えNETからも放映権料入ってきて金銭感覚が麻痺し、
もともとまともじゃなかった判断力がさらにおかしくなったんだろうな >>920
豊登が抜けたあとは
馬場、大木、吉村に次ぐポジション
猪木復帰と入れ替わるように現役を去ってる
遠藤幸吉はいつまで試合してたかよくわからない >>904
>>905
一番大きかったのはやっぱりNETの提示した金で
一方で東郷テーズ団体への懸念も幾分かはあったのではと思う
あと当時の「経営陣w」の立場でいえば
力道山×大正力以来の切っても切れない関係の日テレ
同じく力道山時代以来の強い影響力を持つ
田岡一雄や町井久之、児玉誉士夫といった裏世界の大物たち
そういった「力道山時代からのインサイダー」たちと
もう少し距離を取りたかったってのもあったんではないかな
もちろんその「距離を置きたい」ってのも
暴対法云々とかのモラル的な動機では全くなくw
単純に「今のこの会社の社長(役員)は俺たち、好きにやらせてもらう」
「オヤジ(力道山)の頃の感覚でなにかと口出しされるのは不本意」
「いつまでも我々がオヤジの部下だった頃を知ってる人に出入りされてもやりにくい」
みたいな感情がダラ幹勢にはあったのではないかと >>880
ブロディが伊藤と誰かもう1人とハンディキャップマッチやってたのテレビでやってたかも 元子も文句あるんやったら倍賞姉妹みたいに人気女優になるなり
坂口夫人みたいにイケメン人気俳優になる息子を産んで育てりゃいいだろうがっ!
元子っ! 文句あるならやってみいやっ! >>928
>もう少し距離を取りたかったってのもあったんではないかな
日テレとの放送契約におっしゃる通りのしがらみがあってそれを切りたいなら
「時代も変わったし、われわれも生まれ変わらなければならない。NETからいいオファー
いただいたし、今まで世話になったけど、おたくとの付き合いもここまで」と
契約解除すべきなんだよな
でも日テレとの契約はそのままで、NETからも放映権料もらおうとしているんだから
結局は金でしょwww
でもテーズの新団体ってシャチ横内をエースに立てる予定だったんでしょ
BIに対抗できるとはとても思えないのだが
東郷のことだから、引き抜きとか外人招聘の妨害とかを画策してて
日プロはそれを警戒してたのかもしれないが >>930
持ちかけたのは東郷という話だけど、その話し自体があり得ない話。 馬場が書いていたのは「年収27万ドルを保証するからアメリカに残れ」と言われたって話
10年契約ってのがどこから出た話なのか分からんが何年契約かまでは書いていなかった
当時は一流レスラーが年収10万ドル以上で一番稼いでいたバディ・ロジャースが年収30万ドルだった
それでも帰国しか頭になかったそうだ
マサ斎藤、カブキ、キラー・カーンと日本に居場所ができれば日本に戻ったし
日本人なら日本にいたいだろう 当時の遠藤や豊登の裸の写真を見たら
ダラ幹といっても化け物みたいな体してるな >>933
契約更新時期に当たり日テレとしては日プロが非情な態度に出たら文句は言えず
法的に無問題でそれを恐れていたためにアッサリNETの放映を条件を出して許可した。
国プロの旗揚げ戦の視聴率で日テレはTBSに僅差でう辛勝し金八の隔週放映を提供
スポンサーの三菱電機を強引に説得して毎週の放映に切り替えたくらいだったから
日本人陣営が問題があってもテーズ&東郷の呼ぶ外人勢は驚異だったかも?
NETがダメもとで日プロに放映を依頼すると日プロに条件は「日テレの許可があれば
・・・」だった。日テレ・原Pによるともちろん拒否だったが強硬な姿勢は感じられない。
のちトラブルの最前線に立つ松根氏は当時は激怒するも「TVマンとして視聴率が計算できる
番組は喉から手が出るほどほしいですよ。NETの気持ちもわかります・・・・」と
全日社長時代にコメントしている。 >>926
1億を会社払いにして、どっかから借りたってことだよな。
これで遠藤を追い出せない理由とは?
エースでもないのに。 元テレ朝の栗山の著書で「新日がTV放映できたのは遠藤さんのおかげなのに
猪木は恩がある遠藤さんをあっさりと捨てた」と罵倒していたが
猪木の立場からすれば幹部の中でも腐敗が酷かった遠藤は真っ先に切りたかったはず
栗山の書き方からするとテレ朝(NET)関連では遠藤の評判は悪くなかったみたいね 遠藤幸吉は新日にとって
テレビ放映もだが
ロサンゼルスルートを繋げた大功労者 >>924
力道山時代の日本プロレスコミッショナーが大野伴睦・自民党副総裁で、
日本プロレス協会会長が児玉誉士夫、同副会長が田岡一雄・山口組三代目組長
政権与党の大物政治家と裏社会の大物達が名を連ねている。
それが力道山死後の昭和40年2月に、プロレスの興行が暴力団の資金源になっている
という世論の高まりから警視庁捜査2課の組織暴力取締本部が動き、
当時の協会会長・田岡、興行会長の町井(東声会会長)、平野(同副会長)の
両監査役が辞任する。
一応、建前上は役員の刷新で姿勢を正すことになる。『デラックスプロレス85年6月号』 69年に日テレ独占中継だったのをワープロ参入にも一役買ったしな。。 >>937
>金八の隔週放映を提供
ここのスレで時々でてくる表現だが、金曜夜八時といってくれないかな。
どうしても「腐ったミカンじゃないんですよ加藤は」のロン毛のおじさんが頭にうかぶから。 >>937
日テレが毎週放送に踏み切ったのが68年2月からだから、
毎週金曜8時の日プロ放送は4年間だけなんだね。
ちょうどBIコンビ絶頂期と重なり、日プロも隆盛期を迎えるけど
72年に馬場をNETに登場させたばかりに・・・ >>943
そうそう。
読み手のこと考えないやつは嫌だよね。 >>944
そりゃ番組の看板だった猪木を失ったNETが
代わりの看板として馬場を要求するのは当然
二股掛ける以上、そういう事態にならないようにマネジメントしないと
いけないのに、ダラ幹にはそれが全くできなかった
できないなら最初から二股掛けんなよって話 >>933
いや、「距離を置く」ってのはいきなり契約を切って乗り換えるというようなことでなく
(金は貰えるだけ目いっぱい欲しいわけだからねw)
下の方に書いてるようにせっかく社長や役員になって
会社も大繁盛、我が世の春を謳歌してるとこなんだから
「我々の社内のコトにあんまり口出しせんで欲しい」
「もうオヤジのいた頃とは違うんだ、今は俺たちが社長(幹部)なんだ」
「昔の(力道山の)子分時代知ってる人達とはなるべく顔会わせたくない」
って意識が日テレ上層部や田岡町井児玉といった人達に対して
少なからずあったんじゃないかと思うんだよね、ダラ幹たちには
「距離を置く」ってのはそういう意味での“牽制”ってことね
もちろん日プロと日テレや裏人脈との関係と経緯を考えた時
「金はくれ、でも口出しはしないで出来れば少し距離置いてくれ」
がどれだけ都合のいい話かは言うまでも無いんだけど
ダラ幹たちにしてみれば力道山が急逝して
これで日本のプロレス界もオシマイだって声も多かった時に
その後を継いで会社を今の隆盛に導いた功績は
ワシら「名経営陣w」のたゆまぬ努力と名采配あってのものwって思ってたであろうから
あとテーズ東郷新団体に関しては
力道山が日本マット界を実質統一して以来
それまで日プロには長い間まともな競合相手っていなかったわけよ、ハッキリ言えば
それが東プロや国際っていうまだ「競合」というほどではないにしても
はじめて自分達に対抗しようなんて勢力が出てきたところに
あの大物テーズが東郷と手を組んで…なわけで
言ってみりゃ「(何度目かの)フォードやGMが日本に本格進出するらしい」とか
「サムスンやヒュンダイがいよいよ日本へ本気で〜」みたいなもんよ
トヨタやパナやソニーにとって国内で食われるとは本気で思ってないにしろ
少なくとも全く気にならないかと言ったら嘘でしょ >>933
会社が金を求めずに
何を求めろというのか 全盛時のK-1
フジが先行放送の強みで通常シリーズとGPの放送
日テレが日本人選手のK-1 JAPAN
TBSがミドル級のK-1 MAX
二局放送どころか、三局放送をバランス良く配分してた石井館長の手腕は凄い
石井館長から谷川へバトンタッチした経緯・時期はよく覚えてないけど…
館長がいつからプロレスファンだったも知らないけど
ただ、年齢的にも日プロのゴタゴタや末路を知ってるだろうから、教訓にしたんだろうか? 石井は独占契約しなかっただけだろ。
あと、各局共存馴れ合い業界色が濃い時代とかね。 日プロ語りたくて仕方ないみたですな。自費出版お薦めします。
需要は知らんが。 >>951
2003年の大みそかの夜はその3局が
紅白に格闘技番組ぶつけてきたんだよな。
自分もザッピングしてみていたくちだが、
3局同時に格闘技流しているのは異様だった。
でもその盛り上がりは今はいずこ
結局こういうコンテンツって一局独占が一番長続きするし、
長い目で見ればそれが一番もうかる
ちなみにその時、日テレの番組のアドバイザーつとめた猪木は
昔のNETの割り込みを振り返って「俺は馬場さんと一緒に反対したんだよ」
と言っていた。よく言うよwww >>907
猪木は吉村を一番のダラ幹だと言ってたらしい
一緒にアジアタッグを長く持っていたのに
幹部追放計画の際にも馬場が吉村さんは外せといって一度はリストから外して見せたが後でこっそり戻したので馬場の不信を買った 力道山ともアジアタッグを持ちたかったって引退後の限定出版で言っていたとか 吉村は比較的悪く言われないね
馬場は「吉村さんは最高のタッグパートナー」「吉村さんは素晴らしいレスラーだった」
ミスター・ヒトは「あの人(吉村)ほど若手を可愛がってくれた人はいなかった」 >>954
最初に年末のNHK紅白歌合戦に格闘技をぶつけたのはNETだった。
名勝負と名高い猪木vs.ドリー戦を当てるも試合日からだいぶ時間が経っていいて全盛期
の紅白の前に完敗した。
>>959
全国紙の夕刊に近大相撲部で顧問をしている吉村が登場して驚いた。
かっての名レスラーは今は相撲部で後輩達を指導しててプロレス界との付き合いは
「今は何もないですよ・・・冷たいもんです・・・」と締め括っていたのが印象的だった。
あの醜悪な分裂劇を見るとしょうがないけど。力道山OB会ができてたのはそのしばらく
後だった。 >>943
当時、ドラマ・報道のTBS、民放の雄と自他ともに認めていたTBSが何やってのダメな
視聴率不毛地帯が金曜八時だった。金八先生のネーミングも投げやりで決まるくらいで
初の荒川河川敷ロケで記者会見も行われたが来たマスコミはたった二名だった・・・
全く内外から期待されない中での船出だった。
ちなみ金八先生・第二期でも同じ事をやるも今度は来たマスコミは50名以上だった。 >>959
最後まで現役だったのもあるけど、
他の2人みたいに金にだらしないエピソードもあまり聞かないしね
猪木が排除しようとしたのは、口うるさいというか
吉村を残すとやりたいようにやれないと思ったからだろうね >>960
紅白裏番組にプロレスをぶつけるプランはドリーvs猪木戦以前にもあったと
古いゴングに記されている。
日テレのプランナー後藤達彦氏は「実をいうとビジネス上で関係の深い
嵐田さん(ビートルズの招聘に成功したプロモーター)と話し合っているとき
両方の口から“ヘーシンクをプロレスラーにしたらいいだろうなあ”というプランが
とび出したわけです。私はもしこれが実現したら、民放各社にとって例年“魔の時間”
といわれている恒例の大晦日のNHK紅白歌合戦に対抗してやろうと考えたんです。
その当時日本プロレスのスター選手だったジャイアント馬場とヘーシンクの
プロレスデスマッチ! これを紅白の裏番組としてぶつけよう…
と真剣に考えたわけです」
大晦日決戦は構想のみで日の目を見なかったが、もし実現していれば
猪木vsルスカより早く柔道五輪金メダリスト対日本人大物レスラーの対決が
行われたということになっていたねw
ちなみに馬場vsヘーシンクの唯一の対戦は、78年新春ジャイアントシリーズ
1月29日美濃市体育館30分1本勝負
○Aヘーシンク&Kドク(14分03秒 体固め)G馬場&R羽田×
(鶴田vsヘーシンクのUN戦があったシリーズ) 馬場が手放しで褒め讃えた日本プロレスのレスラーて吉村くらいかな >>962
吉村は猪木か馬場かと言えば確実に馬場派だったので
一応レスラーによる自主運営〜「トップであるBIを中心とした新体制」を標榜している以上
野心に燃えてた猪木からすれば合議の際、馬場派の幹部が一議席増えるのは
単純に嫌だったんじゃないかな 二局放送といえば、猪木が新間氏ルートでフジテレビで新日本の放送を計画したのがUWFの走りと言われてるけど
1984年の春、旗揚げ直前に馬場が新間氏に頼まれてテリー経由で外人選手をブッキングした件
馬場はその引き換えに、WWFの外人ルートも確保しようという目算だったらしいが
しかし、時はWWFの全米侵攻が始まった頃、NWA副会長という立場で侵攻相手の招聘なんてできるんだろうか?
仁義的にも物理的にも両方の側面で…その頃の全米戦争に対してのオレの理解力があってるのか自信ないけど。
あと、単純にライバルの分派団体のスタートに手を貸すなんて馬場の目算はどうだったんだろう…
単純にWWFというメリットがあるにしろ、新間氏には仁義なき戦いを過去に仕掛けられた経緯もあり、慎重居士の馬場としてはどうだろう…
ただ、その数か月後に大塚氏と手を組んだりしてる事実もあるし、相手が弱まれば一気に主導権を握る自信ぐらいは馬場にはあったんだろうか…? >>961
金曜夜八時を金八という表現をやめてくれ、って言ったのに、なぜあの先生の説明をする?
そんな有名な話を自慢気に披露されても、みんなポカーンとするだけだよ。 連レス失礼
あとこれは個人的な雑感なんだけど、上記の馬場がWWFの外人も狙ってたという話に関して…
当時の1984年は自分は小学生だったけど、鶴田のAWA王者陥落後、それでも鶴田の動員力が増えてないのは何となく感じてた
ガキなりの心配事は「もうNWA王者になるしか全日の隆盛はないな、でもそれでも人気でなかったら馬場の後はどうするんだろう…?」
でも数十年経って、馬場なりに全日の鶴龍以後の事を危惧してたんだろうという事がわかり合点がいった(当たり前だけど)
でもジャパンとの提携やキッドスミス引き抜き、間接的な新日本潰しに実は大勝負をかけてたんだろうね… >>967
新間からお願いしてきたことだし、
あれこれ策を企てる新間を敵に回すより、
貸しを作った方が得策と考えたんだろう。
何かしてきたら、外人ルートを引けばいいだけだし、デメリットはなんにもない。 テリーは馬場から「ウチで使えそうなヤツはブッキングするなよ」と
釘刺されてるかの様なメンツだったなw 馬場vs猪木、全日vs新日の争いというより日テレvsテレ朝の視聴率争い。
日テレとしてはテレ朝の金曜夜8時のワールドプロレスリングは
極めて邪魔な存在でブッ潰したい番組。
裏番組をブッ潰すのにはその番組の出演者のスキャンダルをリークして騒ぎ立てる、
出演者自体をその番組から引き抜くなどが常套手段。 >>963
後にヘーシンクが全日に登場したのは
この伏線があったからか
日テレはヘーシンクに契約金5000万円払ったらしいね。
でもヘーシンクはよくプロレスなんかやったあとに
柔道界に戻れたね
同じことやったルスカは戻れなかったのに 小林邦昭対マジックドラゴンのカベジェラコントラマスカラ久しぶりに見た。
当時、放送翌日に小林のフィニッシュホールドを学校の体育館で真似したの思い出したわ。 全然楽しくなかった頃の全日が見たいんだよ
ミスター林や百田義浩が試合してた >>975
あれってクラッシックとかでやった事ありますか?
メインがシン対長州の愛知県体育館ですよね マジックドラゴンのマスクデザイン好きだったから止めちゃったの本当にもったいなかった >>980
やっぱりクラッシックでやってないんですね
当日観に行ってたんでまた観れて嬉しいです
メインがつまんなかったからこの試合の方が記憶に残ってます >>980
9分過ぎに出てくる次週のカードで、「G馬場&石川vsシン&ミラノ」と有りますが、これが例のアレですか? >>960
晩年になってからの週プロのインタビューでは
「馬場も猪木も俺の弟の様なものだから
どちらか片方に肩入れするわけにはいかなかった」と言っていた>吉村
馬場の著書での吉村絶賛を読むと「吉村に関わりたくない」なんて感じは全く無かったしな >>959
>>984
芳の里と遠藤は、引退試合やった後
日プロ崩壊と同時にプロレス界と縁切った
吉村のことを「ずるい」とか言ってたんだっけ?
結果的に、一番悪く言われなかったからな。
>>985
普通に柔道やってるだけでは病気の奥さんの
治療費稼げなくて、やむなくプロレスやってたんだっけ?
木村政彦と同じ理由だけど、悲しいね 吉村は、芳の里や遠藤のような 魑魅魍魎がうごめくプロレス界が嫌で
第2の人生まで関わりたくなかったのよ・・たぶん。 木村は力道山との引き分け念書を
自分だけ取られて、力道山は「忘れた」と渡さず。
でも試合したという辛い立場だった。 >>986
木村の奥さんは結核で、ストレプトマイシンが高額だったからだっけ?
でもその奥さんが現時点では存命なのか知らないけど、木村が亡くなった後もずいぶん年月が経った頃にテレビ番組のインタビューで見たことがある
どちらにしても長生きされてるようだし、それがプロレス転向によるものなら良かったんじゃないかな?
それに武藤が柔道やってる頃に教えを受けた事があるようだし、柔道界にも復帰できたわけで…
あともう少し存命できてたらUFCのホイス優勝時のグレイシーによる「木村リスペクト発言」を聞くことができたんだよな…
ただ力道山戦の後悔はそれで緩和されてたかもしれないと思うと…うーん。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 17日 1時間 51分 58秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。